第十一節 もう一人は誰だ

 アルザック医師を倒した生き残りは瓦屋根の隣の屋根で合流した。

 自警団員で残ったのは三人。誰もが、呆けた顔をしている。容疑者二人は怯えた表情でうずくまっていた。

「良く知る人達が亡くなった、恐ろしいものを見た。だからわかる。でも、まだ終わっていないんだ。見て」

 デルフィは、軒下を指し示した。

 五人の顔は歪み、フレデリックは口をぱくぱくさせる。そしてシーラが呟いた。

「広がっ、ている?」

 虫達の放つ白い粉は、風に乗って白い霧となり、町中を覆おうとしていた。

「ここから、長老の家は近い?」

 デルフィの言葉にカティンが町の一方を指す。そこは霧に呑まれて建物の影すら見えない。

「これ、増えてるわね」

 デルフィの横にシェラミーが立つ。

 デルフィは頷くと、

「とても行けない。ここはまだマシだけれど」

 そう言うデルフィの後ろ、火で焼かれた瓦屋根の建物は崩れて行く。

「鎮火するかな」

 そう呟くデルフィの耳元、フェーネは、

「今回は仕方ないよ」

 そう言った。

「とにかくここから早く離れないと」

 そう言うデルフィの袖をシーラが引く。

「あの、昔、わたし達、あの台地の上に行って遊んでた事がありました。親にはよく怒られたけれど、そこには昔使われてた見張り小屋があります」

 シーラが指さす先、デルフィは町を囲む台地の一つを、目を細めて眺めた。

「確かに、風上だし高台だったら逃れられる。わかった、案内してくれる?」

 シーラは頷く。

「フレデリック、久しぶりに秘密基地に行きましょう」

 シーラの言葉にもフレデリックは俯いたままだ。

「家族が……」

 そんなフレデリックの背中をばんと叩く。

「誰だ!」

 怒気を含んだ声を上げ、フレデリックが振り返った先にはシェラミーが居た。シェラミーはにっと笑うと、両手を広げ、

「心配なら生きなきゃ。ここで降りたら無駄死によ。助けられるのも助けられないわ」

 そして団員と二人の男にも振り返り、

「あなた達もよ!」

 そう言った。

「挫けそうな時、わたし達にはやる事あったわよね?」

 シェラミーがそう言うと、デルフィとフェーネ、容疑者だった二人以外は頷き、シェラミーの前に集まった。そして全員が天に向かって何度も拳を振り上げる。

「ガッツだ、ガッツだ、ガッツだよ!!」

 デルフィは目を細めて、

「何時の間に増えたんだ? その、シェラミー選抜隊」

 シェラミーはデルフィにウィンクし、

「夜警の時にちょっとね、カリムとマニスがシェラミー選抜隊三号と四号ね」

 デルフィの耳元でフェーネが呟く。おかわいそうに、と。

 シーラはデルフィのもとに寄り、その手を取った。

「え?」

 それを不思議に思って見詰めるデルフィにシーラは微笑みかけた。

「デルフィさんもやりましょう。わたし達、もう仲間なんですから」

 そう言いながら、シーラは容疑者だった男達にも輪に加わるように言う。

「勘弁してくれ」

「何で俺が!」

 そんな二人にシェラミーは鞘に入ったままのサーベルを突き付けると、

「ポチにタマ、仲間じゃないって事は神域の子って事よね?」

 二人は自棄になって輪に加わり、デルフィはシーラに強引に手を引かれ、フェーネはデルフィの耳元で、おかわいそうに、と繰り返した。

「ガッツだ、ガッツだ、ガッツだよ!!」

 投げ遣りに言うデルフィとポチとタマの声を、他の者達の声が上書きする。

「さ、行くわよ。これからは一人一人が全員の為に力を尽くす事。負けない! そういう気持ちを忘れないで」

 シェラミーの言葉に、この時だけは全員が頷いた。


 屋根を進み、霧のように広がる白い粉を避け、デルフィ達は地面へと降り立つ。白い粉はその時、台地の上からも舞って来ていた。混乱している人達に向かって反対方向の台地へと向かえと一行は叫ぶ。だが、住人達はデルフィ達の言葉を聞きもしない。

