Feb.『きみの嘘、僕の恋心』

1.邂逅

「いいか、お前ら! この一週間が勝負だ!」


 紺地に太いストライプの入ったスーツ、剃り込みの入ったパンチパーマ、口ひげを生やして黄色いサングラスをかけた「絶対そのスジの人だよな」と言いたくなるようなゴッツいおっさんが、拳を振り上げて叫んでいる。

 その前には、ぴんと背筋を伸ばして立っているセンパイと、アクビを噛み殺す俺。

 

 俺の左側に居るのは、センパイのタナトさん。確か二十五歳で、グレーのスーツに紺のネクタイを締めたサラリーマン風の男。痩せぎすの神経質そうな兄さんだが、面倒見はいい。

 そして青いスカジャンがトレードマークの俺が、カメ。もっと長い名前だったはずだけど、もう忘れた。ここに来る連中はみんなそうだ。


 それにしてもこんな八畳しかない部屋でしかも三人しかいないのに、そんな大声を出さなくても……。ウルセー。

 隣をちらりと見ると、タナトさんはもう慣れたのか半分魂が抜けたような顔をしている。いや、実際に抜けてるのかもな。もうすぐアガリだって言ってたし。


「オイコラ、カメ。聞いてんのか」

「聞いてますけど……」

「お前のために言ってんだぞ! 今度出るブツはお前にとってオーモノだ。もし逃げずにちゃんと獲れれば、転生までだいぶん短縮できっからな!」

「へぇーい……」


   * * *


 ここは、霊界と下界の間・幽界の片隅にあるちっぽけな死神事務所。

 何でも、死神達は幽界から下界に降りて死んだ人間の魂を集め、幽界と霊界を繋ぐ門まで連れて行くのが仕事らしい。

 どの事務所の人間がどんな魂を連れて行ったかは記録され、ポイントが上限に達するとその事務所は大規模になり、優先的に設備も整えられ、情報面でも霊界から優遇される。そして当然、社長の死神ランクも上がりウハウハに。

 まー、俺みたいな死神バイトには関係ねーけどなー。


 そそ、俺、死神バイトなんだよ。

 もう記憶が曖昧なんだけど、気が付いたら右腕をグイグイ引っ張られ、この事務所に連れてこられていた。

 で、この剃り込みのおっさんに

「お前は今日から死神バイトだ!」

とビシーッと指差されてしまった訳だ。


「死んだら死神になんのか……」

と呆然としていたら、脳天に激烈なゲンコツを食らった。


「いっ……痛ってーな!」

「死神じゃねぇ、死神バイトだ!」

「……はぁ?」

「普通なら幽界なんか素通りだよ! オメーは我儘放題でバカして無茶して十七で死んじまったからだ!」

「ひでぇ、その言い方……」

「うるせぇ! オメーは魂の精錬が足りてねぇんだ! だからこんなとこで足止め食らっちまったんだよ!」


 何でいきなり説教食らわなきゃいけねぇんだ。意味わかんねぇし……。

 確かに、バイクでぶっ飛ばして宙に飛び出して死んじまったバカは俺だけどよ(覚えてないけどおっさんがそう言っていた)。


 ふてくされていると、おっさん……あ、この事務所のシャチョーね。

 シャチョーが、額に青筋を立てながらも簡単に説明してくれた。


 通常、魂は死神の導きによって幽界から霊界に渡り、そこでさらに精錬されて転生の準備を整えるらしい。

 ただしそのためには生前にある程度の『徳』が無いと駄目で、これが無いと門を通れないんだそうだ。

 『徳』って何かはよくわかんねぇけど、要するに俺は、生まれ変わるにはいろいろと足りてねーぞ、と。ここで修行して(身はないけど)心を綺麗にしろってことらしい。


 何でも、魂を集めて送り届けてやるとその魂が貯めた『徳』の1%が死神にもプラスされるんだそうだ。キャッシュバックってやつだな。

 そうして生前では得られなかった『徳』を他者の魂から貰って貯めていき、規定値に達したらやっとお役御免、上司のお墨付きをもらって霊界に行けるようになり、転生の準備に入れるんだそーだ。


   * * *


「僕もカメをフォローするからね」


 シャチョーの熱弁から解放されたところで、タナトさんがそう言って優しく微笑んだ。

 シャチョー? 何か忙しいらしく、あっという間に出て行っちまったよ。三人ぽっちの事務所だから大変だよなー。 


「あざっす。……あれ? 大物は獲りに行かないんスか?」

「僕はあと少しでポイントが貯まるから、そんな大変そうな争奪戦には参加しないよ。カメに譲る。余波で出てきた魂を適当に二、三人獲れば十分だから」

「へぇー」


 タナトさんは勤め先のパワハラに耐えかねて自殺してしまったんだそうだ。享年25歳。

 自殺すると、生前集めた『徳』は大半が散ってしまい、必然的にこの死神バイトコースになっちまうらしい。

 タナトさんもかつては大物チャンスに挑戦したらしいが散々な目に遭い、それからは無理しないレベルの魂を獲って着実にポイントを積み重ねているんだそうだ。

 散々な目って何スか、って聞いたけど教えてくんなかったな。もう忘れた、とか言って。

 よっぽど酷い目に遭ったんだな。


「しかしコレ、確かな情報なんスかねー」


 シャチョーに渡されたメモには、下界の大まかな住所が書いてある。

 何でも、この一週間以内にここから大物が出る、という情報を掴んだらしい。

 シャチョーはそういう美味しいネタを掴んでも自分の手柄にせず、俺達バイトに振ってくれる。

 だからいつまで経っても大きな事務所にならないけど、ここで俺達みたいな厄介な奴の面倒を見る方が性に合ってるんだそーだ。

 どこぞの更生施設の熱血塾長みたいだよな。どこの世界にもいるんだなー。

 

