Lavendel
譚月遊生季
Lavendel
むかしむかしあるところに、吸血鬼の姉妹2人が、こっそり暮らしていました。
どこかのお伽噺にでもありそうな書き出しですが、このお話をする時は、いつもこうやって話すのです。それが本当の話であること、……そして、私の話であることは伏せてあります。
何故、このことを書き残しておきたいと思ったのか。それは、きっと、私がもう老い先短いからでしょう。とっくの昔におばあさんになってしまっても、妹は美しい娘姿のまま、私の記憶から薄れてはくれません。同時に、あの言葉も……
「お姉ちゃん、ごめんね」
この手記は、懺悔のようなものと考えてくださって結構です。もちろん、誰かがこれを読んでいれば、の話ですが……
可愛らしい、妹でした。
大切な、妹でした。
大好きな、妹でした。
……だからこそ、語りましょう。愚かな私の罪を、神とやらではなく……どこかの、誰かへ。
私はかつて、4歳下の妹とともに森の奥でひっそりと暮らしていました。両親は妹がまだ幼い頃に人間に殺されてしまっており、姉妹2人で支え合って懸命に生きてきていました。妹の名前は、モニ。私の名前は、モル。
モニはいつも無邪気に笑っていて、畑仕事に、狩りに、料理にといつも忙しく動き回っている私の心を和ませてくれる……そんな存在でした。
「モニの笑顔は、私の元気の源よ」
私がそう言うと、モニは決まって、満面の笑顔を見せてくれました。
「わーい! わたし、お姉ちゃんのこと、だーい好き!」
彼女は生まれつき片足が悪く、いつも引きずって歩いていました。そして、あまり頭のよくない子でした。……だからでしょうか。「私が守ってやらなければ」と、強く感じていたのは。
2人で暮らすようになって数年が経ったある日、私はモニが、いつも畑仕事や「狩り」を手伝う前、まだ陽が昇っているうちに、時折私に黙ってどこかへ行っている事に気が付きました。太陽の光は、吸血鬼にとって毒だというのに……。気になった私は、モニの後をこっそりつけていき……あの、ラベンダー畑を見つけたのです。
咲き誇るラベンダーの紫色が、辺り一面を染めていました。既に日は陰り、あたりは暗くなりかけていましたが、それでも「美しい」と思える光景でした。そして、何とも言えないかぐわしい香りが、鼻孔をくすぐるのです……。
その、誰が作ったのかもわからない花畑の中に、モニと、もう1人はいました。モニの向かいに立っていたのは、深くフードを被った、モニより少し上の年頃の少年でした。いいえ、正確には、その時は少女なのか少年なのか分かりませんでしたが、後から聞いて、やっと少年だと分かったのです。その2人は、楽しそうにおしゃべりをしているように見えました。
やがて2人が別れると。私はモニの前に仁王立ちになりました。
「何を考えてるの!? 人間と会うなんて!!」
その子が近くの村に住んでいる少年だということは、容易に想像がつきました。モニはしょげていましたが、やがて、必死の表情で私の服の裾を掴みました。
「あの子は、アロイスは良い子だよ! わたしの初めての友達なの!!」
モニが私に逆らったのは、その時が初めてでした。ですから、私はたいそう驚いて、思わず言葉を失ってしまいました。私たちは家族以外に吸血鬼を知りませんし、人間は敵だと思っていましたから、友達なんて当然いたことはありません。父と母が残した書物を読み漁っていましたから、友達という概念ぐらいは知っていましたが。
「友達って……どういうこと?」
そう告げると、モニは嬉しそうに話し始めました。アロイスとの出会い。アロイスの性格。アロイスに教えてもらったこと……
モニがあんまり楽しそうにするものですから、私は思わず根負けしてしまいました。
「危なくなったら、すぐ言いなさいね。お姉ちゃんが助けてあげるから」
その言葉を、アロイスと会うことを許す言葉だと解釈したのか、モニは嬉しそうに何度も頷きました。私は内心、複雑な気持ちでいっぱいでした。モニを心配する気持ちはもちろんありましたし、アロイスへの疑念もありました。……そして、わずかな嫉妬も。
