贈り物ボックスの中の話

橘トヲル

贈り物ボックスの中の話


「ヘイプロデューサー! いつもニコニコあなたの朝陽ソラだよ!」

この業界は挨拶が肝心だ。

 そう思ってソラは出来るだけ元気に挨拶をして部屋に入った。

「あれ? プロデューサー?」

 短い廊下を進むとテーブルを囲むソファと小さなテレビ。その奥にはこれまた小さなキッチンと冷蔵庫。反対にはパーテーションで区切られた打ち合わせ用のテーブルとソファ。

 ソラが最近買ったばかりのギターケースを背負っているとあちこちぶつけそうなほどに狭い事務所だ。

 だが誰もいない。

 ここに来るまでに通った短い廊下にあった社長室にも人気はなかった。

「あれー? おっかしいな? 何で誰もいないんだろ」

 そう言いつつ明るい光が差し込んでいる窓へと近寄る。

 すりガラスになっている窓をなんとなく開けてその空気でも吸おうと思ったソラだったが、窓を開けて硬直した。

「げ……」

 アイドルであるソラが出してはいけない声だったがそれもやむなしと言えるだろう。

 窓の外は真っ白だった。

 と言うか窓枠から先に何もない。

「まさか……!」

 慌てて入って来たばかりの事務所入り口へ駆け出す。

 ソファの角に足をぶつけて転びそうになるが気にしない。

 ドアノブをガチャガチャさせて体当たりするように扉を開ける。

 その先には本来事務所が入っているビルの階段があるはずだった。

 年季の入ったガタガタの階段。

 上り下りするのがいつもきついのだ。

 だと言うのに……。

「ウソ……」

 目に入った光景を前にソラは膝から崩れ落ちた。

 事務所に来る前から持っていたギターケースを取り落としてしまう。

 そこは真っ白な広い空間だった。

 何もない空間。

 そこに円周状に無数の事務所の扉が並んでいた。

 今自分が出てきたのと同じ扉だ。

「ここ、贈り物ボックスの中だ……」


   ◇


 『アイドル☆スターズ』というゲームがある。

 プレイヤーはアイドル候補生を育成し、プロデュースするというよくあるゲームだ。

 ソラはそのゲームの登場キャラクターの一人だ。

 今月のガ●ャ●チャで搭載された新しいバージョンである。

 ソラは今、元の部屋に戻ってソファに座って膝を抱えていた。

 一度外から差し込む光がなくなり、夜になった。

 今は再び明るくなり、適当に付けたテレビから同じ事務所に所属している設定の女の子達が出演している番組を垂れ流していた。

「遅い……」

 ガチ●でゲットされたアイドルは、確かに一度この待機空間に送られる。

 けれど本来はすぐに手持ちに加えられ、アイドルとしてのプロデュースが始まるはずなのだ。

 なのに、それがない。

「ここで待ってても仕方ない……」

 ソラは立ち上がると洗面所に向かう。

 蛇口をひねると普通に水は出た。

 冷たい水で顔を洗ってタオルで拭く。目の前の鏡に少し疲れた自分の顔がある。

 明るく染めた短い茶髪。毛先が外側に少し跳ねたようにセットするのが最近のマイブームだ。身を包むのは学校指定のブレザー。今まで制服なんて着たことなかったからなんとなく着慣れない。

