第32話 : 『理想』とは何か
人通りの少ない場所を、私は『散歩』していた。理由は、自分でもよく分からない。
電車に乗ってたら、気まぐれで、初めて降りる駅のホームを踏みしめていた。改札を通りぬけ、自動販売機で紅茶を買って、手のひらで冷たさを感じながら、飲むこともなく歩みを進める。
季節は夏に近づき、さすがに私も、涼しい格好をするようになった。気温の変化が平気とはいえ、いつまでも暑そうな格好をしていたら、周囲から浮いてしまう。
しかし、色気が出すぎてしまうのを避ける為に、肩は出さないようにしてるし、夏らしさを出しつつも肌色が目立ちすぎないように意識している。これは、私が周囲に『どう思われたいか』という問題である。可愛く、綺麗でありつつ、格好良いと思われたい。故に、肌色の印象が強くなってしまうのは、好ましくない。
(にしても、気付いたら
周囲は商店街らしき街並みだが、平日の昼間にも関わらず、ほとんどシャッターが閉まっている。人が住んでいる気配はあるが、多くの人がイメージするであろう『東京』という印象からは遠く離れており、田舎という言葉が当てはまると思う。
「もう……死にたい……」
ふと、私の耳は、不穏な言葉を捉える。遠く、斜め上の方向。五階くらいのマンションの屋上に、ひとりの少女が立っていた。落下防止の柵よりも外側にいて、私の視力では少女の唇の震えすら、完璧に見えている。
躊躇うように、しかし、じっと虚空を見つめている。あれは、どう見ても自殺志願者に見える。
(自殺?)
見て見ぬふりをすべきか。あるいは、少女が偶然そこに居るだけで、私が想像するような事が、起きるとは限らないだろう。そんな現実逃避をしつつ、私の足は少女がいるマンションへ近づいていく。
(今日、気まぐれでこの場所に来たつもりだけど、あの子を助けろっていう、導きだったりするのかな?)
先日は、無意識に転移している事はあったが、意識があるまま、特定の個人だけを助けるかのような、誘導のされ方は初めてかもしれない。
「っ……」
そんな悠長に考えていたら、不意に少女が、風で押されたかのように、マンションから落下するのが見える。
「まったく……」
タイミング的には、マンションの真下に来た時だった。
少女の体が浮いて、恐怖で顔が歪んでいた。遠くなのに真下を向く時、私と目が合って、私の体はすぐに動いていた。普通の人間なら、そんな
「……」
私は軽やかに、マンションの二階部分まで一息で飛ぶ。ベランダの手すりを足場にして、更に四階まで跳躍を重ねる。
次は、ベランダの手すりを、回転を加えながら強めに蹴る。四階の天井へ張り付くように、右手を天井に添えて、更に反転する。
左手で乱れるスカートを抑えながら、まるで重力に逆らうように、腰を低く天井で一瞬の静止をする。
「あっ……え……」
また少女と、目が合った。
重力に任せ落ちる少女の体と、速度を合わせるように、天井を少しだけ足の裏で押し返し、抱えるように捕まえる。少女の体の向きを整え、首や背中に衝撃がかからないよう、守るように手を添える。少女の手が、すがるように私の首に巻きついた。
――少女と間近で視線が交差する。
「人間、落下しても苦しむだけだよ?」
よほどの高さが無い限り、落下しても助かる例があったり、重症のまま時間をかけて死ぬという地獄を味わう。発見されるまで、どれだけの後悔と痛みが、身体を襲うか想像もできない。死ぬ前に見つかり助かってしまえば、残った後遺症を抱えながら、死ぬことも許されず生かされ続ける。
まして、五階程度の建造物では、よほど当たり所が悪くないと即死や気絶など望める訳もなく。
(そうは言っても、このまま素直に落ちたら、この子は無事じゃないけど)