それから、モニは頻繁にアロイスに会うようになりました。毎日毎日、私に何をして遊んだか、何を話したか、事細かに教えてきました。もっとも、それは私がそうしろと言ったからでもありますが……。
「今日はね、アロイスがお花の冠を作ってくれたの!」
「あのね、アロイスに木登りを教えてあげたの!」
「アロイスがね、算数を教えてくれたよ!」
眩いほどの笑顔で、モニはそう語るのです。
モニは何度も、私とアロイスを会わせたいと言いましたが、私は断りました。私まで丸め込まれてはたまらないと、そう言って。そのたびにモニは、不機嫌そうに頬を膨らませていました。
……本当は、別に理由があります。私には、2人の間に入って、「友達」として溶け込める自身がなかったのです。
今となってはもう何もかも手遅れですが、あの時、会ってやっていれば……何か変わっていたかもしれません。
モニがアロイスと出会って、3年の月日が経ちました。その頃には、私はアロイスとモニの友人関係を渋々ながらも認めようとしていました。そんなある日、モニがぼんやりしながら家に帰ってきました。食事中も、心ここにあらずと言った様子で……
「どうしたの?」
「ううん、何でもない……」
いつもは自分からアロイスとのことを話すくせに、その時はいつまで経っても話し始めようとしません。私は痺れを切らして、何があったのか尋ねました。モニは何か話そうとして、突然顔を真っ赤にしたかと思うと、もじもじと恥ずかしそうにして語り始めました。
「あ、あのね……アロイスと、キス、したの……」
キス。その言葉の意味を飲み込むのに、時間がかかりました。モニは続けます。
「アロイスね、わたしのこと好きだって……」
私は本当に、どうしていいのか分からなくなりました。思わず、何故か分からない涙がボロボロと溢れます。モニは青ざめて、私に何度も謝りましたが、私の涙は止まりません。おろおろするモニを食事部屋に残し、私は自室で一人、泣きました。
それから、私はモニと必要最低限の話しかしなくなりました。「狩り」も、私一人でやるようになり、モニが手伝いたいと言っても、突っぱねるようになりました。……モニが「狩り」を嫌がっていることは、知っていました。片足が悪いことだけが、理由でないことも。確かに、モニに血なまぐさい「狩り」は似合いません。あの子には、ラベンダーの香りの方がよく似合います。
私はモニの幸せを、当然願っていました。ですが、両親を殺した人間と普通に仲良くするモニが、憎らしくもありました。そして……「友達」や「恋人」と仲良くできるモニが、とても、羨ましかったのです。
暗闇を進む影。私は猟銃を構えて、躊躇いもなくその影を撃ちました。影は無様な悲鳴を上げ、地面に倒れました。私は止めを刺そうと、影に近寄り、ナイフで胸を一突き。ナイフは抜きません。私は獲物の首を掻っ切り、滴る血を瓶に集めました。絶命した「旅人」は、獣の餌になることでしょう。近くでカラスが五月蝿く鳴いており、私の苛立ちを増幅させました。
川で、浴びた返り血を洗い流します。ふと、モニがアロイスのことを話している時の笑顔が思い浮かびました。彼女が幸せなのは、喜ばしいことです。でも……それに比べて、私は……。
涙が流れ、顔についた血と混ざって川面に落ちました。
モニは、何度も私に話しかけてくれました。しかし、私は素っ気なく「今忙しいの」と返します。すると、最初の方は、モニはいつもの笑顔で、「そっか。じゃあ仕方ないね」と言って、どこかに行くのです。しばらくして、モニの私に話しかける声は切実になりました。どうしても話を聞いてほしいと言いましたが、私は相変わらず、「今忙しいの」と返し、聞く耳を持ちません。やがて、モニは目に涙をいっぱいに溜めて去っていくようになりました。罪悪感はありましたが、愚かなことに、私は意地を張っていたのです。
