第十四章 ブラック三態
私がこの自動車部品工場に入社した当初、『ブラック企業』という言葉は、まだそれほど一般的ではなかった。
内容も、IT系のデスマーチとか、ヤクザのフロント企業紛いなどを指すもので、現在のイメージとは違い、まだソフトで、一部のメディアやネット上でネタとして笑い話に出来る程度のものだった。
ところが、私が工場で働きながら、派遣が請負になり、前田さんが現れ、成見が覚醒し、やりたくもないサブリーダーをやらされて苛立たしい毎日を過ごしている間に、『ブラック企業』というワードが流行語大賞の栄冠に輝き、そのクトゥルー神話並みのおぞましい実態が徐々に明らかになってきた。いあいあはすたあ。
某居酒屋では、女性新入社員が自殺した。
某牛丼店では、深夜のワンオペで店舗の営業がパンクした。
気象予報会社で、家電量販店で、コンビニで、自動車メーカーで、スーパーマーケットで、アニメ制作会社で、銀行で、病院で、学校で、労働者たちが次々と斃れていった。
そしてブラック企業には、長時間過重労働だけでなく、他にも様々なケース、条件があるということを我々は知ることになる。パワハラ、強要、洗脳研修、常軌を逸したノルマ設定その他もろもろ。
更に、仕事を辞めさせないというケースさえ存在することを知った。
それまでは、仕事が嫌ならとっとと辞めればいいではないか、と思っていた。それなのに、辞めたいと言っているのに辞めさせてくれないとは一体どういうことなのか。やる気のない社員、使えない社員なら辞めさせたいのではないのか。最早、常識的な理解の範囲を超えていた。
しかし、自分の職場でブラック企業の話をしたことは、ただの一度もない。
ブラックの『ブ』の字も出たことがない。
私はメディアやネットで、ブラック企業の話題はチェックしていたが、他のセクションはいざ知らず、少なくともKD梱包セクションの連中は、ほとんど関心がなかったようだ。恐らく前田さんは、某居酒屋や、某牛丼店のケースくらいは人並みに認識していたのだろうが、他の連中については、それらの有名なケースすら知らなかったのではないだろうか。
この頃から、考え始めた。
うちの工場は、ブラックなのだろうか。或いは、かつての職場はどうであったか。
長時間労働や、社員を辞めさせないといったことは、充分にブラック企業の要件に当てはまる。
月七十四時間の時間外労働は、その自動車部品工場およびワークネードにおいて、私が経験した最長記録である。同時に私の人生においても、それ以上の時間外労働を経験したことはない。
しかし、ワークネードとしては、月七十四時間という時間外労働が常軌を逸したものであるという認識であったと思う。そのために、わざわざ部長さんだか誰だかが、挨拶をするために我々のもとに出向いてきたのだ。ただし、その共通認識を共有していない人間が、確実に一人だけいた。
垣内さんを引き留めたのには、私もわら、ああいやいや、驚いた。
その時に私は立ち会っていなかったので、詳細は不明だ。
前田さんとしては立場上、一応事情を聞いておきたいと思ったのであろう。そして立場上、一応引き留めるようなことを言ったではないだろうか。垣内さんの方が、意外と簡単に折れたという状況なのだと私は推測している。彼の場合は、立場上の義務と善意による行為であり、損害賠償を請求するとか言って脅迫したりした訳ではないだろう。
成見がその時何を言って、どのような役割を演じたのかはわからない。
労働時間は確かに長い。仕事はキツく、時給はクソ安い。しかし今時の、言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、この程度の長時間過重労働はザラにあるようだった。製造業の非正規なら尚更だ。製造業の非正規自体がブラックだと言われればそれまでだが。
しかも、会社の中の人々が一応はそういったことを意識して、気を遣っている素振りを見せていた。それがポーズだとしても、少なくとも自分のところの社員たちが、そういったことを気にするであろうということは、きちんと認識していたのであろう。ただの一人を除いては。
検討の結果、要件はともかくとして、少なくとも工場やワークネードがブラックとまでは言えないという結論に達した。ミディアム・グレーといったところではないだろうか。
そもそも『ブラック企業』とは、一体何なのか。
ブラック企業に関する労働相談などの活動を行っている、NPO法人POSSEの代表である今野晴貴氏は、著書『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』文春新書(2012)の中で、『ブラック企業の定義はない』と述べている。
しかし、その後の同氏の著作『ブラック企業ビジネス』朝日新書(2013)においては、『新興産業において、若者を大量に採用し、過重労働・違法労働によって使い潰し、次々と離職に追い込む成長大企業』と定義している。これは書籍の内容から『あえて』行った定義であるとしており、氏の基本的なスタンスはあくまで前者なのであろう。
確かに、近年問題となっているのは、長時間労働やパワハラなどで社員を使い潰すタイプであろう。
定義というのは人それぞれで、往々にして増殖する傾向にある。
論文のネタに困った研究者や、締め切りに追われたライターが、適当にそれらしい言葉をこね回して、間違い探しのような定義を新たに作り出していくのであろう。
ここで私が、新たにブラック企業の定義を更に増やすことは控えたいと思う。
しかし、自己愛性ブラックを解説するためには、せめて分類だけでもしておく必要がある。
そういう訳で、おおまかな定義はすっ飛ばして、まずは、ブラック企業をタイプごとに分類してみた。
だいたい以下の三つに分けられのではないかと思う。
1ヤクザ型
2無能型
3自己愛性ブラック型
1のヤクザ型は、その事業およびビジネス自体が違法か、または違法すれすれのグレーゾーンの企業であると定義出来る。ヤクザのフロント企業、闇金、詐欺まがいの悪徳商法、先物などの投資系、消火器の訪問販売(消防署の方から来ました)などがそれに当たるであろう。最近では押し買いなどといった新たな手口が登場し、その被害は後を絶たない。本来『ブラック企業』とは、このようなヤバイ企業を指す言葉だったのであろう。
この場合では、事業自体が違法か違法すれすれなため、従業員や労働基準法に対する順法意識も、当然の如く持ち合わせていないことが多い。
ただし、これらの企業の中には高収益が期待でき、また逮捕などのリスクも高いことからリターンが大きいこともある。
