第十章 第二の男

 最近の若者は、飲み会が嫌いだという。恋愛、自動車、クリスマス、ギャンブル、野球、サッカー、煙草、セックス、ドラッグ、ロックンロールなどに連なり、若者の『飲み会離れ』などとも言われ、当の若者たちに加えて、飲ミュニケーション肯定派の年配の連中やら、どこかの識者だか専門家だかが、メディアとかネットの一角で、原因やら背景を議論、分析している。

 しかし何を隠そう、私は二十年前からそんなもの好きではなかった。

 避けられるものなら避けていたが、付き合わざるを得ない時も多々ある。

 逆に、飲み会が好きな人たちは、何故それが好きなのか、その理由については、あまり触れられていないような気がする。


 今までみてきたように、成見、そして第三の男は、飲み会大好きだった。

 そしてこれから登場する第二の男も、飲み会が好きだった。

 一体、飲み会とは何なのか。酒宴の席に何があるのか。何が人々を惹きつけるのか。それはアルコールの魔力か、それともアルコールによって炙り出される、人間の心の闇か。自己愛性パーソナリティ障害と何の関係があるのか。これから読み進んでいただければ、全てが明らかとなるであろう。

 とは言うものの、かなり昔のことなので、時系列など、正確性に欠けることもあるかもしれない。記憶だけを頼りに、なるべく正確を期するように努めるが、詳細の不確かさについては見逃して頂きたい。


 もう二十代も終わろうかという頃、私はアルバイトをしていた。

 職場は大手出版取次の某社だった。『取次』とは何か。出版流通においては、所謂、卸売問屋のことを取次という。出版社から本を仕入れ、本屋さんに配本するのが主な業務だ。そして、売れない本を大量に書店に送り付けたり、箱も空けずに送り返されてきた返本の山を処理したりしている。私はといえば、都内にある本社建屋内の流通ラインで、全国の書店に送る書籍を、起票して梱包するという業務に従事していた。

 仕事の内容は、軽作業という名の重労働だった。

 作業は、自動起票何とかというマシンを使用した。コンベアとコロコンに、センサーとコンピューターを搭載した代物で、全長は卓球コート二つ分くらいだった。操作は四人一組で行う。彼らは、ソーターと呼ばれた。更に、各ラインには端末が接続されており、そこにもう一名、起票者がいる。

 ごく簡単に説明すると、一番がコロコン上のバスケットから本を出して、テーブルに積み上げて、二番に渡す。言うまでもなく本というのは重い。賽の河原で石でも積んでいた方がまだマシ、といった状態だった。二番はコンベアに本を一冊ずつ投入していく。センサーとカメラが裏表紙のISBNコードを読み取る。コンベアの端で、三番が流れてきた本を拾い上げ、四番に渡す。四番は適切な大きさの段ボール箱に本をパズルのように詰めていく。五番目の起票者が、端末で伝票を発行して段ボール箱に添付する。その段ボール箱がローラーコンベア上を流れていき、梱包されて、全国の書店へと発送されるという訳だ。

 自動起票何とかは当時、社内に二十一台あり、地下、二階、四階に設置されていた。最初に私が配属されたのは、四階の七号機だった。

 時給は九百円にも満たなかった。

 広いフロアには本棚が並び、ローラーコンベアが縦横無尽に這い回っていた。その間でたくさんの人々が、本を抱えてうろ付いていた。作業着の社員以上に、私服のアルバイトが多かった。

 基本的に誰でも採用するため、若者から年配の者まで年齢は様々だったが、何せ時給が安かったので、小綺麗な身なりの者は少なかった。フロア全体がどことなく埃っぽかったが、それは人間も同様だった。


 流石に三十前にして、この地の底のような底辺にいるのはまずいのではないかと思った。何とか抜け出さなくてはならないと思ってはいたのだが、体調が良くならない限りはどうしようもなかった。

 この頃はまだ、朝昼晩と何らかの形で、カフェインを摂取していた。そのせいで、ひどい慢性疲労と鬱状態に悩まされていた。しかし、カフェインが原因とは全く認識がなかったので、取り敢えず、快方するまで待つとしか考えられなかった。長年の不摂生と、放置された精神的葛藤と、性格の歪みを矯正するのに、一朝一夕ではどうにもならなかったであろう。

