第七節 出会い

 ブリッツォがいなくなっても、三人組は健在だった。ケレミーがブリッツォの代わりになったのだ。

 元々ブリッツォがいた頃から、三人組とケレミーは、誰それ構わず、嫌がらせをして楽しんでいた。だけれどブリッツォがいなくなってからは、より一層激しくなった。

 周りは三人組、と言うより、どちらかと言うとブリッツォを恐れていた。そのブリッツォがいなくなったのだ。

 三人組は舐められないように、とでも考えたのだろうか。元がやり過ぎだったのに、その度は増すばかりだった。


 そんな三人組も、失敗する事はあった。

 以前、わたしに手を差し伸べた茶色い髪の少女、リタラ・グリィーズ。内気で、わたしと同じくフェルミナの力ヴィジョンを中々見出せない子だった。

 この子は以前から、どこかわたしを気遣っている節があった。

 その日も、桶の水をかけられ、叩き倒されて転がっているわたしに、手を差し伸べた。

 わたしはケレミー達がその様子を見ているのに気付いて、首を振ったけれど、リタラはわたしの手を取ると、立ち上がらせた。

 その途端、ケレミー達がやって来た。

「ねぇ、誰の許可あって、コイツの事助けてんの?」

「誰の許可って……」

 おどおどとそう言う、リタラの足をケレミーは蹴り飛ばして転倒させた。

 リタラは酷く体を打って、泣き始めた所に、兄である剛健なロンドがやって来た。

 ロンドは三人組を睨み付け、続いてわたしを睨み付けると、ケレミーを引っ叩いて泣かせ、三人組の残り二人、フェテスとクオルンを腹を殴り、屈み込ませ、胸倉を摑み、壁に叩き付け、一瞬で三人組をのしてしまった。

 その巨体に似合わず、動きは素早く、三人の誰もが、その一撃を防ぎ切れていなかった。

 そうしてからわたしに振り返ると、妹の視界に入るなと怒鳴る。

 わたしはそれに答えず、倒れているリタラに手を差し出す。

 ロンドはわたしの手を叩き落とすと、代わりにリタラの手を摑んで立ち上がらせた。

「関わるなと言った」

 わたしは何も答えずただロンドを見詰める。

 ロンドは小さく舌を鳴らして、リタラの肩を抱えて行ってしまった。

 ロンドは寡黙な性格なのだが、妹の事となると人が変わったようになる。

 それ以来、三人組はリタラには手を出さなくなった。

 でもそれはあくまでリタラとロンドに対してだけ、わたしはその後も相変わらず嫌がらせをされ続けたし、他の子も同じだった。

 そんな毎日が続くと思っていたある日、孤児院に新たな顔が増える事になった。


 孤児院にやって来たのは三人。

 一人はヴィットーリア・アクウィエリア・アマルフィ。黄緑色の髪をした、茶色のベストに半袖のシャツ。半ズボンを穿いた男の子。

 もう一人は冷たい目をした、長い銀髪のフェアリー・クルッセル。

 白い服、長いスカートが、彼女の冷たさを際立たせていた。

 最後は、黒い服、黒いスカート。まるで喪に服しているような出で立ちの金髪の少女、アルシェール・アティスだった。

 アルシェールからは、その瞳の中に宿る光から表情まで、何の起伏も感じられなかった。


 ヴィットーリアは違ったけれど、フェアリーとアルシェール初めからフェルミナだって聞かされた。

 フェアリーはツンとしていて、アルシェールはどこまでも醒めている感じ。ヴィットーリアもどこか捻くれていた。

 入院すると、全員の前で挨拶をする。アルシェールとフェアリーは、ただ頭を下げて終わり。ヴィットーリアはブスッとして、名前だけ名乗った。

 エスタンティア先生以下、導師の人達は、みんな困った顔をしていた。

 ただアルシェールは、わたしと目があった時、どこか笑ったような気がしたんだ。


 ヴィットーリアは活発で、運動の得意な子だったけれど、何時も一人で行動し、周りを避けているようだった。

 また、その頃、フェルミナになっていない子はほとんどいず、フェルミナでないヴィットーリアは特に三人組にバカにされていた。それで、三人組とすぐにぶつかり、わたしと同じく標的にされるようになった。

 負けず嫌いなのか、よく取っ組み合いの喧嘩をしていたと思う。でも大抵泣かされていた。

 一方、フェアリーとアルシェールも常に一人で居た。

 フェアリーはわたし達より歳上で、どこか周りを蔑んでいる風。他の子供達や先生達とも距離を取っていた。

 フェーネも見たと思うけれど、アルトネック師の部屋の前で会った銀髪の女の人がフェアリー。

 鋭い目付き、常に澄ましていて、ほとんど喋らない。得体の知れない凄みのようなものを持っていて、三人組もフェアリーには手を出さなかった。

 ただ陰口はしていたし、嫌っていたようだけれど。

 アルシェールはと言うと、捉え所がない、不思議な子だった。

 アルシェールが孤児院に来てしばらくの間は、喋ったのを聞いた子はいなかったんじゃないかと思う。

 その目は何時も冷静で、フェアリーとどこか似ていた気がするけれど、フェアリーのとはまた違う。感情がないような、そんな印象を受けた。


 わたしは、たまに孤児院の外を歩いた。授業時間外、孤児院からあまり離れなければ、門限までに帰ればいい。いたぶりに付き合って上げるのもいいけれど、外の様子を眺めたくなる時がたまにある。そんな時、わたしは川沿いに生い茂る森の奥、小さな低い崖の上によく行った。

