生きるの限界
まったりん
第1話
『生きるの、限界』
福島某所。
「浪人したんだって、ふーん。頑張れよー」
「…………………」
わたしが最後に聞いた言葉はそれだったのかもしれない。十九歳の夏。わたしは予備校に通うでもなく、自宅でたばこを蒸しながら1日を過ごす。壁の部屋は黒ずんでいて、それでもって、黄色く薄汚れている。わたしは実家にいる。上京するお金もない。捻出するためにバイトをしなくちゃいけないのだけれども、いかんせん、バイトをするといってもコンビニかガソリンスタンドしかない。どっちも立ちっぱなしだし、身体にはイマイチよくない。しかも、深夜バイトになる。時給はいいかもしれないけれども、深夜のバイトは昼夜逆転になってしまう。そうなると、わたしはどうしたって、昼か、もしくは疲れ切っているならば、夕方くらいから勉強を始めなくてはならない。そうなると、ほんとうに苦しくなってくる。寝て起きたらどっと疲れてて、それでもって、ペンを握ったりするっていうことは難しいんだ。数式を書くのが辛い。わたしは理系かぶれの文系だった。どことなく、自分はできる人間だと思いこんでいた弊害の産物なんだけれども、ほんとうに物事を落ち着いて理解するというのが苦手でいつも赤点であった。で、プライドもあった。いつもやったふりをして、テスト勉強に関してはなによりも帰ってくるテストを隠しては誇らしげにしていた。意地の悪い化学教師は、テストでいちばん点数が低い人間を名指しにして鼓舞する習慣、というか、悪習があった。曰く、そうすることによって、昔いた成績の悪い生徒はなんとかして成績が上がっていったという前例があるらしい。それがあるから、わたしにもそれが通じるというわけではないのにと、わたしは思った。事実、短時間で済む小テストのときにそれで困ることはなかったが、やはり長期間かけて熟成させないといけないということになれば、わたしのボロが出てしまうというわけだ。先生は意地悪なので解答をすぐに渡してくれようとはしなかった。黒板に書くのを恥辱に震えながらうつすしかなかった。そもそも、先生は大切な説明の過程を省くひとであった。だから、数式を書いても苦痛であった。意味のわからない文字を何回かして、書き写してはなんとなくおぽえていっている。これでも十先に役に立つことはある。覚えないよりもマシな考え方だ。
しかし、記述式はむりだ。何度書いたって、自分が自分じゃなくなっていく感覚しかない。これに何か本当の意味はあるのだろうかと感じて、わたしは書くのをやめた。それでも、いまだに何かに縋り付いて数3の微分積分やら物理の電磁気の公式やらをノートに書き殴っている。
しかして、わたしはもうすでに文系だ。文系浪人。恥ずかしくて仕方がない。さっさと歴史上の人物や名前、古典文法、英語文法を覚えていけばいいっていうのに、手が動かないでいる。聡い自分を演出するために書いた文字が、どことなくすべての希望のようなものに思えてきて、でも、それは意味のないものなのだ。
夏は暑い。
冷蔵庫で冷やしてあった透明なポトルに入ってある麦茶を持ってきて、それをとくとくと注ぐ。氷を入れる。そうすると、この世でいちばん大切なものの何かができてきたような気がする。それを一気に飲むと胃が痛くなった。木造建築の家をドタドタと歩き回る。そして、トイレに行き着く。トイレをしているときに気がつく。わたしは自宅で浪人している馬鹿な女だっていうこと。理系かぶれの落ちこぼれ。どんな風に考えたってそう。携帯をみる。時間は夕方。もう見なくてもわかるくらいか。夕焼け空が小窓のほうから見える。そのまま、太陽が落下してきそうであった。
携帯を開く。わたしの趣味は漫画を読むことと、インスタグラムを見ることくらいだ。漫画を読むことができる本屋さんまでは距離があって、わたしは行くことができない。というよりも、行きつけの本屋さんの漫画は丁重に見れないようにラッピングされてしまうようになっていた。うずたかく積み重なった本屋には、一冊ずつだけど本の端が黒くなった本がある。ただで漫画を見ることができるのだ。それはすごいことだ。きっと、最近の読書量低下を招いたときにする策として漫画を解放したんだと思います。それはそれで盛況していて、子供たちのたまり場になっていました。子どもって、漫画が好きですからね。自分も漫画は好きです。ワンピースとか、ハンターハンターとか。みんな夢を持っていて格好いいですよね。仲間思いで、優しくて、情に厚くて。わたしにもそんな力がほしかったです。わたしは筆を持って争うことしかできない。そんなこと言ったって、やったふりなんですけれどもね。やったフリするのは好きなのかもしれないです。お似合いというか。
夜になって、畳の自室で勉強します。自分の勉強はいまいちです。世の中の皆さんはどんな風に勉強されているのでしょうか。わたしには理解できないです。メルカリで買った参考書を片手に勉強します。今日は世界史。海外に行った気分でかぶきます。カタカナの名前ってなんだか覚えやすいんですよね。平仮名はまぁまぁ。それなりには。漢字は苦手ですね。『薔薇』とか『憂鬱』だとか、一生かかっても書ける気がしませんね。それがわたしの知能の低さを示しているのでしょうかね。わたしは賢くないですから。賢くなろうとして賢くなれなかった大馬鹿ものなのです。チーズケーキ食べたいなぁ……なんとなくそんな気持ちになりました。いかにも集中ができ無くなって、わたしはボーッとしてしまいます。せっかく書いた落書きに、パステルカラーの黄色がほしいくらいです。画材屋さんなんてあったでしょうか? 黄色の絵具は襖を開けた下の階の和室にあった気がします。でも、取りに行くのはなんだか嫌ですね。親と顔を合わせてしまいそう。わたしは親は嫌いです。ので、この今世紀最大傑作の絵に色を塗るのはこれからにしましょうかね。朝起きて、なんだか辛い気持ちになる気がしますが。まあ、昔はイラストレーターになりたいとか思っていましたもんね。けど、落書き程度で終わるし、ピクシブに乗せたところで、十人くらいが通りかかっていってそれでおしまいですよ。アカウント作っても、すぐに消してしまいますね。それでいいんです。自己満ですから。それ以上の何かを求めるっていうのはどこか違うんです。と、インターネットを携帯で見ているときに、かんかんかんと、こちらのほうに歩み寄ってくる足音を聞きました。一体なんなのでしょうか。わたしはボーッとしてしまっているので、気がつくことはありませんでした。