 それに加えて、三時間の残業があった。時期にもよるが、忙しい時は月曜日から金曜日まで、毎日残業ということもあった。

 昼前になると、社員が食券を配りながらラインを回った。残業がある時は、そこで『お願い』される。普通に断ってもしつこく食い下がってくるため、本当に何か用がある時以外は、面倒くさいので同意することになる。任意という名の強制だった。それに時給も安かったので、残業代を稼ぐ必要があった。当時は、残業だの長時間労働だの、そういったことに対する意識は皆無だった。文句を言い合ってはいたが、流石にこれ以上はないというくらいの底辺労働だから仕方ない、こんなところに落ち込んでしまう自分が悪い、と思っていた。

 最初だけは律儀に出勤していたが、流石に疲れて休むようになった。休む時は、朝会社に電話を入れることになっていた。一応休まずに出勤しなければいけない、という建前になってはいたが、元々日雇いからスタートした職場のせいか、その辺りの考え方は極めて緩かった。連続して休んだりしない限りは、電話さえ入れれば休んでもオーケー、といった感覚だった。

 しかし、そのうちに休みの連絡もしづらくなって、無断欠勤するようになった。週一か、酷い時には週二で無断欠勤するという有様だった。

 普通ならクビになるところだろうが、現場の責任者である杉田さんに気に入られていたためか、黙認された。

 そのような仕事が、アルバイトとはいえ存在するのか、と思われるかもしれないが、実際に存在した。

 肉体的にも精神的にも常にギリギリ、というか限界を超えた状態だったため、クビになって放り出されずに済んだのは、大変にありがたいことだと、今でも思う。或いは、その時に生活保護の申請でもしていれば通ったのかもしれない。当時はまだ、現在ほど問題になっていなかったので、もう少し上手く立ち回れば、イージーモードの人生を送れたかもしれなかった。ところがその時は、残念なことにそのような知識は全くなかった。


 入社して一カ月経ったある朝、一人の男が私に話しかけてきた。歳は二十代前半だった。短く刈り込んだ髪に、固太りの体躯、小さな目。その日に入社したらしく、フロアを徘徊していたところを私に話しかけてきたらしい。まだ朝礼前で、新人は事務所前の休憩所付近で待機することになっていた。

 朝礼で、杉田さんに紹介された。名前は三井君と言った。彼は私の隣の隣の五号機に配属された。

 それ以来、休み時間などに彼と話すようになった。というより、三井君の方から話しかけてきた。

 しかし彼が第二の男という訳ではない。

 彼は都内出身で、大学を出たばかりだった。中学校の教職免許を持っており、実習にも参加したらしいが、そのまま教師にはならず、就職もせずにフリーターとなった。

 アニメやらゲームが好きで、かなりハイレベルのオタク野郎だった。そして、オタク話のみならず、競馬やらパチンコも嗜み、J―POPのCDを買い漁り、映画館に通い、ミステリーやラノベを読み、格闘技にも詳しく、酒やら焼酎の銘柄もよく知っていた。

 コミュ障という訳でもなく、常にヘラヘラと誰彼構わず話しかけ、相手が受け入れればそのまま仲良くなった。そして拒絶されると、あからさまに傷ついた表情ですごすごと引き下がった。どうも、一人でじっとして黙っていられない性分のようだった。無理してリア充的にテンションを上げているのでは、と思う場面も多々あった。

 多趣味にしても、話題作りとか、マチズモに対するコンプレックスが原因のような気もしないでもない。一部では受け入れられたが、一部では反感を持つ者もいた。明らかに悪目立ちしていた。夜遅くまで起きて趣味に没頭しているらしく、あまり寝ていなかったらしい。睡眠時間は四時間くらいと聞いたことがある。

 五号機は、リーダー格の白石さんの人柄のおかげか、雰囲気がよく、皆仲が良かった。仕事中でも笑い声が絶えなかった。よく歓声が七号機まで聞こえた。私が三番をやりながらふと見ると、三井君は、投入の途中で三番のところに行って何か話しかけていた。

 三井君は、同じ五号機で起票をしていた瀬川さんという女の子とも仲良くなった。地味なネルシャツとジーンズが常にはち切れそうな、超絶ナイスバディの女の子だった。彼女も同人誌などを描いて、コミケに出品したりしていたらしい。会社の二階に彼氏がいて、その彼氏も同じ趣味だった。同人誌のサークルも一緒だったような気もするが、その辺ははっきり聞いた訳ではないので今では不明だ。流石に彼氏がいたせいか、或いは三井君の性癖なのか、恋仲になることはなかった。親密だったが、姉と弟のような空気だった。三井君の方が、かなり依存していたような気がする。休憩時間には、常に二人で漫画やアニメの本を片手に、キャッキャウフフと話をして盛り上がっていた。私がトイレから戻ってくると、三井君に呼び止められた。そして人を呼び止めておいて、また二人だけの世界に戻った。どうも、条件反射で人に話しかけているような感じだった。話に入ろうにも、クランプだのサクラ大戦だのメガテンだのエヴァだの犬夜叉だの何だのと、そういった話をされても、私が口を差し挟む余地は皆無だった。