もしかして、他のブラック企業よりもマシ、ということはありません。一応否定しておきます。絶対に関わらないように。
2の無能型は、経営者が無能なため、結果的にブラック化している企業である。
経営状態は常に悪く、従業員の教育も碌に出来ず、待遇も悪い。従業員の入れ替わりも激しいため、常にギリギリの人数で仕事を回す必要に迫られている。その結果として長時間労働を強いられたり、能力以上の業務を強いられたりする。この場合、そもそも労働基準法の知識自体がないとか、常識レベルの知識がないということもある。例え悪意はなくても、結果的にコンプライアンスを逸脱した行為に走りがちである。
中には、クライエントからの無理な要求に応じるため、泣く泣く会社を長時間労働化させている経営者も多くいることであろう。取り敢えずここでは、経営者の人格や社内での人間関係は考慮に入れず、長時間労働化という一点において、無能型ブラック企業に分類させて頂くことにする。気を悪くしないで頂きたい。
通常は、市場の原理で淘汰されるはずであるが、しぶとく生き残っていく企業も存在する。
こういった企業は、中小企業に多いと思われる。
しかし、一部上場の巨大企業であっても、無能型に当てはまる場合が多々ある。
元々、事業自体にそこまでの収益が期待出来ない、或いは事業計画自体に無理がある、事業をひたすら拡大させて、経営者や幹部の能力が限界を超えている、そういった状況にもかかわらず、常軌を逸した長時間労働、パワハラ、強要、恫喝などにより、使い終わった歯磨き粉のチューブを絞る如くに、従業員を絞り上げて利益をひねり出そうとするような企業は、無能型に分類するべきであろう。
3の自己愛性ブラック型は、本書において解説中である。
その内容に関しては、まだストーリーの途中なので、後ほど解説しようと思う。
いずれにしても、これら三つのタイプは厳密に区別出来る訳ではなく、複数のタイプの特徴を併せ持っているハイブリッド型も存在するであろう。またこれらの特徴に当てはまらないからといって、ブラック企業ではない、ということにはならない。そういう意味では、今野晴貴氏の『定義は存在しない』という定義が、最も正確なのかもしれない。
事業自体がカタギであっても、違法行為を常習的に繰り返しているような企業は、無能型とヤクザ型のハイブリッドに分類するべきであろう。
かつて問題となったのは、産地偽装、賞味期限切れ、耐震偽装、検査データ偽造、診療報酬詐欺、不正経理、脱税といったところであろうか。
三つに共通するのは、長時間過重労働である。
そして長時間過重労働には、もれなくパワハラ、セクハラ、洗脳、強要、そして暴行などなどが付いてくる。実にお得なセットだ。『ポテトはいかがですか』。この場合のスマイルは、とてつもなく高くつく。
ただし、長時間過重労働の動機、そして考え方やスタンスは、ブラック企業のタイプによって異なるであろう。
ヤクザ型においては、最初から従業員を使い潰すつもりで、いけないことだとわかっていながら長時間過重労働を強要するだろう。そこで強要系と呼ぶことにする。
自己愛性ブラック型においては、この点だけ先に触れてしまうと、長時間過重労働が正しいことだという信念に基づいて、強要している。しかし本人たちには、強要しているという自覚も罪悪感もない。常軌を逸した残業、休日出勤も当然のことであると思っているであろう。そこで賛美系と呼ぶことにする。
無能型ブラック企業には、両者が混在していると思われる。無能なくせに悪ぶっているのと、無能なくせにクソ真面目なのとどちらがマシなのか、私には判断がつかない。
これらの分類は、あくまで使用者側の意識、モチベーションの違いによるものであり、従業員に対して長時間労働を強制する手口は共通している場合もある。
例えば、宗教団体の勧誘、洗脳システムを取り入れている企業の存在が指摘されているが、そうした手法を、意図的に取り入れている場合は強要系、自発的に経営者崇拝や、理念集の暗記などを取り入れている場合は賛美系に分類するべきであろう。
ジャーナリストの秋山謙一郎氏による、『ブラック企業経営者の本音』扶桑社(2014)では、そうしたブラック企業の経営者と、彼らの手口が紹介されている。
『「最初にガツンとかましておくと、後で会社にカネがないとき、社員は給料の遅配も受け入れてくれるようになりますよ。それだけ自分は信頼されていると思ってるんだろうね。まあ、経営者である俺の弱点を補うというか、支えになれるだけでも感激。将来、そう思ってくれる社員になるように、新人時代は、よく教育しておく必要があります」』
『「普通、人はさ、誰でも『嘘つき』『詐欺師』『裏切り者』呼ばわりされたくないわけ。何かおかしいなと思っても、相談する相手からも、『お前は嘘つきだ』と言われたら、これは自分が悪いのかなと思うよね。そこがポイント」
誰もが持つ、モラル、倫理観につけ込むといったところか。』
秋山謙一郎氏『ブラック企業経営者の本音』扶桑社(2014)
揃いも揃って、皆チョイ悪気取りで、自分たちの手口を自慢げに披露している。しかし結局のところ、従業員を使い潰さないと経営を維持出来ないのは、自身が無能だからに過ぎない。そこまで無理するくらいなら、会社の経営など辞めてハロワにでも通えばいいのだ。
可能かどうかは別として、個人的には、彼らのような下劣な人間になるくらいなら、非正規で地を這っていた方がまだマシというものだ。
これらブラック企業の三タイプ、そして長時間過重労働の二タイプをミックスして図にすると、1図のようになる。有名なブラック企業がどこに入るかは、皆さん自身で考えてみて下さいね。
その前に、2の無能型ブラック企業について、私の経験談を少々書いておこうと思う。
魔女のホテル
出版取次を辞めた後に、ハローワークで見つけたのが、とあるホテルでの仕事だった。
都内の某繁華街にあり、当時住んでいた場所から通勤に便利だった。ラブホテルなどではなく、シティホテルらしかった。待遇は契約社員だった。
ハロワでアポを取ってもらって、面接に出向いた。
フロントの女の子にその旨伝えた。ところが蒲田支配人がいない。どうするどうする。
一人のスーツ姿の男性が、バックヤードから現れた。フロント前のラウンジで面接をしてもらった。
「ここは、フロントだけじゃなくて、駐車場とか、朝食の準備とかもありますけど、出来ますか」
面接で出来ますか、と聞かれて、出来ませんと答える者はいない。
面接は一瞬で終わった。
仕事は、夜間のフロント業務だった。
時間は、夕方五時から翌朝の十時までで、月にだいたい十回程度の出勤だった。