 胸はあんまり大きくないが、すらっとした体型が好きだと言ってくれるプロデューサーさんが多いことをソラは知っていた。

 これが自分―――朝陽ソラだった。

「よし!」

 自分の姿を確認してから事務所の扉へと向かった。

 ドアノブに手を掛けて一瞬ためらう。

 もし、開いたときに普通の階段があったら……。

 そう思わずにいられなかった。

「……ですよねー」

 開けた先は昨日と同じ、真っ白な空間だった。

 等間隔にドアが並ぶ異質な空間。

 仕方なくソラはドアから出て歩き出した。

 円状に並ぶ扉の中央部へ向かって。

 何もないと思っていたが歩き出してすぐ、中央に何かがあることに気が付いた。

 ガヤガヤとテレビの音が聞こえてくる。

 ついさっきまで事務所で見ていたのと同じ番組だ。

 そのテレビの正面にソファに行儀悪く座った少女が笑うでもなくせんべいを口にくわえながら見ていた。

 ラフなキャミソールにショートパンツといういで立ちで、部屋着そのものと言った雰囲気だ。

 そしてソラはそんな彼女に見覚えがある。

 と言うよりも今さっきも見てきた顔だ。

「んお? おー、ご同輩か」

「あなた……」

 そこにいたのはソラと全く同じ顔の少女だった。

 双子でもここまでそっくりにならないだろう。

 すべてが同じなのだ。

「もしかして〝お部屋モード〟朝陽ソラ?」

「そう言うあなたは今回のあたしか……〝輝きの太陽〟朝陽ソラ、だっけ?」

 どちらも朝陽ソラだ。

 お部屋モードのソラは、確か2年前くらいに実装されたSRアイドルだったはずだ。

 その彼女がなぜここに……?

「どうして……ここにいるの?」

「プロデューサーさんがさー。贈り物ボックスの中から出してくんないのよ」

 せんべいをくわえたままソファの背に頭をのせて真っ白な天井を見上げる。

 まるで天井の向こうにプロデューサーさんを見ているかのように。

「ここが贈り物ボックスの中だってのはあたしならわかんでしょ? ほら」

 そう言って指さされた先にはアイコン化されたお金のマークが床の上でゆっくりと回転している。

 このゲーム内での通貨だ。

 その隣には同じように意匠化された宝石のマーク。ガチ●を引くために必要なポイント。

 それらが一瞬で光になって消え去る。

「今のは?」

「プロデューサーさんが回収したんでしょ」

 やはりここは贈り物ボックスの中なのは間違いないらしい。

 ソラの胸を絶望が埋め尽くす。

「で、でもならどうしてあたし達を回収してくれないの!?」

「プロデューサーさんはもう真面目にこのゲームをやるつもりはないのよ。回収するのはSSRクラスとアイテムだけ。NRクラスならそもそもここに送られる前に設定で自動的にゲーム通貨に替えられてる」

「じゃあどうしてあたし達はここにいるの!?」

「そんなの、設定でSR以上は自動的にゲーム通貨に変換しないように設定してあるだけよ」

「……あなた、詳しいのね」

「ま、2年もここにいればそうなるわよ。せんべい食う?」

 そう言って自分がくわえているのと同じせんべいを差し出してくる。

 ソラは手を伸ばして「……もらう」と言って受け取った。


   ◇


「このゲームは複雑すぎたのよね」

 お部屋モードの隣に座って、ソラはせんべいをかじりながら聞く。

「リリースから3年。他のアプリゲームとの差別化のために色々ゴテゴテ機能を増やしてさ。結局ファンは離れちゃったわけ。キャラ別にステータス変更ができるようになって、ダンスとか歌唱力とかいじれるようになった時は笑ったわね。戦闘力とか何に使うんだって」

 きゃらきゃらと笑いながら言うが、その目は何の感情も映していない。

 そもそもにしてプロデューサーさんに回収してもらえないソラ達はパラメーターの強化など出来ないのだから。

「実装されたカードに付随するフレーバーアイテムがここで出せるようになったのは助かったけどね。このせんべいも今飲んでるお茶もあたしの部屋にある物だから出せるのよ」

 お部屋モードはその名の通り自室でのラフな姿を切り取ったカードだったらしい。

 おかげでこうしてソファもテレビもあって暇はしないと笑うお部屋モード。

 自分はどんな朝日ソラを切り取ったカードだっただろう、と一瞬思ったソラだったがすぐに思い出すのをやめた。

 もう何もかも無意味だ。

 NRクラスではないソラは消えることがない代わりにここから出ることもできない。

 このゲームの終了までずっとここで過ごすことになる。

 視線を上げて周囲をぐるっと見回す。

 周りを取り囲む扉の数はここに閉じ込められた他のSRクラス達の事務所につながっているのだろう。その扉の奥にはさっき自分がいたのと同じ事務所の光景が広がっているはずだ。

