Jul.『サンダルでダッシュ!』

扉を開けたら

 何てこった。

 あんまりにも腹が減ったから、ちょっとコンビニに行こうと思っただけなのに。


 一歩外に出たら、そこはギラギラした太陽が照り付ける赤茶けた大地が広がっていた。


「え、あ、あれ!?」


 自分が出てきたはずの扉を振り返るが、すでに何もない。

 ぐるりと辺りを見回す。木陰になりそうな樹は一本もなく、ひたすら土、土、土。右手にはゴツゴツした岩と赤茶けた土がむき出しの険しい山。

 左手はその山を切り崩したような大地が広がっていて、遠くの方には何やら石でできた塀が見える。


 まさか、これが噂に聞く異世界転移ってやつか?


 慌てて自分の恰好を見回す。右手には小銭入れ、左手には既に何の役にも立たなくなった家のアパートの鍵。

 学祭のイベントのためにサークルで作った安っぽいよれよれの半袖Tシャツに、水色のストライプが入ったパイル生地のハーフパンツ。

 そして素足に茶色いサンダル。牛革の厚底で、踵に一本、足の甲に二本のベルトが付いていてすっぽ抜けないようになっている、よくあるやつ。


 これだけ。俺の装備、たったこれだけ。

 おい待て、今だかつてこんな軽装備で異世界転移した奴っているのか?


 もう一度辺りを見回すが、俺のアパートのドアはどこにもない。

 本当に、見知らぬ場所に来ちまったようだ。もう二度と、元の世界には帰れないんだろうか。

 空を見上げる。雲一つない青い空に、白いでっかい太陽。ジリジリと肌が焦げ付くように感じるぐらい暑い。


 水……そうだ、水!

 ああ、せめてコンビニの帰りにしてくれれば! アイスぐらい買ってたのに!


 おーい、誰かー!、と叫んでみようかと思ったがやめた。

 余計に喉が渇いてしまう。寿命がさらに縮むだけ。


 あ、そうだ!

 噂じゃ確か、このあと女神が登場するんじゃなかったか? 何かいいスキルをくれるんだよな。

 おい、俺を転移させた女神! いないのか?


“いませーん”


 カン高い声が聞こえてきてズッコケそうになる。

 おい、いるじゃねーか! 早く状況説明しろ! でもって、何かスキルくれ!


“傲慢ねぇ。こっちもそれどこじゃないのよー”


 人を勝手に呼び出しといて『それどこじゃない』ってのはどーゆー訳だ!


“だってぇ、間違えちゃったんだもん”


 は? 何を?


“あなたの隣に住んでるイケメンさんを召喚するつもりだったのよー。歴史学専攻の某T大生なの”


 ああ、あいつな。たまにアパートの前で遭遇するけどな。あいつT大だったのか。


“そうよー。この世界を見事に救ってくれるはずだったのよぉ、知識チートで!”


 へーへー、そうですか。

 ちょっと感じ悪ぃ奴だけど、まぁイケメンだよな。女にモテそうではあるわ。

 だけど普通は、現実世界ではイケてない奴が召喚されるんじゃなかったか?


“そうなのー。だから彼を狙ってたのに『イケてない補正』がかかっちゃって、近くにいたあなたを召喚しちゃったのー。もう、失敗!” 


 失礼過ぎる! 人を失敗扱いすんじゃねぇよ!

 じゃあ早く、俺を元の世界に帰せ。で、そのT大イケメンを召喚しろ。


“無理よぉ。私、末端だからそんなに力無いものー”


 何ぃ……。


“仕方ないから、あなたがこの世界をどうにかしてー”


 できるかぁ! せめて何かスキル寄越せ!


“だから無理だってば! そんな力無いからスーパーな彼を召喚するつもりだったんだもん!”


 何て無計画な……。

 とにかく責任取れよ、呼んだ以上は!


“ん、もう横暴だなぁ。えーと、しばらく待ってて。準備するから”


 しばらくって……おい! こら! 待ってる間に死ぬぞ、こっちは!

 おーい!