「あ、浪人のあねごじゃん」
「…………うるさい」
わたしには妹がいます。とっても生意気です。なんでそんなに生意気になれるのかどうかっていうことが分からないくらいです。ひとつしたで、わたしよりもうんと偏差値の低い高校に通っています。たしか、偏差値ランキングではいちばん下だった気がします。どうしたらそんな学校に入れるとかとか、そんなことを言いそうでしたが、わたしは口をつぐみました。わたしにとっては妹が高校に入ってくれただけで嬉しかったのです。高校に行けない人も珍しくはありませんですからね、田舎では。そういう人とは関係をもたないようにしていました。中学校からのつるみとか、そういうものもありましたが、わたしはそういうものとは一切合切縁を切るようにしたのです。けれども、妹との縁は切れませんでした。家族ですし。家族ぐるみの縁。わたしは家族というものを信じています。いまは核家族とか別世帯とか、そういう言葉が浸透してきて当たり前のこととなっていますが、わたしにとって言えば、それはなんだか寂しいことです。いつも。みんなして布団の中に入っては優しい匂いの中に埋れて、幸せな将来のこととか、いっぱいいっぱい話したいものでした。わたしはもう、そういう歳でもない気がしてきました。歳言ったらどうしろとか、こうしろとかいろいろ言われます。今のわたしは勉強するしかないのでしょうね。勉強。勉強ですか。いまいちする気にもなれないで、わたしは妹を呼び止めて会話することにしました。
会話の内容はこうです。「漫画を貸してほしいな?」とか「わたしの髪留め盗んだでしょ?」とか、ほんとうに他愛のないことばかりでした。わたしが見ないうちに、妹はなんだかこなれていました。そのまま渋谷や原宿にでも召喚すれば、その場にそぐわないということはないくらいに、です。「将来の夢は?」と、聞いてみるとわからないと言っていました。わからない、なるほど。それは間違ってはいません。むしろ、あっています。だって、わたしだってよくわからないのですから。大学にいけばなにか変われると思っているのです。まるで、大学に行くことが義務であるかのように。大学に行くことは義務なのでしょうか。毎年、100万円もお金を入れないと行けません。それから生活費。家電を買うためにもお金がかかります。月五万円程度の家賃も納めなければなりません。それから電気代に、区役所に住民票をとりに行ったり、ガスを入れてもらうためにガス会社に連絡したり。また、家のものを持っていくことはできません。また、同じものを買うというお金もありません。あぁ、それは間違いじゃないのでしょうね。バイト、ですか。バイト。
明らかに、地元といわれる集合体には、時給の良いアルバイトをすることができるところはありませんでした。国は時給をちょこっとだけ上げていってくれているらしいですが、地方に反映されるまでは時間がかかるのです。田舎クオリティ。わたし達は、最低賃金の下で働かざるをえないというわけです。これはあるあるじゃないでしょうか。でも、わたしはそんな環境を恨んだりとか、そういうことはしていませんでした。ただ、そうあるがままにバイトしても、一年分の私立の大学の学費さえ払うことはできないのですからね。そう考えると、ほんとうに生意気なんですが、バイトをするという行為が無駄に思えていってしまったんです。浪人が決まってからの数ヶ月間はしていました。罪滅ぼしのためなんかじゃありません。ただ、自立したいという気持ちがあったからです。いま考えてみると、不思議なことかもしれませんね。“気持ち“はあったのですが“結果“がついてくるということはありませんでした。それでわたしの口座には12万円振り込まれていることを知りました。そのお金はとっておいていますし、手帳にもきちんと記されています。12万円はほんとうにびっくりするくらいの大金でした。わたしが家のなかで苦しい苦しいと唸っている時間を労働することによって、補うことができたのです。ただ、だいぶ寿命が縮まってしまったので、すごく苦しかったし、辛かったのはたしかです。どんな風な履歴書を書くべきか考えて浪人と書きました。薄く暗い控え室で「浪人生なのに、こんなところで働いて大丈夫?」といわれましたが、わたしは「あんまり気にしてないので大丈夫です」と、言いました。それはたしかにあっていました。気にはしていませんでした。わたしのような人間がなにか仕事を受け持つということになれば、資格はないので当然やることは決まっています。重労働です。肉体を酷使してずっと立って単純作業の繰り返しです。そのときの視線はひどく苦しかったです。これはわたしの勝手な妄想で言われたわけではないのですが、わたしはレジの前でバーコードーを入力して打つ「高卒で就職するわけでもなく、大学に進学して県外に行くわけでもない福島のならず者」というものになっていたんだと思います。わたしが言うのもなんですが、わたしは精をだして働いていました。それでも、世間の目から見てみると、私はどうしようもないくらいのならず者でした。あまりの辛さに、世界でいちばん頑張っているのはわたしなんじゃないかなと言う感情さえ芽生えていました。しかし、ならず者です。どうしたって、わたしはならず者なのです。レジからお金を取らないで働く(当たり前)、大きな声でまるで運動部の練習のように声を出して接客業する(辛いからなるべく控えたい)。
