2.見つめる

 次の日、何だか気になって脇田くんの姿を目で追ってしまう。 

 脇田くんの席は、窓際から2列目の前から2番目。私の席は、窓際の列の前から4番目。

 そうだ、なぜ彼が窓の外を見ていることを知っているのかって言ったら、本来後頭部しか見えないはずの彼の横顔を目にすることが多いからだ。


 たまに、どこか遠くを見つめている。あんまりまじまじと見たことがなかったから知らなかったけど、鼻筋が通っていて、横顔が綺麗だ。正面だと、髪で隠れてるのもあって、あまり印象が残らないんだけど。

 顔色は特に悪そうには見えないけどなあ。


「おい……古関こせき! 古関美和こせきみわ!」

「あ、ふあい!」


 急に先生に当てられて驚いてしまい、裏返った変な声が出る。あちこちから笑い声が聞こえた。

 あはは、と苦笑いをしながら立ち上がる。


「どうした、委員長。夢でも見たかぁ?」


 英語の田中という中年のオッサン先生が教科書を左手にガハハと笑っている。


「いえ、そんな……」

「ほい、32ページの2段落目。そこ全部訳せ」

「あ、はい。えっと……」


 予習はちゃんとしてある。机の上のノートに目を移す途中、脇田くんが視界に入った。

 私から視線を逸らし、前を向こうとしていたところで――苦しそうに歪められた口の端だけが、私の目に映った。


   * * *


 あのルーズリーフが脇田くんのものとは決まっていない。

 ただでさえ私の毎日は忙しくて、こんなことにいつまでもかかずらっている訳にはいかないのだ。

 もういっそ、「これ脇田くんの?」と聞けたらいいのに。手元から無くしてしまいたい。


 だけど……もしこれが、彼の秘密だったら?

 彼の心の叫びだったら?


 そう思うと、彼の心に土足で踏み込むようで身動きが取れない。

 結局、何となく彼を見守るような日々を過ごす羽目になる。



 体育の時間、端の方でボケッとしている。今日の授業はバレーボールで、本当は順番にコートに入らないといけないのにスルーしているようだ。

 やっぱり身体が弱いのかな、と思いつつ見ていると、近寄ってくる友達と普通に楽しそうに話している。そして時折転がってきたボールを拾っては投げ返していた。


 ……あ、飛んできたボールを避けきれずに頭に当たった。ちょっと、よろけてるけど大丈夫?

 周りに笑われて自分も笑ってる。どうやら大丈夫そうだ。

 彼の後ろは体育館の出入り口になっている。まるでそれ以上転がらないように見張っているみたいだ。



 休み時間。トイレから教室に戻る廊下で、脇田くんが前を歩いているのを見つけた。一人だ。随分とスローペースなもんだから、どんどん距離が近くなる。

 ふいに、脇田くんが足を止めて屈みこみ、床に手を伸ばした。廊下に落ちていた小さな紙屑を拾って、制服のズボンのポケットにしまっている。


 私だったら見過ごしちゃいそうな、本当に小さなゴミ。

 そんなものどうするんだろう、と思っていたら教室に戻ってゴミ箱に捨てていた。



 選択授業の音楽。今日はリムスキー・コルサコフの『交響組曲 シェヘラザード』の鑑賞。

 後でレポートを提出しないといけないから、気づいたことを簡単にメモを取る。

 だけど第3楽章に入るころにはウトウトしている人も多い。まぁ、レポート提出はすぐって訳じゃない。ネットで検索をかければ後でどれだけでも聞けるしね。


 脇田くんも例によってぼけーっとしてるのかな、と思って見てみると、意外や意外、真面目な顔をして曲に聞き入ってた。

 腕組みをして椅子の背もたれに寄り掛かったまま、目を閉じている。メモは一切取ってないけど、指でリズムを取ってるからちゃんと起きていることはわかる。

 目を開けている時より閉じている時の方がちゃんと授業を聞いているだなんて、ちょっと面白い。



 昼休みの間に配っといてくれ、と先生に頼まれた課題ノートの束を抱えて廊下を歩いていたら、脇田くんが私の横を早足に通り過ぎて行った。前に見かけたときより、ずいぶんと歩くのが速いんだね。

 教室の戸を開け……だけど中には入らずにそのまま通り過ぎていく。


 ラッキー、両手が塞がってるからどうやって開けようか困ってたんだよね。

 だけど、あんなに急いでどこに行くんだろう?


 教卓にノートの束を置いて、ふと気づく。

 私が困ると思ったから? だから開けてくれたの?


   * * *


 あまり真面目ではない、遅刻癖もサボり癖もある彼だけど、実は細かいところに気づく繊細な人なのかもしれない。


 最初はまったく結びつかなかった、あの詩と脇田くん。

 だけど不思議と、きっと彼が書いたのだろう、と思えた。


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