第十二節 戦いの決着、そして……

 日は落ちた。月光は雲に穿たれた、円形の穴から降り注いでいたが、白い粉は、デルフィの視界を薄暗い世界へと落す。

 宿屋の親父の声が響いた。デルフィの背後に数人の人の影。煙る霧から現れる親父。無数の虫に取り囲まれた小さな枯れ木と光狐ひかりきつねは唸り声を上げる。

 デルフィは軍刀を振り上げると、左、右へとそれを振るう。飛んでいた虫が二つに別れて地面に落ちる。デルフィの背後で虫の袋となった人の皮が地面に落ちて、中に詰まった虫達が、一斉にデルフィに襲い掛かる。

「デルフィ!」

 フェーネの声。

「まだダメ!」

 そう行ってデルフィは更に駆け出した。

 親父の、虫の巨大な鞭となった両腕が振り下ろされる。デルフィは地面を蹴って、それを左右に避けて行く。足を踏み締め、反転するとデルフィは大声で叫ぶ。

「シェラミー! 今すぐ霧から抜けるんだ! 行くと言ったら物陰に身を隠せ!」

 デルフィはそう言いながら、斬り上げ、斬り落とした。

 だんと音がし、巨大な虫の塊になった足を踏み込み、親父が腕を振り下ろす。デルフィが軍刀を翳し、巨大な虫の鞭を受け止める。折れない。デルフィの足が地面に僅かに沈む。

「ヴぁかな」

 既に人の発声が出来なくなってきている親父が呟いた。

 デルフィはにやりと笑い、

木偶でくと言われてたって、フェルミナの力ヴィジョンはそれなりに役に立つさ」

 両腕に力を込めて振り払い、

「フェーネはここに居て。行くと言ったら全部焼くんだ」

 デルフィの言葉にフェーネは頷く。

 デルフィは駆ける。左右に迫る虫達を切り払いながら。親父の腕が足を掬う。だが飛び跳ねる。軍刀を素早く持ち替え、その虫の集まりの腕に突き刺すと、支点にして飛び越えた。もう一方の腕が来る。刺した場所より、素早く軍刀を抜くと、今度は屈み、その下をよろめくように潜り抜け、前へと進む。そして、霧を、抜けた!

「行く!」

 デルフィが急旋回し、そう叫ぶと同時、フェーネが地面を蹴って白熱した。飛び跳ね、着地し、飛び跳ねる。空間に円を描き、白い粉塵に自らの熱を押し付ける。強い風が吹き、ばらばらになった白い粉は空気に触れる面積を極度に増す。熱、火、そして噴き出す炎の流れは一挙に台地の上を焼き払った。

 虫達は燃え落ち、親父の体も炎に包まれる。白い粉は一掃され、デルフィの姿は元の人間のそれへと戻る。それでも親父は、火の点いた体表の虫達を振り落とすと、デルフィに向かって走って来た。

「残り!」

 親父の巨大な二本の腕がうねる。その大きさからは想像も出来ないほどの速さで繰り出される振り下ろし。

 一本。デルフィは軍刀を斜めに掲げ、その重量をそのまま受けないように受け流す。巨大な腕が軍刀にのしかかった瞬間、デルフィは小さく呻く。が、そのまま下をすり抜けるように走り出す。軍刀を腰の鞘に差すと、襲い来るもう一本の巨大な腕、横薙ぎに払われた瞬間、デルフィは掛け声と共にそれの上に両手を着いた。着いた場所の虫が体を反らせる。そのまま前方に倒立したまま回転し、親父の前に着地する。身を屈め、抜刀。デルフィは親父の背後、軍刀を振り切った体勢で立っていた。

 デルフィは振り向く。親父の背中は上下に二分されていた。上半身は浮いたまま、デルフィに振り向く。下半身の切れ目、真っ白なワラジムシの尻尾と体のようなものが一瞬覗く。直ぐにもぞもぞと、黒いダンゴ虫で埋まる下半身に潜り込んで行った。そして下半身もデルフィに振り向く。浮遊していた上半身は下半身に着地し、上下の体は合体した。

 地面を飛び跳ね、フェーネは走り、デルフィの肩に飛び乗った。

「核が見えた。中身のヤツが本体だ」

「そいつが女王だね?」

 フェーネの言葉にデルフィは頷く。

「もう白い粉はない、好きにやってもいいよね?」

「お願い」

 デルフィはそう言うと駆け出し、フェーネはデルフィの肩から飛び立った。

 それを見てか、親父の体は四散した。いや、親父の皮が破られ、その中で増殖し続けていた虫達が一斉に飛び立った。空中に展開した虫達の体は既に暮れ切った空の下、照らす月の影を遮った。

 虫達が飛び出す一瞬、デルフィはそれを見逃さなかった。白いワラジムシのような体が見えた、その場所に、デルフィは軍刀を背後まで引き、突くように一気に投げ付けた。途中に浮遊する虫達を貫きながら、軍刀は真っ直ぐに飛び、ぎぃぃ、と何かが叫ぶ音が聞こえる。

 デルフィは投げると同時に走り出していた。ただ真っ直ぐに。虫を払いのけ、フェーネがデルフィの道を作る為、白熱した体で右に左に飛び跳ねる。デルフィは虫の群れの中に軍刀の柄を見出すと飛び付き様に、それを一気に引き上げた。ぎぃぃと言う叫びの声はより大きくなり、振り上げ切った軍刀を、虫が守るように群れ集まったその塊に向け叩き落とした。