 無数の扉の数は、そのままここに閉じ込められたSRクラス達の数の多さを物語っている。

 ソラはもう目を開けていることも嫌になった。

 瞼を閉じ、立てた膝に顔を埋める。

 お部屋モードはつまりそれほどプロデューサーさんがこのゲームに飽きて、すでにログインボーナスと気になったガチ●が来た時だけしかログインしていない、と言うことを言いたいのだ。

「……」

 真っ暗な視界の中、ただぼんやりと隣でお部屋モードがせんべいをかじる音と自分の呼吸の音だけを聞いていた。テレビはいつの間にかお部屋モードが消したらしい。

 静かだ。

 多くのSRクラス達がいるとは思えないほどに。

 こんなに静かなら、ここでただ時間が流れていくのを待つのもいいのかもしれない。

 きっとゲームの終焉まで心穏やかに過ごすことが出来るだろう。

 かつてはこんな静かな生活を自分も望んでいたはずだ。プロデューサーさんに拾われて華やかなこの世界にやってきてからは、考えもしなくなったが……。

「……」

 そんなことを考えていると、隣のお部屋モードがかじっていたせんべいをテーブルに置いて立ち上がったのが気配で分かった。

 そのまま顔を伏せるソラの前に無言で立ってこちらを見下ろしているようだ。

 この目の前の自分と一緒なら、もしかしたら暇はしないのかもしれない。

 何しろ自分自身だ、好きなことも嫌いなことも知っているだろう。

 他のアイドル候補生のSRクラス達だって仲良くできるかもしれない。

「……」

 そこまで考えて、頭の片隅に何か引っかかる。

 静か?

 静かすぎる。

 あれだけの扉があるならそれ相応の数のアイドル候補生達がいるはずなのに、ここにいるのは目の前の一人だけだ。

 どうしてそうなった?

 そう考えた時、一瞬で思考がつながり体が動いた。

 ゴロンと体を横に転がし、ソファから離れる。

「あーあ、やっぱダメかぁ」

 大きく弾む心臓の鼓動を聞きながら、目をお部屋モードに向ければソファに拳を叩きつけたかのような状態で止まっている。

 叩きつけられているのはさっきまでソラが座っていた場所だ。

 手の中には、黒く塗られた大振りの―――ナイフ。

「な、んで?」

 ソファから引き抜かれた刃から、まとわりついた綿が零れ落ちる。

「そんなこと、言わなくてもわかるでしょ? あたしならね」

 凄絶な笑みに背筋をぞっと凍らせる。

「あなた、殺したの? ここにやって来たSRランク以上のアイドル候補生達を」

「ご名答♪ だから、ね。あなたも死んで!」

 逆手に持った黒塗りのナイフを振り下ろしてくるお部屋モード。

 その動きは明らかに一般人ではない。

「くっ!?」

 ナイフを振り下ろす腕を狙って払う。

 その隙に下がろうとするソラ。下がる足を引っかけようとしてくるお部屋モードの足を逆に踏みつけ重心を一気に前へ。

 順手に持ち替えたナイフを稲妻の如き速さで突き出してくるお部屋モードの動きをしっかりと見て、体の外側へと弾く。

 そのまま弾いたのは逆の右腕を折りたたんで体重の乗った肘打ちをお部屋モードの腹部にぶち当てる。

「んぐっ!?」

 お部屋モードは肘打ちが当たる直前に自分から体を引いたようだった。

 手ごたえよりもずっと派手に後ろへ転がっていく。

 その様をソラは見続けることはなく、自分の背後にある扉へ向かって駆け出す。

 自分が入って来た扉へと。


   ◇


 暗い事務所の中自分の呼吸音だけがうるさかった。

 背中には冷たい扉の感触。

 真っ白な空間から事務所の扉へ駆け込むと鍵をかけて座り込んだのだ。

「どうして、こんな……」

 誰もいない事務所に自分の声だけが響く。

 否、本当は分かっていた。

 朝陽ソラ。

 17歳。

 アイドル候補生。

 前職は―――暗殺者。

 一般常識を知らない美少女がプロデューサーと二人三脚でアイドルになっていく。

 それが朝日ソラに与えられた設定。

 でももう暗殺者に戻るつもりはなかった。

 これからはプロデューサーさんと二人、光り輝く道を歩いていくのだから。

「さすがあたしね」

 ドア越しに掛けられた声にびくっ、と反応してしまう。

「今までの子は皆一刺しで片付いたんだけど……ふふふ」

「……どうして、こんなことするの?」

「あら? わからない? 皮を剥ぐのよ」

「え?」

 お部屋モードの声は、なぜかねっとりとソラの耳に届いた。

「皆の皮を剥いでね、プロデューサーさんが呼んでくれた時にその子の皮を着るの。そうしたら、ここから出られるかもしれないでしょう?」

「そ、そんな……」

 そんなことのために?