 七号機の方も、誰も休まない限りはメンバーが固定していた。

 リーダー格の井置さん、岩永さんという三十代の女性、私の二週間後くらいに入った悠木君、そして私だった。しばらくはこの状態が続いた。私は悠木君と社食でランチを共にするようになった。悠木君の方も、三井君以上のシュプリームなオタク野郎で、ガンダムとボトムズが好きで、ギャルゲーのフィギアとプラモデルを作り、パソコンで絵を描き、エロ漫画家のアシのバイトをして、当時黎明期だったネットゲームを毎晩のようにプレイしていた。インターネットがまだ普及し始めた頃で、夜間の料金が安かったため、夜の十一時から朝までプレイして出勤するという生活を送っていた。彼のレベルに比べると、三井君の方が子ネコのように見えた。


 作業にはノルマもしっかり設定されていた。一時間あたり二千百冊で、機械には、一時間当たりの処理数と、作業時間あたりの累計を表にしたものが貼ってあった。

 私が入った当初、七号機においては、二千百冊達成出来れば御の字といった状態だった。二千三百でもいけば、今日はよくやったね、と労い合うくらいだった。

 この頃はまだ、『ノルマ以上に頑張ったところで意味ないじゃん』という、時給労働者としての正しい共通認識が職場全体に浸透していた。長い連中は流石に投入も速かったが、それはあくまで結果的にそうなっているだけであって、特に処理数を上げようとか、記録を出そうといった意図は皆無だった。


 しばらくして、また新人が入った。新人は常に入っていたが、この時に入ってきたのが真中君だった。彼が第二の男である。

 二十代、身長は私と同じくらいで体型はスリムだった。精悍な顔立ちでやや内斜視気味に見えた。彼は五号機に配属されると、三井君の指導を受けた。

 しばらくすると仕事も覚えたらしく、職場にも溶け込んだ。

 七号機からは、五号機で作業をしながらはしゃぐ真中君の姿が見えた。機械音に負けない笑い声が聞こえることもあった。

 特に機会もなかったので、個人的に話すこともなかった。しかし七号機において、三番と四番とで岩永さんと一緒に組むと、彼女が彼の情報を話してくれた。何故、岩永さんが彼についての詳細を知っていたかというと、五号機の白石さんと付き合っていたからである。休憩時間や昼休みには、常に二人で一緒にいて、職場でも公認の仲だった。

 彼女の話によると、真中君は北関東の出身で、元ヤンキーだった。しかもかなりディープでリアルなヤンキーで、毎晩のように抗争だの喧嘩だのに明け暮れていたらしい。東京に出てきて、ボクシングのジムに入門し、かなり上のランクまでいったということである。ボクシングをやめた後でホストになり、歌舞伎町の割と有名なクラブで、ナンバーツーになった。その後、紆余曲折を経て、現在の職場に辿り着いたということである。これらは全て本人談で、現在まで真偽のほどを確認した訳ではない。しかし、このレベルの表面的な経歴を、特に疑うべき理由もない。

 私はといえば、休みがちになっていたので、基本は七号機だったが、人のやり繰りに困るとフラフラとあちこちのマシンを彷徨う羽目になった。人がいない時は、ソーターが三人になることも多々あった。四階のみならず、二階や地下にまで派遣されることがあった。ところが、五号機はメンバーが安定していたせいか入る機会はなかった。正直、面倒くさそうなので、真中君に自分から話しかけようという気持ちはなかった。

 しかし、同じフロアで毎日仕事をしていると、話す機会も訪れるというものである。

 そして一度話をすると、それ以来、休憩時間などに、ちょこちょこと言葉を交わすようになった。

 内容は、そう大したものではなかったと思う。疲れたとか、同じフロアの誰がどうとかいった小さなことがネタだったのではないだろうか。

 私が感銘を受けたのは、やはり彼の態度である。

 さすが元ヤンというべきもので、常ににこやかだったが、自信に溢れ、余計な緊張感が漂っていた。その時はわからなかったが、今思い出してみると、こういう表現がぴったりである。すなわち『どことなく上から目線』。

