episode:10 ホテル

「2名様でご宿泊ですね?」


受付カウンターにいる女性スタッフがニコリと微笑んだ。


「あ、はあ...」


そう返事をし、チラッと横目で井手さんを確認した。

女性スタッフがカウンターの下からパンフレットらしき資料を出した。


「現在、ご案内出来るお部屋なんですけども...」

「はい」


返事をしたのは井手さんだ。井手さんがカウンターに出された資料を覗き込んだ。

ここは井手さんに任せよう。


俺はぐるりとエントランスを見渡した。

エントランスには高級感のあるテーブルやイスが、入り口正面に受付カウンターがあり、カウンターの左右にエレベーターがある。入口にはビシッと容姿が整ったボーイが二人立っている。

建物は7階まであり、2階にはレストランやアミューズメントコーナーがある。

17年、この土地で暮らしてきたが、このホテルに入ったのは初めてだ。

駅前ということもあり、平日でも利用客が多く、夜遅くまで宿泊受付をしている数少ないホテルだ。


「それではご案内いたします」


エントランスを眺めているうちに、井手さんが受付を済ませてくれた。

ボーイが井手さんの鞄と傘を持ち、エレベーターへと向かった。エレベーターに乗る際、ボーイの視線がやけに刺さるなと思ったが、エレベーター内に反射した自分の格好を見て納得した。


エレベーター内は沈黙が続いていた。止まった階は7階だった。

俺は勢いよく井手さんの方に顔を向けた。受付スタッフに渡されたパンフレットを開き、部屋案内のページを見る。7階は最上階でスイートルームだ。


エレベーターを降りると高級感のあふれる赤い絨毯が広がっていた。

7階には2部屋しかなく、どちらもスイートルームだ。ボーイに案内されたのは、エレベーターを降りて右側の部屋だ。

オートロックキーで鍵を開け部屋の中に案内された。

大きなベッドが一つ...サイズはクイーンサイズだろうか。シャワーやトイレ、キッチンまで付いている。部屋が俺のアパートの部屋より大きい...。


「御用の際はフロント9番にお気軽にお掛け下さい」


ボーイがあらかた設備説明をして部屋を出て行った。


ベッドの横はガラス張りで街を一望できる。俺たちが住んでるアパートも見える。小さい...。


「ごめんね」


井手さんが頭を下げた。


「明日学校だよね」

「はい...」


まさかホテルに来ることになるなんて...誰が予想できただろう。

時刻は21時近くなっていた。


「高校生を連れ込んで、見つかったら捕まるね」


フフフと井手さんが笑った。笑う余裕が出てきたようで安心した。


「シャワーどうぞ」

「え!!?」


井手さんがベッドの上にあったバスローブとバスタオル一式を俺に渡した。

どういうつもりなのだろう。この流れはどう考えても...。

俺は考えるなり自分の顔が赤くなるのが分かった。


「フフフ...大丈夫。襲ったりしないよ。それとも一緒入る?」


いじわるな顔で井手さんがいった。俺は急いでシャワールームに向かった。


雨で冷えた身体をシャワーで温めた。

シャワーを浴び終え、バスローブを着た。なんだかエロイ。

俺と入れ替わりで井手さんがシャワーを浴びに行った。


待っている間はとにかく落ち着かなかった。

ベッド向かいにあるテレビをつけて、バラエティーチャンネルに切り替えた。

それにしてもすごい部屋だ。キッチンにある冷蔵庫の中を開けてみると、洋菓子やドリンクが入っている。こんな高級な部屋...ビジネスホテルなのに重要はあるのだろうか。


「お待たせ~」


井手さんが戻ってくるなりベッドにダイブした。子どものような行動に俺は笑った。


「あんまみないで」


井手さんが恥ずかしそうに手で顔を隠した。はじめて井手さんのすっぴんを見た。

化粧する意味があるのかと疑いたくなるほど綺麗だ。


「この前、一緒にいた子って彼女?」

「この前...ああ、クラスメイトです」


花島ことだろう。井手さんはベッドに座りながら俺をジッと見た。

俺はベッドの横にあるフカフカのソファに腰かけている。


「じゃあ、片想いってとこか」


井手さんがまた意地悪な顔をしている。俺のことはいいですからと言おうとした瞬間、井手さんがゆっくり話し出した。


「好きな人がいたの。......“いる”の方が正しいかな...。私、元々は東北の営業所にいて、本社への移動で上京してきてね。5カ月前くらいだったかな、初めの2ヵ月は社宅にいて、かすみ荘に引っ越してきたのは2ヵ月前くらいだね。私の教育係が牧野さんだったの」


