第9話 揉め事とケンカは邪神の華
「自分の飲んでる酒をわざわざまずくすることもないだろう。俺達は宿の方に用があるからすぐに通り過ぎるよ。だから気にしないでくれ」
シンの目線を遮るように前に出てデベルの近くまで歩きながら、さっきよりもさらに柔らかい声を意識して話す。
しかし、煽った相手の余裕のある態度が気に入らなかったのか、デベルはジョッキを手にしたまま立ち上がって見下ろしてくる。
俺より頭一つ分以上でかいな……。まさに大男といった感じで、背が高いだけでなく腕や脚も太くがっしりしていて迫力はある。
一触即発の空気を感じたのか、はらはらとしていた店員少女が店の奥、おそらく厨房の方へと入っていく。
別の店員が出てくるまで待ちたいところではあるのだけど……、これ以上このデベルにシンを刺激するようなことを言われると困ってしまう。惨劇を避けるためにも、“適度な”ケンカができそうな俺の方が矢面に立っておくしかないよなぁ。
そして俺が思っていたよりもデベルの気は短かったらしく、そのまま無言でジョッキを持った方の腕を振り回してきた。
「あっは! やりなぁっ!」
にやにや見ていた女がうれしそうな声をあげるのが聞こえる。こいつが一番ろくでもないのではないだろうか。
そしてなかなかの速さと勢いでジョッキは俺の側頭部から拳一つ分程度の位置まで迫っている。このまま当たった所で濡れるのが嫌っていう程度の被害でしかないのは確かなのだけど……、まぁさすがに一方的に絡まれて殴られるまで我慢するつもりもない。
「よっ」
掛け声を軽く発しながら、左側から迫っていたジョッキを持つデベルの右手首を手のひらではたく。
「ぬあっ!?」
それでデベルの右腕の勢いは反転し、ジョッキの中身もにやにや女の頭頂へと降り注ぐ。正直狙い通りだ、後悔はしていない。
しかし腕を弾かれたデベルはそれでスイッチが入ったのか、左手を軽く引きながら腰を落とすような素振りをみせる。これ本気で殴りかかろうとしているな……。
ここまでの流れで少しだけイラついた気持ちをデベルの足元へと向けて、怒りに歪もうとしているデベルの顔の側面へは右手の甲側を軽くぶつけていく。
「ふぁっ――っづ!」
側頭部をはたいて驚かせつつ仕掛けた邪気による足払いによって、大きなデベルの身体は四分の一回転しつつ床へと落ちる。叩きつけるようなことはしていなかったけど、重そうなデベルの図体はなかなかに重厚な音を立てた。
「何すんだいっ!」
「兄貴をすっころばす何て……、やるじゃねぇか地味な兄ちゃん」
「……」
床に倒れるデベルは目を白黒させているものの、座ってみていた小柄な方の禿頭男は意外なことに素直な感心を示してくる。
高い声で叫んでくるにやにや女と、一瞬こちらを見ただけでやはり豆料理を優先している陰気男は予想通りのリアクションだ。
「終わりました?」
そこで低く重厚だけど懐の深そうな優しい声がかかる。見るとエプロンを付けた料理人らしき細身の男性が、優しい造形の顔に困った様な表情を浮かべながら、お玉を持ってこちらを見ていた。
「――っ! はい、終わりやしたよ! 何も問題ねぇです」
「そうですか」
デベルが寝そべった体勢のまま、おかしな敬語でそういうと、料理人はあっさりと奥へと引き上げていった。この態度の変わりようを見るに、あの人はああ見えて怖い人なのだろうか? 他の三人も赤くなっていたはずの顔色を白くしている。
「もう、もっとちゃんと言ってよ」
しかし料理人を呼びに行っていたらしい店員少女は、不満を隠そうともせずにぶつぶつと口にしながら、入れ替わりで食堂フロアへと戻ってくる。結局あの料理人は怖い人なのか見た目通りに頼りない人なのかが分からないな。
デベルたちはもうこれ以上揉め事を起こすつもりはなくなったらしく、いそいそと飲み会へと戻っていく。とはいえ、元にやにや女は睨みつけ女へと変化してこっちを見ているし、小柄禿頭男は逆に友好的にすら感じる視線をちらちらと向けてきている。
なんか、宿に部屋をとりにきただけだったはずなのに、さっそく揉めてしまったな。けど溜飲が下がったのか、シンはけろっとした表情をしているからまぁ良しとしておこうか。
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