「デルフィ、言っても今はダメだ」

 フェーネがデルフィに囁き、デルフィは頷く。

「シェラミー、二人目がいる」

 シェラミーは頷く。

「そのようね」

「混乱しているここにいても危険なだけだ。元凶を倒そう」

「みんなは?」

「連れて行く。危険なのはどちらでも同じだ」

「そうね。逃げながらもわたし達を睨む人はいっぱいだものね。暴徒と神域の子、どっちが怖いのかしら」

「行くぞ」

 デルフィは走り出し、シェラミーは一行に向かって、みんな付いて来てと叫んだ。


 シーラの案内の下、デルフィ達は台地の傾斜に刻み込まれた土の道を行く。下を振り向けば、混乱する町が白く煙り、そして夕日に照らされていた。

「夜が来る」

「夜は彼等の領域だわ」

 デルフィの隣、シェラミーがそう呟いた。

 デルフィ達が坂道を早足で登って行く。霧のように舞う白い粉塵は、濃度を増し、強く吹く風の力を以てしても、容易に晴らす事が出来ない。

「上にどれだけの虫がいるんだ」

 デルフィは下唇を噛んだ。

 霧のせい、暫く進むと再び一行の顔は化物と化す。だが誰も悲鳴すら上げなかった。疲労と、今まで見過ぎたものの為に、誰もが口を閉じ、ただ一生懸命に足を前に進めた。

 黄土の壁を登った後、一行の視界はやや開ける。煙る視界の先、小さな木製の見張り小屋と数人の人々の影があった。その中から一人の男が駆け寄って来る。

「無事でしたか!」

 先頭に立つシーラを引っ張り、後ろに庇ってデルフィが前に出る。横にはシェラミーが立った。

「おじさんも無事だったんですね」

 デルフィの言葉にやって来た男、デルフィはその声から宿屋の親父と判断した、が頷いた。

「あぁ、ひどいもんでしたよ。ぐちゃぐちゃの混乱の中、町に居れば死ぬだけだと、命からがら逃げて来たんです」

「ラムストックさんは?」

 宿屋の親父らしき枯れ木は首を振る。

「所で何で怖がらないんです?」

 デルフィの言葉に宿屋の親父は首をかしげる。

「宿屋で会った時、この姿にあんなに怖がっていたじゃないですか」

 宿屋の親父は乾いた声で笑った。

「もう慣れましたよ」

「そうですか」

 そう言ってデルフィは軍刀を抜き、突き付けた。親父は慌てて仰け反った。

「な、何をするんですか!?」

 デルフィは目を細めて聞いた。

「何でこんな所にいるんですか?」

「今言ったじゃないですか?」

「見張り小屋に入らないんですか?」

「今から入る所ですよ」

「向こうにいる人達は来ませんね」

「警戒してるんですって」

 デルフィは親父の言葉に頷いた。

「人間に害のない、虫を殺す薬を持ってるんです。協会特製の開発されたばかりのものです。飲んで貰っていいですか?」

 デルフィがそう言って懐を探ろうと、微かに身を屈めた。


 空気を切る音、何かが割かれ、

「クッ!」

 シェラミーがデルフィに覆いかぶさり、抱き合うようにして地面を転がる。

 フェーネは驚いて、デルフィの首にしがみ付く。

 白い霧の中、宿屋の親父の笑い声が響く。その姿はもう、濃くなった霧の中に完全に溶け込んでいた。

「酷いですね。怖がらせないように、楽に食べて差し上げようとしたのに」

「神域の子め!」

 デルフィの叫びに親父は笑い声で返した。

「みんな! 下に下りるんだ!! 神域の子がいる! 早く!」

「デルフィさん!」

 シーラの声。

「行け! わたし達は使命を果たす!」

「シーラ、行くよ! 足を引っ張るだけだ!」

 フレデリックの声も聞こえる。

 デルフィは立ち上がり、自身を庇ったであろうシェラミーを抱き起こす。

「カティンさん達は二人の護衛を。こちらはフェルミナ二人、負けはしない!」

「わかりました!」

 更に濃くなった霧の向こうからカティンの声。