そんなことを繰り返してやるのは、やっぱり未熟ものなんだとしてたかが知れているとみなされてもおかしくはありませんでした。どんなに声を出してもえぇ、貼られたレッテルというものが剥がれることはありませんでした。それで、わたしはやめたのです。経験として得たのは労働するということは辛いということでした。人によるのかもしれませんね。でも、わたしは辛かったです。もしも、大学に行くことができて、また労働しなくてはならないということになれば、大学に行きたいと考えることは当然のことでした。その辛さからして、そこから離れたいがゆえに、東京の私立。東京の私大。テレビで見ると、いっつも綺麗な桜並木に溢れていて、それで、綺麗な私服を着ている大人の大学生達が歩いている光景。わたしはそれをひとり居間で見ては、ひどく嬉しいなと興奮したものです。ああ、そうすれば、私服代もかかるかもしれませんね。そう考えると、悲しくなってきます。嵩みます、どう考えても。私服を選んだり見ては頭のなかでコーディネートするのは好きでした。それを買うだけの財力はないです。せいぜい、しまむら。贅沢してユニクロ。ゲーム倉庫のようなセールの棚から買うことも多かった気がします。なにより安かったから。安いっていうのはそれだけ魅力的なことなのです。だからこそ、どこかの牛丼屋さんもそれなりに安い価格設定を売りにしていました。安ければ良いってもんじゃないとか、そんなことを言うことができるのはまだまだ裕福な人が言うことであって、わたしにとってはそんなことはどうだって良いことでした。着れればいいんです。匂いがキツかったら、それをなおすようにしてファブリーズなりすればいいだけの話です。
わたしはそれでよかった。わたしは、部屋の外にでてぐるぐるしていました。暗記物を覚えるときの癖です。じっと座っていることもできず、わたしは長い廊下に立って、右往左往していました。レベルが高い学校ではありませんでしたので、机に座ってテスト直ししているとわたしのことを“ガリ勉“と揶揄する人がいました。なので、わたしはあんまり座って作業をすることができませんでした。そんな風にわたしのことを罵った人は、地元の郵便局で働いているらしいです。それがなんだか、わたしにとってはいただけませんでした。でも、バイトらしいです。わたしがバイトしているときにそんな風にバイトしているとか考え出したらきみが悪くって仕方がない。もしも、何か提出する際にそこにいて、わたしの担当でもしようものならば、また心のない言葉をかけられても仕方がない気がしました。だから、願書なんかをだそうと考えたわたしは、どこか別の、隣町にでも行って出そうかな、と、思いました。赤く寂れたポストに投函でいいならば、わたしはそれでもいい。でも、重要な書類の類いはきちんと係員に渡さないと聞きました。それはそれで憂鬱でした。もしも、わたしがまだ将来に希望を抱いていて、それを消し炭にしようとするために、紙をまとめて全て捨てにかかるのかもしれませんでした。そうすると、やっぱり別の区役所を言ったほうがいいかもしれませんでした。
「……………」
寝る準備をしました。布団のなかにどさりともぐります。そこにはわたしの匂いがありました。もちろん、そこにはわたし以外いないのですから当たり前のことなのですが。羽毛の布団はどこか無機質で、包んでくれはするのですがどこか素っ気なかったです。夏なので、大きく汗をかきたいとは考えていませんでした。なので、素足を出したり、ひどく熱が篭ったらハラハラと胴体あたりのところをひらつかせては、新鮮な空気が入ってくるように心がけました。エアコンはおろか、扇風機さえありませんでした。いえ、扇風機はありましたが、それをわたしが使う権利はありませんでした。カラカラカラと、寂れた音がとなりのへやから聞こえてきました。そう、妹が使っているのです。あの、豪勢で強欲な妹にとられてしまえば、わたしは取り返す手段という物を持ち合わせてはいませんでした。それに対して、いろいろと労力を割くということは無駄な損失になるということは目に見えていました。一命を取り止めることになるかもしれない大事体になるのかもしれませんでした。妹はアイドルが好きで、よくスピーカーから大音量で音を流しているのを聞いたことがあります。そして、それはいまも変わりません。低くなる重低音が、隣の部屋から聞こえてきます。音は低くて重低音なのに、聞こえる声はポップな若い男性のものでした。アイドルグループでしょうか。ビブラートが聞こえてきて煩くて、わたしは布団のなかに転がり込もうとしました。そして、耳を塞ぎます。けれども、逃げるわたしを追いかけるようにして音は続いてきます。若くて幸せそうな声が聞こえてきます。なにを思って歌っているのかわかりませんでした。きっと、売れ筋のような何かをなぞったメロディーです。聞こえ自体は悪くありませんでした。わたしも自然とその音を覚えそうになります。しかし、いいんです。わたしの同じようにして、適当に曲をかけるのです。ボリュームは最低限に絞ります。あくまでも、隣の部屋から聞こえてくる雑な音をなくすためです。大きくしたり小さくしたり、設定をどうにかしていじるのです。程なくして、自分のちょうどいい音程が見つかってわたしは静かに眠りにつくことができるのです。それまでにどれだけの時間がかかるかは気持ち次第です。その日は運良くぐっすりと眠ることができました。その事実に感謝しながらも、わたしは静かに眠ることにしたのです。
