第十節 歌

 アルシェールはヴィットーリアにエステリティウス達を呼びに行かせると、おもむろに着ていたベストを脱ぎ始めた。

「な、何をやってるの」

 わたしが聞いても答えない。アルシェールは脱ぎ終わると、ひょろ長い木にそれをかけた。

 シャツだけになったアルシェールは、わたしに向かって、

「ん」

 そう言って、隣のもう一本の木を指し示す。

「な、なに?」

 わたしはアルシェールの意図する所がわからずにそう聞くと、

「デルフィもかける」

「いや、だから何でそんな事」

「いいからする」

 何を言っても進展がなさそうだったので、わたしは仕方なくアルシェールの言葉に従った。

 するとアルシェールは胸の前で手を組むと、目を閉じて口を開けた。

 何時か聞いたあの声、胸を騒めかす、それでいて甘く捕らわれてしまいそうなあの声。

 わたしは何が始まったのか呆気に取られてアルシェールを眺めていたのだけれど、その時わたしの視界の端でガサリと何かが動いた。

 わたしがそちらに視線を向けると、それは見る見る細い枝を這い伸ばし、ぐるぐると巻き付き合いながら太く、そして何かの形を作っているようだった。

 わたしは驚いてそれ、崖の上にあるベストを着せたひょろ長い木から、後ろに飛び退って距離を取った。

「アルシェール!」

 そう叫んでもアルシェールは動きもしない。そのまま歌い続けている。

 やがて〝それ〟が形作ろうとしているものがわたしにもわかった。それは、わたし、いや、わたしとアルシェールだった。

 髪は細い枝、肌は木目があるけれど滑らかで、遠目に見たならアルシェールの後ろ姿はそのままに見えた。自身の後ろ姿は見た事がないから、よく分からないけれど、多分、他の人からすれば、似ていたんだと思う。

 やがてアルシェールは歌を止めるとわたしに向かって崖横の藪を指差した。そこは崖の一段低くなっている所で、崖際なので危ないが、身を隠すには絶好の場所だった。

 わたしはアルシェールに駆け寄って聞いた。あれは何なのかと。するとアルシェールは素っ気なく、

「木」

 そう言った。そうして崖横の藪の中に入って行く。

 わたしは後を追い、アルシェールが屈み込んだ横で屈んだ。

「ねぇ、何したの」

 再度聞くと、アルシェールは口元に人差し指を当てた。

 その後はただただジッとしているだけ。わたしが暇になり、藪蚊を払って何か話そうとすると、

「戦いは忍耐が必要」

 そう言って、何も話しを聞いてくれない。

 仕方なく黙ってジッとしていると、やがて、遠くの方から藪を掻き分けるような音がかすかに響いて来た。


 灌木の枝と枝の間から目を凝らす。エステリティウス達だ。

 先頭にヴィットーリア、その後にエステリティウスとアミエスタ、水色の髪の女の子に三人組が続く。

 本来のわたし達の居場所に気付かず、崖の縁にいる、偽物のわたし達に注意が向いているようだった。

 エステリティウス達は藪に姿をひそませ、どうするか話し合っているようだ。エステリティウスは堂々と出て行き、わたしに試合を申し込むと言っていたが、フェテスが今までの経緯からわたしはまた逃げるだけだと言った。それからケレミーが楽しそうに、崖から落そうと言い、青い髪の女の子が弱々しく止めるが、ケレミーに睨まれ黙ってしまった。その様子を何とも言えない表情でヴィットーリアが見詰めている。

 短い時間でそんな議論が行われ、エステリティウスとアミエスタは納得していないようだったが、ケレミーとクオルンの、わたし達を崖から突き落とす、で意見がまとまったようだった。

 それは行き成りだった。三人組がいきなり藪から飛び出す。エステリティウスとアミエスタはめんどくさそうにその後に従った。ヴィットーリアと青い髪の子が恐る恐る、更にその後に続いた。

 わたしは覗く隙間を変えて三人組達を目で追う。

「おいお前達、こんな所で何をやってるんだ」

 クオルンが飛び出し様に言った。

「こそこそとキメえんだよ根暗女ども」

 ケレミーが叫ぶ。

 だけれど偽のわたし達は何も言わない。それはそうだろう、木なのだから。

 何の反応も見せないわたし達に三人組は近付き、ケレミーは偽のわたしの背中を蹴りつけた。

「いった!」

 偽のわたしは倒れる事なく、それどころかケレミーの足はその体で止められた。

 急いで三人組は偽のわたし達の前に回る。

「なんだこれ」

 フェテスが声を上げ、エステリティウスとアミエスタも偽のわたし達の側に駆け寄った。


 その時、アルシェールが立ち上がり、歌い出した。

その場にいた全員の視線がアルシェールに集まる。わたしも屈んだ姿勢のまま、アルシェールを見上げた。

 まただ。これはフェルミナの力ヴィジョンなのだろうか。なら、アルシェールはどこに媒介パルを所持している。

「くそ! 舐めやがって!」

 クオルンの声。

 その時、わたしとクオルンは同時にあっ、と言った。

 偽のアルシェールが、強風に煽られたのか薙ぎ倒される、いや、身を斜めにして、一気にぶんと三人組の足を薙ぎ払った。

 三人組は悲鳴すら上げずに次の瞬間崖上からいなくなっていた。かわりにドボンと何かが川面に落ちる音が三つ鳴る。

 そして偽のわたしが人の体では有り得ない、上半身だけを捩じって真後ろを向き、空洞の目と口を向けるとエステリティウスとアミエスタに叫んだのだ。しゃー、と。

 エステリティウスとアミエスタはわたしやアルシェールがいるのにも関わらず、こちらに見向きもせずに駆け出した。後ろを振り向く事もせず、めちゃくちゃな様子で藪の中に飛び込み逃げて行く。

 それを見てからアルシェールは歌う事を止める。

 すると、木はぐるんと捩じれが元に戻り、見るまにしぼんで、元のひょろ長い木となった。

 わたしはしばらく立ち尽くしたが、崖の下からは悲鳴や水音が聞こえる事に気付き、崖の縁へと近付いた。そっと覗くと、三人組がばたばたとしている。

 そんなわたしの横にアルシェールは立つと言った。

「そんな高くないし、深くない」

「でも」

 アルシェールを見上げると、

「助けても彼等は感謝しないし、無様な姿を見られてより恨む。これで死ぬ事があったとしても、彼等はそれだけの事をした」

 わたしは黙ってしまった。

 そんなわたし達に、ガダガタと震える水色の髪の子の肩を抱きながら、ヴィットーリアが近付いて来た。

「それ、なんなんだ?」

 恐る恐ると言った調子で、わたし達のベストがかけられたひょろ長い木を指さす。

 アルシェールは振り返ると、

「木」

 と言った。


 それ以来、三人組の嫌がらせは鳴りをひそめ、エステリティウスから試合を迫られる事もなくなったが、わたしとアルシェールは周りから、より距離を置かれる存在となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る