自己愛性ブラック~その原因とメカニズム~

朝木深水

プロローグ 信仰告白

 その日は運良く定時上がりだった。

 事務所の正社員たちに挨拶を済ませてタイムカードを押すと、私と成見はヤードを出て、更衣室のあるUC工場棟へと向かっていた。まだ夕方の五時前で、どんよりと曇ってはいたが、正門の彼方にはごく微かにオレンジ色に染まった空が見えた。

 成見は更衣室には寄らずにそのまま帰っていたので、いつもは中央通路を渡る前に別れるのだが、その日だけは何故か横断歩道を渡り、UC工場棟の通用口のところまで私に付いてきた。それまで黙ったままだった成見が、おもむろに口を開いた。

「朝木さん、ちょっと話があるんですけど」

 改めて何だろうと思った。そして何だか嫌な予感がした。

「朝木さん、ここいつまで続けるつもりですか?」

「いや、そろそろ辞めようかと思ってるところで」

 これは割と本音だった。

「社員とかにはならないんですか」

「いや、もう四十なんで、無理ですね」

「年とか関係あるんですか」

 そりゃ関係ある、だろ。

「まあ、多分……。年金とかの関係で……」

 うろ覚えだったので自信がなかった。四十代になると、年金やら退職金やらの負担がかかるため、採用したがらないという話をどこかで見たことがある、ような気がする。

 それ以前に、四十代で非正規から正社員になるなど、余程のことがなければ不可能である、というのが常識だと思っていたので、『関係あるんですか』と言われたところで理由など説明しようがない。

 私の戸惑いに構わず、彼は続けた。

「今、実験Z棟で作業してるじゃないですか」

「え、ええ」

「それが、いつからかまだ決まってないらしいんですけど、UCの部品をUC工場で梱包することになるらしいんですよ。で、長田さんたちも、あっちの事務所に移るらしいんですよね。そうすると、ダイレクトとUCで場所が別れちゃうんで、ダイレクトの方を見るリーダーがもう一人いた方がいいだろってことになってるんですよ」

 何だか嫌な流れになってきた。

「で、今、前田さんに、朝木さんをサブリーダーにしてくれって頼んでるところなんですよ」

「ああ、そうすか」

 くっそ、まずった。早く辞めればよかった。まさかマジでこうなるとは思わなかった。しかし『頼んでる』って何だ。

 成見は続けた。

「自分、前は梱包しながら、『かったりいな』とか『早く終わんねえかな』とか、考えながら作業してたんですけど、リーダーになって、前田さんと一緒にミーティングに参加させてもらったりして、仕事のこととか、他の工程のこととかわかってくると、ああ、これはこういう意味があったんだなとか、この作業は後でこうなるんだなとか、そういうことがだんだんわかってきて、仕事が楽しくなってきたんで、まあなれるかどうかはわからないけど、社員目指して頑張ってみようと思ってるんで」

 そして最後にこう言った。

「だから、朝木さんも自分と一緒に、仕事頑張りましょう」

 それだけ言ってしまうと、彼は正門へ向かって去って行った。

 『だ・か・ら・あ・さ・ぎ・さ・ん・も』だと。

 あまりのことに私は何も言えなかった。

 それ以前から違和感を覚えてはいたが、私が彼の人間性を本格的に疑い始めたのはこの時からだった。

 その日は、とある年の四月一日だった。

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