 その間もデルフィは、片手で軍刀を構え辺りを見回す。親父の笑い声は続いている。羽音も増える。

「囲まれた」

 デルフィの呟きに、

「燃やそうか?」

 その肩の上、フェーネは答えるが、

「ダメだ。強い風にこの粉だ。きっとヤツ等もそれを狙ったんだろう」

「じゃあどうするの?」

「風上に行くよ」

 デルフィはそう言って、片手で抱くシェラミーにも言った。

「走れる?」

 乾いた笑い声。

「ちょっと無理かな」

「何でこんなバカな事をした。お前の方がわたしより強い。戦力だ」

「それはどうかな」

 デルフィは溜息を吐くと、

「いいから走れ。風上はわかるな?」

 そう言った時、羽音が四方から迫る。デルフィは咄嗟にシェラミーを座らせると、一緒に屈み、同時に軍刀を、上方に振る。デルフィは手応えを感じるが、敵の姿は霧の中。どういう状況かも見通せない。

「このままでは二人共死ぬわ」

「お前を置いては行けない。やだったら走れ」

 デルフィは力を込めてシェラミーの腕を引くと立ち上がらせ、肩を貸す。

「いいか、ヤツを倒す時はお前も立ってるんだ。虫に入り込まれてないな」

 そう言いながら、シェラミーを引きずるように走り出す。

「無事な方が戦力じゃないの?」

「うるさい」

 デルフィの声にシェラミーは笑った。だが荒い息。

「虫を殺す薬なんて嘘でしょ」

「引っかかったんだからいいじゃないか。それより喋るな」

 羽音。デルフィは音を頼りに軍刀を振り回す。

「わたしを置いて行きなさい」

「やだ、黙っていろ!」

 デルフィは剣を振り回し、付けたマントの閃きが、教えてくれる風上へと歩き出す。シェラミーを片脇に抱えた状態。それは早歩きと同じ程度だった。そしてデルフィはぶつぶつと呟きだす。

 シェラミーは耳を澄ましてそれを聞き、そして笑った。ガッツだ、ガッツだ、ガッツだよ、と呟いていたのだ。


 そんなデルフィをシェラミーは押した。力強く。

 唐突の事でデルフィは地面に転がった。

「な、何をするんだッ!!」

 粉塵の霧の中、もうシェラミーの姿を捉えられない。声だけが聞こえる。

「走りなさい。わたしもわたしの役目を果たすでしょう。あなたも役目を果たしなさい。それがフェルミナでしょ?」

「わたしは……、もう友人を置き去りにする事はしないんだ!」

「アルシェール?」

 シェラミーの言葉にデルフィは口を噤む。

 シェラミーは笑った。

「あなたから、友人なんて言葉が聞けるなんてね」

 その声はどこか嬉しそうに響く。

「う、うるさい!」

 デルフィは叫ぶ。

「いい? わたしは死なない。だから行って。友達なら信じて」

「デルフィ!」

 フェーネの声、羽音。デルフィは軍刀でそれを叩き落とす。

「それに見えない所で互いに振り回し合っての同士討ちはいやかな」

 そう言うシェラミーの声にデルフィははっきりとした声で答えた。

「わかった。でも死んだら、許さない」

「りょーかい。ガッツだ、ガッツだ?」

 楽しそうなシェラミーの声に、デルフィは自棄になって応えた。

「ガッツだよ!」

「上出来よ」

 そして厳しい声で、

「行きなさい!」

 シェラミーのその声を合図に、デルフィは走り始めた。その動きは素早く、背後の虫達を振り切る。そして白い粉塵の霧が薄れ始めた時。


 だん!


 デルフィは飛び退き、一瞬前まで立っていた所に、蠢く巨大な何かが振り下ろされた。大きな音が響き、それはずるりと引き戻される。

「何?」

 そして再びそれは来る。飛び退き際に、デルフィはそれをはっきりと見た。虫の塊。黒くて人の顔程もある虫達が、寄り集まり、人を何人も束ねたように太い、蛇のような体を作っていた。

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