朝、起きるときになるとわたしはまず時計を見ます。いま何時かということを確認するためです。わたしはいつも九時頃に起きるようにしていました。理由は七時頃に妹は家を出て、母は九時頃に家を出るからです。そうすれば、いつのまにかわたしが鉢合わせては顔を真っ赤にするということもないからです。母はかなり毒舌でわたしのことを娘であるにもかかわらず、色々と言ってきていました。わたしは耐えきれないので、よく無視をする、という技をとることによって、わたしはその場の難から逃れようとしていました。わたしも昔はよくされていました。簡単な意思表示です。顔を横に向け、存在をなかったかのようにすることで相手は傷つきます。それはまるで、承認欲求のために他人を通じてSNSを利用するようなものでした。相互の関係にするために、自分だけ相互にされていないみたいな。わかりやすく言えば、地元に有名なサッカー選手がやってきたときに、サッカーの練習場に行って、ボールや色紙にサインしてもらっているのをわたしだけ避けられているような感覚です。それって悲しいですよね。母親は苦手でしたので、わたしはあまり気にしてないような素振りをしてやろう、という感じでしたが、浪人してからは、わたしはもう相手のことなんて気にしてやらないという気分でした。学費を払ってくれるならべつですが。でも、我が家にお金があるとは思えませんでした。
朝食をつくるスキルは多少はありましたので、卵を二つほど落としては、じゅーっと、油をひいて点火していました。焦げてしまわないように注力します。放っておくと、繭のようになってしまって、それを崩す作業が嫌いだったので監視するように眺めていました。ラップでうえを覆われたご飯と味噌汁の3点セット。それらさえあれば、わたしにとっては十分でした。わたしは居間に座ってテレビを付けます。納豆がなかったので、立ち上がっては一つ分だけとりに行きました。パッケージをみるとやっぱり2日ほど消費期限が切れているものでした。わたしはそれを見ては、なんだかなぁという気分になりました。わたしは納豆が健康にいいという理由で好きです。匂いもべつに苦ではありません。唐辛子と、醤油をミックスしてそれをそのままぐるぐるとかき混ぜます。そうすると、テレビアナウンサーの声が聞こえてきました。やけに明瞭でそれであって、わたしはそれは発声練習をして覚えた物だということがすぐにわかりました。同性なので、女の聲というものには敏感なのです。それは努力の賜物だということがわかりました。努力しないと得ることができないものは、美しいですね。学力もそうです。もっとも、それは家庭環境によるものなのですが。アナウンサーが天気キャスターの仕事までしています。どうやら、今日は暖かい日です。わたしは世界の温度が自分の体温と合っているのかということがいまいちわかりませんでした。暖かいと言われればそうなのかもしれません。冷たいと言われれば納得はできないかもしれませんね。やはり、最低ラインは生暖かいというところでしょうか。午後からは雨が降るらしいです。なるほど、と。わたしは納豆をときながらそんな風に感じていました。雨の日の独特な生温い透明なベールで包まれる感覚がわかりました。あの独特な空気感。天気さえ見なくたって、それはそれでわかるような気はしていましたが。でも、なんとなく気になるものなのです。星座占いを見るついでなのですが。明日の天気は晴れらしいです。東京から少しだけ離れたところにあるここはとても小さく映っていました。まぁ、ほかの都道府県に比べたら魅力はないのかもしれませんね。魅力がないことが魅力、だなんていって強がるつもりもないのです。仙台の近くにあって、くらいしかありません。アメダスは午前は低く、午後はそれなりに高いものでした。雨量実効値の解析雨量分布はおそらく正確なものでしょう。だって、お天気のプロが考えたものなのですからね。一時間毎の降水予測分布はきっと正しいものでしょう。それを勘違いすることはないでしょう。なによりも、わたしが気になっていたのは、お姉さんの学歴でした。それは、テレビがやっているときにほんの少しだけ最初の方に専門家だったりが登場したときに映し出されるものですが、今回は全員そうでした。やっぱり、誇るものがあるからですかね、とか、勝手なことを思いつつ。
わたしが綺麗だなと思ったすらりとした足のお姉さんの学歴は有名私立大でした。わたしが目指しているものと同じ路線で勝手に親近感が湧いていました。黒くて長い髪。耳にはピアスがあって、わたしが嫌いなぎらぎらしているものではなくて、あまり主張しないけれども、よくよく見てみればそこに存在しているものでした。いいなと、そう思いました。でも、それがどこに売っているかどうかとか、そんなことはわかりませんでした。いよいよ、朝食を食べ終わりました。私はふうと大きくため息をつきました。いい感じにお腹は満たされていきました。納豆を残しておくと、あとで洗うときに色々不潔で不快な感覚がしたので、私には味噌汁を最後に飲む習慣がありました。それをぐいぐいと飲んで、おしまいです。流しの前に立って、冷水で洗っていきます。顔になんだか油っぽい感覚を感じていました。なので、顔を洗うことにしました。チューブから一本の線を作ってはそれを水でうるかしては白い泡をつくります。なんだか、目が覚める気がしました。ついでに、歯も磨きます。顔色はまぁまぁなものでした。勉強に取り掛かることにします。