最初は社員の山川さんに、仕事を教えてもらった。
夕方からは、チェックイン応対と入力、電話応対、クレーム対応などに追われた。それら通常のフロント業務に加えて、駐車場の操作誘導もしなくてはならなかった。
ホテルの地下には、巨大な立体駐車場があり、ホテルや契約のお客さんのお車を出し入れするために、フロントを離れて、ラウンジを出て、ターンテーブルまで行かなくてはならなかった。予約が多い日は、一息つく暇もなかった。
夜九時に、一旦レジを締めて精算を行った。チェックインでまだまだ忙しい時間帯だった。最初は特に疑問も抱かなかった。その意味を知るのは後のことになる。
夜中は多少暇になった。コンビニ弁当で食事をして、回転椅子で仮眠をとった。仮眠室のようなものはなかった。この間、先輩方から、ホテルの話をいろいろと聞くことが出来た。
夜明けに再び精算して、サーバーのバッチ処理を行った。
バッチが何事もなくスムーズに終わると、帳票をプリントアウトした。何十ページにもなった。一応会長の許に届けることになってはいたが、恐らく見てもいなかったであろう。その後、チェックアウトの準備を行った。
朝食は、朝の七時からだった。私が入った当初は、二階のレストランが会場だった。そして朝食には、コーヒー一杯無料のチケットが付いていた。そのコーヒーは、一階のラウンジでお出ししていた。その手伝いにフロントから一人借り出された。七時から十時頃まで、混雑時はひたすらコーヒーを出した。はい、どうぞ。
そして、チェックアウトが一通り終わった十時に、退勤となった。
ナイトの勤務は通常二名だった。昼間のスタッフは四十代の女性と、新人の二十代の女性だった。彼女らは五時か六時には帰宅した。最初はもう一人、社員の男性がいたが、程なくして辞めた。支配人は、夜の八時九時までバックヤードにいることもあった。しかし、誰がどう見ても人が足りなかった。
当時の支配人は、面接をしてくれた年配の男性で、白川さんといった。若い頃は、紀尾井町の某ホテルにいたらしい。もう一人、私の面接をする予定だった蒲田支配人とは、ラブホテルの支配人だった。
ホテルの裏手にはラブホテル街があり、その近辺に、同じ会社が経営するラブホテルが何件もあった。都内に十軒以上あったらしい。元々メインはそちらで、シティホテル(ビジネスではないという程度の意味で)は、後から営業を始めたらしかった。その他に、近所にビルを何件か所有していた。
会長は、高齢の女性だった。
私が勤めていた当時、既に相当な高齢だった。
朝になると、ホテル上階にある自身の部屋から下に降りてきた。
腰は九十度に曲がり、宮崎駿の映画に出てくる老婆にそっくりだった。
ラウンジの一角に陣取ると、ジャージを着たラブホの社員や、営繕の社員やらがやって来る。そして、彼らに毒づき始める。
元々、会社は旦那が経営していたらしい。戦後の闇市の時代に、その近辺の土地を買い漁り、ラブホテルなどを始めたと聞いたが、真偽の程は不明だ。旦那の死後に、彼女が経営を引き継いだ。
その会長には、息子が一人いた。
やはりホテルの一室をオフィスにしており、貸しビルの方は、彼が担当していたようだ。経理の女性が、彼の許に一人いた。
そして、彼の前妻とその中学生の一人息子も、ホテルの一室に住んでいた。
社長は、年配の男性だった。会長よりは、多少は若いようだった。
彼は、元々ラブホの番頭をしていたらしい。そこからどうやって、社長の地位にまで成り上がったのか。その答えは明確だった。
週末になると会長を車に乗せ、軽井沢の別荘へと向かった。別荘とは、社長ではなく会長の所有である。会長と愛人関係にあったのだ。それがいつからなのかはわからない。旦那の存命中からなのか、死後なのか、そこまでの話は聞けなかった。
しかし『ビジネス』では、いつも対立していたらしい。
仕事と職場に慣れてくると、ホテルや会社の状況が、いろいろとわかってきた。
メインのシングルに入ると、一見して異常はないように見える。
私が入社した当初、メイクは外注していた。そのためか、清掃とメイクはきちんと行われていたようだ。備品も一応、一通り揃っている。
しかし、よく見るとボロが出てくる。
ベッドに内蔵の時計は、合っていなかった。アラームも機能していない。
冷蔵庫は空だった。しかし、ドリンクを入れることは出来なかった。旧式のホルダーが邪魔だったのだ。かつては、きちんと補填していたのであろう。しかしその時は既に、手が足りなくて放棄されていたようだった。使えない冷蔵庫の電気代だけでも、相当な額だったのではないだろうか。たまに、チェックアウト時にクレームを受けた。
当然ホテルには、ダブルやツイン、そしてトリプルの部屋もある。
新館のツインは、ベッドで埋まっていた。
どうも、当初はシングルだったところに、ベッドを無理矢理押し込んで、ツインにしたようだった。最初の計画が甘かったようだ。
最上階には大浴場があった。
私が入社した当初は、男性だけが利用出来た。
しかし、碌に掃除もしていないらしかった。定期清掃とか、そういった話は聞いたことがない。常連のパチプロの男性客は、『何か、ぬるぬるしてる』と言っていた。彼はその後、近所の東横インにやさを変えた。
私が入社した当初は、サービスの朝食は二階のレストランを会場としていた。
ところが途中で、新館最上階のレストランに変更となった。
理由は、サウナをオープンして、二階のレストランが休憩室となったからだった。
サウナは元々、大浴場に併設されていた。
二階には、カウンターとロッカーが設置され、マッサージチェアが並べられた。
どうも、どこかの三流コンサル野郎が、会長に入れ知恵して、手っ取り早く小金を稼ぐために、サウナの開店を進言したらしい。
厨房は本館の二階にあった。そのため料理は、一度エレベーターで一階に降ろして、そこから通路を通って新館まで行き、エレベーターで最上階まで上げないといけなかった。
朝食係一人では手が足りないということで、料理の運搬のために、フロントから一人借り出されることになった。
味噌汁の鍋をワゴンに載せて、エレベーターで運んだ。
鍋の中で味噌汁がゆらゆらと波を立てた。それ以上振動が加わると、沸騰したての味噌汁をブチ撒けそうだった。
元々最上階のレストランには、狭い厨房もあったが、その時は既に稼働していなかった。ガスか水道か、設備に不備があったのかもしれない。
せめてそこで一部でだけでも作るとか、やろうと思えば出来たのかもしれない。しかし、そういった方策を事前に考えることはしなかった。無能なコンサル野郎も、そこまで考えてはくれなかったようだ。
