第八節 試合
崖の上でアルシェールに出会った日から、わたしの生活は、何もかもが変わった。ご飯を食べれば、美味しく、いたぶられれば、痛く、みじめな気持ちになった。授業中でもそうでない時でも、三人組が恐ろしく、わたしは息を潜めるようにしていた。そして授業にさっぱり付いて行けなくなった。動きもトロくなり、いじめられれば泣いたのだ。
急に何でとは思わなかった。今考えてみれば不思議なのだけれど、今までずっと、そうして来たように思えていた。
わたしは感情と言うものを理解したのだろうか。
だけれど周りの人達は驚いたようだ。何時も無感動だったわたしが、急に感情を示し始めたのだから。
そしてそんなわたしの隣に、何時もアルシェールの姿があった。相変わらず無表情ではあったのだけれど。
わたしと居ると三人組の標的になる。わたしはアルシェールに何度も言った。わたしと一緒にいない方がいいと。あなたまでいじめられてしまうと。そう言うととアルシェールは何時も決まって、
「ならあなたが守って。あなたならそれだけの力がある」
そう言った。
トロくて勉強でも体を動かす事でも、バカにされたわたしが、そんな力を持っているとはとても思えない。
わたしはアルシェールの行動にほとほと困ったが、アルシェールはわたしと一緒に居る事をやめなかったし、わたしもどこかそれを心地よく思っていた。
フェルミナの授業には危険なものもある。その内の一つが、中庭でやる、武器を使った試合だ。先生達が相手を決めて、それぞれ五人の相手と対戦する。特に
わたしも武器だけれど、その手のものはてんでダメだった。
試合は、
普段は戦わない者達でも、戦いの技術は必要なのだそうだ。
試合で何時も一番なのはエステリティウスとロンドだった。特にエステリティウスは常に妹のアミエスタと鍛錬を怠らず、それを誇りにしているようだった。
わたしは試合が行われた際は、早々に負けるようにしていた。出来るだけ痛くないよう、出来るだけ疲れないよう、相手があまり酷く叩いて来ない人である時を見計らって。
意外なのはアルシェールとフェアリーの二人だった。どことなく捉え所のないこの二人は、強いんじゃないかと言う前評判だったが、二人の試合の結果は対照的だった。
フェアリーは何時もびりっけつ。相手がどんなへなちょこの攻撃をしても、何時も武器を飛ばされ、
「降参」
そう言っていた。
アルシェールの試合も不思議だった。偶然、相手がつまづき、偶然相手が足を滑らせ、そんな所でアルシェールは何時も、
「ぺし」
と言って相手の頭に手に持った棒を触れさせていた。相手も何が起こったかよく分からないようで、きょとんとしている。そんな試合が続くアルシェールは何か変だと、噂が立っていた。
ある日の試合、エステリティウスは四人の相手を続けざまに抜いた。
一人目は少し前にフェルミナになっていたヴィットーリア。エステリティウスがヴィットーリアの持つ木の棒を跳ね飛ばして終わり。
次のフェアリー。
「武器がなくなったから降参」
そう言うフェアリーを見て、わたしは、今度同じ手使おうと思った。
続くはクオルン。エステリティウスと何度か打ち合ったが、結局、首に木の棒を突き付けられて降参した。
四人目はエステリティウスの妹アミエスタ。これは相当の激闘で、孤児達のみならず、先生達も面白そうに見ていた。だけれど最後にエステリティウスがアミエスタの棒を叩き下げ、次の瞬間弾き上げて首元に棒を突き付けて終わりだった。
「誰が次の相手だ」
エステリティウスはそう言ってロンドを見たけれど、ロンドは首を
「俺はもう五人とやった。見世物でやるのはゴメンだ」
そう言って、エステリティウスに舌を打たせた。
この二人は負け知らずの最強で、まだ一度も手合わせをした事はなかった。
エスタンティア先生が言った。
「いい機会なのだから、誰か立候補する人はいないかしら」