 とある朝、ソーターと棚入れが全員、フロアの一角に集合させられた。

 部長さんだか誰だかが話し始めた。

 棚入れの誰かが、何日も無断欠勤して連絡がつかなかった。

 会社の人間が彼のアパートに行ったところ、首を吊っているのが発見された。

 何か悩みがあるのなら相談してほしい。同じ職場で、同じ釜の飯を食っている仲なのに、水臭いじゃないか。

 同じ職場とはいえ、部長さんと同じ釜の飯を喰えているとはとても思えなかったが、それはともかくとして、底辺フリーターにとって、これは全くの他人事ではなかった。生きていくのにギリギリの状態で、一歩踏み外せば奈落の底に落ちてしまうのは容易だった。いい歳になって、時給なんぼのアルバイト、正社員になれる見通しもない。人生終了したも同然だった。首を括りたくなるのも無理はない。

 私が入社して翌年の夏に、岩永さんが会社を辞めることになり、送別会を開くことになった。

 白石さん、岩永さん、三井君、瀬川さん、第二の男、そして私も巻き込まれた。岩永さんの送別会というからには、参加しない訳にはいかなかった。

 場所は、池袋のとある個人経営の居酒屋だった。

 会は和やかに進んだ。

 白石さんが、会社の怪談話をした。四階フロアの奥の階段あたりで、夜になると人影が……。

 更に、この間起こった自殺も、早速ネタにした。実はその人影は、その自殺したアルバイトの兄だった。

 真中君は震えあがった。そのテの話が、相当に苦手だと言った。

 酒が回ってくると、真中君が自分のことを語り始めた。

 そして最後の方は、彼の独演状態となった。

 ヤンキー時代は毎晩のようにケンカをしていた。足を刺されても、相手に向かっていった。ホスト時代は、ナンバーツーだった。ナンバーワンのあいつにだけは勝てなかった。投入も速くなったが、白石さんにだけは勝てない。オレは頑張っている、云々。

 その時は、まあこんなものだろうとあまり気にしなかった。このオレ様的なアピールも、実に元ヤンらしいとしか思わなかった。

 この年の九月十一日に、アメリカで同時多発テロが起きた。入社してちょうど一年が経とうとしていた。残業を終え、自分の部屋でテレビを点けると、ニューヨークの貿易センタービルの映像が延々と映し出されていた。翌日、職場で三井君や悠木君と多少そのことについて話したが、それだけだった。仕事も何もかも、その後も変わらない日常が続いた。

 貯金をはたいて、初めてパソコンを買ったのもこの頃だ。

 買う前に三井君に相談してみたが、有効な助言は何一つ得られなかった。

 デスクトップかノートか、国産か海外製か、プロバイダーはどこがいいのか。この時に初めて、人の話を碌に聞かない人間なのではないかと疑いを抱いた。或いは、私の話し方に問題があったのかもしれない。

 悠木君の方は、自作を勧めてきた。確かに自作の方が安上がりだったであろう。しかし、いきなりの自作はハードルが高かった。私はごく普通のレベルでパソコンを使いたいだけだった。

 結局、国産メーカーのノートパソコンを購入した。どうも、プリンターなるものも必要なのだと、後になって気付いた。更に後になって判明したことには、私が購入した直後にWindows XPが発売されていた。私が購入したPCのOSは、Windows Meだった。


 三井君と真中君は、相変わらず表面上は仲良くしていた。

 しかし、お互いに良く思っていないのは明らかだった。特に真中君は、私に対して三井君の悪口を言うようになった。三井君の方は、はっきりと陰口を言うようなことはなかった。しかし、特に賞賛もしなかった。彼の話題を避けているような気がした。

 それはそうだろう。ゴリゴリのオタク野郎と超絶元ヤン野郎とでは、そもそも水と油である。同じラインに入ったのが運のツキといったところだ。この点に関しては本当に同情する。

 ところが、飲み会をやる時だけは結束した。仕事をしながら何となく盛り上がると、多分に表層的なものに見えたが、それはともかくとして、二人仲良くまた幹事を請け負った。岩永さんの送別会に味をしめたのかもしれない。五号機周辺のメンバーに、アルバイトの女子音大生二人や他のラインのメンバーを加えて、池袋の個室居酒屋で飲んだ。


 その五号機では、元々処理数が多かったらしい。白石さんはベテランで、投入も速かった。三井君も負けず嫌いなのか無理していたのか知らないが、投入に集中するようになった。多動性注意欠陥障害の小一児童よろしく、投入の最中に、うろうろと三番に話しかけることも少なくなった。休憩時間や残業後には、処理数の話をよくするようになった。これが真中君の加入によるものなのか、自然な流れだったのかどうか、定かではない。

