第2話突然 母がいなくなった
母は口をパクパクしている状態でも洗濯やご飯を作ってくれていた。洗濯物を干したり、乾いた洗濯物をしまう納戸という部屋に布団とタンスが並んでいて 布団は押し入れに洗濯物は干しっぱなしか下に落ちてたりする。料理はハンバーグを作っていたところをみたことがあり、調度ハンバーグの空気を抜くとこでした。その種は玉ねぎが短冊切りで種からはみ出していた。玉ねぎはみじん切りだよとツッコミたかったが、一所懸命作っているところをみると言えなかった。みての通りあまり家事は得意そうには見えない。家のなかも埃がたまり、書類や封筒がテレビのブラウン管の上に重なり小銭が散らばり汚かった。
ある日、学校から貰ったプリントを母に渡しました。内容はPTAの集まりで授業が終わったあと生徒が帰ってからお母さんたちが集まって歌を歌ったり話をするお知らせでした。
その集まりの日に母は午後の授業が始まるくらいから教室の前の廊下に立っていました。しかも雨が降っていたのかびしょ濡れでした。どうしたんだろうと母をみていたら、5限目が終わり休憩時間なったら、母がいなくなったので帰っていったのだと思っていました。6限目の半ば頃 また母はやって来ました。さすがにおかしいと先生は思い、
「授業参観ではないので」
と注意して母は廊下から出ていきました。
授業とホームルームが終わりお母さんたちが集まってきました。母もその輪に入り歌を歌っていました。母はPTAの集まりに行ったりしないのに大丈夫かなと思いましたが、母を置いて帰りました。
家に帰るとすぐに母も帰ってきました。
「授業参観じゃぁないじゃない」
とすごい形相で怒鳴ってきました。私はプリントを母に渡しただけなのになぜかすごく叱られました。
母はよく
「お父さんとお母さんはどっちが好き」
と聞いてきたり、
「お父さんとお母さんのどっちに付いて行く」
と弟と私に聞いたりしていました。私は母が怖いと思っていたので
「付いて行くならお父さんがいい」
と答えていました。よく父と母は言い合いになっていました。それは母の病気のせいで訳の分からないことをいい、父は無視をすれば良いのにその言葉に反応するからです。例えば
「この家は私のものだ、家から出ていけ」
とか救急車がピーポーと鳴り出したら
「迎えがきたよ」
とすかさず父は
「これは俺の家だ」
「お前を迎えに来たんだよ」
とか毎晩 言い合いをし怒鳴っていました。
日曜日に海水浴場に行きました。車に乗って向かっている途中で喧嘩をしたのか 車から下り母と私は手を繋いで家に向かって歩いていました。父はすぐに車で追いかけ車に乗って帰りました。
後で聞いた話なのですが、母はそのあと 家を出て母の実家に帰っていました。母の実家から(迎えに来てほしい)と電話があり、父は迎えに行きその日は収まったのですが、次の日にお金がないのに郵便局の保険で借金をして大阪にいる姉の家に逃げ出しました。
私はそんなことになっているなんて知らないので学校から帰って来たら、母がいなくてなっていてどうしたんだろうと思いつつも怖い母がいない嬉しいと思っていました。私が小学2年生の時でした。
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