第3話 追撃の光神、逆撃の邪神

 「――ふぅ、よし落ち着いた」

 「お、おぉ……、急に冷静になったの。泣き喚く方がむしろ普通じゃと思うが……」

 

 泣いて叫んですっきりした俺が背筋を伸ばすと、すぐ横から急に落ち着いた俺に戸惑うシンの声がする。

 

 「ま、地味さと切り替えの良さが俺の取柄だから、それにしても……」

 

 言いながら振り向くと、そこにいたのは俺の肩ほどまでの身長の小柄な少女だった。太陽の光を静かに反射する銀髪は、やや乱雑に切り揃えられた毛先が肩に乗るセミロング。全体的に細身の体型は幼さを感じさせるものの、綺麗で大人びた造形の顔と、優しげな垂れ目の印象が強くむしろ全体的には大人のお姉さんという言葉がぴったりだった。

 

 しかし何より目を引くのはその瞳、髪と同じ銀色をしたシンの瞳は透き通るように綺麗でありながら深く、暗い。それはこの女性が見た目通りの存在ではないことを強烈に意識させた。

 

 「なんじゃ、固まって? それほどわたしの美貌は衝撃的か?」

 

 銀の瞳に魅入られるように固まっていた心身は、虚無の暗闇の中で聞いた声で話しかけられて一気にほぐれる。今更どういう存在かなんて、どうでもいい事だったな。

 

 「いいや、普通に人の形をしてたからびっくりしただけだよ。もっとタコっぽいなにかかと思ってたし」

 「ふふ……、いい度胸しとるのぉ。ばかでっかい邪気を持っとるからというて、老練なわたしに勝てるとでも……っ?」

 

 俺の誤魔化すような軽口に乗って、シンも目を細めてじゃれるように挑発をしてくる。しかしその途中で何かに気付いた様に虚空を見据えて押し黙ってしまった。

 

 「どうした?」とは聞くまでもなく、俺の方でも感じ取っている。あの空間に長くいたおかげというのか、存在そのものを感覚的に察知することが、五感とは別の何かで可能になっているからだ。

 

 そしてこの空間とは違うどこかから近づいてくるこの気配、これは知っている。

 

 俺とシンが揃って近くの低木の方へと視線を向けていると、さほども経たずに空中から染み出す様にして黒髪の女性、あの光神が出現する。

 

 「何をどうやったのですか? 次元の牢獄のコアパーツであるそれを分離させたばかりか、一瞬にして空間そのものを爆縮消滅させるなど。しかもヒカルさんは巻き込まれることなくこのような辺境世界に無傷でいて、しかも……ただの人であったはずが、なんですかその邪気は?」

 

 平坦な声音での“ヒカルさん”という呼び方に、一瞬にしてあの時のことを思い出す。それ程昔だという実感はないけど千年前、地獄が始まった日のことだ。そしてあの日と同じ無表情で話すこの光神に対して、黒い感情が湧き、それが血に溶けて全身を流れるような感覚がする。

 

 自分でも抑えきれない衝動的な黒い何かを誤魔化すように、努めて何でもない風にしてシンへと話をふる。

 

 「なぁ、シン。物騒なワードが聞こえた。爆縮消滅とか何したの?」

 「おん? あの空間から別世界であるここまで次元跳躍するエネルギーを確保しつつ、あの忌々しい牢獄を綺麗に消し去るという一石二鳥の妙技じゃな」

 「たしかに……」

 

 要するにさすがのシンでもあの場所から別次元へと跳ぶようなことは普通にはできないから、あの空間そのものを燃料にして勢いをつけたって訳か。

 

 ああいう特殊な空間が起点の場合は別として、目的地を指定しない次元跳躍なら今の俺ならできそうな気も実はしている。けど、どうもそれをすると非常に消耗しそうだから、跳んだ先で今の様に待ち構えられると危なそうだ。

 

 そしてつまりは今の状態なら何も危なくはなさそうだ。俺はもはや人ではなく実質邪神らしいし、その俺からしても底のしれないシンが隣にいる。

 

 ……というか、いくらなんでも光神から威圧感がなさすぎる気がする。解放感で浮かれてるのかな?