勉強を終えました。今日やったのは英単語の学習です。理系志望だったのでできないという言い訳をよくしていました。実際にできないと言っていた友人はまぁできていなかったのですが、理系の先天的にも見えるスキルをつかっては入試に合格して、私立の理系に進んで行ったのでしたが。そして、わたしは実際にできないのです。わたしはいくつかの英単語の意味を知らないどころか、中学生くらいの単語のそのさえ忘れている始末でした。スペルが書けないのはまだ許せるとして、簡単な単語の意味を綴ることもできなかったのは少しだけショックでした。そして、わたしは意味を書き綴って、廊下でぐるぐるとすることにしました。誰もいない家は老朽化が進んでギィギィと音を鳴らしていましたが、「ここの空間には誰もいない」という事実がわたしを安心させるのにはいい条件でした。そのおかげか、お昼の時間(わたしにとっては十三時くらい)を過ぎてしまっていたことに気がつきませんでした。何か食べようとしますが、わたしはなにも食べようという気持ちになれませんでした。それは、幸福な感じがしたからです。けっして、不幸ではなかったです。だから、わたしは自分の体調を理解して、なにか食べるということはしませんでした。その代わりにタバコを買いに行くことにしました。わたしの趣味です。これくらいしかないのです。
自転車で誰もいない畦道をさーっと漕ぐと、とても心地のいい風が吹きました。それは自転車のペダルを勢いよく漕いでいるので当たり前のことなのですが、わたしにはそれも良かったです。誰もいない、静かな部屋のほうがマシと言われればそれまでなのですが。わたしは遠くの行きつけの自販機のところに行きました。ここであれば誰かがやってくるということもないからです。タバコに年齢確認を求められるというものは、コンビニやスーパーマーケットの近くでは当たり前のことですが、少しだけ遠くの方までいけば管理態勢がざるのようなところに行き着くこともできるのです。わたしは、そこで購入するのが習慣になっていました。わたしは、ピアニッシモという銘柄のものをよく吸っていました。理由は特にはないのですが、その入れ物が可愛らしいというたったそれだけの理由です。値段はどれも均一でした。なので、自分に合ったものをということでしょうか。昔、一回だけ男性用のものを吸ってしまったことがあります。それは男性用のものに興味があったということではなく、ただ、押すボタンを間違えてしまったのです。一個隣はまったく別のものでした。節制を重じていたので、わたしは無理してそれを吸おうとしましたが、いつもよりも強いタバコの濃い感覚に打ちのめされてしまいました。もはや、名前も覚えたくないとその場でタバコを自販機の下に蹴って、それで捨てようと思ったのですが、わたしは一瞬だけ思いとどまってやめることにしました。腰をおろして、そこら辺を探していると捨てられた缶ビールがそこには落ちていました。飲みかけの缶ビールです。ドロドロとした発泡酒の泡がそこらじゅうにぶちまけてありました。ここは、どちらかと言うと、ここの世界で行き着く場所がない人がやってくるようにも思えました。きっと、時間があわないだけですれ違うような感じでした。その人に会いたいとかそんな気持ちにはなれませんでした。わたしはただ、わたしが生きていくために少しだけ、寿命を潰すためにタバコを吸っているのです。もちろん、ほんの少しだけ格好つけたいとかアウトローな若者が思いつくようなそう言う気持ちはありませんでした。では、なぜお酒ではないかと、そんなふうに言われると、わたしはすごく困ってしまうのですが、理由はおそらく、酒飲みの人間は一気に肝臓や膵臓を壊してしまうからではないかと、そう思いました。タバコも吸ったら吸ったで大変です。肺のあたりがなんだかムズムズして、例えば、ここの直立している自販機から鍵のロックをかけていない殺風景な自転車のある方に少しだけ行こうとすると、少しだけ疲れます。さっき、あちらで気分転換に一服した時はまだマシでした。行きは楽です。帰りが辛いのです。自転車の足を蹴って、錆びたペダルを蹴り始めます。そうすると、やっぱりさっきよりも体は重く感じました。やれやれ。やっぱり自宅に帰ってから吸えばよかったなと後悔しました。でも、ピアニッシモを吸っているときはすごく幸福でした。不幸から何かに手を伸ばしていないだけ、それはすごく安心することでした。ささやかな風邪が頬を撫でて、たんぽぽの綿毛と競争するようにして自転車を漕ぎました。社会のすべてから解放されたようでわたしは幸せでした。
自宅に着くと、運がよかったです。玄関にある靴はわたしのものだけでした。スニーカーを脱ぐのにやや苦労して、靴べらを利用しました。母はパートで、妹は学校です。わたしはお風呂の栓を閉めてスイッチを入れました。暑かったと言うのもあって、そのまま水のシャワーを浴びることにしました。先に体を洗ってしまうことにします。そう思ったら、シャンプーが切れてしまっているのを確認しました。何回押しても作動してくれないことに嘆きを覚えつつ、中身を確認することにしました。すると、中身はなにもなく、癖の強いギャルがつけていそうな香水の原液でも目と鼻の先に置かれた気分でした。髪は女の命だというのに、シャンプーがないだなんて、至って寂しいことでした。まだ若いからいいかと、水洗いすることにしました。さすがに石鹸のほうは切らしてはいませんでした。目視で確認できていたのでわたしはそれでよかったのです。身体を洗っているうちに、もうこれでいいかなと満足するくらいの水準になることができました。その頃には、バスタブに半分くらいの水の溜まり場ができていました。それを自分の手でくるくると同心円のものを作るようにして混ぜていると、なんだかすごく落ち着きました。ほんわかと優しいレモンの香りがしてきました。わたしがこのようなものを入れた覚えはなく、なぜだろうと首を傾げていました。本当に傾げていると、濡れた髪がヘタッと萎びた葉のようにくっついてきて心底鬱陶しかったのですが。けれども、レモンの香りだけでわたしの心はすぅっと、安らいで行きました。
爪先からちょこんと入れると、自分の体温とは違うものがありわたしは困惑しました。なんであんなに確認したのに。わたしは少しだけおかしなやつでした。そうしているうちに、徐々に水温に体を慣らして行って、肩の方まですっぽりと入ることができたのでした。携帯をいじりたかったのですが、もう手先まで濡れてしまっていたのでわたしは諦めることにしました。普段は、お風呂場でいじっては少しだけ楽しんだりもしているのですが、今回ばかりはわたしは使わないことにしました。こうしていると、玄関をがらがらがらと、勢いよく開ける音が聞こえてきました。まるで地鳴りのような音。
