You are the one

増田朋美

You are the one

You are the one

そういえば今日は、あの事件の裁判がおこなわれる日だったね。ある障害者施設に、元職員が侵入し、利用していた人が20人近く殺されて、30人近くがけがをしたという事件だった。多分、障害のある人だったから、そのくらいの犠牲者数が出てしまったのだろう。普通の人であれば、もうちょっと少なかったかもしれない。犯人は、措置入院になって、病院から出たばかりの人だったらしい。それなら、私と同じなんだ。私だって、リストカットとかやめられなくて、入院させられた事は何回もあるならね。犯人は、障害者を殺しに来たと言って、施設の人たちを襲撃したそうだけど、それなら、何も罪もない知的障害のある人たちではなくて、社会にも役に立たないといわれ、家族にも疫病神と罵られる、私を狙ってくれればいいのにと思う。

実は私も、そういう障害のある人と、学生のころ関わったことがあった。病気になる前の事だ。学生ボランティアとして、障害者施設を慰問に行ったことがある。その時に会った、知的障害のある人たちは、みんな確かに、異常な行動をとっているように見えたけど、みんな、優しくてよい人達だった。大人の体を持った子供という感じのする、可愛い人たちだった。私が歌を歌ってあげれば、歌を歌ってくれた。私のピアノ伴奏にあわせて、踊りを踊ってくれた人たちもいた。だから私はそういう人たちを、変に嫌うとか、そういう感情は持たなかった。

でも、私は精神を病んでから、立場が変わった。働けないからという事で、家族は私を冷たい目で見るようになった。親戚の人たちは、みんな私に、親は期限付きだよ、早く働いて自立しなきゃダメだよ、と、親切にアドバイスしてくれる。それは間違ったことじゃないから、余計に私はつらい。このまま年を重ねていくと、8050問題とか言って、私は余計に肩身の狭い思いをすることになるだろう。そうなっていくだろう。時間が解決してくれるとか、味方してくれるなんて大嘘である。時間がたてばたつほど、残された期限が短くなっていき、親戚の人たちは、余計に腹を立てていくようになる。

親戚の中には、幼い子供もいた。そういう子供たちに対しても、私は悪い見本にされるに違いない。子供には、理想的に生きている大人ばかり見せておかないと、教育上よろしくない。だから、小さな子供は私も嫌いだし、親戚の人だって、そういう人間には会わせたくないだろう。特に冠婚葬祭などで、親戚が一堂に会した時は、働いていない私は、まっさきにだめな人間の代表選手になって、批判の対象になるようにしなければならない。背筋まっすぐ、胸張ってという動作は決してしてはならず、子ネズミのようにチロチロと、頭を下げて申し訳ありません、申し訳ありませんと言いながら、親切な批判の渦の中を、一生懸命耐えていかなければならないのだった。

そういう傾向が、年を重ねていくにつれてだんだんひどくなる。期限付きであると、早く私に知らせたいと思っているのだろう。でも、私は、それにこたえられない。焦れば焦るほど、私は不安定になって、余計にリストカットとオーバードーズを繰り返す。いくら精神安定剤をもらっても、カウンセリングで話を聞いてもらっても、根本的なことが解決しないなら、本当によくなったとは言えないのである。

偉い人たちも、年を重ねれば落ち着くから、それまでの辛抱とかそんな事はしなくていい。精神疾患になったのなら、直ぐに補助金を与え、直ちに患者を殺してもいいとか、そういう法律を作ってほしい。あるいは、二度と健常者の中に帰らないようにするとか、そういう風に法を整備してほしい。だって、精神疾患を患うと、患者も周りの人も、人生終わったも同然だもの。もし、私があの事件の犯人のように首相に手紙を送るなら、そういうことを述べたいと思う。

それに、私たちは、ほかの障害のある人からも、バカにされることが多い。障害のある人は、出来る限り自立して、親から離れることに、生きがいを感じている。それができない私は、足が不自由とか耳が不自由な人たちからも、親戚と同じことをいわれる。とにかく何よりも、今の時代は、一人で誰の力も借りずに生きて、その代わり金を作って家族に金を渡すことができないと、人間としてみてはくれないのだ。

