第21話 血の色は赤
「冷さん、写真撮りませんか?」
肩が触れ合う距離で、スマホのカメラを構える少女を見る。遊園地という場所が、こんなにも他人との距離が近づくものだと、三十歳にもなろうという今になって初めて知った。
狭いアトラクションの座席や、行列に並ぶ際にも、近くに寄らないと人混みの中では、声も届きにくい。
「いいよ」
本当に幸せそうな、自然な様子で微笑む少女からの頼みを、私に断れるはずもなかった。
夏美は一枚だけ、二人並んで背後の建物が映るようにシャッターを切り、それを嬉しそうな様子で確認しながら、待ち受けに設定したことを報告してくる。
「後で、写真送りますね」
休日だけあり、そこそこの混み具合で、待ち時間も短くはなかった。それでも夏美は、絶叫系のアトラクションが好きで、何度か一緒に乗ったりしたが、早くも時間的には正午を回ろうとしていた。
「そろそろ、お昼にする? 混んでるから、時間をずらしても良いけど」
「あ、じゃあ先に『お化け屋敷』に行きませんか?」
私は自分で言うのも変だが、他人が怖いと思ってしまう癖がある。別に、夏美が近くにいて不快という訳ではないが、距離が近いほど気を使ってしまう。
思い返せば、自分は他人と距離を置くことに慣れていた。物理的な意味でも、理由が無い限り、手を伸ばせば届くほど近づくことは稀だった。
パーソナルスペースという言葉があって、他人と一緒にいて不快にならない距離や空間の事を指し示す言葉だが、女性の方が親しいと思っている相手との距離が、近くなる傾向があるらしい。それが少し、心苦しく感じてしまう。
「冷さん……あれ、何だと思います?」
考え事をしていたら、夏美が立ち止まって何かを見上げていた。私が振り向くと、空の一部を指し示す。
「ん?」
遠く、点に見えるような距離、魔法少女の身体能力がなければ詳細が分からない位置に、何かあった。
――大きな
同時に少女は、こちらに気付いて笑みを浮かべていた。夏美は気付いていないが、普通の人間では視認できないように、特殊な光の膜に覆われていた。
つまり、見える者を探していたのだ。
「人……ですか?」
(あ、やばい。何か来る!?)
どこか危機感の足りない声で、夏美が呟くと同時に、背後から私が使う『転移』に近い力を感じる。
「夏美っ!」
振り返ると、空にいたはずの人物は、夏美の背後で大きな『鎌』に見える武器を構えている。
「魔法少女……見つけた」
(夏美が……死ぬ……?)
まるでタロットに描かれる死神のような見た目で、漆黒の鎌を構えた少女が、夏美を殺そうと腕に力を込めている。私の持っている力を総動員しても、その刃より先に夏美を守ることは、結果的に難しい距離となってしまった。
(魔法が使えるとすれば、一回分の時間しかない)
思考がどこまでも加速していくような感覚がする。周囲の景色が止まって見え、頭の中が燃えるように熱い。
私は『自分を守る魔法』ならいくつも使えるが、先手を取られた状態で、少し離れた場所にいる夏美を助けるのは、不可能な事だった。
(転移で夏美の近くに行き、もう一度、魔法を使う時間は無い)
では、どうすれば良いのか。夏美を見捨てるという選択肢は、不思議と心に浮かばない。
「……?」
無防備に、私が名前を叫んだ意味を理解できていない夏美。その間にも、視界の中でゆっくりと夏美を殺そうとする鎌は動いている。
――私は右手に力を集中させる。
目の前では、夏美に迫る凶刃が、あと六十センチも無い距離に迫っている。
(断ち切られる事は、ぎりぎり無さそうかな?)