するとアルシェールが手を上げた。
全員の視線がアルシェールに集まる。
そしてアルシェールは手にしていた棒をわたしに投げたんだ。わたしは慌ててそれを受け取った。
今度はわたしに全員の視線が集中する。
「勝てる」
アルシェールがそう言って、わたしは固まってしまった。
「おい、こんなヤツが相手になるか!」
エステリティウスが怒鳴るとアルシェールは真正面から、
「怖い?」
そう言った。
エステリティウスはわたしに向かって棒を構えると、
「おい、アルシェール、こいつをのしたらお前が次に戦え。手を上げた責任は取って貰うぞ」
アルシェールは首を
「わたしは野蛮な事は好きじゃない。守って」
そうわたしを見て言ってくる。
なんて勝手な事を。責任はアルシェールにあるのだから、わたしは逃げようかとも思ったけれど、エステリティウスは積極的でないにしろ、あの三人組の仲間だ。それにブリッツォの件があってからは、よりわたしには冷たくなっていた。ただ負けさせてくれるはずがない。その考えは当たっていた。
エスタンティア先生に促され、しかたなく中庭の中央で、棒を構えてエステリティウスと対した。
「はじめ!」
エスタンティア先生の掛け声と同時、エステリティウスは踏み込むと、真っ直ぐにわたしの正面に棒を振り下ろした。わたしは地面を蹴って左手に飛び
アルシェールの挑発が効いているようだ。
エステリティウスは振り下ろした棒を途中で止めて、わたし追うように薙ぎ払って来る。わたしは手に持つ棒を、縦に構えてそれを弾いたけれど、エステリティウスは返す刀で再度薙ぎ払って来る。振りは小さく、反撃の機会もなく、わたしは防戦一方に立たされた。左右からの薙ぎ払い、たまに来る下から
観客達が拍手をする。先生達がほぅ、と言う。
でもわたしにはそんなのを聞いている暇はない。必死だったんだ。でもその声は聞こえた。
「気を捉える。相手が何に注意を取られ、どうしようと心を動かすか、感じ取る」
アルシェールの声が聞こえる。
目の前のエステリティウスは決まったと思ったのだろう。わたしが飛び避けた事に遅れて気付いたらしく、顔を歪めている。
「そんな大振りの動きで、まぐれは続かない!」
わたしは数舜前のアルシェールの言った言葉を思い出す。エステリティウスのあの目付き、怒りと殺意を
突き出された棒をわたしは叩き落とし、逆に突き返すが、エステリティウスは腕を掲げて、棒で止める。そのままわたしの棒を巻き取るように回すとわたしの棒の下から切り付けた。
わたしは
観客達は誰も声を上げず、わたし達の戦いに見入っている。
わたしは冷静で、そしてとても驚いていた。
こんな事が出来るわたしではなかった筈だと。やはりアルシェールに何かされたのだと思った。
わたしは呼吸を落ち着け、正面で棒を構える。エステリティウスは棒を下に沈ませ、その切っ先を上げた所がわたしの芯になるように構えた。じっと睨み合う。わたしも、エステリティウスも、観客も、誰もが一言も喋らなかった。
睨み合い、突く、弾かれる、腕を下げる、エステリティウスの足が飛んで来て、わたしの胴に入った。わたしは吹き飛ばされ、地面を転がり、転がりざまに片手で地面を蹴って立ち上がる。
「そこまで!」
エスタンティア先生が叫んだ。エステリティウスが顔を歪めてエスタンティア先生を睨む。
「何故!? 戦いは実戦だ! まだ決着は着いていない!」
エスタンティア先生はエステリティウスを睨むと、
「授業でわたしは、あなた達に殺し合いをさせるつもりはありません。棒以外を使ったあなたは
くっと顔を歪めるエステリティウスにアミエスタが寄り添った。二人がわたしを睨む。
「平気ですか」
エスタンティア先生の言葉に、わたしは土に汚れた顔を拭うと頷いた。
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