もう、私は誰からも捨てられた人間なのだ。家族からも、親戚からも、社会からも捨てられた人間だ。あの事件の犯人は、なぜ、私のような人を狙ってくれなかったのか。あの人は、生きるに値しない命という言葉を使ったが、それは知的障害のある人を指す言葉ではなく、私のような、引きこもりと呼ばれている人、社会と何もつながりのない人の事を言う。戦時中は、障害のある人を殺し、その人の体を、鍋にして食べたという事件があったそうだが、出来る事なら、私もそのようになりたいと思うものであった。それだって、十分役に立つという事になるからだ。

今取れる対策としては、親が元気で、家庭が機能して、幸せな時に死んでおくことだ。逆をいえばそれしか方法もないのである。今のうちに死んでおけば、まだよい人間として送ってもらえる。もう少し時がたつと、ああよかった、やっとあの疫病神が死んでくれた、親御さんも楽になってくれてよかっただろう、と発言する親戚が現れてくる可能性もある。とにかく今の私は、家族にも、親戚にも社会にも、必要のない存在だ。これからも生きていたって、碌なことがない存在だ。だったら、あの犯人の死刑判決が出る前に死んでしまおう。私はそう決めた。家の人にはちょっと買い物に行くと言って、家を出て、スーパーマーケットに行くふりをして、私は別の方向に向けて歩き始める。行く所なんかどこにもない。東京のような都心部であれば、廃棄寸前の大きなビルがあって、そこから飛び降りることも可能なのだが、こんな田舎にそのような建物はどこにもなかった。さらに、海や川も近くにない。やるとしたら、電車に飛び込むことくらいだろう。私は駅に向かって歩いた。駅へ行くには、道路を歩くのではなく、バラ公園を直進していったほうが近いという事を私は知っていた。車で行く場合は、どうしても遠回りをしてしまわなければならないが、私は歩きなので、バラ公園を横切っていける。ちょっと得したなあと思いながら、私はバラ公園に向かった。

バラ公園は、近隣に遊園地ができてしまって以来、来場者はずいぶん減っている。用意してある広い駐車場も、止めている車は全くなくて、がらんどうという言葉が、全くふさわしかった。

しかし、バラ公園は、思ったより広くて、私が予想したより、通り抜けるのに時間がかかった。

丁度、自動販売機の近くに来た時だ。自動販売機の前に男性が二人いた。一人は車いすに載っていた。なぜか知らないけど、二人とも和服姿でいる。もしかしたら、芸人とか、そういう仕事をしている人だろうかと私は考えたが、二人の男性のうちの一人は、はっとしてしまうほど、きれいな人であった。その隣にいる車いすの人は、彼の引き立て役か。ちょっと間の抜けた感じの顔をしている。どうせ二人とは、面識もないんだし、黙って通りすぎればいい、と私が考えていると、車いすに乗っている男性が、私に声をかけてきた。

「おい、そこの可愛いお嬢さん、悪いけど、そこの自動販売機の下にある、五百円をひろってもらえないかな?」

何だか有名な落語家の決まり文句のようなセリフであるが、私は彼にそんなことを言われて、ひどく面食らってしまったのであった。

でも確かに、車いすの人には、自動販売機の下にある、御金を拾う事は出来ないだろうし、500円という金は、結構大金なので、拾ってやらなきゃな、と私は思い直した。彼に指示された自動販売機の下にすぐに手を入れると、500円玉が見つかった。私は、すぐにそれを取って、彼にはいドウゾと、手わしてやった。

「おう、ありがとうよ。で、お嬢さんは、何が飲みたいんだ?」

と、その人は言う。私は、ジュースが飲みたいとは、全くと言っていいほど思っていなかったので、いえ、要りません、と言おうとしたが、隣にいた、ファンタジー映画の妖精よりもきれいな人が、