 崖と言っても川に張り出した、ちょっと高くなっているだけの所。それもそんなに高くはない。それでもそこからは広く景色を見渡せた。

 長くうねりながら続く川、灰色の森、迫る山々。背後の森に隠れて町の方は見通せなかったけれど、人工物のないその景色を、わたしは気に入っていたんだと思う。

 でも、遠目に見えるクリシュナスピールの赤い光の柱は、何時も視界を邪魔していた。

 わたしはそこで日が暮れるまでジッとしている、という事をよくしていた。西の空に落ちる夕日はとても大きく、とても綺麗だった。


 ある日、三人組に物を取られ、逃げ回られ、それを川に投げ込まれた。そうしてから、三人組は飽きてどこかに行ってしまった。

 わたしは物が投げ込まれた川から、川沿いの崖を連想して、遅めの時間だったけれど、その場所に向かった。

 そこへ向かう途中、森の中を歩いていると、どこからか歌声が聞こえて来た。初めはかすかに、やがて大きく。

 その歌には歌詞はなかった。『らー』とか『らん』とかで歌われていたと思う。

 歌声は滑らかで、どこか哀しく、聞いていると水の中に沈められたような、体に水が纏わり付いて来るような、そんな気持ちになってくる。美しいけれど、からめ捕られて、抜け出せなくなるような、どこかぞっとするようなものだった。

 その時から違和感はあったんだ。だけれどその違和感に突き動かされて、わたしは歩を進めた。

 何時もの場所に近付くにつれ、その声は大きくなる。そして崖の上に出る藪を掻き分けた瞬間、歌声は止まった。

 そこは誰にも知られていないと思っていた場所。でもその日は先客がいた。夕日に照らされたその人物は振り返る。

「あ」

 わたしはそう口にしていた。そしてその時、違和感の正体を知った。

 そこに居たのはアルシェール。風に吹かれてその金色の髪は千々に乱れて棚引いた。赤く見えるその姿、ジッとわたしを見詰める大きな目、綺麗で、どこか不気味で。

 そしてわたしが抱いた違和感の正体、それはアルシェールではなかった。

「これが、感情」

 アルシェールは目を細め、かすかに笑ったように見えた。

「はじめまして、デルフィ・イルミナーゼ」

 初めましての筈はないのに、アルシェールはそう言った。

 夕陽の影響だったんだろうか、アルシェールの背後で大きくうねる赤い日が、わたしにはとても眩しく見えた。

 今までそんな事はなかった。川の音、風にさざめく木々の枝葉のこすれる音。鳥のさえずり。今までずっとあった筈なのに、今までずっと見て、聞いて来た筈なのに、なのに、わたしはそれらをまるで初めて聞いたように、感動を覚えていた。

 呆然としているわたしを見て、アルシェールが目を細めた。だけれどアルシェールは何も言わず、クリシュナスピールの赤い光の向こうを指した。

「なに」

 わたしはアルシェールの意図する所を尋ねるが、アルシェールはそれには答えなかった。

 わたしは黙ってアルシェールの指さす方向を眺めた。

 ひどく黒い雲が、クリシュナスピールが放つ赤い光の辺りで渦を巻いている。

 その黒々とした雲に不穏なものを感じ、わたしはアルシェールに言ったんだ。

「わたしに、何をした」

 アルシェールは黙ってわたしに振り向くと、

「違う目で見たかったから。あなたの目は何を映している?」

 そう言ってかすかに首をかしげた。

 わたしは何と答えていいのか分からず黙っていると、

「あなたとわたしは同じ〝モノ〟何時かわかる」

 そう言った。それからわたしの手を取ると、

「お友達になりましょう」

 そう言った。

 わたしは戸惑い、何も出来なかった。

 そもそもアルシェールは何故、わたしの名前を知っていて、どうしてここを知ったのだろう。そんな事を思ったが、手に感じる暖かさを感じ、美しい夕日を前にしていると、そんな事はどうでもよくなってしまった。

 アルシェールもわたしと手を繋いだまま、夕陽を見る。

「あなたと繋がっていると、どんな気持ちを覚えるのか、わかる気がする。混沌としていて、複雑な気持ち。あんな偽りのものに一体どれほどの価値があるの」

「キミは、えと」

 わたしが言い淀むと、アルシェールはちらりとわたしに振り向き、

「アルシェール」

 とだけ言った。

 わたしは首をすくめて、

「あの、その、アルシェールは、わたしに一体何をしたの」

 わたしが再度そう聞くと、アルシェールは溜息を吐いて、

「少しいじってあげた」

 わたしが分からないと言う風に首をかしげると、アルシェールは首をすくめた。

「人の心はころころ変わる」

 わたしが尚も理解出来ずに苦しんでいると、

「もう帰る。そして新しい一日が始まる」

 そう言った。

 わたしはアルシェールに手を引かれ、孤児院の門の所まで戻って来た。

 その間、アルシェールとは一言も喋らなかったけれど、握られた手は暖かく、どこか、わたしは、同類を見付けたような、そんな、初めて感じる喜びの気持ちに満たされていた。

 門の所に来ると、アルシェールはわたしの手を離した。

 それが名残惜しくて、あっ、と言ってしまう。

 アルシェールはくるりと振り向き、妖しく微笑むと、また明日、そう言って少しだけ頭を下げると、孤児院の中に一人で走って行ってしまった。

 わたしは門の前で一人、しばらく、ぼぅとしていたと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る