腕の中にある温もりを感じながら、見た目は中学生か、あるいは小学生かもしれない少女を見る。人命救助とは言え、ここまで超人的な動きを、何も知らない一般人に見られて良いのか、少しだけ迷いを感じる。しかし、熟慮するような時間は無く、私は衝動に任せ行動していた。
魔法は使っていないつもりだが、物理法則を無視したように、足が届く距離で壁を沿うよう落下している。だから、少し落ちたベランダの壁で、横方向の跳躍をする。念のため、ベランダを破壊しないよう一瞬だけ『聖域』を展開し、斜めに、弾丸のように飛び出す。
その時に足元へ回転する力を加え、近くにあった樹木の太い部分に、横向きで着地するような姿勢で、衝撃を緩和する。
最終的に、地面に軟着地を決めれば、少女を無傷で助ける事に成功した。
「天使……? わたし、死んだの?」
「残念ながら、まだ心臓は動いてる」
余計なお世話だったかと、思わないでもない。死ねるかはともかく、放っておくべきだったと、考えてしまう。
私は、自殺するような事は未来永劫ないだろうが、私がもし、魔法少女になっていなかったら、希望の無い毎日を、死んだように生きていただろう。この少女に何があったか知らないが、死んでしまいたいと願う事は、日常で簡単に起こりえる。そういう気持ちは、理解できるし、仕方ないことだと思うから。
過去の自分とこの少女の違いは、諦めて死人のように生きたか、一歩を踏み出した程度の、些細な違いでしかないのだ。もちろん、自ら死ぬ事は良い事では無いが、悪い事と決めつける事も、私にはできない。
「迷惑だったかな?」
「怖かった……」
だが、心の準備は出来ていなかったのだろう。涙を流し、恐怖という感情も正常に機能しているように見える。もし、望んで一歩を踏み出したのなら、感情は正常に機能しないと、私は考えている。根拠は無いが身を投げた人間が、死ねなかった事ではなく、生きている事に対して涙するとは、とても考えにくいから。
「あ、そうだ」
飛び跳ねた時に、空中で落とした缶ジュース(紅茶)が、私の頭上に落ちてくる。左手で受け止め、まだ冷たいそれを、少女に差し出してみる。
「飲む?」
「……」
腕の中の少女を、地面に立たせる。幸いな事に、靴はきちんと履いているらしい。それとも、ドラマで見るように自殺する人物が、靴を脱ぐというのは迷信だったりするのだろうか。
少女は缶ジュースを受け取る。私が近くのベンチに移動させ、並んで座ると、紅茶を飲み始める。
「私は冷、あなたの名前は?」
「……
「凪沙、なぜ飛び降りたか、理由を聞いても良い?」
「……迷ってたけど、まだ落ちるつもりじゃなかった……」
今日は平日の昼間で、まだ夏休みという時期でもない。誤差はあれど、年齢的には学校に通っている年頃だろう。不登校か、いじめや家族関係の可能性も考えられる。だが私は、そういった事には関わらないと決めている。
衝動的に、落下する人間を前にしたら、今この瞬間のように、それを救う事はするかもしれない。その為の力を持っているから。簡単に、実行できてしまうから。
一方で、相手の心にある一線は、超えないようにしている。無責任だろうが、生きている限り面倒が続く事に、干渉はしないと決めている。一回でも踏み越えれば、それを必要とする人間は、星の数ほど存在してしまうから。全てを救うことなど、どんな力を持っていようと不可能なのだから。
それでも、話を聞くだけでも、救われる気持ちだってあるとは考えてる。もちろん本人が話したくないなら、無理に踏み込む事も無いが。
「死ぬのは怖い。でも、生きていたくない。わたしには、もう誰もいないから……」
「……誰もいない?」
「少し前に、パパとママが死んじゃった。弟も一緒で、友達も全員、死んじゃった……。わたしはあの日、熱を出して寝込んでて、次の日になっても、誰も帰ってこなかった……」
詳しく聞いてみると『あの日』とは、夏美と歩いた地獄のような場所と時間の事で、私の手が