「確かだと思うよ。死神バイトの更生に貢献してるおかげで、たまに極秘情報を貰えるんだってさ」


 事務室の一角のパソコンみてぇな機械の前に座り、何やらキーボードを叩き始めたタナトさんが画面を見つめたまま答える。

 覗き込むと、さっきの住所を打ち込んでいる。どうやら俺のために下界情報を集めてくれるらしい。


「でも、大物ほど見極めが難しいらしいからね。無理しないようにね」

「ウィーっす。じゃ、下見に行って来るんで」

「気をつけて。何かあったら必ず電話連絡するんだよ」

「了解っス」


 愛用のスカジャンに袖を通しながら、事務所を出る。

 青い身頃に白い袖。背中には金色の鳳凰が刺繍してある。

 これを着ると、

「おっしゃー!」

って気分になるんだよな。


 下界に降りるための幽界バイクに跨ると、ブルンッと軽快にエンジンを回し、俺は事務所を後にした。


   * * *


「はー、この辺かあ」


 独り言を言いながら、足の下に広がる家やビルを見下ろす。屋根のところどころに白いものが混じっていた。

 どうやら雪のようだな。季節は冬か。まぁ、死神バイトの俺には気温とか全くわかんねぇけど。

 いったんエンジンを切り、うーむと腕を組んだ。


 大物と言うと、『徳』を積んだ人間ってことかなあ。エラい坊さんとか?

 ……とすると、よぼよぼのジジイかもなあ。この辺りの寺とか神社とかチェックしておいた方がいいかもな。


 再びエンジンを回し、さらに下って地面まで降りる。

 何の変哲もない、アスファルトの道。端の方には溶けかけた雪が灰色のグズグズになっている。

 この辺は住宅地だな。遠くには信号機があってコンビニの駐車場が見える。さらに奥には田んぼも……。


 俺が死んでから、どれぐらい経ってんだろうなあ。幽界に行っちまうと現世での記憶は抜かれちまうから、全然わかんないんだよなぁ。

 とは言っても、失うのは過去の自分の経歴だけな。日常的な常識とかは覚えてる。例えば、信号の『青は進め、赤は止まれ』とか、そーゆーの。



「……ええっ!」


 不意に、背後で叫び声が聞こえてきた。

 振り返ると、一人の女が右手を自分の口元にあて呆然と立ち尽くしている。


 紺色のブレザーに赤いネクタイ。グレーのチェック柄のヒダスカートに紺色のハイソックス、黒のローファー。

 いわゆるJKってやつだな。大人っぽいし、中学生ではないだろ。

 髪は肩くらいのボブカットで、まぁまぁ可愛い。だけどその表情は「信じられない!」とでもいった様子で、悲し気というか、何というか。


 何だ何だ、彼氏の浮気現場でも目撃したかと前に向き直ったが、人っ子一人いない。

 いったいこの女は何に驚いてるんだ、と思い、もう一度振り返る。すると、バシッと女子高生と目が合った。


「何だ?」

「嘘だぁ……」


 もう一度前を見る。……誰もいない。

 再び振り返る。……俺と目が合う。


 信じがたいが……どうやらやっぱり、俺を見て驚いているようだ。

 死神バイトである俺の姿が見える下界の人間なんて、いる訳がねぇんだが。

 こいつはアレかな、霊感少女ってやつなのかな。


「おい、女。俺が見えんのか?」

「……」


 女はゴクリと唾を飲み込み、コクコクと頷く。


「どう見えてる?」

「青い、スカジャン着た、金髪で、ピアス、ジャラジャラ……」


 こりゃ本当に見えてるな。

 とすると、宙からバイクで降りてくる俺が見えてたってことかな。だとしたら、そりゃ驚くか。

 そうだ、せっかくならこの場所について情報を貰おう。


「驚かせて悪かったな。俺は死神バイトのカメだ」

「えっ」


 顔面蒼白になる。口元はわなわなと震え、今にも泣き出しそうだ。


「し、死神……」

「あっ、別にお前の魂を獲りに来たわけじゃねぇからな!」


 これは誤解されたっぽい、と慌てて女に説明する。


「この辺に大物の魂が出るはずなんだよ。死にかけのエラい坊さんとか心当たりないか?」

「知らない……そんな、不吉な……」

「……そうか」


 死神は不吉、か。まぁそうかもな。

 でも、別に俺たちは無理矢理魂を狩る訳じゃねぇ。人間が勝手に死ぬんだ。

 死んだ人間の魂が迷う事の無いように上に連れていくだけだってのに。

 むしろ刈るのは、現世への未練なんだけどな。


「そうか、悪かったな」


 女を怖がらせたようで、申し訳なさが募る。

 これ以上怯えさせてもな、と再びエンジンを回し走りだそうとすると、

「ま、待って!」

と女が叫んだ。

 とりあえず、顔だけ振り返る。しかし女の表情からは怯えが消えない。

 そんなに怖いなら、なぜ呼び止める?


「何だ?」

「えっと……」

「心当たりでも見つかったか?」

「ううん……」


 ぷるぷると首を横に振ったあと、女は少し俯いた。

 目があちこち泳いでいる。心なしか、頬が赤いような。

 そして何かを決意したようにパッと顔を上げると、射貫くような視線を俺に向けた。


「あの、もう少しお話ししたい!」

「……」


 あまりのことで、俺は思わずあんぐりと口を開けてしまった。


 ――何てこった。下界の女に、ナンパされた。

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