Aug.『願いをさえずる鳥のうた』

嵐のあとに

 気が付けば、すぐ傍でヒヨドリが巣を作っていた。


 桜も散り、暑いと感じる日々も増えてきたある春の午後。

 目の前の家の屋根に、二羽の小鳥が少し離れて止まっていた。

 薄い灰色の顔に褐色の頬。濃い灰色から黒へと段々に変わっていく美しい羽根。細長い尾。ほっそりとした体を震わせ、ヒーヨ、ヒーヨと美しい音色を響かせている。

 もう一方はその声を聴いているのかいないのか、顔をぴくぴくと震わせていた。いくぶん青みががかった羽根をたたみ、逃げるでもなく近寄るでもなくじっと佇んでいる。

 鳴いているのはオスのようだ。つがいとなるメスへ求愛しているらしい。



 そのあと、二羽ともどこかへと飛び立っていたが……そうか、番になったのか。

 季節はもう夏になり、ジリジリとした太陽の光がわたしの体を焦げ付くさんばかりに照り付けていたある日。

 突き抜けるような青空を背景に、二羽のヒヨドリが黒いくちばしに木の枝を咥えて飛んできた。

 

 ある日は朝顔の蔓を、別の日にはシダの葉を。時には人間が捨てた赤い紐やビニール袋の破片を。

 せっせと運び、木の股に丸いお椀状の巣を作り上げていく。


 器用なものだわい、と思いながら眺めていると、オスの方が「ピピッ」と小さく鳴いた。

「お邪魔しています」

と挨拶したのだろうか、と勝手な想像をしてみる。



 そうして小さな巣が出来上がって、その数日後。 

 植物の茎や細い木の枝を敷き詰めた中央の丸に、ヒヨドリのメスが卵を1つ産んでいた。

 その三日後にもう1つ。さらに二日後にもう1つ。


 やがて、メスは巣の中にじっと佇むようになった。卵を温めているのだろう。

 わたしには一切関係ないのだが、何となくつられてじっとしてしまう。

 時折オスが飛んできてメスに餌を分けている。時にはオスが迎えに来てメスと共に飛び立つこともある。

 しかししばらくするとメスだけが巣に戻り、再び卵を温めている。

 そんな繰り返しを、わたしはただ見つめている。



 これまで長く生きてきたが、鳥がこんな近くに巣を作ったのは初めてのことだった。

 オスもメスもいない間は、何となく心配になり巣の中の卵を見入ってしまう。

 長く生きてきても、わたしにできることなど何一つ無いというのに。



 やがて――夜に少し涼しい風が吹くようになった頃。

 卵が孵り、三羽の雛が誕生した。桃色の体をゆすり、ひし形の口を大きく開けている。

 親鳥から餌を口移しで与えられ、勢いよく呑み込んでいる。


 桃色の体を毛が覆い、黒い羽根が生え。

 目も薄く開くようになり徐々に親鳥に近い姿へと成長していく。

 しかし、親鳥に餌をねだる「ピーピー」というさえずりだけは、なかなかにうるさい。


 さえずりは『囀り』と書くそうだ。『轉』は『ころがる、かわる、めぐる』。

 口が転がる、次から次へと声を出す様を表しているのだろう。


 そう言えばむかしむかし、家主が

 「囀りをこぼさじと抱く大樹かな」

と口ずさんでいた。どうやら有名な一句らしい。

 いまわたしが見ている光景を、在りし日の家主も見つめたのだろうか。


   * * *


 ある日の真夜中。

 暗い藍色の空を、黒い雲が見る見る間に覆っていった。

 激しく降り注ぐ雨。轟く雷鳴。生温かい風が激しく唸る。

 巣の中で三羽の雛が怯えている。


 昼間、親鳥より巣立ちを促され、元気に羽繕いをしていた三羽の雛。

 しかしまだ飛び立ててはいない。

 親鳥はどうしたのか。姿を見せない。

 大粒の雨が小さな丸い巣にも降り注ぐ。


 どうすればいい。このままでは巣が落ちてしまうかもしれない。

 せっかく育った雛も死んでしまうかもしれない。

 わたしが雛を護るしかないのか。ろくに動けもしないこの体で。


 そのとき、空が真っ白に光り、何かが体を貫いた。

 激痛が走る。真っすぐに立っていられない。

 だが、倒れる訳にはいかない。

 どうか。……どうか、この場所だけは――。



   ◆ ◆ ◆



「お母さーん、アレ!」


 赤い長靴を履いた幼い女の子が、自分の背よりはるかに上を指差して叫ぶ。

 女の子に呼ばれて縁側から庭に降りてきた女性が、目の前に生えている梅の木を見上げた。


「まぁ、ヒヨドリの巣じゃないの」


 昨晩は、長雨の到来を思わせるひどい台風だった。

 一夜明けた今日は、昨日の嵐が嘘のようによく晴れている。雲一つない青い空が女の子と女性の上に広がっていた。


 女の子の祖父――女性の父親が他界し、主がいなくなった家の庭。

 梅の木は、変わり果てた姿で立っていた。


 昨晩の台風で雨漏りでもしてやしないかと、娘を連れて実家の様子を見に戻ってきた女性。娘の小さな手の先に広がる光景に、驚きの声を上げる。


 どうやら昨晩、この梅の木に雷が落ちたらしい。

 無残に折れた枝は不自然に曲がり、木の股からずり落ちそうになっている巣を支えていた。

 その上では、傾いだ太い幹が巣を庇うように枝葉を広げている。


 巣の中には一羽の雛がキョロキョロしていた。そのすぐ近くの枝には二羽の雛が止まり、残りの一羽を促すように囀っている。


「昨晩の台風の中で、無事だったのねぇ」

「お母さん、あの鳥さん、飼ってもいい?」

「駄目よ、野鳥なんだから。それにね、鳥さん達も大人になって、もうすぐ巣立って行くのよ」

「ふうん」


 女の子は少し残念そうに返事をすると、再び梅の老木を見上げた。


「枝、いっぱい折れちゃってるね」

「そうねぇ。鳥さん達が巣立ったら、切っちゃった方がいいかもしれないわね」

「ええっ!? おじいちゃんの木、無くなっちゃうの!?」


 母親の言葉に、女の子が悲しそうな顔で大声を上げる。

 それと同時に、枝に止まっていた三羽のヒヨドリが一斉に鳴き出した。「ピーヨ、ピヨ、ピーヨ」という甲高い鳴き声が庭に鳴り響く。


 その鳴き声に、母親は少なからずギョッとした。

 生まれた時から育ったこの家。庭には梅以外にもヤマモモやハイノキなど、さまざまな樹が植わっている。

 母親が住んでいた間にも何回か鳥が巣を作ったことはあったが、繁殖期でもないのにこんなに盛んに囀るのは見たことが無い。

 まるで、梅の老木の命乞いをしているかのようだ。


「……そうね。幹も割れているし枝も折れているけれど、まだ生きてるものね」


 思い直した母親が、ヒヨドリに向かって呟く。


「おじいちゃんもこの梅の木、大事にしていたから。誰かに相談してみましょう」

「うん!」


 母親の言葉に、女の子が嬉しそうに何度も頷く。

 その仕草に合わせるように、三羽のヒヨドリは「ピヨ、ピヨピヨ」と小さく囀っていた。

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