家の周りに気配を感じるようになったのは、ちょうどその頃からでした。見つかったかもしれない。そう思って警戒していたある日の夕暮れ、外で人の声が聞こえました。私が猟銃を持って外に出ると、数人の人影が走り去っていき、私は一瞬で、「ばれた」と悟りました。
私は早速モニに、ここから逃げようと伝えました。
しかし、モニは俯き、躊躇いながらもこう言いました。
「わたし、あのラベンダー畑で、彼と待ち合わせしてるの」
こんな時に何てとんでもないことを、と、私は憤り、思わず、モニの頬を張り飛ばしていました。人間たちに私たちの居場所をばらしたのは、あいつかもしれないのに、と。……「彼」と色気づいた呼び方をするのにも、腹が立ちました。
モニは頬を押さえて……困ったように笑いました。嗚呼、あんな状況であっても、あの子は笑っていたのです! 当時の私はその笑顔に、無性に腸が煮えくり返りました。
「お姉ちゃんは、1人で逃げて。……わたしも、彼と一緒に行くから」
「……勝手になさい!!」
モニが去った後に、私は、ひどく悲しくなりました。妹は、私よりも男を選んだと、そう思ったからです。それが本当に、悔しくて、虚しくて……。そんな感情が渦巻く最中で、私は、アロイスへの疑念をふっと思い出しました。もし、アロイスがあの子を騙しているなら……モニはただでは済まないでしょう。きっとそうです。あの男は、アロイスは、モニを誑かした……私は、そう確信しました。
純粋で愚かなモニを甘言で誑かし、吸血鬼である証拠を掴んで、私たち姉妹を退治するつもりだったのだと、最初からそのつもりだったのだと、そのために私からモニを奪ったのだと……そう思った私は、居ても立ってもいられなくなり、あのラベンダー畑へと、走り出しました。……手には、ナイフを持って。……瞳には、燃えたぎるような殺意を宿して。
私が、夕焼けに照らされたラベンダー畑に到着すると、モニとアロイスは何事か話し合っていました。そして……私は見てしまいました。アロイスの手に光る、ナイフに。……間違いありません。あの輝きは、銀のナイフです。吸血鬼を倒すための、武器。
やっぱり、私の考えは正しかったのだと、強い憎しみが湧き上がりました。私は躊躇うこともせず、アロイスの背後から飛び出し、彼の脇腹を切り裂きました。ほとばしる、血飛沫と悲鳴。……私の耳をつんざいたその悲鳴は、ほとんどがモニのものでした。アロイスの声は、掠れて潰れていましたから。
どうと倒れたアロイスに止めを刺そうとした瞬間、モニが私を止めました。私に抱き付いて、「やめて!!」と泣き叫ぶのです。
「何を言ってるの! そいつはあなたを殺そうとしていたのよ!!」
怒りが込み上げました。モニは、私の大切な妹は、この期に及んでなお、裏切り者の男を庇うのか。せっかく、私が助けてあげたのに。……そう思った瞬間、アロイスの素顔が、目に入りました。
「……これは……!」
アロイスの顔は、見ていて痛々しい気持ちになるような痕で覆われていました。おそらく、伝染病によるものでしょう。思わず、動きが固まりました。その刹那に、モニはアロイスに縋りつきました。
「アロイス、アロイス……!!」
アロイスは微かに息をしていました。……モニは、アロイスの口元に耳を寄せ、懸命に何かを聞きとろうとしました。……私には何も聞こえませんでしたが、モニにはしっかり聞こえたようです。
「……うん、分かった」
モニは、アロイスの首筋に牙を突き立てました。私が「狩り」でいつも血液を持ってきていたため、その仕草はあまりに不器用でしたが、何とか要領を得て血を吸い始めました。……やがて、アロイスは、静かに息を引き取りました。
どういうことかと、すぐにはモニに尋ねることができませんでした。モニが、アロイスの亡骸に縋りついて、泣いていたからです。やがて、モニはぽつりぽつりと話し始めました。