今は、児童養護施設にいるらしい。同じような境遇の、ある意味で『孤児』とも呼べる子供も、何名かいるらしい。
「毎日が……辛い。でも、誰にも頼れない。先生も厳しくて、みんなが怒ってるみたいに、イライラしてる。わたしは、どうすればいいのかな……」
「……」
それは、どうしようもない。
私はあの日から数日、悪夢を見ることはあったが、今は既に、救えなかった命の事は考えるのを辞めた。なぜなら、私が考えるべき事でないから。目の前にいて、掬える命であれば関わってもいいが、今後も無理に手を伸ばすつもりはない。
一方を救えば、救えなかった者を見て罪悪感に
もし全能の神がいたとして、世界には『幸福な者』と『不幸な者』の二種類に分けられるように、誰に対しても、平等に巡ってくる幸運なんて存在しない。不運は続けてやってくるし『何で自分だけ、こんなに不幸なの?』と錯覚する瞬間すら、長く生きていれば何度もある。
「わたし、お姉さんの事、見たことある。踊ってた人……だよね」
「配信、見てくれたの?」
「うん。どうしたら、お姉さんみたいになれる?」
「……私みたいに?」
言われて少女の服装を見ると、黒を基準に、私が好きそうな色合いをしている気がする。最初は、喪服を意識しているかと思ったが、フリルは無いものの、普通の服でも私に似せたコーディネートを意識しているように思える。
「とても格好良くて、可愛くて……うらやましいの。もう、死にたいけど、せめてお姉さんみたいになれたら、生きていたいと思える気がするの」
ファンと言っていいのだろうか? 私の事を知っていて、私の事を格好良いと言っているのであれば。だが、少女は悲しそうな顔をしている。
私には、凪沙がどんな答えを求めているのか、何故そう思うのか、見当もつかなかった。
「私は、運が良かっただけ。きっと参考にならない」
「……」
「私は、凪沙が思うほど、何も持ってないよ」
嘘ではない。私は運が良かっただけで、自分で何かを得た訳じゃない。偶然、手に入れただけ。
「本当はね、少し前にお姉さんのライブ配信を見て、お姉さんの歌を聞いて、生きようか迷ってたの……。歌を聞いてると『生きろ』って言われてるみたいで、
諦めたような視線の中に、わずかに希望の光も見える。死にたいが、生きていたいと願う矛盾。
「だけど……お姉さんは……来てくれた……」
そこに、私が希望を与えてしまったらしい。
「だから、お願いします……。どうしたら、お姉さんみたいになれるか、教えて下さいっ!」
泣きながら、ベンチを涙で濡らしながら、土下座でもしそうな勢いで、凪沙は私に尋ねてくる。どうしたら、私みたいになれるかと。
中途半端な答えなど、少女には失礼だろう。必死さが、痛いほど伝わってくるから。だが、考えたところで、何も答えらしき言葉が浮かばない。
(私は、尊敬されるような人間でも、
もちろん、私はこの容姿や声を使って、ライブ配信している。見る者が、そこに憧れや尊敬を抱くのは、仕方ない事なのだ。アイドルを好きになるのに、その人の内面は関係ない。問題なのは『どう見えるか』という表面的な部分でしかない。
(その上で、私が『どう見えるか』か……)
私は、配信で『歌う』か『踊る』か、あるいは衣装で自分を演出している部分もある。
例えば、好む音楽の傾向は、ゴシック系の『ロック』や『パンク』ではある。だが、そこに解答を求めたら、哲学の世界になる。星の数ほどの解釈で成り立っていて、語れるほど
(私が音楽を語る? そんなの、柄じゃないだろう)
なら、衣装とか立ち振る舞いはどうだろう。
私は『冷』が着る衣装として、ゴシックの衣装こそ相応しいと、確信を持っている。ゴスロリとか、人形みたいに思える衣装も、悪くないとも思う。いつの間にか、手段と目的も逆になっていて、好きな音楽や衣装すら『冷』という偶像を表すのに、必要な存在となっている。