 職場では、人の出入りが激しかったので、その度にラインのメンバーも入れ替わった。

 私が入社してから一年も経つと、四階のメンバーも半分以上が入れ替わっていた。

 人が足りない時は、階をまたいで人員のやり取りをした。私のみならず、三井君も下に降りる時があった。

 そのせいという訳でもないのだろうが、三井君は、地下や二階の連中とも知り合いになっていた。

 私も、たまに他のフロアに行くので顔見知りになることはあったが、そこまで仲良くなった訳でもなかった。

 しかし、三井君がそういう連中と飲み会を開くとなると、何故か私まで誘われることになった。

 地下の野郎二人に、我々を加えた四名で、飯田橋の居酒屋で飲んだ。男だけの気楽な酒席は和やかに進んだ。支払いは三井君が全て持った。

 私はといえば、ウーロンハイを何杯も飲んだせいか、アルコールとカフェインで、ダルいのに覚醒しているという訳のわからない状態に陥った。強烈な頭痛で、帰りの電車内は立っているのがやっとだった。一緒に帰った二見さんは、相当に気を悪くしたようだった。

 そして、飲み会に誘ってきたのは三井君だけではなかった。

 真中君からも、飲み会に誘われた。

 土曜日の夜に、池袋の居酒屋で、女子音大生二人組と四人で飲んだ。流石に元ホストだけあって、女性に対する態度は自信に溢れていた。ホスト時代に、とある有名女優と飲んだ話をした。ホテルのバーで待ち合わせて、彼女は着飾って来てくれた。最後はやはり、彼のオレ様話が続いた。ヤンキー時代は、毎晩出歩いていた。父親が毎晩自分を探してくれていたらしい。当時は反抗していたけど、後でそれを知って、本当にありがたく思った。負けねえよ、かかってこいよ、相手になってやるよ。相当に酔っているようだった。流石に朝まではキツかった。

 後で、女子音大生の一人とラインで組んだ。

「何か、女優と飲んだとか言ってたよね」

「酔ってたんじゃないですか」

 そういうことか、と思った。私は半ば信じていた。彼女の方が冷静だった。

 そのうち、新人が五号機に入ると、真中君も一瞬だけ遊軍になった。そして、たまたま人がいなかった七号機に定着した。もしかしたら、私がいたからかもしれない。リーダーの井置さんも、実家に帰るとかで既に退職していた。

 私はこの頃も、基本は七号機であったが、週の半分以上は他に回されていた。

 七号機に入った時は真中君と組むことになった。三番と四番で話をした。というより、例によって彼が話した。

 ボクシングは、目をやられて引退した。確か網膜剥離だったと思う。ランキングにも入っていた。何位だったかは思い出せない。二位と言ったような気もするが、そこまで上位だったとも思えない。ホストをやめて起業した。アパレル関係だったらしい。小売りだかブランドだかは不明だが、恐らくショップでも開業したのであろう。何故それをやめたのか。ライバルに汚いやり方で潰された、というようなことを言っていた。流石に根掘り葉掘り聞くのはためらわれた。

 投入は速かった。そして彼の後ろで一番をやるのは、私か悠木君だった。岩永さんの後に入った女の子は一番をやっていなかった。

 内心、面倒くさいことになったと思った。私はフリーランスなのをいいことに、七号機をさりげなく避けるようになった。

 悠木君は、真中君に関して特に何も言わなかった。

 しかし隣のラインで真中君と組んだ悠木君を見ていると、自分がシャアにでもなったような気分になった。『謀ったな、シャア』『坊やだからさ』。

 年末になると、今度は忘年会だった。やはり三井君と真中君が幹事だった。八号機他のメンバーに、音大生二人組、地下の二見さんも加えて十名以上で飲んだ。

 当日、私は体調が悪く、会社から池袋に向かう地下鉄内で既にフラフラだった。

 二次会でカラオケに行くと言っていたが、私は逃げるようにその場を後にした。

「朝木さん、帰っちゃうんだもんな」

 翌週、七号機で一緒になると、真中君がからかうように言った。結局、朝までカラオケをしていたらしい。私がいなくても楽しそうで何よりだった。その時はかなりどうでもよかった。しかし今考えると、恐らくカラオケをしながら、私のことをボロクソに言っていたはずだ。