「わたし……アロイスから、村の様子が何だか変だって聞いてたの。だから、お姉ちゃんに話そうとしたんだけど、結局話せなかった……」
身を雷が貫くような衝撃。アロイスは裏切るどころか、モニに危機を知らせていたのです。しかし、その警告を聞かなかったのは……私。他でもない、私です。
呆然と、何も言えない私に、モニは言いました。
「……わたしね、アロイスと一緒に死ぬつもりだったの」
どうして、私が憤慨する前に、モニは悲しそうに笑いました。
「わたし、脚が悪いでしょ? きっと一緒に逃げたらお姉ちゃんも捕まっちゃう。……お姉ちゃんには迷惑ばっかりかけてたから……最後まで、迷惑になりたくないの」
嗚呼、目の前が真っ暗になりました。私はモニを守っているつもりが、負担に感じさせてしまっていたのだと、その瞬間に気付きました。
モニは、きっと寂しかったのでしょう。ほとんど仕事を一手に引き受け、いつも気を張り詰めていた私。そんな私との生活は……息苦しかったに違いありません。……そして、アロイスがどんな人生を辿って来たかも、彼の顔を見た時点で大体察しがつきます。2人は、お互いの心の隙間を、健気に埋め合っていたのです。それを、私は、私は……
その時、足音が近づいてくるのが聞こえました。追手だ、と咄嗟に勘付いた私は、モニの手を引いて逃げようとしました。モニは一生懸命悪い脚を引きずりながら、私にこう言いました。
「お姉ちゃんだけでも、逃げて」
そんなことを言うなと叱り付けながら、私は半狂乱で走りました。とにかく、とにかくモニを守らなければ。頭の中は、それでいっぱいでした。
山の中に逃げると、松明を持った人間たちが、大声を上げて追いかけてきます。私は、モニを引きずるようにして、道なき道を無我夢中で走りました。けれど、モニの脚は、限界に近付いていたのでしょう。やがて、私たち2人は、思うように動けなくなりました。
そして、断崖の上の道をふらふらと走っている時。銀の弾丸が、私の腕を掠め、私は思わず膝をついてしまいました。しかし、痛みなんて感じている暇はありません。すぐに立ち上がります。その時でした。
「お姉ちゃん、ごめんね」
振り返り、モニを見ました。モニの顔は、哀しそうで、辛そうで……それでいて、はっきりとした決意を持った顔でした。私が最後に見た妹の顔は、私がかつて大好きだった笑顔ではなかったのです。
モニは、どこにそんな力が残っていたのか、私の身体を思いっきり突き飛ばしました。私は、崖の下の川へと真っ逆さまに落ちていき……崖の上から私を見下ろすモニの口が、「生きて」と言っているのを、確かに見ました。……それが、モニの姿を見た最後でした。
その後、私は風の噂で、モニが処刑されたことを知りました。……そんな死に方をするくらいなら、あのラベンダー畑で大好きな彼と一緒に死なせてやれば良かったと……今でも、ふとした瞬間に思います。
「お姉ちゃん、ごめんね」
最期まで私を気遣ったモニの言葉が、今でも胸に突き刺さって、私を苦しめます。
何とか辿り着いた別の森に移り住み……やがて、罪滅ぼしのつもりだったのでしょうか、いつの間にか、病や怪我、障害などで迫害される子供たちを育てるようになりました。その子たちに、私を「お母さん」と慕う愛しい子どもたちに、この話を聞かせるのです。作り話として……。先述の通り、愚かな私の、せめてもの懺悔のつもりです。
この森に来て少しした頃、近くにも、ラベンダ―畑を見つけました。あのラベンダー畑よりは小さいものの、美しさも、香りも、私の記憶を呼び起こすのに十分でした。
「モニー!! アロイスー!!」
時折、私はそのラベンダー畑に向かって叫びます。帰ってくるのは、風の音と、私の声のこだまのみ。花たちの沈黙は、私の心を引き裂きます。……返事は、今日も来ません。……来るはずが、ありません。
Lavendel 譚月遊生季 @under_moon
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