わたしの家に誰かが帰ってきた。それが妹であるということはすぐにわかりました。よくわからない鼻歌を歌っています。それはすごく響いていました。二階の扉を閉める音が聞こえてきました。どうやらあるべきところに帰ったのでしょう。彼女は少し違う気がしますが。と、どすどすと廊下を歩く音が聞こえてきました。ほら、やっぱり違うではないですか。お風呂場のほうに来る音がしました。困りました、このままでは勢いよくこちらの方に入ってきてしまう気配がありました。これではいけないと思って、わたしは赤子のようにお風呂の水をじゃばじゃばとしました。洗濯機のメリーゴーランドも回っていたので、わたしにとっては、少しだけ不便でした。とりあえず音を出して、自己防衛する必要があったのです。そして、そのうちにわたしは気がついたのです。この音を立てて「わたしは入浴中なんですよアピール」は、あんまり意味がないなということを、です。不幸にも、その扉はガツンと開かれてしまいましたが「あ、なんだお前いたのか」というそんな呆れとも失望とも取れないようなため息混じりの声で終わってしまいました。よかったです。混浴とか、そういうのは嫌ですから。一瞬見られただけだったので、わたしはセーフと心の中で安心していました。
のぼせる前に風呂場から上がりました。髪を乾かすといつもの香りがしてこないのが、なんだか不便でした。でも、身体からはほどいい香りがしてきて幸福感に包まれました。コップ一杯の水を飲むために、わたしは少しだけ居間の方に寄りました。すると、やはり喧しいです。どうして、そんなにうるさいのだろうとわたしは気になりました。すると、居間でひとりでコンサートの映像を見ているのでした。私にはどうしてそれを流しているのか理解できませんでした。ただ、でも、それを見て踊っている妹はすごく楽しそうでした。わたしはそれを少しだけ横で見ていて笑っていました。なにをそんなにはしゃげるのもがあるのか、ということです。どれほどして、そうするのか、いまいち理解できていません。わたしは二階に上がることにしました。誰もいない静かな空間。妹が下にいるならば、わたしは上に行くという感じでした。襖をかけて閉めます。カタンという音とともに、わたしは孤独な空間に帰ってくることができました。これですべて完成です。わたしは布団に入って眠りにつきます。眠るまでそんなに時間がかかるということはないです。わたしはそんなに辛くはありませんですから。外でカラスが鳴いている音がします。かわいい。わたしもどこかに飛んで行ってしまいたいな。わたしは人ですので、羽が生えてどこかにいくということはできません。それはすごく寂しいことなのです。まぁ、会いたいと思える人もいないのですが。わたしはぼんやりとした頭のまま、眠ることにしました。手足がふらふらとして、わたしはもう寝るしかありませんでした。
起きると暗くなっていました。夕方の太陽は落下して、空には丸い月がありました。わたしはそれをじっと見つめています。向こうのほうで猫が静かに鳴いているのを聞きました。猫は気楽でいいですね。でも、猫なりの悩みはあるのでしょうね。わたしは猫ではないですからわからないのですが。捨てられた子猫というのはどこに行ってしまうのでしょうか。それを考えていると、ぐるぐると頭のなかから苦しい感情が芽生えてくるのでした。どうしたらこれから解放されるのかということを模索している最中なのでしょうか。残念ながら、私には猫缶を買うお金もありませんでした。私のために節約したいからです。わたしが自分のために使って何か悪いのでしょうか。なんて少しだけ冷たいことを考えています。わたしも悪い人ですね。
と、ぼーっとしていると、襖が強く開けられてピタンというふうになります。なにがどうなっているんだというふうになります。一瞬、母親が来たのかと思いましたが、妹で一先ずの安堵を覚えました。「どうしたの?」と寝起きで苦しい感じを出さないようにオブラードに包みながらいうと、「少しだけ見てほしい動画あるの」と言っていました。それがどんなものか気になってわたしは見にいくことにしました。重い腰をあげます。よっこらせっと、です。
やはりというか、予測はあたっていました。さっきのアイドルグループの動画のことを紹介していました。原語がこれは韓国語でしょうか? わたしはアニョハセヨくらいしかわからないのです。こんにちはが全国に知られているようなものですよね。どうしたらいいのでしょうか。でも、明るくポップな曲は私たちの心の中にきれいに響き渡ります。どういう風にして聞けばいいでしょうか。もう最初から和気藹々とポップな感じなので、わたしはどこでどうくぎればいいのかということが理解できずになりました。ポップステップジャンプ? いえいえ、それは私にはすごく苦しいことなのです。どんな風にして聞こうって思ったとしても、黒ずんだ肺と寝起きの感覚では苦しくて仕方がありません。「サビはどこなの?」と聞くと、「もうすぐ!」と明るい声で言っていたので私は仕方がないなと思いつつも、もう少しだけ頑張ることにしました。しかし、その平穏はすぐに終わります。どすんという音が鳴り響き、私たちはすっと怯えをだします。わたしはあわててノートパソコンのスイッチを切ることにしました。すると、音が止みました。わたしはそれがなぜ終わったのかということが理解できませんでした。妹もなんだかしゅんとしています。可哀想に。慰めてあげたいという気持ちがありましたが、わたしはそれを受け入れるということがないみたいです。寂しくなります。わたしにしてあげられることといえば、どんまいとか、そういう事を言うだけでした。うるさい浪人生のくせに、と、言われました。そうですね。大人しく勉強します。ここで、「うるさい、よんだのはお前だろう」とか、そんな風にして怒ってはいけませんね。わたしは自主的にさよならと、そんな風にしていいました。