朝になると、フロントのバックヤードに、おばちゃんたちの行列が出来た。
狭いバックヤードの中央には、巨大な入金機が鎮座ましましていた。おばちゃんたちは、ラブホテルのフロント係だった。その夜の売り上げを、入金機に入れているのだった。
最初は特に疑問も抱かなかった。しかしある日、白川支配人が言った。
「こんなでかい入金機いらないだろ」
普通は、そのようなことはやらないようだった。確かに、金庫か何かに入れておけば充分だった。
これは社長の意向によるものだったらしい。
社長は、金に汚いと言われていた。
猜疑心が強く、他人を信用していなかったようだ。
それが元からなのか、経営状態が思わしくなかったせいなのかはわからない。
わざわざ一番忙しい時間帯に、レジ金の清算を行っていたのも、そのためだった。
たまに宅配便が、着払いで届くことがあった。
バックヤードのコピー機のトナーが、何故か着払いで届いた。
或いは宿泊客の荷物が、着払いで届くこともあった。
しかし、社長の許可なく、レジからお金を出すことは禁じられていた。
運が良ければ、社長を捉まえて『お願い』することが出来た。しかし、社長が常にフロント周辺にいるとは限らなかった。電話にも出なかった。
そういった時には、無許可でお金を出すしかなかった。
精算の際には、その分を差し引いて辻褄を合わせた。後で適当に言いくるめて補填してもらっていたらしい。
金銭に関しては、全てがこの調子だった。
給料も、何故か銀行振り込みではなく、現金手渡しだった。
毎月十五日の午後になると、ラブホのおばちゃんたちがフロント周辺に集まった。
社員の誰かが現れて言う。422号室に来て。
噂が広まり、従業員たちが四階に殺到する。
そこで社長や社員たちが、印鑑と引き換えに給料袋を手渡しする。
フロントのナイトの従業員は、十五日の午後に受け取れないと、その後何日も待たされることになった。
館内には、各階に自動販売機が設置されていた。
通常なら、補充および清算は外部の業者に任せるだろう。
しかし、そのホテルでは、自分たちでそれらの作業を行っていた。
自動販売機は、わざわざ自前で購入したらしい。
そして中身も自前で調達して、事務の社員が自分たちで補充していた。
コーラは輸入もので、缶がペラペラの薄いものだった。その他のドリンクも、安価なものをどこからか調達しているらしかった。
自販機に関しては、クレームが日常茶飯事となっていた。
ビールを飲もうとしたら金を呑まれた、というものだった。
事務の社員が出来るのは、中身の補充だけで、中の現金に手をつけることは出来なかった。それが出来たのは社長だけだったのだ。彼は誰も信用していなかった。社長は常に、腰のキーチェインをジャラジャラといわせていた。
運が良ければ社長を捉まえて、お金を抜いて欲しいと『お願い』することが出来た。そして更に運が良ければ、社長がお金を抜いてくれた。社長がいなければ、他の階を捜して、まだ購入出来る自販機を探して把握するように努めた。
後に、立体駐車場に降りる機会があった。缶ジュースや缶コーヒーの箱が、埃をかぶっているのを発見した。賞味期限が切れていたので支配人に相談すると、全て廃棄を命じられた。何日かかけて、夜明けにラウンジのシンクに全て流した。流石に、賞味期限切れのドリンクは、自販機には入れていなかったとは思う。
白川支配人が言った。
「だいたい、自販機そんなにいらないだろ」
社長は、どうも機械を自分で買い込むのが好きだったらしい。
そして仕事だけではなく、プライベートでも金をケチっていたようだ。
社長は元々、喘息か何かの呼吸器疾患を患っていたらしい。
ある日の朝、フロントに女性がやってきて、重たい酸素ボンベを置いていった。
病院も信用していないらしく、入院してもすぐに逃げ出すという。治療を受ける代わりに、ボンベを直接、製薬会社かどこかから仕入れていたらしい。
ボンベに細工をして吹き飛ばして、事故として処理出来ないだろうかと深夜に検索してみたが、いい方法が見つからなかった。
酸素ボンベはともかくとして、大型の機械は、処分費用もそれなりにかかるだろう。
どうせ減価償却期間を過ぎても使い潰すだろうし、資産価値もなければ、ただの粗大ゴミになる。そういったことまで、きちんと考えて購入しているのか謎だった。そもそも社長が、減価償却という概念を理解しているかどうかさえ怪しかった。
そういう訳で、ナイトには残業代は出さない、と言われていた。
そのため、朝の十時に仕事が終わると、即帰宅した。
チェックアウトの処理で忙しくても、後は奥田さんと西野さんの女性二人に任せて、職場を後にした。
サービス残業を強制されたりはしなかった。
ブラックといっても、我々非正規社員に対して、時間外労働を強制するようなことはなかった。
そもそも、従業員のシフト管理すら碌に出来ていなかった。
とある水曜日の朝だった。
朝食係が出勤していないことに気付いた。
仕方なく私が、よくわからないままに朝食の準備をして、朝食係の代理を務める羽目になった。
後で聞いた話では、朝食係の若者は、水曜日が定休日だったのだ。
レストランのシフト管理は誰がやっているのか。
一応は、沢登さんという年配の男性が担当だったらしい。レストランやサウナ支配人という肩書だった。
若い頃は、ツアコンなどをやっていたらしく、話すのが好きな面白い人だった。
蒲田支配人とつるんで、よくキャバクラなどに行っていたらしい。
毎日、会長や社長にガミガミ言われて、バックヤードで白川支配人に愚痴を言ったりしていた。
しかし、シフト表を作成しようという発想はなかったらしい。どうもその年代だと、PCの操作にも疎かったようだ。
その朝のことは彼にも報告したが、翌週も同じ状態だった。そのうちに朝食係として、アルバイトの若い女性が加わり、誰もいないという状態は解消された。フロントでシフトを作成してあげればいいのではないか、とも思ったが、誰も何も言い出さなかった。それが可能だったかどうかも疑わしい。
最初に私が組んでいたのは、稲葉さんという四十代の男性だった。
他のホテルでも経験があるらしく、頼りになる人だった。
ナイトのシフトは彼が作成していた。
ある夕方に、私がフロントからバックヤードを覗くと、社長が彼と話していた。
どういう経緯か不明だが、稲葉さんが作ったシフト表を見ていた。
「これ誰が作ったの」
「私ですけど」
稲葉さんが言った。
「何で、勝手にこんなもの作ってんだ」
沈黙が流れた。
「何だ、こんなもん」
その場で、ビリビリに破り捨てた。床に紙片が散らばった。