「いいえ、僕たちがしでかしたことに手伝ってくださったんですから、お礼をさせてください。」

と、細い声で言った。単に艶めかしいとか、色っぽい男という訳ではなく、何かわけがあるような、力のない弱い声だった。私は、思わず、

「は、はい。」

とだけ言って、とりあえずコーヒーを一缶といった。艶めかしい男の人は、わかりましたと言って、目の前にある自動販売機でコーヒーを買って私にくれた。

「ありがとうございました。僕がジュースを買おうとして、千円札を入れたら、お釣りの500円を落としてしまって、困っていたんです。」

と、細い声で言う彼。私は、そういう彼に、この人は本当に今ここで生きている人なんだろうかと、思ってしまったくらいだった。

「水穂さんに、500円を落っことされて、お前さんも幸せだな。」

一緒にいた車いすの人が、からからと笑った。

「あの、あなたたちは、どういう方々なんですか?それとも、何かイベントに参加したとか?着物なんか着ていらっしゃるから、なにか訳があるのかと。」

私は、思わずそう聞いてしまった。聞いてはいけないことなのに、そんな事を言ってしまったのである。

「い、いやあ、イベントも何もないよ。理由と言ったら何だろう。僕らは、どうしても、ほかの人にはたどり着けない。ただ、それだけの話だよ。」

と、車いすの人が言った。

「でも、黒大島ばっかり着て。杉ちゃんは。」

と、水穂さんと呼ばれた人が、そういうことを言った。私は、黒大島というのが、どんなブランドなのか、その存在すら知らなかったが、杉ちゃんと呼ばれた人は、にこやかにからからと笑った。

「いやあ、たいしたものじゃないよ。黒大島が誰でも着られる一番の着物だから、着てるんだ。どんな身分の人でも着用していたのが、黒大島なんだからよ。もっと大切にせな、いかん。」

「よくわからないわ、その理屈。」

私は、もうこの二人から、離れたほうが良いと思って、では、ごめんあそばせといい、すぐに離れようと思った。しかし、そうする前に、大変なことが起こってしまったのである。

水穂さんが、缶コーヒーを飲もうとしたその時、彼はひどく咳き込んだ。杉ちゃんが、わあ何をする!といったのと同時に、水穂さんの口の中から、朱色の液体があふれ出た。

鮮血であった。そのまま、水穂さんは、缶コーヒーをもって、前方に倒れた。倒れても咳き込んだままだった。

「馬鹿野郎。こんなところでやるもんじゃないよ。とにかく立ってくれ。」

と、杉ちゃんが言っているが、水穂さんに通じているかは、不詳である。水穂さんは、弱弱しく咳をしていて、苦しそうだ。ほら、立て!と杉ちゃんが言っているが、それは無理そうだった。

「ああ、どうしたらいいのかな。僕には背負って運べないよ。おい、頼むよ。せめて立って歩いて、製鉄所に帰ろうぜ。」

杉ちゃんは、そういっている。私は、こうしている間に、何食わぬ顔をして、逃げるという事も出来たのではないかと思う。でも、私は、今回それをしなかった。太ったからだが、素早く逃げさせなかったというのもあるかも知れないが、私は、その場を立ち去ることは、なぜかしなかったのである。

「あの。」

私は、杉ちゃんに言った。

「よかったら、私、手伝います。何処の病院に連れていけばいいのですか?」

「病院なんてないのさ。」

と、杉ちゃんは言った。

「そんなところへ連れて行ったら、こいつが革の匂いが臭いとか、着物が汚らしいとか、そういうことを言われてしまうから、僕は連れて行かないよ!」

着物が汚らしい?革の匂いが臭い?その言葉には聞き覚えがある。子供のころ、私の母が、趣味で革細工の教室に通っていたことがあった。そこの講師の先生が、幼いころは、革臭いなんて言われていじめられたと話してくれたことがあったのだ。私は、その時ちゃんと聞いていなかったけど、その先生が言う事には、昔、死んだ動物の革の処理や、人間の死体の処理をさせられて、差別的に扱われていた、身分があったという。

「この銘仙の着物が何よりの証拠だ。すぐに身分がばれちまうよ。だから、病院には連れていきません。そんなことしたら、余計にかわいそう。それだったら、製鉄所に連れて帰る。」

杉ちゃんの一言に、私も覚悟を決めた。

「わかりました。私が彼を連れて帰りますから、製鉄所というのは、どちらにあるのか、教えていただけないでしょうか?」

「おう、ここから五分くらいかな。僕についてきてくれたら、すぐわかる。お願いしていいか?」

「わかりました。」

私はすぐに、そのきれいな人を背中に背負った。信じられないほどの体の重さだった。その、空っぽの米俵を背負わされているような気持ちで、私は杉ちゃんの案内に従い、彼を製鉄所まで連れていく。その間にも、背中の上から、水穂さんが、弱弱しく咳き込んでいるのが聞こえてきた。私は、何だか、こういう歴史的な事情を持った人物を背負っていると、何か彼の事が好きになったというか、そんな気がしてしまった。