 四階と地下は、『小口』と言われる、個人書店向けのフロアだった。

 そのため、扱う本の種類がバラバラで、ピッキングや投入にも時間がかかっていた。

 二階は『大口』と呼ばれる、大型書店向けのフロアだった。

 そこでは、同じ本を大量に捌くことが多かった。

 コミックやベストセラーの作品を、一度に何百冊も通過させて、処理していた。

 当然、ラインの処理数も多かった。一時間当たり三千を超えることもあった。

 そしてどの階にも、投入のスピードを誇る人間がいた。

 そういう人間は、投入を率先してやる傾向があった。

 仕事中は、時間ごとにローテーションでポジションを回していた。

 定時間内だと、通常六回のポジションチェンジが行われる。

 朝から一番をやると、一日に二回、最もキツイ一番をやることになった。そして朝から投入をやると、最も楽な投入を二回やり、一番は一回だけで済んだ。

 自称、自分は速いと言っていた者たちは、たいていこれだった。二番の投入が速かった(きっとイクのも早かったのであろう)。しかし、その場合に最も負荷がかかるのは一番だった。ずっと二番ばかりやって、一番は人任せという者も中にはいた。そしてそういう人間とたまに組まされると、たいてい私が彼らの後ろ、つまり彼らの投入時に一番をやらされることになった。しかし私は謙虚なシゾイドなので、自慢したりはしない(イクのも早くはない、と思う)。

 処理数を上げるためには、こういった戦略も必要だったのかもしれない。

 私が割を喰うのも、投入が速くないので仕方ない、と言われればそれまでだ。

 しかし、投入をずっとやっていれば、そりゃ速くもなるであろう。

 私が入社した頃は、皆処理数など大して気にも留めていなかった。ところがこの頃になると、四階でも一部のラインで、必要以上に処理数にこだわる者が出てきた。

 もちろん真中君も、その一人だった。

 時給労働者としては、ダラダラ仕事をして残業をした方が、コストパフォーマンスは上昇する。処理数アップで、残業もなくなったとなると、頑張って仕事をした分だけ損ということになる。何故、そこまで単純時給労働に精を出すのか、当時は全く理解出来なかった。

 年が明けると、また皆で飲み会をやった。場所はお馴染みの、池袋の個室居酒屋だった。

 処理数の話で盛り上がると、真中君が言った。

「でも朝木さんもスゲーよな。付いてくるもんな」

 これは、彼が七号機に入って以来、よく言われていたことだった。

 どことなく上から目線に聞こえたが、気のせいだと思うことにした。まあ元ヤンだし、だいたいこんなものなのであろう。しかし今ならわかる。これは気のせいではない。

 その後、朝までカラオケをした。例によって、酔っているのに覚醒しているという矛盾した状況に陥った。眠ってしまえば楽だったとは思うが、結局帰っても碌に眠れなかった。恐らく、ウーロンハイとコークハイのせいであろう。


 真中君が七号機に定着すると、隣の八号機の人々とも、更に仲良くなった。表面上は。

 八号機は、私が入社した当初からメンバーが安定しており、みんな仲良しだった。

 リーダー格で、根本さんという四十代の女性、やはり四十代の浅野さん、そして私と同い年の中原君、我々の一つ下の片田君だった。

 浅野さんは長めの髪を後ろで縛り、髭を生やし、いつも古着のネルシャツやスウェットで身を固めていた。DJをしていたこともあるとかで、マニアックなジャズが好きだった。中原君も映画が好きで、劇団員の友人もいたらしい。片田君は当時、モー娘。に熱を上げていた。根本さんに関しては、実はよくわからないのだが、見た目からしてどこかのバンドのグルーピーにでもいそうな感じだった。いつも仕事をしながら、映画だの音楽だのドラマだのアイドルだの女子アナだのエロだのの話を楽しそうにしていた。会社一サブカルなラインだったのではないかと思う。

 そこに真中君が入ってきて、隣から茶々を入れるようになった。

 浅野さんが下ネタで返すと、超ハイテンションで大笑いして盛り上がっていた。

 ところが、私が気付いた時には、真中君が根本さんに絡むようになっていた。

 朝一で、二人して投入をやっていると、振り向いて根本さんの真似をした。

「NG二でーす」

 NGとは、コードを読み取れなかった本のことで、コンベアの途中で下に落ちるようになっている。投入者は、NG本の数を画面で確認し、三番に告げなくてはならなかった。

 普通なら、一回や二回で終わりにするものだが、彼は投入をしながら、飽きることなく延々と根本さんをいじり続けた。

 最初は、そのうち止むだろうと思っていたが、想像以上に執拗だった。毎日のように、嫌がらせを続けた。

 二人の間に、何があったのかは不明だ。恐らく根本さんが、何か彼をからかうようなことを言ったのではないだろうか。悪意のない冗談のつもりだったのだろうが、それが真中君の自己愛を傷つけた。それしか考えようがない。