シフト表のファイルは、一応PC内に存在していた。しかし稲葉さんは、より見やすいものを独自に作っていたらしい。
社長が去ると、稲葉さんが言った。
「びっくりしたでしょ」
シフトの作成自体に怒っている訳ではなく、独自のシフト表を勝手に作ったことが問題らしかった。もし朝食係のシフトを見つけたら、同様の結果になったであろう。本人は自身の力を誇示したつもりなのかも知れないが、想像を絶するアホだった。
通常のシフト管理すら出来ない経営者に、サービス残業を強制することは出来ないだろう。長時間労働を強制することすら出来ない程の無能だった。
しかし本人が意図せずとも、定時できっちり上がれても、会社と労働環境は充分にブラックと化していた。
通常の業務は、明らかに人手が足りなくて回らず、クレームは多いし、管理も杜撰で、常識レベルのことが出来ていなかった。
最早、経営と呼べるレベルでもなかった。
会長の方も、社長に負けず劣らずだった。
会長は、女性らしくと言うべきか、飲食の方には関心を寄せていた。
朝食ビュッフェの話になった時にも、『お客さんにはたくさん食べてもらいたい』というようなことをよく言っていたらしい。
しかし、その意識に実態が伴っていなかった。
ある日、パーキングの入り口にいると、会社のバンが滑り込んできた。
会長が助手席から降りてくると、ドライバーに毒づいて去って行った。運転していたのは沢登さんだった。
沢登さんがバンの後部ドアを開けると、冷凍食品がむき出しのままで満載されていた。フライドポテトの袋が地面に滑り落ちた。
どうも、業務スーパーかどこかで、会長が直々にまとめ買いをして調達しているようだった。
普通なら近所のスーパーとか業者から、毎日きちんと計画的に仕入れるものであろう。
しかし会長は、自分で調達した方が安いと思っていたようだった。
ところが、後に知ったところでは、その多くは無駄となっていた。
厨房の冷蔵庫には、賞味期限切れの冷凍食品が溜まっていたらしい。
沢登さんが、調理人と対応を協議していた。
会長に知れたら、自身の非常識は棚に上げて、またギャアギャア言い出すことは必定だった。
結局、密かに廃棄したらしい。流石に賞味期限切れの食材は使っていなかったと思う。経営者二人も、そこまで強要はしなかっただろうし、下の人間も、幾ら何でもそれは止めていたはずだ。
更に、こんなこともあった。
ある日、一階の通路の角で工事が始まった。
バーカウンターを設置するらしかった。
会長の『計画』では、そこでコーヒーを出して、スタバとか、ドトールみたいなカフェにするつもりだったらしい。
しかし、一杯数百円のコーヒーを一日何杯出せば利益になるのか。通路にはテーブルが二組ほど置いてあったが、そこだけでは到底賄いきれない。テイクアウトもたかが知れている。アルバイト一人分の給料もペイ出来なかったであろう。そうした計算をする者は誰もいなかった。
出来上がったカウンターも、エベレストのクレバス並みの隙間が開いており、とても営業出来るような状況ではなかった。結局、カウンターの中は物置と化した。
「あんたら、言われたこともちゃんと出来ないじゃない」
ラウンジで、蒲田さん他数名の男たちが、吊るし上げを喰らった。
恐らく、皆最初から反対してはいたのであろう。
しかし会長は、他人の話を聞けるような人間ではなかった。
誰かがまともな、極めて常識レベルの進言をしても無駄であったに違いない。
そもそも会社には、系図に描けるような組織も存在していなかった。
誰に何の権限があって、誰が何をどう決定しているのか、さっぱりわからなかった。
会社の意思決定は、会長の気分による即断即決だった。
そして、後から社長が反対して、グダグダになるというパターンだったらしい。勿論その逆も然りだった。
しかし、経営者がまともでも会社が存続するとは限らない。
近所にあった、とあるホテルチェーンの店舗が閉館した。
理由は賃貸契約の終了だった。
どういった経緯かはわからないが、そこの社員四名を、ホテルで引き取ることになった。
四十代の男性、三十代の男性、二十代の男性そして二十代の女性で、いずれも正社員だった。
その地域には、ホテルが加入する組合があった。
しかし、我々のホテルだけは加入していなかったらしい。
それにもかかわらず、こういった時だけは、頼まれて断らないらしかった。
経営状態が思わしくないにもかかわらず、四名も正社員を一括採用するとは、豪気な話だった。要するに、何も考えていないのだった。受け入れを決めたのは会長のようだった
元々人手が足りなかったので、私としては、まともな人材が入社してくれるのは大歓迎だった。
しかし、問題が生じた。
四十代の男性も支配人として入社してきた。
支配人が二人もいてどうするのよ。
会長が言ったらしい。
「総支配人と客室支配人でいいじゃない」
そういうところだけは即断即決だった。
移籍組の四人は、元々事務系の社員だったらしく、最初はバックヤードで悶々としていたが、そのうちにフロントにも出るようになった。
花田『客室支配人』も、そもそも支配人としての経験がないにもかかわらず、意欲的に仕事に取組み始めた。
白川『総支配人』とは違って、会長にも好かれたようだった。
新しいエージェント(旅行代理店)と契約し、韓国や台湾の団体客が押し寄せるようになった。
朝食の会場も変更された。
流石に、本館から新館の最上階まで食材を運ぶことが問題となったらしかった。
結局、一階のラウンジが会場となった。
危険な食材運搬からは解放された。
二十代の若者は今井君といった。
彼の発案で、インターネット予約サイトと契約し、レストランでの貸会議室も始めた。
そして、コーヒーの納入業者が変更になった。
前のコーヒーは会長が選んだらしく、やや甘味があって旨かった。
この当時は、私もまだカフェインを絶っておらず、仕事中に飲むことがあった。
そのため、夜勤の不規則さとも相まって、体調はガタガタで鬱状態が続いていた。
私のことはともかくとして、新しいコーヒーは酸味が強く、はっきり言って不味かった。何故、わざわざこんなクソ不味いコーヒーに変更したのか謎だった。
白川総支配人が言った。
「あいつ、業者から金貰ってるだろ」
夕方にはその業者から、花田『客室支配人』あてに、度々電話が入った。
523号室はしょぼい四人部屋だったが、当時は倉庫と化していた。
ある夜中に、目的は忘れたがその部屋に入った。
電気を点けると、部屋の奥で何かがもぞもぞと動いた。
よく見ると、営繕の袴田さんが、ホテルの薄っぺらいガウンを着て寝ていた。
具体的に何を担当していたのかは知らない。電気か、内装か、水道か。