製鉄所と言われた建物は、私が想像していた製鉄所という感じとは程遠く、大規模な日本旅館という感じであった。杉ちゃんが、おう帰ったぞ!と言いながら玄関の戸を開けると、一人の若い女性が、駆け寄ってきた。彼女は、大変心配そうな様子だった。

「ああ、由紀子さん。待っていてくれてありがとうな。自動販売機の前でこの通り、ぶっ倒れちまってよ。この人にお願いして連れてきてもらっただよ。」

杉ちゃんがそう説明すると、、由紀子さんと言われた女性は、

「ああ、ありがとうございます。申し訳ありません。あとは、私がだきかかえて連れていきますから。」

と、私に言ったのだが、私は、

「いえ、心配なので、ちゃんと良くなるまで、そばに居させてください。」

といった。杉ちゃんが、ここでもめているのなら、早く薬を出してやってくれ、という。由紀子さんもそう思ってくれたらしく、こっちへ来てくださいと、私を建物の中へ案内した。

建物は、長い廊下でできていた。鴬張りという、人が歩けば音がする廊下を歩くと、きゅきゅきゅとけたたましく音を立てた。そうか、水穂さんには、由紀子さんという人がいたのか。私は、なんだかちょっと、落ち込んでしまうような気がした。

そのまま由紀子さんに案内されて、私は、四畳半の部屋に通された。その部屋には、布団が一枚敷いてあって、私は、由紀子さんに言われるがままに、水穂さんを下ろして、布団のうえに寝かせる。その間に由紀子さんが、液剤の入った吸い飲みを持ってきて、まだ咳き込んでいる水穂さんの口の中へ無理やり突っ込んで中身を飲ませた。数分後、聞こえてくるのは、咳き込む音ではなくて、すやすやという、しずかな寝息に変わった。

「ああよかった。危機一髪、助かったぜ。」

杉ちゃんが、大きなため息をつく。

「ありがとうございました。」

由紀子さんは、私に向かって頭を下げた。引きこもりで、地球のごみくらいしか価値のないはずの私が、どうして頭なんか下げられなければならないのか、私は、不思議で仕方なかった。

「いやあ、素直に喜んでくれればいいんだよ。もし、お嬢さんの対応が遅かったら、水穂さん、出すもんを出せなくて、逝っちゃったかも知れない。」

杉ちゃんにそういわれて、私は、そんな人助けができるような人間ではありませんと、いうべきか、言わざるべきか迷った。でも、由紀子さんも杉ちゃんも丁寧にお礼を言っている。と、いう事は私は、一助けしたというのだろうか。相手がどんなに低い身分の人であったとしても、人助けは人助けなのだ。

「本当に、ありがとうなあ。缶コーヒー一缶じゃ、お礼として足りておらん。代わりに、柿でもお渡しするから、そこで待っていてくれよ。」

杉ちゃんがそういって、四畳半を出ようとするが、私はいりませんといった。私はとてもそんなものがもらえる人間ではないと伝えたかったのだが、

「いいえ、持って行ってください。出ないと、私たちも、申し訳ないことをしてしまった事になります。」

由紀子さんに言われて、私は、差別とはこういう事なんだなという事を、何となく知った。私がされている差別というものは、水穂さんが受けている物に比べたら、まだまだ軽い方なのかも知れないのではないか。水穂さんは、病院に行くことさえできないけど、私は、病院に何度もいっている。

「わかりました、柿を持って帰ります。」

私がそういうと、杉ちゃんたちは、嬉しそうな顔をした。水穂さんは、気持ちよさそうな寝息で答えた。

帰り道、私は、水穂さんの事を考えてみる。彼が受けてきた差別というか、つらさは計り知れないだろう。でも、私は、まだ、家族の下で生きていけるし、病気であっても病院にも行ける。食べ物は、とりあえず家族のおかげでありつける。私は、そういうことは基本的にできているけど、水穂さんという人は、きっとそうはいかなかったんだろう。だから、ああして、私が助けたときに丁重にお礼をされるのだ。私は、人助けをしたと自分では思っている。でも、水穂さんは、若しかしたら、単に助けてもらっただけと、解釈してはいけない。そういう運命にあるのかもしれない。

「そうね。私も、もう少し、頑張らなきゃいけないわ。」

あの事件の犯人は、障害者が一番世の中で邪魔なものだと思ったのだろう。でも、本当に世の中で一番邪魔なものは、また別の者のような気がする。

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