5-C.エンディング

 もし、元に戻ったら。

 千春わたしのいない世界に、春香をたった独り、置いてきぼりにすることになる。

 そんなこと、できやしないわ。


 じゃあ、わたしが春香の身体で春香として生きる?

 無理よ。そんなこと、一生できる訳が無い。わたしは春香になりたかった訳じゃないのよ。


「さぁ、どうするのだ、娘よ」


 黒いローブの男がやたらと急かす。どうも気に入らない。やり口といい、気に入るはずが無いのだけど。

 だけど、現状を打破するには悪魔の手を借りるしかない。


「確かに……春香の身体も魂も、千春わたしのものになったわね」


 詭弁だとは思う。だけど「確かにそうだ」と思ってしまった自分がいる。

 そんなことは、きっと悪魔もお見通しだろう。――最初に「まぁいいか」と思ってしまったわたしを見抜いたように。


「だけど、お願いがあるの」

「お願い、だと?」


 ローブの男は「ハッ」とバカにしたように息を吐いた。


「寿命十年の清算も終えておらぬのに次の願い、とはの。ましてや今度はお前からの願いだ。それに見合った寿命をもらうぞ」

「決める前に、見積もりぐらい欲しいわ」


 精一杯強がって、黒いローブの男を睨みつける。

 その下にはどんな異形の姿が隠れているのだろうか。想像したくもないけど。


「……面白いことを言う。いいだろう、言ってみろ」

「コレ」


 わたしは春香じぶんの顔についているほくろを指差した。


「このほくろを取って、『千春』の身体に付けて」


 体を入れ替えるぐらいだもの、それぐらいお手の物でしょう?

 そう付け加えると、ローブの男は「ふん」と拍子抜けしたような吐息を漏らした。どうやらもっと大掛かりな『願い』を言われると思っていたようだ。


「それが何になる?」

「あのときタコビルに行ったのは春香。先輩はそう思ってるし、それは真実。……だけど」


 わたしはそっと、春香のほくろに触れた。


「ほくろが無いから、『千春』が突き落とされて眠っていることになってしまう、どうしても。ほくろさえあれば、あれは春香だと言い張れる」

「無茶を言う。アレはとっくに『皆月千春』だと認知されている。それまで変えるとなると、大掛かりな仕掛けが必要だぞ。……安くはない」


 言うのが遅かったな、とローブの男が楽し気に嗤う。


 あんたがわたしの前に現れるのが遅かったからでしょ。いや、そもそも……。


 そんなことを考えてはみたものの、今となってはどうしようもない。事態は進み過ぎている。

 言われてみれば、確かにそうだ。それに……。


 わたしはそっと、脇腹の傷を撫でた。春香が千春を庇ったときについた傷。わたし達の確かな絆。

 ――千春の身体にはないもの。

 この傷も、移さなければならないのか。

 ……いや、これだけは残しておこう。とにかく、突き落とされて眠っているのは春香、ということが事実になればいいのだ。


「じゃあ、その辺もモロモロ込みで。おいくら?」


 つとめて平静を装い、黒いローブの男と対峙する。

 そんなわたしに、ローブの男は

「はっ、ははははっ」

と嘲るような笑い声を漏らした。


「姉を犠牲にして己が生き延びるか。どこまでも自己中心的な娘よ」

「……!」


 言い返したくても、何も言い返せない。

 春香の未来を、わたしが奪った。それは確かだ。

 だって、春香の全部をわたしのものにしたんだもの。


 だからわたしが、責任を取る。眠り続ける春香を、絶対に見捨てない。

 この先の未来、全部春香のために使うから。


「いいから……早く、要求を述べなさいよ!」


 焦れて叫ぶと、ローブの男はついっと宙を見上げた。

 そして

「くっくっくっ、それはようございますな」

と独り言を呟く。


 そういやこいつは使い魔だと言っていた。偉大なる何とか侯爵がどうとか。

 その侯爵に、お伺いでも立てたんだろうか。


 イライラしながらも仕方なく待っていると、ローブの男がついっと視線をこちらに向けた。

 顔は見えない。でも分かる。しかも、ひどく楽しそうに嗤っている。


「ククク、喜べ、娘」


 笑い声が耳障りだ。さっさと言いなさいよ。


「対価は……『皆月春香の魂』だ」

「なっ……!」


 どういうことよ、それ!

 春香がいなくなったら、生きていけない。無理だよ、そんな……!


 予想もしていなかったことを言われ、私の虚勢は一気に崩れた。


「何で!? 支払うのは、わたしの……」

「だから、皆月春香の身体も魂も、すでにお前の物だろう?」

「……!」

「その中から要求しただけだ。何も間違ってはおらん」


 頭の中が完全にスパークした。踏ん張っていた足には、もう力が入らない。


「悪魔ぁ……っ」

「その通りだ」

「うっ……ううっ……」

「さぁ……どうする?」


 強がりも限界だった。選べやしない。選べる訳が無い。

 わたしのすべてはもう――悪魔の手の中。



   ◆ ◆ ◆



 住宅街の一角にあるごくごくありふれた一軒家。黒と白の垂れ幕がかけられている。

 中から漏れ聞こえる読経の声。小さな啜り泣き。鼻をつく線香の匂い。


 部屋の中には、白い棺が二つ。

 容体が急変し亡くなった姉の春香と、半狂乱になりショック死した妹の千春。


『もういっそ殺して! を!』


 その願いを、悪魔は確かに叶えたのだった。





                        < The End >

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