後で聞いた話では、業者に金を払えずに逃げ回っているということだった。
その時点では、ギャンブルか何かで、自身で使い込むとかしたのであろうと思っていた。
ところが、そうではないことが判明した。
ある夜。移籍組の久下さんとシフトに入っていた。
電話がかかってきた。
無言電話、ガチャ切り、金を返せとの恫喝、予約すると言ってしない。『やっぱやーめた』、ガチャ。
そうしたことが、しばらく続いた。
その時は、たまたま会長と社長がラウンジにいた。
会長の許にも電話がかかってきたらしい。これからそちらに行く。
やってきたのは、ややヤンチャな風貌の男性だった。どうも、工事業者か何かに代金を払っていなかったらしい。
話し合いの末、男性は帰って行った。恐らく、支払いに同意したのであろう。
普段からイキっている割には、会長も社長も随分としおらしくしていた。
後で白川総支配人に聞いたところでは、そうした不払いがよくあったらしい。
踏み倒せる金は、難癖をつけて踏み倒す方針だったようだ。
付近の業者は、既に寄り付かなくなっており、仙台の業者に仕事を依頼し、不払いで泣き寝入りさせたこともあったそうだ。
そしてどうやら、銀行にすら返済を渋っていたようだった。
今井君が導入した、予約サイト経由での宿泊が増加していた。
お客さんは、出張のビジネスマンが多かった。
ところが、社長からお触れが出た。
ネット予約の客にはカードを切るな。支払いは現金のみにしろ。
どうも、銀行の口座にお金が入っても、銀行への返済で全て持ってかれてしまうという理由だったらしい。
しかし、何泊分もの支払いを現金で要求するのは憚られた。現金がないと言われればカードを切るしかない。私は知らんぷりでカード決済を続けた。社長からは特に何も言われなかった。
どうりで、給料の支払いが現金な訳だった。確かにでかい入金機も必要だったのかもしれない。
この頃は、携帯電話が既に当たり前となっていた。
充電器を貸してほしいと、フロントにやってくるお客様が増えていた。
白川総支配人が、ロビーに有料の充電器を設置した。
ある夜、社長がラウンジに我々を呼んだ。
その時は、白川総支配人、私とナイトの後輩、そして移籍組の女の子がいた。
四人を前に立たせて、社長が言った。
あれは誰が置いたの。
あれとは言うまでもなく、充電器のことだった。
しかし、我々が契約社員の分際でそんなことをするはずがなかった。移籍組の杉田さんも同様だった。
白川総支配人が、自分がやったと言った。
「お前何で、勝手にそんなことやってんだ」
社長がマイルドにキレた。
「お前、辞めるか」
「いいですよ。じゃあ辞めますよ」
「おう、辞めろ辞めろ」
その場で、辞めた。
「じゃあ、後は頼むよ」
そう言い残して、彼はホテルを去った。
その後、充電器は消え、お客様には忘れ物の充電ケーブルを貸し出す羽目になった。
数日後に出勤すると、花田『支配人』が言った。
「白川さん辞めちゃったよ」
目の前で見たから、そんなことは既に知っていた。
そういう状態だったので、クレームやらトラブルも多かった。
普段は適当にやり過ごすしかなかった。しかし、自分たちで解決出来ない場合は、支配人に対応してもらうしかなかった。
ある夜、長期の予約が入っていた。シングル一名様で、期間は一カ月だった。
宿泊料は、チェックイン時に二週間分お支払い頂くことになっていると、奥田さんに聞いていた。しかし、その日の内には現れなかった。
夜中に、フロントのベルが鳴った。
ちなみに多くのホテルでは、夜中は玄関を閉めることが多い。しかし、我々のホテルでは、そうした配慮は一切なかった。
三十代くらいの男性が、フロントの前に立っていた。
ノーネクタイで黒いスーツを着ていた。普通のビジネスマンに見えた。
しかし、最初から険悪な空気を漂わせていた。その時は、時間も時間なので仕方ないと思った。
チェックインの手続きをした。
申し送りの通り、二週間分のお部屋代を請求した。
ところが、彼が言った。
「何で今払わないといけないの」
何でもへったくれも、ただで部屋に通すホテルがある訳ないだろ。
本来なら、宿泊料は預り金として、全額をチェックイン時にお支払いして頂くことになっていた。しかし、今回は長期の滞在なので、取り敢えず二週間分ということになっている、と聞いていた。しかし、話が通じていないようだった。こちらに非がある場合もなくはないが、その時はそうではなかったと思う。
協議の末、取り敢えず一泊分をお預かりすることになった。
財布から一万円札を出すと、フロントにひらりと投げた。
不機嫌で不遜で尊大な態度だった。敬語も碌に使えないらしかった。
その日から毎日、朝十時過ぎにはホテルを出ていたらしい。
そして夜中に帰館し、不機嫌で不遜で尊大な態度で一万円札をフロントに放り投げ、カードキーを受け取って、部屋に上がった。
その内に、メイクさんたちに噂を聞いた。
彼は某牛丼チェーンの社員らしい。
しかし、私には全く合点がいかなかった。
何故、牛丼店の社員だか店長だかが、朝十時にホテルを出て、夜中の二時三時に帰ってくるのか。
何故、ノーネクタイとはいえ、黒いスーツに身を包んで出勤するのか。
何故、こんなクソ安い、マイナス五つ星のホテルに一カ月も連泊する必要があるのか。
何故、こんなクソ安い、マイナス五つ星のホテルで、クソ尊大なクソ感じ悪い態度を取っているのか。
牛丼店というのは偽装で、実は何か、非合法の活動でもしている人物なのではないか。
つい最近まで、私はそう信じていた。
彼が滞在して二週間ほど経ったある日の夜中、いつも通りに彼が帰館した。
フロントで、一万円札をひらりと投げた。
にこやかにカードキーをお渡しすると、彼はエレベーターに向かった。
バックヤードのPCで掲示板を見ているとベルが鳴った。
仕方なく出ていくと、今部屋に引き上げたばかりの彼がいた。
いきなりキレていた。
事情を伺った。
封筒に入れて、テーブルの上に置いてあった十万円がなくなっている。
取り敢えず確認します、としか言い様がなかった。
これは困ったことになった、と思った。
支配人に電話した。
夜明けの四時だというのに、こころよく電話に出てくれた。
元々、そのように言われていた。何かあったらすぐに電話すること。
事情を説明して言った。
「明日、ちょっと早く来れませんかね」
支配人が了解して通話を終えた。
朝になると、メイク担当の男性社員が出勤してきた。
彼に事情を説明した。
メイク業者の、リーダーのおばちゃんにも事情を説明した。
彼らが、昨日の担当だったパートさんたちに事情を聞いたらしい。
