3.見つける
その日はあいにくの雨。
いつもなら自転車をかっ飛ばして塾に行くところだけど、今日は無理だ。電車で行かないと。
塾が終わって外に出ると、横殴りの雨が降っていた。季節外れの台風でも近づいているかのような突風。大通りを歩いているうちに傘が壊れ、やむなく途中で地下道に降りた。
いつもなら明るいコンビニの照明や外灯が並ぶ地上の道を最短距離で駅に向かうんだけど、仕方がない。
夜の10時過ぎ。この時間になると、並んでいる店にはすべてシャッターが下りている。人通りも本当に少ない。
だけど、あちらこちらから「プアー」という甲高いハーモニカの音や、「ポロロン」というアコースティックギターの音が聞こえる。
そうか、この時間になるとこの辺りは路上ライブをやっている人がいるのか。
ビラやポケットティッシュすら断る私は、いつもなら視線すら投げかけず、その目の前をさっさと無関心に通り過ぎるんだけど。
≪ぼくーにー……のーこされたー……≫
優しい歌声が聞こえてきて、思わず足を止めた。
≪じかーんはー……どれ、ぐらい、なんだろうー……≫
唄が素晴らしかった、という訳じゃない。声に聞き覚えがあった訳でもない。
――聞き取りやすい歌声に載せられたその歌詞を、私は知っていたから。
≪ぼくーはー……あーとなんかいー……≫
明るい茶色の髪に、つばを後ろにした紺色のキャップ。すすけたブルージーンズに黒と銀色のスカジャン。
いつも目を隠すようにしていた長い前髪は帽子で押さえられて、顔が全開になっている。学校ではおおよそ見たことがない、彼の素顔。
≪きみーとー……わーらえるかなー……≫
地べたに座り、アコースティックギターを弾きながら歌っている、脇田くん。
≪ぼくーはー……あーとなんかいー……≫
恐る恐る近づく。歌声が徐々に大きくなる。
≪きみーにー……こえをとどけ、られるーかなー……≫
あ……詩が、ちょっと変わってる。それにすごく増えてる。
死を覚悟した少年の唄じゃない。死を覚悟した友達を想う唄だった。
脇田くんの唄を聞いている人が、二人ほどいる。女子大生だろうか。
きっと、通りすがりとかじゃない。彼の唄を聞くためにこの場に来た人。
目をちょっと潤ませて頷きながら聞き入っている。
私は鞄から、肌身離さず持っていた白いルーズリーフを取り出した。
やっぱりこれは、彼のものだった。これで、やっと返せる。
……だけど。
≪その……涙さーえー……命のー……色ー……≫
ジャララーン、とギターが最後の音を奏で、歌が終わる。
目の前で聞いていた女子大生がパチパチと拍手をした。持っていたコンビニの袋を渡している。
おひねりの代わりの品物だろうか。
それを受け取った脇田くんが、彼女たちのやや後方にいた私の姿に気づいた。
ぽかんとした顔をしたあと、私が手にしている白いルーズリーフに目をやり――真っ赤な顔になる。
「い、イインチョ、それ……っ!」
* * *
じゃあ、身体が弱いわけじゃないんだね。
――あ、うん。
でも、体育の授業……。
――俺、すっげー運動音痴なの。
嘘っ!?
――ほんと。だから巧妙にサボってただけ。
でも……さりげなくボール拾いしてたじゃない。
――ただサボってるだけだと申し訳ないからさぁ。
ふふっ……。
もう遅いし、送るよ。
脇田くんはそう言って後片付けをし、女子大生のお姉さんたちに丁寧にお礼を言って私と一緒にその場を離れた。
同じ地区に住んでるから、乗る電車も降りる駅も一緒だ。
私は素直に、送られることにした。
「でも、教室でボーッってしてて……何か苦しそうにしてるときがあって」
「あったっけ?」
「あったよ」
「へぇ。……きっと、いい詩が浮かばなかったんじゃないかなあ」
「なら、いいんだけど。私てっきり、脇田くんが自分のこと書いてるんだと思ったから……だから何か、気になって……」
「あの詩を見て? 委員長、意外に想像力逞しいんだね」
「意外にって何よ……」
思えば、脇田くんとまともに言葉を交わすのはこれが初めてだ。
だけどずっと見てたから――まるで昔から知っている友人みたいな錯覚に陥っている。
安心したのもあって、肩の力が抜けた感じ。
「委員長、いつもまっすぐ前を見て忙しそうにズカズカ歩いている」
「あ、うん」
実際、忙しいからね。
「だから俺なんか、眼中にないと思ってた」
「そんなことは……ないよ」
ルーズリーフを見つけるまでは確かにそうだった気がして、思わず小声になる。
「ふうん」
脇田くんは特に気にも留めない様子で気のない相槌を打った。
――眼中になかったのは、脇田くんの方じゃないの。
そんな言葉が喉まで出かかったけど、ぐっと押し込む。
ここ何日かずっと彼を見つめていた自分が、何だか滑稽だ。その上そんなことを言ってしまったら、ますます負けた気分になる。
「委員長、住んでるのって……」
「――脇田くん」
どこまで送ればいいかとすでに段取りし始めた彼の言葉を遮る。
せめて、これだけは言わせて。
「――私、委員長って名前じゃないんだよ」
ジロリと睨みつけると、脇田くんは呆気にとられた顔をして――次の瞬間、慌てたように
「ごめん、古関さん。そうだよね」
と言ってキャップの上から頭を掻いた。
そんな脇田くんを見て、私はちょっとだけ胸の中のモヤモヤが晴れる気がした。
そのモヤモヤの正体を、私はまだ知らない。
知るのは――もうずっと、後のこと。
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