回し蹴り令嬢の脱出

相内充希

回し蹴り令嬢の脱出

 女が着ていたのは、体のラインを強調するようなピッタリとした純白のロングドレスだった。裾が花のように広がっているとはいえ、あんな服で走ることなどまず不可能だろう。


(いっそ担いで走るか?)


 物陰で気配を消しながら、ルークは脳内で脱出ルートをさらう。このまま女が廊下を進めば、その先にあるのは祭壇だ。ガチムチの男たちに追い立てられるように歩く女の後ろ姿は優美で美しいが、おおよそ争いごとには無縁といった印象だ。聞いていた通りの深窓の令嬢そのものなのだろう。本当なら昨夜のうちに侵入して連れ出す算段だった。だが結界の力の強さにてこずり、女を見つけるのが遅くなった。このまま夜を待つ暇などない今、城の外までは自力で走るしかない。


(さて、あの大男たちには眠ってもらおうか)


 問答無用で女を担ぐことに決め、ルークはスリングショットを構え、男たちに狙いを定める。騒がれないよう一瞬で仕留めなくてはならない。

 だが次の瞬間、女がわずかに身を沈め、自分の後ろにいた男のみぞおちを突き上げるように肘鉄をくらわせた。次にその隣の男の顎を掌底で跳ね上げたと思うと、間髪入れずみぞおちに肘鉄がめり込む。

 ルークは我が目を疑った。縦も横も女よりはるかに大きい屈強そうな男たちが、文字通り一瞬で二人倒されたのだ。


(なっ!)

 思わず声を上げそうになり、あわてて飲み込む。

(ちょっと待て! なんだ今のは)

 ルークは予想外の出来事に目を見開く。

 そんな彼に見られているとは気づいていない女は、倒れた男たちの腰から素早く短剣を抜き取ると自分のドレスの裾左右にそれぞれ切れ目を入れ、一気に太ももあたりまで切り裂いた。美しい足がチラチラとあらわになったが、動きやすくなったことに満足したのか、女は

「よし!」

 と、満足げにうなずく。


「よしじゃねえよ!」

 一瞬唖然とした後、思わず女の声に突っ込みを入れる。

 だが瞬時に短剣を構えてこちらをねめつける女の殺気に、言いようのない悪寒が走った。瞬間的に短剣を投げられなかったのは幸運だったと言えよう。


(ちょっと待て! 俺が助けに来たのは花のように美しく、おしとやかな深窓の令嬢だったはずだ。ということは、この女は別人か?)


 だがしかし、ルークが敵意がないことを示すため両手を上げて見せ名前を確認すると、彼女は瞬時に殺気を消し去り、無邪気な笑顔でそれを肯定したのだ。身元を証明するための符号も一致する。


(マジか。いや、確かに美人だが。笑った顔はとてつもなく可愛いのは認めるが! どこの世界に、大男を! 二人も! 一瞬で倒す深窓の令嬢がいる!)


 混乱した頭で突っ込みを入れながら、太ももの中ほどまで切り裂かれたスカートからのぞく白い足に目が行く。こんな場合でなかったら目の保養だ。決して細すぎないその足は、野生の動物のようなしなやかな美しさがあった。

 彼の視線に気付いた女――オリヴィアは小首をかしげ、

「だって、こうでもしないと走れないでしょ?」

 と、恥ずかしがる様子もなく言いきった。ナイフでは丈を短くするのが難しいから裂いたのだと。

 正論だ。言ってることは正しい。正しいんだが……。

(何か違う)


「さて、他のが来ないうちにとっとと逃げるわよ」


 頭を抱えそうになるルークに女は気楽な口調でそう言うと、次の瞬間男の手を引いて一気に走り出す。

 通路の脇から出てきた兵士が異変に気付いて何か叫ぼうとした。だがオリヴィアはルークの手を離すと一気に男たちに詰め寄る。

「あ、ばか」

 短剣ごときで長剣を持つ男に敵うか!


 だが女は片足を軸に回転し足を振り上げる。鋭い曲線を描いたそれは兵士のこめかみに命中。兵士に剣を抜く暇さえ与えず、彼は声も出さず昏倒してしまった。オリヴィアは倒れた男を一瞬だけ見ると、再び走り出した。


「おい! 今のは何なんだよ!」

 彼女を追いかけながら何をしたのか聞くと

「だって、何か叫ばれると面倒じゃない」

 と、微妙にずれた返答が返ってくる。


(いや、そうだが、そっちじゃない!)


 その後もオリヴィアは手近にあった適当な道具も使いながら、あっという間に行き会う兵士たちを倒していった。


(俺、もしかして邪魔だったんじゃないか?)