彼女らは、何も知らないと言っていると言った。
こちとら契約社員なので、それ以上は何も出来ない。するつもりもなかった。
支配人が出勤してきた。
流石にその日の朝は、十時前に出勤してくれた。いつもはチェックアウトの時間が過ぎてから出勤しているらしかった。
仰っていた通り、十時過ぎに彼は降りてきた。バックヤードから支配人を呼んだ。
「盗難の可能性が御座いますので、私どもとしては、警察に通報することをお勧めします」
それしか言い様がなかったろう。しかし、彼は納得しなかった。
「もういい。じゃあ出てく。チェックアウトして」
その場で、チェックアウトの手続きをした。正直言ってホッとした。
今でも考える。
結局、あの盗難騒動は何だったのか。
幾ら五流ホテルとはいえ、ドアはオートロックである。ドアは独りでに閉まり、ロックされるはずである。
そして、昼にはメイクが入っている。
メイクさんが盗んだのか。メイクは通常二人一組で行う。そして、警察の捜査が入れば真っ先に疑われる。そんなリスキーな行為をするとも思えない。
間違って処分した可能性もある。
しかし、滞在客の持ち物は、極力触れないのが鉄則である。テーブルに置いてあるものをいじるとも思えない。
或いは、第三者が侵入したのか。
ホテルというのは、誰でも入ろうと思えば入れる。しかし、客室となると話は別である。
事情を知っている誰かが、その十万円を狙って侵入したのか。
しかし、誰がそんなことを知っているというのか。
知っているとすれば、彼の身近な人物ということになる。
カードキーはフロントにあった。
ホテルのドアキーを破れる人物が、たまたま近くにいたのか。
或いは、たまたまドアが開いていて、たまたまそこに侵入して、たまたまテーブル上に置いてあった現金を持ち去ったということであろうか。
真相は結局わからない。
そして何故、彼は警察へ届け出なかったのか。
十万円といえば大層な額である。ベローチェで、コーヒーが五百杯以上飲める。
当時は、何か後ろ暗いところがあってのことだと思っていた。
牛丼チェーン社員というのは偽装で、本当は犯罪か何かに関わっていたのではないか。
ホテルを辞めてからも、長いことそう信じていた。
そしてつい最近まで忘れていた。
しかし、ブラック企業をめぐる様々な実態が明らかとなった最近になって、思い出した。そういえば、こんな事件があったな。
その今なら、信じることが出来る。
彼は本当に、牛丼店の店長か何かだったのであろう。今頃は会社で、もっと上の地位に昇り詰めているに違いない。
そして彼には時間がなかったのだ。
警察で事情聴取に時間を取られるくらいなら、仕事をしたかったのだ。
その牛丼チェーンに社員旅行があるのかどうかは、定かではない。
しかし、ホテルにはあった。
元々予定になかったらしいが、どこからともなく話が持ち上がり、急遽、バスで鬼怒川へ一泊で行くことになったらしい。
当日の朝、会長は帽子を被り、メイクをバッチリ決めて降りてきた。
ラブホのおばちゃんたちと、ラブホの男性社員たちがご相伴した。
私の知る限り、その年二回目の社員旅行だった。
古参のラブホ社員たちは、皆仲良しだった。
しかし、ホテルフロントや事務は入れ替わりが激しかった。
今井君と久下さんは、二人して都内の他のホテルに転職した。
最後に今井君が言った。
「だって、給料を給料日に貰ったことがないんですよ」
移籍組だけ、他の社員とは別に給料を渡していたらしい。しかも、十五日を過ぎてから、改めて社長を捉まえなければならなかった。
理由は不明だ。自身の力を誇示したかったのかもしれない。
そして、杉田さんも辞めた。
その頃にはナイトの契約社員も、半数以上が入れ替わっていた。移籍組で残ったのは花田支配人だけだった。しかし元々なのか、ホテルに染まってきたのか、意味不明の行動に走り出した。
ホテルの壁に、ネオンの看板が新しく設置された。そこにはこうあった。『一品300円』。
どうも、ラウンジを利用して、激安飲み屋を始めたらしかった。しかも、二十四時間営業となっていた。テーブルには新しくメニューが設置された。
その頃、ラウンジにはウェイターが一人いた。しかし、夕方以降はほとんど仕事がなかった。例によってシフトが適当だったため、いたりいなかったりした。当然の如く、夜にはいなかった。
ある夜、カップルのお客さんが来店した。ウェイターはおらず、私が対応する羽目になった。ナイトの我々は、そもそも何のブリーフィングも受けていなかった。
注文を取ったが、インターフォンで厨房に伝えると、あれはない、これも出来ないという答えが返ってきた。どうも、食材がなかったらしい。半分以上のメニューはNGだった。
「じゃあ、どれなら出来るの」
男性客が言った。
その後、フロントの奥の電源盤で、看板のスイッチを発見した。ウェイターが帰った後に電源を切るようにした。
更に、こんなこともあった。
ある日、大浴場の工事が始まった。女性用の大浴場を新設するらしかった。
ところが『オープン日』になっても、工事は終わらなかった。それがわかっていながら平気でフロントに張り紙を掲示し、自社サイトや予約サイトにも掲載した。
朝のチェックアウト時に、女性のお客さんにクレームを受けた。
大浴場を目当てに来たのに、まだオープンしていなかった。何か他のサービスで埋め合わせをしてほしい。
しかし、代替出来るようなサービスなど存在しなかった。
どうもその女性はライターで、ホテルか温泉の記事でも書いているようだった。その後、どこかでホテルことを書いたのか、定かではない。
尤も、今ではプロのライターでなくとも、ネットに自由に書き込むことが出来る。
予約サイトのレヴューには、クレームのコメントが並んでいた。
ある夜、契約しているエージョントから発行されているレポートを見た。
我々の地域のホテルが百点満点で評価されていた。
他のホテルは、九十点前後に集中していた。
ところが、我々のホテルは一軒だけ六十点だった。逆に驚異的な数字だった。
こういった評価を、経営陣は把握していなかったであろう。
クソくだらない社員旅行には金を出すくせに、必要なところには金が回っていなかった。
とうとう会長が、外注していたメイクを自分たちでやると言い出した。
リーダーのおばちゃんは、自分の自由に出来るという条件で移籍を承諾した。
そのせいか、私が辞める時までメイクはきちんと機能していたようだった。彼女と男性社員がまだ会社にいるのかは、定かではない。
花田支配人が、フロントの前に小型のロッカーを設置すると、社長が鍵を全て回収してしまった。何かあったら責任が持てないとか言っていた。恐らく、自分に話を通さなかったのが気に食わなかったのであろう。ロッカーの費用が無駄になることは気にしないらしかった。