 ぎぃぃぃ。


 そう高く、濁った音が響き渡った後、急激に虫達の統率は失われた。何かを形作る事もなく、ただ本能のままにデルフィに襲い掛かる。

 デルフィは飛び退き、虫を斬り、虫を斬り、フェーネは地道に虫達を焦がしていく。無限のように湧き出していた虫達も、ついに底を尽いたのか、その数が増える事はなかった。


 長い間のデルフィとフェーネの格闘の後、終に虫達の最後の一匹が打ち落とされる。

 荒い息の下、デルフィは空を見上げた。一つの月が、円形に開いた雲の隙間から覗いていた。

「終わった」

 そう言って、胸に手を当てる。

「ない」

 デルフィはそう呟いて胸元を探ったが、そこに何時もかかっているものはなかった。

 デルフィは軍刀を鞘にしまうと、親父の体のあった所へ、よろよろと歩いて行く。ぱきりと何かを踏み潰す。デルフィは虫の死骸だと思ったのか気にしない。

 親父がった場所には白色の砕けた結晶のようなものが散らばっていた。デルフィは溜息を吐くと、確認するまでもないか、と呟き屈む。懐から小さな袋を取り出して、結晶の欠片をかき集めると袋に入れた。

 フェーネが寄って来て、労わるように、デルフィの足に身を擦り付けた。

「お疲れさま」

「ん」

 デルフィがそう言った時、

「デルフィさん!」

 その背後からシーラの声が響き、デルフィは立ち上がると後ろを振り向いた。やって来るシーラや、団員、男達には目もくれず、辺りを見回す。

「シェラミーは?」

 吹き飛ばされた、元々木一本も立たぬ台地には、シェラミーの姿は見当たらなかった。


「やっほ」

 顔を歪ませて立ち尽くしていたデルフィを、誰かが後ろからぎゅっと抱き締めた。

「偉いぞデルフィ。誰かの為に何かをやり抜ける人はお姉さん大好きだ」

 デルフィの顔は見る見る紅潮する。

「ばっか! やめろ!」

 デルフィは慌てて飛び退る。拍子に持っていた袋を取り落とす。

「んもう、いいじゃない」

 そこにはシェラミーが立っていた。

「わたしの為に泣いてくれるなんて、あぁん」

 そう言って体をくねらせる。

 デルフィは慌てて目元を拭うが、拭った手の甲を見て激昂して顔を上げた。

「な、泣いてないじゃないか!!」

「あぁん!」

 ぐねぐねぐねぐね、体をくねらせるシェラミーに対して、デルフィは歯をぎりぎりと擦り合わせるしかなかった。


 そんなデルフィにはお構いなしに、シェラミーはデルフィが落した袋の口を指で広げて中を覗き込む。うんと頷き顔を上げ、

「これはあなたの戦利品、持って行きなさい」

 そう言った。

 デルフィは首をすくめて、いいのか? と尋ねる。

 シェラミーは大きく頷き、

「あなたはそれだけの事をしたのだわ。フェルミナの仕事はこの神域の子の核を持ち帰れてなんぼだものね」

「それじゃあ、おま」

 言いかけるデルフィを、シェラミーは手で押し留める。

「いいから。一緒に居られて楽しかったわ。わたし達はフェルミナ。この事件が終わったのならそれぞれが別の道を歩むのだから。持って行って。友情の証」

 デルフィは俯いた。

「あなたはもう行きなさい。神域の子がいない今、町の事はわたしが収拾を着けるわ。それにこれ以上一緒にいると、別れが辛くなりそうだしね」

「シェラミー……」

 シェラミーはそう言うと、デルフィの横を通り過ぎた。

 デルフィは振り返ると、

「シェラミー、傷は大丈夫なのか?」

 シェラミーも振り返り、笑った。

「強く打っただけよ。もう大丈夫。後は任せて」

 デルフィは両手を広げた。

「そうは言っても、背負い袋は宿の中だ」

「フェネちゃんに取りに行って来て貰いなさいな。あの子なら虫相手でも平気でしょ」

 そう言ってからシェラミーはウィンクし、

「今からデルフィはあの町、出禁です。わたしの仕事、これ以上取らないでよね。核の回収がないフェルミナは、協会への言い訳が必要だわ」

 デルフィは首をすくめた。

「みんなもお疲れ様、よく頑張ったわ」

 シェラミーはシーラ達の下へ歩いて行く。

「ご褒美にドロップ上げる」

 デルフィは落した袋の所まで歩き、それを持ち上げた。

 フェーネはぽんとデルフィの肩に乗り、空を見上げる。

「ねぇ、変だよ、デルフィ」

 デルフィは雲の中にぽっかり開いた穴を見て、そして袋に視線を落す。

「うえ」

 袋の下は糸を引いていた。デルフィが親父の側に寄った時、踏み潰した〝なにか〟の上に落ちたのだ。

 デルフィは顔を顰めて袋の底を覗き込み、それからそれが乗っていたモノを見下ろした。

 動きが止まる。

「どうしたの? デルフィ?」

 フェーネは不思議そうにそう聞くと、デルフィの視線を追った。そこには青い外皮を纏った虫が、無残に潰れていた。

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