 流石に毎日続くので、遠目に見ていた私の方がうんざりしてきた。

 ある日、休憩中に根本さんに聞いてみた。

「いいのよ。バカは放っておけば」

 しかし、流石にあれが続くのは、少々可哀想だと思った。

 私が直接言う自信はなかったので、浅野さんに丸投げすることにした。立場的に真中君に物申せるのは、彼しかいなかった。

「あれ、ちょっと言った方がいいんじゃないですかね」

 すると、恐らく本人も嫌だったとは思うが、浅野さんが真中君に何か言ってくれたらしい。執拗な攻撃は治まった。

 やがて、白石さんがやめ、悠木君がやめ、他のラインも入れ替わった。

 そして、とうとう真中君も辞めることになった。何故そのタイミングだったのか、どういった心境によるものだったのかは不明だ。送別会などはなく、あっさりと職場を去った。

 その後に、三井君か誰かに聞いた話だと、とある居酒屋チェーン(ここ重要)に社員として入社したということであった。彼は以前から、料理も好きだと言っていた。よく彼女にパスタを振る舞ったという。何故、『料理が好き』なモテ男が女に振る舞うのはいつもパスタなのか。何故、オリーブオイルをドバドバと注いで、チーズを山盛りにするのか。何故、ブリ大根や治部煮ではダメなのか。それらの疑問については、本題から逸れるので、次の機会に検討するとしよう。

 ある夜、残業を終えて会社を出ると、その彼から携帯に電話が入っていた。折り返し電話してみると、飲みの誘いだった。残業を終えてくたくただったが、折角のお誘いだったし、断るのも面倒だったので、行ってみることにした。

 そこは新宿のとある雑居ビルの上階だった。六階とか七階とか、その辺だったと思う。店に入ると、窓から夜景が見えた。店員さんに座敷に案内されると、真中君と若い男の子が一緒に飲んでいた。何とそこは、彼が勤めていた店だったのである。休日にもかかわらず、自分の職場で飲んでいたのであった。

 ちなみに一応断っておくと、ブラックとして有名な居酒屋チェーンは幾つかあるが、彼の職場は、それらとはまた別の会社である。

 一緒にいた男の子は大学生で、その店のバイトらしかった。彼も休みの日に呼び出されたようだった。

 例によって、話は盛り上がった。私以外で。

 ここの店長は狂ってる。俺なんか何度も殴られた。でも俺は頑張っている。超頑張ってるよ。

 バイト君には彼女がいる。でも不細工なんですよ。

 恐らく学生の女性店員さんが、酒と料理を持ってきた。

 真中君は、彼女が料理と飲み物をテーブルに置くのを、冷ややかな目で黙って見ていた。その間、テーブルが凍り付いたような気がした。恐らく、私の気のせいだろう。

 カクテルのグラスに指を当てた。量が少ない。配合が違う。

 常連さんが通りかかって挨拶をした。名刺を渡した。

 私はサワーをチビチビと飲みながら、耳を澄ました。

 バックヤードでの会話が聞こえてきた。

『何で休みの日にわざわざ店に来るわけ。他にやることないのかな』

『寂しいんじゃないの』

 疲れていたので、私も酔っていたのかもしれない。

 彼らの目に、私のことはどう映っていたのであろうか。

 流石に、その時の支払いは彼が持った。御馳走様でした。

 その後も二回ほど、携帯電話に連絡を頂いた。

 一度目はやはり残業後で、会社を出た時に着信に気付いた。しかし、疲れていて面倒だったので、その時は華麗にスルーした。

 二度目は、会社を休んだ夜だった。八時頃だったと思う。例によって無断欠勤であった。

 明日は朝から仕事という時に、電車で三十分以上もかけて新宿まで出ていくというのは、どう考えても不可能だった。

「ちょっと無理だね」

「朝木さんって冷たいよね」

 それが彼と話した最後だった。電話は二度とかかってこなかった。


 私の方は、その後もしばらく仕事を続けた。

 悠木君がやめて、しばらくは一人で過ごしていたが、その内に浅野さん、中原君と一緒に社食で昼食を共にするようになった。昼休みは、音楽やら映画やらドラマやら芸能界やらエロの話をした。

 三井君も、錯綜した人間関係を物ともせずに仕事を続けた。

 相変わらず彼の誘いで、新たなメンバーと飲み会をした。三井君はやはりハイテンションだったが、真中君がいないと、オレ様的な妙な緊張感もなく、どことなくリラックスしているように見えた。オタクネタでも話が通じて盛り上がった。支払いは、全て三井君が持った。十人分近くの支払いは、額も相当なものであっただろう。