 ルークはこの女を助けに来たはずだった。

 依頼を受けたのは、面白そうだったし、報酬もよかったからだ。

(何より、綺麗な女の子を助けるなど、男としてはかなりおいしいと役どころだと思った――はずなんだが?)

 だが今の所、愛用の剣の出番はほとんどない。うそだろ?


 城壁と堀を超えるのを助けた以外はほぼ女の自力脱出だったことに、男はがっくりと脱力をした。血の一滴も見ない脱出など、想定外すぎる。


「ちょっとこれ借りるわね」


 なぜか剣を借りると言われたときはギョッとしたが、オリヴィアは男の剣を鞘から抜くこともなく地面に垂直に立てる。女が持つには少々重いはずだがと半ば呆れていると、彼女は何やら指で何か模様を書くように動かした。


「暁の光よ、我が声に応えよ。森羅の理のもと、女神トゥーミロッソの名において、汝、闇を退けこれを封じよ!」


 彼女がそう唱えると、剣の柄にはめてある宝玉が強く光り、細い光の柱が立った。一条の光だったそれは一瞬にして左右に広がると、あっという間に女が捕らわれていた土地建物をすべて包み込み、やがて建物ごと光は消えた……。


「今のはなんだ?」

「封印よ。あいつらがまた出てくると面倒だから、強めに縛っておいたわ。貴方がいてくれて助かった。ありがとう」

「は? 俺、何か役に立ったのか?」

(自分で言ってて情けなくなるが)

「だって私を助けに来てくれたじゃない。逃げるだけじゃなく、貴方が来てくれたから封印までできたのよ」

 あどけない笑みでそう言われても、何が何やらわからない。

 だが、まあ――

「解決ってことでいいのか?」

 ルークがそう問うと

「あとは、貴方が私を屋敷に送ってくれれば、万事終了ね」

 と、オリヴィアはにっこり笑って請け合った。


「それで、お父様が提示した貴方への報酬はなんだったの? もしかして私との結婚?」

 いたずらっぽい笑顔でそう聞く彼女にルークは肩をすくめて見せる。

「いや。金さ」

「そう? それは残念」

 クスクス笑うオリヴィアのあどけない様子からは、あの見たこともない戦闘能力や、バカみたいな規模の魔法を使う姿などまるで想像できない。

 成功報酬に婿入りの話も確かに出た。だが、おおよそ本気とも思えない口調だったし、ルークとしては、おしとやかな深窓の令嬢と一生を共にするというのはぞっとしないと思ったのが本音だ。だが――


「まあ、実際あんたを見たら、そっちでも悪くなかったと思ったがな。少なくとも退屈は、しなさそうだ」

 ふっと目に熱を込めて微笑みかけ、指の背でそっとオリヴィアの頬を撫でる。

 大抵の女ならうっとりと頬を染めるところだが、彼女は面白そうにクスッと笑った。

「それは光栄ね。でも貴方なら、もっと若いお嬢さんがお似合いよ」

 ルークをいくつだと思っているのか、坊や扱いしてくる口調に思わず吹き出す。


「若いって。あんたせいぜい十六・七だろ? 俺は幼女には興味ないぜ?」

 ルークは年が明けたら二十四歳だ。相手が十六・七歳でも年下すぎると内心頷いていると、女は眉をはねあげ

「あら。私、年が明けたら二十七歳よ」

 と、いたずらっぽく笑った。

「年上かよ!」

(二十七なんて嫁き遅れもいいところだろ。この見た目で? まさか、嘘だろ)


 唖然とする男に女は気を悪くした様子もなく、

「年増を押し付けられなくて良かったわね」

 と、楽しそうにクスクス笑う。これは完全にからかわれているに違いない。

「もしかして人妻だった?」

「いいえ? 一度も結婚したことはないわよ」

 今まさに結婚させられるところだったけれど、と楽し気に笑う様子はやはり十代にしか見えない。


「ふーん。まあでも、年上の女は好みだよ」

 ルークが気を取り直し、ニヤリと笑ってそう言うと、

「本気?」

 と、オリヴィアは戸惑ったように眉をひそめた。彼女の目から、やっとルークをからかう様子が消えたことに満足する。


「本気だって言ったら?」

 逃げる途中でピンが抜けほどけた長い髪を、ひと房すくい口づける。滑らかなその手触りに、我知らず背中がぞくりとする。

 だがそんなルークの行為にもオリヴィアは動じた様子を見せず、

「そうね。王弟殿下、お戯れが過ぎますわ――かしら?」

 小首をかしげて言った彼女の答えに男は驚いた。

「……いつから気付いてた?」

「え? もちろん最初から。そんな特殊装飾を施した大剣を持ってる人なんて、第八王弟殿下ぐらいでしょう? 封印に最適のアイテムを持って来てくれるなんて、なんて気が利くのかしらと思ってたのよ」