もう一度、布団の中に潜って考えます。勉強する気持ちにはなれませんでした。わたしは叱られるまいと、少しだけ気持ちをストイックにしなければなりませんでした。岩礁の端にある貝になった気持ちでわたしはすぐそばにある空気清浄機の空気を切りました。窓が開いているのに、なんというか、なにをしているんだという気持ちになります。冬でもないのに。冬はいいですね。外で爆竹で遊ぶ子どもとかそういう方はいませんから。畳の部屋は少しだけ血の匂いがしました。どこかで転んで膝小僧をすりむいたというわけでもありませんし、わたしはなんだか不思議な気持ちでした。昔のことを思い出しても仕方がありません。さぁ、静かにしましょう。眠るのです。電気を消すためにおそるおそる立ち上がります。わたしの身体はあまり丈夫ではありませんので、そのままグギッといってしまいそうでした。なんだか、そんな感じの気分の時ってありませんか。息を潜めるように暮らすのです。わたしはいない。わたしは存在するのだけれども、いない。そんな感じにして。眠くなったら眠るのです。
朝日が来ます。起床の時間です。もう9時は過ぎてしまっていました。まったく、浪人してからはすごくだらしがなくなったものです。とは言え、誰も叱ってくれるというわけではありませんでした。だれかにしかってほしいというきもちはありましたが、でも、誰かがわたしのところに来てそれで叱っていく、となると他人行儀も甚だしく感じます。わたしは辛くなってきます。いえ、高校にいたときは叱ってくれる人がいっぱいいたのです。それで、もうぜったいにやめてやる、みたいなそんなことを豪語するわけでもなく心の中で小さく思っていたのです。本当に少しだけです。胸がきつく閉められるような日もありました。それでも、わたしはきちんと生きていくために時間をかけて卒業しました。でも、比較的高校がゆるかったからでしょうね。お情けが通じたのでしょう。わたしはこっそりとタバコを吸うことを知られていましたし、叱られもしました。でも、先生たちは自分たちの青春時代と投影しては「うん、まぁ、そういう背伸びしたい時もあるよね」と、そんな風に達観して私たちのことを見ていました。“たち“というのは、周りにそんなしょうもない人たちがいるという事ですから。行方? そんなのは知りません。だってわたしも嫌いなのですから。冬でも雪が積もらないわたしの地元には瑞々しい憎悪がありました。きっと、憎悪のせいで、雪すらも消えてしまったんでしょう。わかりやすい例えです。雪が降り積もり消えていくにはそれなりの過程があります。東北の地帯にそれがないということは、やはりどこかおかしな地域であるということです。
さて、自室で勉強しているとどこか頭がおかしくなってきてしまいそうですね。わたしはどうすればいいのでしょうか。携帯で時間を見ます。時間は午後2時。それなりに時間は経過していました。まぁ、集中力が切れてしまったのもきっと、お昼のせいでしょうか。わたしは何か薬が切れたかのようにしてその場にへたり込みました。畳に身体がくっつきます。十代最後の時間です。わたしの十代は、なにもありませんでした。しかし、少しばかり夢を見ていました。それは少女漫画を見るような素敵な夢です。学校には気になるイケメンがいて、それで幸せな光景を夢見ているんです。それはだいたいの場合、年上なのですね。わたしの場合の年上は、えぇ、そうですね。学年の区別もないですから。浪人生ですし。浪人するっていうことは、一年間の時間を無駄にすることだと思います。地方の場合では、優秀な人材は流れていってしまいます。残った滓が私たちなのだとおもいます。それを言えばすごく怒られますから、わたしはなにも言わないようにしているのですから。でも、よくよく考えてみたら、そういう事を考えているくらいでないと、劣っているような気がします。まぁ、どの口が言っているのか、と言われればそれまでなのですが。ともかく、わたしは生きることに関して貪欲になろうと思っていました。仕事がないので、勉強するしかない……いえ、その勉強もよくよく考えてみれば、指導者がいないのでとてもあやふやなものですが。わたしはあんまり成績がいいわけではないのです。でも、どうしたらいいのでしょうか。動画の通信サイトにて、また何か情報を集めるべきなのでしょうか。でも、大切な過程などはすべて省かれているというのが常です。ただ数式をぽんぽんと書き表していくだけなのです。それでなにを判断すればいいというのでしょうか?ああ、苦痛ですね。書くのも苦痛。文字をなぞるのも苦痛。理系が嫌なのは、こういう部分があるからなのです。わけが分からない事を云々と唸るようにしてやる事。もうそれは辛いことだとして認めて仕舞えばいいのに。わたしは一体なにを望んでいるのでしょうか。
「…………」