しかし、これも答えには足りない気がする。
「っ……どうしたら、お姉さんみたいに、なれるかな……?」
ただ、何の答えも与えることなく、少女を帰すのは簡単だ。しかし、それでは『魔法少女』である私に、少女が巡り会えた事が無意味になってしまう。
最近、私は考える。魔法少女とは、そんなに軽い存在ではないと。今日、この場所に来たのは、少女が心の中で『冷』を呼んでいたのだろう。漠然と何かに救いを求めるのではなく、私という存在を強く願った結果なのだと。
そんな子供に、夢も希望も与えられなくて、何が魔法少女であると、何が大人であると、誇らしく宣言できるのか。
その想いに導かれた私が、欠片でも、凪沙を導いてやれなくて、誰が『魔法少女』を名乗れるのかと。
「凪沙、私のことは『冷』と呼んで欲しいな」
「え?」
まっすぐ、少女の瞳をのぞき込む。これが、私の答えなのだ。
「……私は『冷』で在ろうと努力している。こう在りたいと『理想』の自分で在り続けたいと、常に考えている。偽りの部分もあるし、わざと演出している側面もある。でも、それでも『冷』であると、自分に言い聞かせ続けている。理想の自分なら、こういう行動をすると考えながら」
「……」
「私の心は、貴女より強くない。本当に、運が良かっただけ。だけど、私は『理想』を見つけた。その『理想』を守り続ける為なら、命すら惜しくない。どんな苦境に巻き込まれても、平気だと思ってる。私から言えるのは、凪沙が『理想』を見つけること。そして不完全でも、そう在り続けようと努力すること」
私は、両手を合わせ『魔法』を使う。作り出すのは『蝶』の髪飾り。
「これあげる」
今更ながら、私の戦闘衣装に『蝶の髪飾り』が含まれていたり、夏美にあげた『お守り』や、魔法で作り出すアクセサリーが、形として『蝶』である意味を、悟った気がする。
蝶という存在が、様々な宗教や哲学で、
「あっ……」
反射的に、少女はそれを受け取る。
「も、もらえない。帰ったら、取り上げられちゃう!」
「大丈夫。これは、貴女に悪意を持つ人には、見えない『魔法』がかかってる」
「まほう……?」
「凪沙が、困難に立ち向かう時、この蝶が負担を軽くしてくれる。失くしてもいいから、受け取って欲しい」
「お姉さん……」
やはり凪沙という少女は、悲しそうな表情をする。そして、私の事を名前で呼んでくれない。
「冷って、呼んで?」
「……れい……お姉さん」
「大丈夫、貴女の道は、どんなに困難なものでも、心に『理想』を見つけたら、全てが些細に思えるほど充実したものになる。すぐは見つからないかもしれない。最初は『私みたいになりたい』でも良いし、いずれ自分の『信じるモノ』が見つかる」
(なんか、自分で言ってて、無責任な気もするけど)
でも、これが私の全てなのだ。
微力ながら、魔法少女として『加護』も与えた。不運が訪れても、進むべき道が見つかりやすいよう、同じだけの『幸運』が少女へ降り注ぐ。
「また、どこかで会いましょう」
私は無力だ。
凪沙の年齢は聞いていないが、確実に凪沙の二倍は生きているのに、人生に対する
(私は、人間的に完璧であろうとは、思ってない。それは私の『理想』には含まれてない)
せめて少女が、この先の人生で、自分の『生き様』を見つける事を祈るだけだった。
「ん?」
凪沙と分かれ、五分ほど歩いた頃、ふと凪沙とは別の方向から視線を感じた気がする。しかし、私に対する敵意が無く、脅威も感じなかった。故に、気付かないふりをしながら歩き続けた。
――遠くで、白銀の鎧を着て、顔を隠した黒髪の女性が、冷を見ていた。腰には『蝶』の飾りが着いた『剣』を持っていた。
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