心の中で、一つの覚悟を決める。相手の脅威度、自分自身の強さ、それらを総合して、自分が出来る最善の行動は、既に頭の中にある。
例え、襲撃者をこの一瞬で倒しても、振られている刃は慣性に従い、夏美に刺さる軌道を描いてしまっている。これに関しては、既に手遅れだと割りきるしかない。
(転移)
私は魔法を使う。
一瞬だけ、意識に空白が生まれ、私は襲撃者の前に転移をするが、代わりに魔法が数秒は使えなくなる。
「っ」
眼前に、刃の先端が見える。
無理やり夏美と、振られている刃の間に右腕を差し込む。自身を強化する為に、ひたすら魔力を右腕に集中させる。これ自体は魔法ではなく、魔法少女としての肉体を強化する為の力を、意図して部分的に集めているにすぎない。だから、魔法より早く行う事ができる。
――漆黒の刃が、私の右腕に食い込む感触がした。
「え?」
金属を叩くような、硬質なものが衝突する音が響く。気が抜けたような声が聞こえるが、これを発したのは、夏美なのか襲撃者なのかが、私には判断できなかった。
生暖かい液体が、夏美の顔に降りかかる。
(魔法少女の体でも、血は赤いのか……)
夏美の白かったスカートにも、私の血がついていた。
「冷……さん?」
まるで死亡フラグのように、夏美はこの場に相応しい反応をしているが、今はそんな事に構っている余裕はなかった。
刃は、私の右腕に突き刺さり、無理やり軌道を変える為に横向きの力を加えたので、傷口はかなり広くなっている。
(だけど、断ち切られることは無かった)
目の前にある刃は、私の腕を貫通しているが、肉に食い込む際に、勢いを大きく殺されていた。腕の中心より左側から侵入し、それでも止まらない勢いを反らす為に、骨に当てて力を入れた。
少しだが、皮膚の内側で刃がズレる感覚が生々しすぎて、私は顔を歪めてしまったが、痛みですぐに、些細な事はどうでも良くなった。
――沈黙と共に、数秒が経過する。まさか相手は、止められるとは、微塵も考えていなかったらしい。
馬鹿みたいに固まり、私と目が合ってしまう。
「……消えろ」
自分でも驚くほど、冷たい声を出していたと思う。
(魔法:
「ぁ……いやっ!」
刺さっている鎌が、形を保てなくなるように『消えて』いく。本来、武器だけは私を傷つけるに足る性能を持っているが、目の前にいる人物が、私をどうにか出来る実力を持っているようには、見えなかった。
「やめて! 消えたくない……!」
紫色の髪をした少女は、私に刺さる鎌を抜こうとして、必死な声を出す。
(聖域:起動)
これで、周囲に音が漏れることはない。この場にいる誰もが、異変が起きている事を認識できなくなる。だから誰にも知られず、ただ意味もなく目の前の少女は死んでいく。
「ああああああ――」
少女は端から形を無くしながら、霧のように消えていく。私に刃を向ける者は全て、消える定めでもあるのだろうか? この前の勇者といい、何者かは知らないが、目の前の人物もそう。シルフから聞いた特徴的には、武器の形が『剣』ではないから、魔王と呼ばれる者なのかもしれない。
(この後、夏美になんて言い訳しようかな?)
――自然に立ちながら、やはり『何者か』を殺したという実感は、何もなかった。
「冷……さん……ごめんなさい……私のせいで……」
夏美が固まっていた状況から回復する。私の血が顔や衣服についていて、せっかくのお洒落を台無しにしてしまったが、死ぬよりは良いと考える。
「見た目ほど痛くないから、気にしなくて良いよ」
(本当は、かなり痛い)
夏美は私の腕を見て、泣きそうな顔になっていた。
私は自分で言いながら、この状況で異常なのは、襲撃してきた者でも、私の傷を見て涙を流す夏美でもなく、自分自身であると改めて認識した。
武器の形状から見ても、本来は鎌などは『断ち切る』という用法をされるから、こんな怪我で済んでいることが不自然なのだ。魔法少女だとしても、夏美と比較しても私の基本性能は、壊れている気がする。
(それを言ったら、あんな奴が襲ってくることを、すぐ受け入れた夏美も、異常な部分があるかもしれないけど)
日本で普通に生活している限り、武器を持って襲われるという経験をする事は、交通事故に会う確率よりも遥かに低い。年間に何件かは事件として発生し、ニュースになる事もあるが、根本的な『治安』という意味では、日本はまだ高い水準にある。
もちろん、日本だって安全かと言われたら、詐欺にしろ精神的な被害にしろ、少ない訳ではないが、武力制圧される場面は相当に少ない。
「本当に、大丈夫だから」
夏美は手が汚れるのを構わず、私の衣服をまくり、右腕の傷口を見えるようにする。少し迷った後、夏美は自分のスカートを破りながら、傷口を強く縛って止血をする。
(案外、冷静だね)
見よう見まねというには、手際が良すぎる手当を見ながら、やはり魔法少女に選ばれる人物は、特殊な性質を持っているのかもしれないと考える。私が高校生の頃に、同じように目の前で怪我をした人物がいたら、戸惑ってパニックを起こしていたと思うから。
「救急車は呼ばないで」
夏美が手当を終えた時、救急車を呼ぼうとしたので、私はそれを止める。いくつかの意味で、病院に行くことはできないし、傷自体は変身を解けば直ると確信があった。
「で、でも……」
何か言いたげな夏美だが、私は周囲に満ちていく『異常』を感じ、それどころでは無くなっていく。
(まだ、何かあるの?)
――空が、黒い何かで覆われ、呪いのような力が地上に降り注ぐのが見える。
「夏美……変身しなさい。まだ終わってないから」
既に不自然かもしれないが、魔法少女の戦闘モードに変身する。普段の姿で戦闘を行ったのを夏美に見られてしまったが、言い訳はあとで考えることにする。魔法少女としての固有能力とでも説明して、適当な事を言って誤魔化されてくれることを、心の中で祈りながら。
(今日は、ついてないな)
夏美の変身を見ながら、先にこの場から転移させてしまおうか、少し迷った。さっきよりも、明らかに危険な気配を遠くから感じる。
(まあ、私が近くにいれば、大丈夫か)
そう呟きながら、使用中の『聖域』をさらに拡大していく。夏美にも、これで私の力がいくらか流れ込む。以前に比べて、私自身が強くなったとシルフは言っていたが、確かに魔法の影響範囲や、効果が桁違いに強くなっていた。
戦闘モードの今なら、誰にも負ける気がしなかった。
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