2.千春(上)

 こう言っては何だけど、わたし皆月みなづき千春は要領がいい。

 勉強は

「先生が強調してるから、ここにヤマを張っておこーっと」

と、最小限の努力でクリア。

 スポーツは、

「下手に目立つとリレーの選手とかキャプテンとか余計な事やらされちゃう」

と、ほどほどにこなし。

 友達関係も

「ああ、『そんなことないよ』とか言ってほしいんだー」

と、察した感じから適当に言葉を返す。


 だいたい、ほくろでしかわたしと春香の見分けもつかない人達のために、そんなに一生懸命になる必要はない。

 それってつまり、わたしの事、そして春香のこともちゃんと見てないってことだし。

 そう思ってる。


 だけど春香は、手を抜くことが苦手だ。

 テスト勉強も、範囲の隅から隅まできっちりやろうとする。それで間に合わなくなって、徹夜とかしちゃったりしてテスト当日はフラフラ。勉強した成果を発揮できなかったり。

 友達も、あんまりいない。いい加減なことが言えないタイプだから、真剣に自分の意見を述べてKY扱いされたりする。

 バスケだけは、春香のいいところが出ているかもしれない。真面目に練習を頑張ってるし、自分だけが目立てばいい、みたいな性格ではないからチーム全体のことを考えて喋ってるし、動いている。


 そんな春香にしてみれば、わたしのことはいい加減に見えるかもしれない。

 調子よくテキトーにやって上手いこと世間を渡ってる、と思っているフシがある。

 そういう春香は、ちょっと嫌い。


 嘘、嘘だよ。春香のことは大好き。大好きって言葉じゃ足りないくらい。

 わたしがどうして八方美人に振舞ってるか、知ってる?