社長は社長で、無駄金を使っていたらしい。
ある日、出勤すると、ジャージを着た社員の一人が、本館のエレベーターから降りてきた。手には刺身を盛り付けた大皿を持っていた。そのまま新館へと向かった。ワゴンくらい使えばいいのに。
花田支配人までが、白いコックコートに身を包み、食材を運んでいた。厨房の手伝いをしていたらしい。彼は調理師免許を持っていると後で聞いた。
どうも、新館最上階のレストランで、保守系の都議会議員の集会が開かれていたらしい。
レストランは、その時既に通常の営業はしていなかった。朝食会場も一階に変更されていた。受験生パックの夕食会場となる以外に、使用されることは稀だった。
社長は明らかにはしゃいでいた。集会が終わると、フロント前で、その都議会議員と、芝居がかった握手を交わした。
その都議会議員とは仲良しだったらしい。少なくとも、自分ではそう思っていた。恐らく献金もしていたのであろう。そして、自分のホテルを使うようにゴリ押ししたのに違いない。でなければ向こうから言い出すはずはなかった。何か後ろ暗いところがあって、もみ消しでもしてもらっていたのかもしれない。
借金まみれのマイナス五つ星ホテルの分際で、経営能力どころか一般常識の観念すらないアホだったが、そういったところだけは格好つけたがるようだった。
その集会の時は無関係だったが、その後、こちらも付き合わされる羽目になった。
元旦の朝に勤務を終えようとすると、花田支配人が言った。
これからちょっと成田山新勝寺まで行かないか。
その都議会議員が列車を借り切って、支持者と一緒に初詣に行くらしかった。ホテルから、蒲田支配人や営繕など、十名近くが参加させられた。この人数だと、ちょっとした付き合いというレベルではなかった。本気で入れ込んでいたようだった。都議会議員と仲良しということで悦に入っていたのであろう。
特急の座席では、営繕の袴田さんと隣になった。昨年の逃亡劇のことを聞いた。
「おばあちゃんが悪いんだよ」
会長のことを、皆おばあちゃんと言っているらしかった。
その時に支払いを渋っていたのは、社長ではなく会長のようだった。
現地に着くと初詣をして、お茶屋の二階座敷で休憩した。
そこに一人、見知らぬ若者がいた。どうも、調理油を納入している業者の営業マンだったらしい。正月から駆り出されるとはいい迷惑だったろう。
誰かが言った。
「油売ってんじゃないの」
そこで、碌に話したこともないジャージ姿の親爺どもと、碌に話もせずに過ごした。
ちょっと見物に出歩いて、という発想はその時はなかった。他の人々も同様だったらしい。神聖な場所のはずだったが、まるで地獄だった。
ある日の朝のことだった。
支配人が電話を切ると言った。会長が牛乳をご所望である、レストランまで持って行け。
ラウンジでグラスに牛乳を注いで、別館の最上階に上がった。
レストランでは会議の最中らしかった。
会長の周囲を、蒲田支配人を始め、ラブホの社員やら営繕の男たちが二十名ほどで取り囲んでいた。
会長の前にグラスを置いた。
会長は何やらまくし立てていた。大の男たちが揃いも揃って、しおらしく拝聴していた。
恐らく、いつもそのような調子だったのであろう。
程なくして、私はそのホテルを辞めた。
その後は長いこと、ホテルに近づいたことはなかった。
しかし最近になって、ちょっと終電を逃したため、ホテルの近所のカプセルホテルに泊まってみようと思い立った。
そこのフロントにいたのは、何と社員の山川さんだった。
転職したのかと思いきや、カプセルホテル自体がホテルの傘下にあるという。
ホテルの方は相変わらず。会長も存命、社長は既に亡くなった。
実は、社長が亡くなったことは既に知っていた。理由はまた別の機会に述べよう。
カプセルのテレビは映らなかった。古いタイプのブラウン管テレビで、どうも地デジには対応していないようだった。
テレビはカプセルに組み込まれているため、テレビを変えようと思ったらカプセルごと変えなくてはならないのであろう。
前のオーナーはそれが面倒で、会社を手放したのではあるまいか。
そして申し出を受けて、また何も考えずに、会長が買収だか譲渡だかを承諾して、自分のものにしてしまったのではないだろうか。
大浴場は立派だったが、やはりぬるぬるしていた。脱衣所は散らかり、タオルが干されていた。
翌朝、ちょっとホテルの前を通ってみた。
ホテルはまだ、しぶとく生き残っているようだった。
しかし、パーキングの入り口は物置と化していた。恐らく費用の問題で、メンテとか修理は断念したのであろう。巨大な設備が、地下で放置されたままになっているようだった。
他にもホテル内で、あの人とあの人の声が響き渡っているとか、あの人とあの人が不倫しているとか、ヤクザが銃撃戦をおっ始めたりとか、いかれた作家が斧を振り回したりとか、一九六九年産のワインがなかったりとか、クマが暴れたりとか、楽しい話がまだまだたくさんあるのだが、それはまた次の機会に紹介したい。
社長が自己愛性PDであったかどうかは不明である。猜疑性PDということも考えられる。会長は、誤解を恐れずに言えば、ダメな女性経営者によくいるタイプであろう。読者の皆さんも心当たりがたくさんあるはずだ。二人とも、自身の能力を弁えていないという点が一番の問題だと思う。そして、他人の話を聞かないし、常識レベルで話が通じない。順法意識も薄い。会長は、その時の気分と感情で重要な判断を即断即決する。最早経営能力以前の問題だった。
ホテルというのは、ハコさえ造ってしまえば、存続させるだけなら難しくないのかもしれない。しかし立派な外観の内側は、完全に腐りきっている。普通なら、そこまで放置せずに撤退することを考えるだろう。
そのような状態で、会社を存続させているのは、案外有能なのかもしれない。或いは、最早撤退すら出来ない程の無能なのか。読者の皆さんは、どう思いますか。
会長が死んだらどのような事態になるのか、想像もつかない。
相続は、融資は、業者への支払いは、建物の解体費用は捻出出来るのか、息子やジャージ姿の社員たちに対処出来るのか。その時、都内の繁華街の一角がゴーストタウンと化すかもしれない。
しかし、そのような事態にはならないような気がする。
実は、彼女は魔女なのだ。恐らく後百年は生きるであろう。そして、我々が死んだ後も、ホテルと彼女は生き続けるのだ。
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