 

 「余裕ですね。しかしその物言い……、そこの元狂神にかつての力が残っているはずがないのですが」

 「そうじゃな、おかげ様ですっかり弱くなっておるよ。しかし面白い剥がされ方をされたもんでなぁ、そう捨てたものでもないぞ? お前があの牢獄に放り込んでくれたこの、ヒカル様様というわけじゃな」

 

 話の流れでシンが俺の名前を呼んだことで、再び嫌な記憶の起点を刺激される。俺の名前は光と書いてヒカルなわけだけど、これが光神を想起させて不快に感じるから。

 

 「うん、やっぱり気分悪いからその名前捨てる」

 「おん? また急に話題を変えたのぉ。ま、気持ちは分かるが。それで、何と呼べばよい?」

 

 聞き返されて一瞬口ごもってしまう。何も考えずに宣言してしまったからな。

 

 まあこだわりがあって改名する訳でもないから適当でいいか。

 

 「闇……、ヤミでいい」

 「ふむ、シンプルでわかり易くて上々といったところじゃな。ではわたしから姓も授けてやろう、ヤミ・クルーエルと名乗ると良いぞ」

 

 でたシンの名前ダジャレ。狂える闇だろこれ、何か似たような意味の英単語でもあった気がするから、多少凝ってるのが微妙に腹立ってくるな。まあいいけど。

 

 「気は済みましたか?」

 

 表情は変わらないが光神が声を微かに低くして半歩踏み出した。もしかして苛立っているのだろうか。だとしたらざまぁとしか思わない訳だが。

 

 「調子に乗りおって、わたしが気付かんとでも……」

 「いや、ここは俺が」

 

 動こうとしたシンを制して一歩前に出る。何かを言いかけていたけど、そろそろ衝動を抑えるのが辛くなってきた。

 

 何の衝動かというと、当然この光神への攻撃衝動だ。全身を駆け巡る血に溶け込んだ凝縮した恨みを、この衝動で勢いをつけて解き放つ。

 

 ぱんっ!

 「へぐっ」

 

 乾いた破裂音を伴って光神がのけ反った。頭を炸裂させるくらいのつもりで自分でも何かがよく分かっていない力を叩きつけたのに、光神の全身を覆う不可視の膜に衝撃は大幅に削がれてしまった。

 

 まあ、変な呻きを出させて少しだけ笑えたから、初手としては良しとしよう。

 

 のけ反った上体を起こした光神は、まるで傷の付いていない顔でこちらを見る。とはいえ見た目はともかくこれだけで結構なダメージが入ったことが感覚的に察知できる。

 

 生まれたての邪神が力任せに殴りつけただけみたいな攻撃で効いている……、やっぱりこいつ

 

 「ヤミの考えとる通りじゃよ、これは偵察に来ただけのハリボテということだの」

 

 状況を察知して慌てて様子を見に来ただけってことか。

 

 「……」

 

 光神は何も言わないが、片方の眉が微かに動く。こいつの表情が動くところを始めて見た気がする。

 

 「ヤミ、さっきの要領で、次は放つ邪気に何でもいいから色を付けるようにしてみぃ」

 「いろ……?」

 

 よく分からないけど、とりあえず言われた通りにやってみよう。俺の力のことはシンは邪気と言っているし、俺の中でも流動化した恨みの塊みたいなイメージだから、色をつけるなら黒しかない。

 

 「おお」

 

 イメージした瞬間に俺の目の前に拳大の黒い円が出現する。ここから射出する感じでさっきみたいに攻撃衝動を……

 

 「消えろっ! 目障りなんだよ!」

 

 率直な思いを口から出すと同時に、黒い円からこれもまた黒いタコの脚のようなものが幾本も飛び出て宙を走り出す。

 

 それは出現元の黒い円の直径よりはるかに大きく広がりながら立ち尽くす光神のハリボテへと殺到していく。

 

 「想定以上に……、有望だのぅ」

 

 シンの感嘆した声を聞いて肩の力を抜くと、地面を抉るように突き刺さっていた黒タコの脚が消滅し、デコボコに抉れた地面と低く宙を舞う砂埃だけが残る。

 

 「消えたか?」

 「そのようじゃ、十分に力を見せつけたから次にあの光神がちょっかいをかけてくるのはそれなりの準備を整えてからになるじゃろうの」

 

 それはそれでちょっと怖いな。まあここはしばらくは自由に行動できると前向きに考えておいた方が気も楽か。

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