 わたしは、周りの人間をふるいにかけてるの。


 真剣な春香の言葉をまともに聞かずにKY扱いするなんて、春香の友達になる資格は無いわ。

 適当な言葉でいいなら、わたしが相手をしてあげる。春香の貴重な時間と心を削らないで。


 それと、特に男ども。

 わたし達の区別もつかないくせにフラフラと近づいて、上辺だけ調子よく振舞っているわたしの方にあっさり

「好きだ」

とかいう男は、なーんにもわかってない空っぽ人間よ。春香にはふさわしくない。


 わたしが認めた人間しか、純粋で不器用な春香には近づかせない。

 よっぽどの人間じゃない限り――わたしの春香の相手として、認めないもん。


 だけど……そんな春香が、恋をした。

 わたしがマネージャーをしている、陸上部の椎名先輩に。


 どうしてわたしが陸上部のマネージャーをしているかって言うとね。

 勿論、本当は春香と一緒のバスケ部に入りたかった。マネージャーとして、春香を支えたかった。

 だけど、春香が一番春香らしくいられる場所だから、わたしはいない方がいいかな、と思って。

 体育館のそばで練習している陸上部なら、近くもなく遠くもなく、春香の邪魔をせずに見ていられるかな、と思って。


 だけどまさか、春香が椎名先輩を好きになるとは思わなかった。

 陸上部の方をよく見てるな、とは思ってたけどさ。

 なのに……わたしのこと気にしてくれてるのかな、とか考えてバカみたい。


 どうしよう、と思ったけど、幸い春香は告白しようとかアプローチしようとか、そういう積極的な行動をする気はないようだった。

 全く先輩に近づこうとしない。じっと陰から見つめるだけで、満足なようだ。

 ホッとしていたところで、わたしは椎名先輩に呼ばれた。


「ちょっと話があってさ。今度の日曜日、会えないかな」


 あんたもか、椎名先輩! ……とか思っちゃった。

 気さくだしモテるのを鼻にかけたりしてないし、悪くない物件ね、とか思ってたのに。ガッカリよ。


 そんな風に思っていたところに……私の耳元で、悪魔が囁いた。


   * * *


「椎名先輩に話があるって呼び出されてるんだー」

「えっ!」


 わたしの言葉に、春香の表情がみるみる曇った。

 『彼もなの?』という春香の言葉が聞こえてきそうだ。


 そう、彼もなの。男ってバカよね。取り繕った上辺だけしか見てない。

 春香の良さはわたしにしか解らない。

 ううん、わたしが解っていればいいのよ。


「千春……椎名先輩と付き合ってるの?」

「ううん、まだ」

「……」


 春香が何かぐるぐると考えている。

 わたしの言葉に、一喜一憂する春香が可愛い。

 春香の感情がわたしの言葉で揺れ動いているのを見ると、春香のすべてを支配している気分になる。

 喜びも、悲しみも。全部よ。全部、わたしのもの。


 そっと、脇腹の傷に触れた。

 わたしを庇って傷ついてしまった、春香の身体。だけどこれは、わたしへの愛の証だ。


 胸がきゅうんとなったけど、どうにか平静を装う。春香に気づかれる訳にはいかない。

 いつもの、愛想も調子もいい千春に戻るのよ。


「うーん、どうしよっかなー」

「どうしよっかって、返事?」

「バカねー、違うわよ」


 わたしが椎名先輩と付き合う訳がないじゃない。彼に使う時間もエネルギーも勿体ないわ。

 だけど……椎名先輩はほかならぬ春香の想い人。あまり邪険にあしらう訳にもいかない。

 春香に本気で嫌われるようなこと、したくないな。


「身体は春香だけど、ほくろさえ隠せば千春だって言い張っても通用する気がするし。そうやって、春香の身体で自ら先輩に会いに行くか。万全を期して、千春の体の春香に、先輩に会いに行ってもらうか」


 プランはこの二つかなー、と軽めの口調で言うと、春香が「ええっ!?」と叫んで目を見開いた。一瞬だけ目が泳いだのが気になる。

 『春香』・『先輩』・『会いに行く』という言葉に反応したんだと思う。

 細かいことはきっと考えてないだろうけど。自分が先輩の隣にいる様子を想像したんだろうか。

 春香の反応を見たくて、適当に言っただけなんだけど。


 わたしが千春として先輩に会い、さっさと用事を済ませるのが一番無難だろう。

 だけど、春香に『先輩と二人きり』という機会を作るのはいいことなのかな?


 実際のところ、春香にはさも告白される予定、みたいなニュアンスで伝えたものの、先輩は『話がある』と言っただけなのだ。どういう用件なのかは、解っていない。

 本当に告白かもしれないし、単に陸上部の相談かもしれない。

 あるいは、また別の……。

 いずれにしても、わたしが行くしかないか。


「じょう……」

「私が行く」


 冗談だよ、わたしが行ってくるね、と言う前に、春香がピシャリとした口調で遮った。


「え?」

「私が行ってくる。千春の代わりに」

「えっ!?」


 予想もしない返事に、気が動転する。

 春香はそんなわたしの様子に構うことはなく、パッと立ち上がって時計を見た。


「待ち合わせ、何時?」

「えっと、10時に『タコビル』の屋上……」


 それは、学校からそう遠くない場所にある、閉まってしまった古いビル。入口の近くに壊れたタコの置物が置いてあるところからこう呼ばれている。

 このビル、中には当然入れないけど壁に沿ってつけられている非常階段から屋上には登れてしまうのだ。

 凹んだ時に景色を見たりとか、カップルが学校帰りにデートしたりとか、はたまた内緒話をするのとかに使われているらしいけど。


 春香の顔が、ポウッと赤く染まった。

 いったい、何を想像したんだろう。

 春香、千春として会いに行くんだよ。解ってる?


「もう、あんまり時間ないね。急がなくちゃ」

「え、あ、ちょっとぉ?」


 春香が慌てたようにわたし達の部屋を出ていく。遠くの方で洗面台から歯ブラシを取る音、蛇口をひねってジャーっと水を出した音が聞こえる。


 そんなに先輩と二人で会いたいのかな。どうしよう。

 まさかこんなに前のめりになるとは思わなかった。

 春香は真剣に任務を全うするつもりだろうけど、春香にわたしのフリができるとはとても思えない。

 椎名先輩に「フザけた双子だ」と思われるのは、困るのよ。


 悩んだ挙句、私は春香が出かけたのを見計らい、1本のメールを椎名先輩に送った。


『熱が出て寝込んでしまいました。どうやらその隙に、姉の春香がわたしの代わりに先輩のところへ行ったみたいです』


 こうしておけば、先輩も余計なことを春香に言うことは無いだろう。

 ……多分。きっと。


 だけど、胸騒ぎはなかなか収まらなかった。

 気が付けば、私はスマホを放り出して家を飛び出していた。

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