 その年末に、私も仕事を辞めた。

 そして二年後にまた舞い戻り、短期間だけ顔を出した。

 その時もまだ、三井君や八号機の人々が職場にいたが、配置は大きく変わっていた。三井君、浅野さんと中原君は二階にいた。瀬川さんと彼氏は、とうの昔に辞めていた。

 更に、処理数は二千五百冊くらいがデフォという、面倒くさい状況になっていた。

 その時に聞いた話だと、あの後、真中君は居酒屋を退職したということである。理由は不明だ。次の職場は、どこかのキャバクラの厨房らしかった。黒服ではなく何故厨房なのか疑問を抱いた。しかし彼なら、元ホストということもあり、その分野で上手く生きていけるかもしれない。いずれにしても、また夜の仕事に舞い戻ったという訳だ。今何をしているのか、気にならないこともないが、恐らく知る機会は永遠に訪れないだろう。


 私が、取次に一度目に入社したちょうどその頃、アマゾンが日本でもサービスを開始した。

 四階の小口フロアでは、ベストセラーの本を見る機会が少なかった。ビーズ細工のテキストが、同じ書店に何十冊も流れていくのを、毎日不思議に思って眺めていた。

 当時から、個人経営の駅前書店に、村上春樹などの売れる本が配本されない、という問題が指摘されていた。確かに一冊ずつ棚入れしてソートするのはコストがかかるとは思う。大口の巨大書店に一気に流した方が、数は稼げるのであろう。しかし、地元の書店に欲しい本がないとなると、読者はアマゾンを利用するしかなくなる。

 私が二度目にそこをフェードアウトした数年後、その取次の新しい物流センターが某所に開業したという。最新の物流システムを導入し、書店向けのソートも全自動化されていると聞いた。元の職場がどうなったのか、職場の連中がどうしているのか、連絡も取っていないので、最早聞く相手もいない。


 風の噂では、三井君も都内で居酒屋(ここも重要)を始めたと聞いた。職場にいた、三十代のシングルマザーの女性と共同経営だという。彼女の方は、同じ職場にいた学生バイトと付き合い始め、後に結婚したという。自分で店を開くなど、私には想像もつかない。この点に関しては尊敬の念を抱いている。かつての職場の人間がツケで飲むので、経営が大変だと言っているらしい。現在まで、その店が存続しているのかどうかは不明である。

 真中君に関しては、自己愛性パーソナリティ障害(疑)であると、断言出来る。先にも書いたが、あくまで(疑)なのは、私は医師ではないからである。(疑)を断言というのも妙な言い方だが、正確を期するとなると、どうしてもこうなってしまう。

 この点に関しては、経歴を見るだけでも充分ではないだろうか。

 ヤンキー(強さを希求)、ボクサー(同上)、そしてホスト(美しさを誇示、目指せナンバーワン)。

 もちろんヤンキー、暴走族、ボクサーそしてホストが揃いも揃って全員、自己愛性パーソナリティ障害という訳でもない。格闘家にしても、ホストにしても、人並み以上に自己愛が強くなければ、やっていけないであろう。ヤンキーも暴走族も、基本的にはナルシシストと言える。しかし、多少自己愛が強いのと、パーソナリティ障害とでは、問題の次元が違う。

 そして、流石にどれか一つだけならともかく、これだけ揃うと、偏見とも言えないであろう。大三元ドラドラリーチダブル役満といったところだ(麻雀は出来ないので、チョー適当です)。

 そして事業に失敗し、底辺労働でもコスト度外視で、自身の能力を誇示し、やたらと飲み会をやりたがった。最後に会った時には、少ない休日に自分の店で飲んでいた。自己愛性パーソナリティ障害でも、ナルシシスティックで自己陶酔型のタイプと思われる。

 恐らく彼は、人生のほとんどの時間と精力を、自身のパワーや美しさを周囲に誇示し、認めさせることに費やしてきたのであろう。

 彼にとって私は、決して一緒にいて楽しい人間ではなかったと思う。何せ趣味も性格も違う。しかし、そんなことは気にしていなかったように見えた。自分の話を聞いてくれれば、誰でもよかったのではないだろうか。

 三井君の方は、実はよくわからない。趣味も性格も違うが、飲み会をやたらとやりたがり、孤独に耐えられないところは、真中君と似ている。しかし、パーソナリティ障害の要件には、当てはまるものがないような気がする。多動性注意欠陥障害とか、分離不安とか、双極性障害とか、思い当たるものもあるが、私には診断出来ない。彼は自己愛性パーソナリティ障害以上に、複雑で厄介な心の内を抱えているようだった。

 第二の男の話は、これで終わりだ。飲み会の話は、また後で触れたいと思う。

 それではこの辺りで、再び自動車部品工場に戻るとしよう。

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