第2話

 話は五年前に遡る。



「ねね、好きな人いる?」


「うん……まあ」


「え!どの人どの人?うちのクラスにいる?」


「……うん」


「えぇー!気になる!」


「うんうん、気になる!」


「えー、私の話はいいよぉー」


 小学校五年生に進級してすぐに行った修学旅行のホテルで過ごした夜のことだ。大浴場で身体を癒し、部屋に戻って自分の分の布団を敷いている最中だった。班員の一人がとても自然に、まるでもともと決まっていたマニュアル通りかというほど自然に恋バナを始めた。まだ布団を敷き終わっていなかったのではじめはみんな聞き流す程度だったが、敷き終わった人が多くなるのに比例して、話の熱もだんだんと加速度を増していく。

 こうなってしまうともう、全員参加は強制ルールである。咲良もその例外ではなかった。


「へえ……_ちゃんはアイツが好きなんだ~」


「じゃあ_ちゃんは?」


 なるほど、時計周りで話をするターンが回ってくるのか、と咲良は思った。

 今話しているのは咲良の右から三つ隣りの人である。咲良は話すネタを考えながら、窓から差し込む月あかりを眺めた。見回りの教師に見つかっては困るので部屋の電気は全て消している。おかげで月と星が綺麗に見えた。



「咲良、ねぇ」


 肩を叩かれてハッとする。

 やってしまったと思った。ボーっとしていて完全に話を聞いていなかった。


「ん、ん?」


「咲良の番だよ。咲良好きな人いる?」


「好きな人…いる」


「え!?そうなの!?だれだれ!?」


「え、大友だよ」


「…は?」


 あの夜に一番はしゃいでいたのは大友由梨おおともゆりだった。由梨はクラス一のお調子者で、人当たりもよく、男女ともに人気がある子だった。クラスの笑いの中心にはいつも彼女がいた。

 咲良とは三年生から同じクラスで、それこそ由梨のたくさんいる友達の中で一番というわけではなかったが、かなり仲良くしてもらっていた。移動教室の時は並んで歩いたり、宿題を教え合ったり、とにかく色々なことを一緒にやった。

 そして、その時の咲良が他の女の子たちや漫画の主人公が抱くような「好き」という恋愛感情を、彼女に向けていたのも事実だった。

 ただ、自分はそういうことに疎い、とも自負していて、これは友達の延長線上なだけなのかもしれないともぼんやり思っていた。


「咲良、あたしのこと好きなの!?ありがとうあたしも咲良のこと超好きだよ!!」


 布団から飛び出した由梨が冗談混じりにそう言って、咲良に抱きついてきた。


「けどさ、こういう場はね、ちゃんと本音で、」


「え、本音だけど……」


「あ、んー……とね、咲良のその好きってね、友達としての好き、じゃん?」


「そう……なの?」


「うん。だってさ、咲良女の子でしょ?あたしも女の子でしょ?」


「うん」


「女の子はね、男の子を好きになるの。多分咲良は本当の恋をしたことがないんだね。だからごっちゃになってるのかも」


 そう言って由梨は笑った。

 ずっと黙っていた周りの班員もそんな由梨を見て笑い始める。


「私……やっぱそうか。……そっか」


「そうそう!でもまぁ、咲良もこれからだんだん分かってくるよ!」


「そうだといいけど……」


「そんな深刻な顔にならない!!咲良だってね、お父さんとお母さんが恋をしたから産まれたの。二人が恋しなければ今、咲良はいないんだよ?」


「それくらい自然なこと、ってことだよねー」


「そういうことー」


 由梨の言葉に誰かが補足をつけて、由梨はそれに間抜けな声で返事を返す。

 また笑いが起こった。

 その後すぐに恋バナが再開し、話題は時計回りへと回転した。由梨も、他の人も、もう咲良には目を向けようとしない。

 咲良はもう一度月を見ようと思い、目線だけを上げながら、窓の外を覗いた。しかし四角いフレームの中にはオレンジの光が見当たらない。

 どうやらちょうど雲に隠れてしまったらしい。咲良は諦めて布団を首元まで引っ張った。

 自分が馬鹿にされている、とは少しも思わなかった。ただ自分だけ、みんなの輪に混じれないことを知って、胸の中に堅くて重い何かが引っかかって取れないような感覚になった。


「あたしはねー、__くんカッコいいなって思う!」


 由梨の楽しそうな声が聞こえて、咲良は布団を被りながら唇を噛んだ。




 それから六年生に進級し、本格的な受験勉強が始まった。未だに「男の子を好きになる」ということは分からずにいたが、もうそれどころではなくなっていた。

 もともと中学受験はする予定だったので今までも塾には通っていたが、「まだ大丈夫」と高を括って手を抜いていた節があった。しかしもう受験生である。そんなことを言っている暇はない。


「鶴の足が二本で亀の足が四本だから、ここをnと置くと……」


 ホワイトボードに式を羅列させている先生の背中をぼんやり見つめながら、咲良はシャープペンシルの蓋をカチカチと押した。そして芯が出ているのを確認し、今度は机に芯を押し付けながら蓋を押す。


「よし、ここを……田辺、答えてみろ」


「え、あ、はい……」


 ノートをめくって答えを探す。昨日予習をしていたので、今日授業でやっている類題は全て解き終わっているのだ。


「n=5です」


「お、正解。他の人も、これがなんで5になるか分からない人いるかー?」



 この頃の授業は復習と演習をひたすら繰り返すという内容だったので、退屈といえば退屈だった。これなら志望校の過去問題を解いてる方がいいんじゃないかという気もしたが、授業料は既に支払い済みなのでとりあえず学べるものは学んどこうの心持ちで受けていた。


 学校にも過去問題集を持って行って休み時間に解いていた。通っていた小学校は人数こそ多いマンモス校だったが、中学受験をする生徒は咲良一人だけだったため、参考書や問題集は珍しがられることもあったが、気にせず解いていた。そのせいと言っていいかは分からないが、休み時間はいつも一人だった。

 いや、むしろ咲良自身がそうしたかったのかもしれない。

 当時の咲良は、その状態が普通だ、と自分に言い聞かせていた。


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