 あれだけの数の扉だ。相当な数を手にかけたはず。

「そんなことのために、なんていわないでよ? あたしたちは、ここにいる限り何の意味もないんだから。ここから出て、プロデューサーさんの所に行かないと……意味がないんだから!」

 最後の声は絶叫に近かった。

 同時に扉に押し当てた体が浮くほどの衝撃。

 扉に体当たりをしているようだ。

 どういう原理でつながっているかはわからないが、扉自体は普通の事務所のアルミサッシでできた扉だ。すぐに壊されてしまうだろう。

 ソラはよろよろと事務所の奥へと後退る。

 頭の中は混迷を極めていた。

 だが頭のどこかでお部屋モードの言うことが正しいことも理解していた。

 もしここから出るなら、プロデューサーさんが回収してくれそうなアイドルになれるように準備しておくのは必要なことだ。

 そして、ここにいるだけの存在に意味などない。

「……」

 足もとにこつん、と当たるものがある。

 黒い大きなギターケース。

 振り回すだけでも大きな威力を持つだろう。

 ソラは鞄を手に取った。


   ◇


 肩から勢いよく事務所にお部屋モードは飛び込んできた。

「あーあー。やっと開いた。ほんとに手間かけさせてくれちゃってさ」

 勢いが付きすぎて前かがみになっていたお部屋モードが顔を上げて、ソラと目が合う。

「うん? 何それ。もしかして前から欲しかったギター? へぇ、輝きの太陽でそんなものも追加されたんだ。ま、あんたを殺した後でもらうけど、ね!」

 急に前傾姿勢になると、お部屋モードが駆け出してくる。

 事務所の入り口からソラがいるところまでは一直線、数メートル程度しかない。

 間合いは一気に詰められる。

 黒刃が閃き突き出された。

「ゴメン」

 首筋へと刃が到達するよりも一瞬前。

 ソラの手に握られた鞄が開き、中から転がり出したものがまるで吸い付くようにソラの手に収まる。

 轟音。

 衝撃の方が後から手に伝わってきた気がした。

「ゴフッ!?」

 お部屋モードが口から血を吐き、入口まで吹き飛ばされていた。

 床にあおむけに転がって、起き上がることすらできないでいる。

 その腹の真ん中から血が泉の如く溢れ出していた。

「な……んでっ……それ……」

 お部屋モードが視線だけ、ソラの手の中にある物に向けて呟く。

 大きな銃口を持つ、散弾銃。

 それがソラの手の中にあった。

「戻るつもりはなかったんだよ? でも……最近さ、プロデューサーの周りに変な虫が増えたから」

「……?」

 一歩足を踏み出すと、お部屋モードの体から飛び散った血を踏んだ。

 足裏のぬめりとした感触が気持ち悪い。

「羽音がね、うるさいのよ。一匹一匹殺していたんじゃ、手間がかかり過ぎるの」

 静かにお部屋モードへ近づいていくと、どうにか起き上がろうとしているようだった。

「だからね、昔のつてでこれを買ってみたの。代わりに前から欲しかったギター、諦めちゃったけど……ま、結果オーライかな」

 結局数センチ後ろに這うことしか出来なかったお部屋モードの顔面に銃口を突き付ける。

「ハハッ……さすがあたし、ね」

「あんたには負けるわ」

 ドンッ、と言う音とともに引き金が引かれた。

 部屋の中に静寂が舞い降りる。

 これでもう、邪魔者はいない。

「ねぇ、プロデューサーさん」

 誰もいない事務所にソラの声が響く。

「今、会いに行きますからね?」

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