俺は特に相槌を打つことなく、ジッと井手さんの顔を見ていた。


「本社での仕事は、営業所とはまるで違ってね...。何度戻りたいと思ったことか。牧野さんは厳しい人だけど仕事は出来る人で、何でも熟すカッコいい上司なの。もちろん女性社員からはすごく人気で」


“牧野さん”のことを話す井手さんの顔はすごく優しい。


「牧野さんよく仕事終わりに飲みに行こうって誘ってくれてね、私の愚痴をよく聞いてくれたなぁ...。急な本社移動で右往左往している私を心配してくれていたんだと思う。...気づいたら好きになっていたわ。仕事に支障をきたしてはいけないと思っておさえていたんだけどね...」


ここ数カ月のことを思い出しながら、かつ分かりやすく説明してくれた。


「好きだって気づいて、少しした時かな...。その日は私が仕事で取引先といろいろあった日でね。気遣って牧野さんが飲みに誘ってくれたの。帰り際に“なにかあっても俺がついてる”って言われた瞬間...抑えていた感情が一気に出てきて牧野さんに気持ちを伝えたら“俺も好きだよ”って言ってくれてね。ほんとに嬉しかったなあ...。でも...」


言いかけた井手さんの顔が曇り始めていた。今にも泣きだしそうな顔をしている。

俺は嫌な予感して、ベッドに座っている井手さんの隣に移動した。

井手さんは肩を震わせながら、涙をこらえ話し続けた。


「牧野さん今度結婚するんだって...」


俺はその一言を聞いたとにき、会ったこともない“牧野さん”に対して言葉に出来ないほどの憤りを感じた。涙を流している井手さんにそっとティッシュを渡す。今の俺に出来ることはこれくらいだった。


「1ヵ月くらいだったけど本当に幸せだったの..。同じ部署の子から結婚の話を聞いた時は膝から崩れそうな思いだったな。相手は会社の社長令嬢でね。本当に綺麗で私に勝ち目なんかなくて...。半年前くらいには結婚が決まっていたみたいなの。ホント...一人で盛り上がっちゃって馬鹿みたいだよね...フフ...」


この前、俺の部屋の前で酔いつぶれていた時はそれを知ってやけ酒した日だったという事を教えてくれた。

牧野さんはいったい、どういうつもりで井手さんと1ヵ月過ごしたのか...。俺にはわからなかった。井手さんは本当に傷ついたはずだ。こうして俺に助けを求めたのは、他に求める宛がなかったのだろう。


井手さんが鼻を赤くして笑った。


「聞いてくれてありがとね」

「その牧野さんとは今は...?」

「2週間前から出張。話はしてないの...。したところで私は遊び相手だし...」


そういって井手さんが笑った。...無理して笑っている。


「少年はホントに優しいね」

「...そんなことは...」


井手さんがベッドから立ち上がりテレビを消し、ソファのほうへ向かった。


「私はソファに寝るから少年はベッド使って。フカフカよ」

「いや、俺がソファで寝ます。硬い方が好きなので」


もちろん嘘だ。いくら無理に連れて連れてこられた場所とはいえ、女の人をソファで寝かすなんて気が引ける。井手さんをベッドまで引っ張り、俺がソファに横になる。消灯し、外の明かりが部屋に入る。なんというか幻想的だ。


明日の朝のことを考える。7時前にここを出ないと学校まで間に合わないだろう。

スマホを開き目覚ましをセットした。

数時間ぶりにスマホを見たが、神崎からメッセージが来ていた。


「ねえ...」


メッセージを確認しようとしたところで、井手さんが話しかけてきた。


「こっちきて」


俺の動きが止まる。


「どうしました?」

「隣にきて」

「え...」


井手さんは何を言っているのだろう。いくら高校生とはいえ、俺を男だと理解しているのだろうか。


「お願い...」


井手さんの声が震えているように聞こえ、泣いているんじゃないかと慌ててベッドに向かった。布団をめくろうとした時、腕を引っ張られた。


「うわっ!」

「泣いてないよ~」


井手さんは舌をペロッと出しておちゃらけた顔をした。俺は呆れ気味でベッドの中に入った。女の人と寝るなんて久しぶりだ。


「大丈夫。変なことはしないよ?」


フフフと井手さんが笑った。いつもの井手さんに戻ったようで少し安心した。


「話聞いてくれてホントにありがとう。少年が下の階で、出会えてよかった」


井手さんはそういって布団の中で俺の手を握った。びっくりしたが、振り払うのも失礼かと思い、そのままにした。


「話聞くくらいしか出来ませんけど」

「ん...」


井手さんは微笑んで目を閉じた。

俺も寝よう。


繋いだ手からは井手さんの温もりが伝わってきて、少しドキドキした。

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