 ただ現王の弟だと勘づいたわけではなく、末の弟ということまでわかっていたらしい。政に関わらない放蕩息子で爵位も持たないルークは、姿があまり知られていないはずなのに驚きだ。


「それじゃあ、役に立ったのは俺じゃなくて剣だったのかよ」

 ひそかにそうではないかと思っていたが、やはりそうだったのか。

 というか、実用品とはいえ一応宝剣だぞ。その利用方法を知ってるなんて、本当に何者なんだ。

 悔し紛れに心の中でぼやいていると、オリヴィアはスッと笑みを消した。


「いえ、とんでもないわ。あの城の結界に亀裂を入れたのは貴方でしょう。だから救助に来てくれた人とどうにか合流しようと思って行動に移したのよ。それが誰かは分からなかったし、まさかあんなところまで潜り込んでたなんて考えてもいなかったけど。――私は、貴方がいたから安心して敵に飛び込めたし、塀も堀も越えられたの。貴方が来なかったら、あんな無茶はしていない」

 真剣な目で訴える言葉は、崩れかけた男の矜持をどうにか立て直す。

「そうか」

「ええ、そう。感謝してるわ」


 真剣な目をした女の顔は美しく、声はまっすぐ心に届くような深く心地よい声だ。笑みを消した彼女は、ずっと大人びて見えた。


(いや、実際大人だったな。それでも俺より年上だなんて、誰も信じないだろう)


 世間では、彼女は地位は高いものの、社交界に一切出てこない病弱な田舎のご令嬢という評価だ。関わらなくても損はないためか、普段は忘れられていると言っても過言ではない存在。それだけに、彼女が自分の存在を知ってたことも驚いたし、何より

(こんな童顔美人で、とんでもなく面白い女だったなんてなぁ)

 そんなことを考える。


「やっぱり報酬は結婚に代えてもらおうかな」

 ルークが組んだ足の膝に肘をつき、頬杖をついて独り言ちる。

(なんだか、すっげえ面白いことになりそうな予感がする)

 ひとところに落ち着くことなんて考えたこともなかった。いずれ結婚をと言われても、今の平和な世の中なら政略でも役に立たない彼の立場は、自由で不安定そのものだ。だがその立場を彼は気に入っていた。


「そんなにじっと見ないで。王位継承権二十八位とはいえ、貴方は田舎貴族におちつくような人じゃないでしょう。冗談も笑えるうちに終わらせることだわ。もう十分休んだわよね。そろそろ出発しましょう」

 と女は早口で言い、くるりと踵を返して歩き出してしまう。


「やっぱり年をごまかしてないか?」

 追いかけつつ、彼女の顔をのぞき込みそう尋ねる。ほのかに頬が赤いことに気づき、心の中でニンマリした。

「わざわざ上に年をごまかす女がいると思うの?」

「いるかもしれないだろう」

「どうかしら」

「なあ、さっきのあれ、俺にも教えてくれないか?」

 突然話題を変えた男を見上げ、「あれ?」と女は首をかしげる。


「体を回転させながら蹴り倒したやつ」

 見たこともない戦い方に衝撃を受けた。この細い体から、どれだけの威力で蹴ったのか想像もつかない。手近な旗棒を槍のように使ったのも面白い。そこら中にあるなんでもないものが、自らの体が、そのすべてが武器になるだなんて考えてもみなかった。


「あんなのいったいどこで覚えたんだ?」

「さあ、どこかしらね」

「教えてくれる?」

「……そうね。帰ったら教えるから、しばらく滞在するといいと思うわ」

「楽しみだ」

「そう」

「時間はたっぷりあるしな」

「……暇なの?」

「結婚したら死ぬまで一緒だろう?」


 しれっとそんなことを言うルークを、彼女はじろりとねめつける。

「貴方、こんな年増と結婚しようだなんて正気なの?」

「見た目はそう見えないからいいんじゃないか?」


(実際いくつでも気にしないしな。問題は、本人をうなずかせる方法と、彼女の父親が報酬変更を飲んでくれるかだよなぁ)


 ルークは捕らわれの姫君を救いに行ったはずだった。だが逆に、その姫君にとらわれてしまったことを愉快に思いながら、ニヤリと笑って見せた。

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