 ……。

 …………。

 ………………駄目だ、返事が無い。


 仕方ない、しばらく待つか、と辺りを見回したところで、後ろからドダダダという足音が聞こえた。

 驚いて振り返ると、白い布を巻き付けたような服装の男が必死な形相で走ってくる。土埃がもうもうと舞い上がっていた。

 このままじゃ轢かれる、と慌てて道を除ける。


 あーあ、バランスの悪い走り方してやがるなーと思っていたら、その男は俺の前を通り過ぎ……ずに、急にズザザーッと豪快にコケた。飛び込みスライディングしたけど一塁アウト、みたいな。

 慌てて手を伸ばしかけたが、グッと我慢する。


「ぐうっ……。あと、少しなのに……!」


 男はむっくりと起き上がって地面に座り込むと、自分の右足を見た。脛から足首にかけて巻いてあった革ひもみたいなものが千切れ、鼻緒の部分が破れている。

 どうやら履いていたサンダルが壊れてコケたらしい。

 来ている服も土塗れで茶色になっている。よく見れば、あちこち破れているような。


 なかなかいい体をしている。上半身の腕の使い方と姿勢さえどうにかすれば、もう少しタイムを縮められるんじゃねぇかな。

 って、そんなことはどうでもいい。部活の指導じゃねぇんだからよ。

 それよりやべぇな。物語がもう始まっちまったじゃねーか。

 おい、へっぽこ女神、早くどうにかしやがれ!


「あ……そこの、あなた!」


 どうするかな。とりあえず日陰で休みたいところだが。


「あなた、あなたですよ!」


 再び辺りをキョロキョロ見回したが、この辺りは赤茶けた土の道がひたすら続いているだけで、逃げ込めそうな場所も身を隠せそうな場所も一切ない。


「後ろを向かないでください、右も左も誰もいません、そこの奇妙な服装のあなたです!」

「……俺?」


 スルーしても無駄だった。やっぱりストーリー進行は止められないらしい。

 しまった、逃げるのが遅れた。A大の流星とまで呼ばれた中距離界ヒーローのこの俺が……。


 半ば諦めて男を見る。うん、やっぱりイイ筋肉の付き方してんな。


「はい! あなたです。お願いです。あなたのサンダルを、貸していただけないでしょうか!?」

「コレ?」


 自分の足元を見降ろした後、再び顔を上げて辺りを見回す。

 このサンダルにそんなに思い入れがある訳じゃないが、こんな熱そうな大地で、しかも石やら岩やらがゴロゴロしている場所で素足になる勇気はないんだが。


「いや、これは……」

「実は、この国は王の暴虐に苦しめられているのです」


 勝手に話し始めやがったー。


「とてもじゃないが生きていけないほどの税金を民からむしり取り、贅沢の限りを尽くし……自分の権威を示そうと巨大な城を造ると言い出して各地から民を集め、無理矢理働かせ……」


“うん、これだ! スキル『サンダルでダッシュ』!”


 急に女神のカン高い声が脳裏に響き、足元がぼわんと熱くなる。


 おい女神、訳のわかんないタイミングで現れるんじゃねぇよ!

 ……え、スキル『サンダルでダッシュ』?


“倍速でダッシュできます。えっへん”


 お前なぁ! ダッシュとかゲームなら初期設定でついてるわ! R1押すだけ! スキルでも何でもねぇ!


“とりあえず今すぐに役に立つわよー。経験値さえ貯めてくれれば、『サンダルでスキップ』『サンダルでジャンプ』なんかも上乗せするから。じゃあね!”


 じゃあね、じゃねぇ、このへっぽこ女神!

 何だ『サンダルでスキップ』って! 小学生か!


「信じられねぇ!」

「そうでしょう! 解って頂けましたか!?」


 ハッと我に返る。男がダクダクと大量の汗と涙と鼻水を流しながら両手を握りしめている。

 どうやら俺が女神と会話している間も話し続け、感極まったらしい。


「もうすぐ王の軍隊がラクテスにやってきます。反乱軍の一人がラクテスの出身だからと、粛正にやってくるのです」

「えーと」

「わたしはこのことを早く報せなければ……ううっ!」


 男がぐぐぅ、と呻き声を漏らし、右手の拳を握る。

 何か分かんねぇけど、あの石の塀の街に知らせに行けばいいんだな。すぐに役立つって言ってたのはこのことか。


「あー、じゃあ、俺が報せに行ってやるよ」

「本当ですか!?」


 こいつより俺の方が間違いなく速いし、スキルもついたみたいだしな。

 コキコキと首を回し、肩と腕を回し、アキレス腱を伸ばす。

 そう言えば何か、足元が軽いわ。確かに速く走れそうだな。

 街に行かないとどうにもならないみたいだし。


「あんたは歩いてきなよ。んじゃ、行ってくるか!」



   * * *



 これが、後に反乱軍を起ち上げこの国を根底から変える青年の、文字通り第一歩となる。

 生まれ持った運動神経と余りある体力を備えた青年は、『サンダルでダッシュ』で先陣を切り、『サンダルでジャンプ』で敵を切り崩し、時には『サンダルでスキップ』で敵を翻弄した。


 ……しかし、そうした青年の活躍が語られるのは、また別の話である。


                               ~Fin~

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