お腹が痛くなってきて、わたしは静かにトイレに篭ることにしました。排泄をするためです。最近すごく身体が苦しいなと思うことが多くて、わたしは病み上がりではあるのですが、少しずつでいいので健康な方向に向かおうと考えていました。わたしの不健康はいまに始まったことではないのですが、それでも、どこか苦しいなと思うような日が続いていました。排尿をする時に、何か鋭いものに刺されるような感覚がしているのです。お腹のあたりに少しだけ力を入れないといけないのですが、わたしはそれが困難になっていたのです。起き上がる時もどこか呼吸がしにくいと感じたりしますし、肺に入ってくる空気がヒリヒリとして泣きそうになることが多いです。どうしてこんなことが起きるのか、いまいちよくわかりませんでした。原因は、きっと、規則正しくない生活だったり、喫煙のせいだと考えています。喫煙するとき、楽にはなるのですが、わたしはどうしたって、その反動のようなものがあると、なにもすることができないでいました。臍の緒が切られてここに生まれてきてから、タバコを吸ったことは結構後悔していますが、やめられていません。それが、どうしても苦しかったのです。お医者さんにでもいけばいいのでしょうか。でも、パッチを使っての療法だったり、いちいち言って叱られるというのはわたしは生理的に無理でした。いくらそれがいいと言われても、理解のしようはないのです。医者は冷たいです、きっと。どうしても記憶が薄れつつあるのですが、わたしは命の電話窓口(?)というところにて、少しだけ連絡してもらったことがあります。するとなんと、出てきたのはアニメに出てきそうな優しいお姉さんなどではなく、中年くらいの冷たくてねっとりとした声をしたおじさんでした。わたしはいたたまれなくなって、一通りのことを話しました。浪人してしまってつらいとかだったり、家族との不仲が続いてしまってわたしはなんだかもう、ダメですという旨を伝えました。しかしながら、なんでかわからないくらいにグーっと胸が苦しくなって、ぐちゃぐちゃになるくらいに泣きじゃくったのです。あぁ、わたしは浪人生の皮を被っているフリーターで、誰もわたしのことなんて気にしてくれていないという事をです。あぁ、もう死んでやろうという感じになるのです。死ねば楽になることは事実なんです。でも、でも、でも、でも。なんででしょうね。なにがまだキラキラした砂の結晶みたいなものがどこかに散らばっているんじゃないのかとか、そんなことを探していたのです。夢の終わりが来るのかもしれません。でも、それでもいいんです。わたしの人生は一度きりです。二回目、輪廻転生することがあったとしても、わたしはもうわたしではないです。
ふと、わたしはすごく息苦しいことを感じていたのです。それは、わたしはこのまま受験勉強で合格することができなかったらここの貧困の連鎖から逃れることができないということです。ここに残っている方というのは、やっぱり自分で生きていくときに大変な思いをしているのです。実際には、私たちのところにはでき婚するしか逃れ道はないのです。もしも、給与の高い公務員だったり、そういう方に話しかけてこびを売るようでありましたら、わたしは捨てられるということを理解しています。釣り合わない恋というものは、報われないということを経験則で知っています。ありそうでない話は題材としてよく取り上げられるトピックだとおもいます。けれども、実際にはないのです。私が知っている子も、高収入の男の社会人と取りつける機会があったらしいですが、身体を弄ばれて終わってしまったらしいです。面識もない子なのでよくわかりません。つくり話、いえ、ここらの辺りではあり得る話だと感じていました。彼らは強者です。私たちは社会的弱者です。弱者がそのような被害に遭えば、さらに社会的な弱者具合は増していき、困窮していくでしょう。それが狙い、という感じではないのですがわたしは少しだけ警戒していました。身分不相応のところに入り込むことがあれば、必ずや、私たちは搾取されるということです。搾取しがいはあるんでしょうか? わたしは自分がどれほどの価値があるものか理解してはいないです。市場価値ですか。服もオンボロですし、タバコも吸いますし。まるでギアが掛からない二輪バイクのように。やる気が出てくるのは一体何時ごろからになるのでしょうか。だんだんと身体が苦しくなってきます。夏の夜。わたしはタバコを吸うためにもう一度だけ外に出ます。外の空気は綺麗で美味しい。加えて先端を炙り、肺一杯に吸い込むといつもの多幸感が溢れてきます。あぁ、気持ちいいですね。一本だけで寿命を削って、〈きっとつらい老後も消えていくという感覚〉。こればかりは、心地がいいものでした。きっと、床に伏せて苦しい苦しいと言っている時間が、少しだけ減ると考えると、わたしの喫煙は進みました。西の方から木漏れ日が差してきて、わたしが作った灰色の半透明の煙が浮かびます。これがわたしの命なんだということを、わたしは知っています。命が空をかけていくのはなんだかとてもエモーショナルでわたしは好きでした。きっと、この時間を大切にして生きていくのでしょう。わたしにとって、タバコは大切なものでした。空にふわふわと浮かんで煙ができます。わたしが雲を作っているのかもしれません。そんな錯覚を覚えながら、ふっと歩いていきます。シャワーを浴びましょう。少しだけ汗をかいてしまいました。
「…………」
勉強に取りかかります。蛍光灯の明かりがチカチカとして、わたしは眩しいと感じていました。けれども、それはほんの少しの一瞬の話です。すぐに慣れます。いつもの癖で、数式をノートの見開き分書き綴ってしまいました。あぁ、なにをしているんだろう。自己嫌悪になります。そもそも、これはわかっている範囲の問題です。新しい範囲は、授業を受けてもいまいち理解できませんでした。ただ、その場に座っているだけの先生方が憎たらしくて堪らなかったのです。受験って、すごくシビアなもので、人生においてこれほどまでに明暗を分けるようなものが社会のフィルターとして設定されているのです。普通に考えて怖くないですか。教育格差。情報量の不足。環境の違い。それらを統合的に判断して、わたしはもう生まれたときからすでに勝負が決まっているんじゃないかと、強く感じていました。そして、オブラートに包むといいことをしなければ、それは事実なのです。ぐっと、吐き気がやってきました。英文の書写しをしている最中に、将来に対する途方もないくらいの漠然とした不安が私のことを襲ってきました。ガタンと、机から崩れ落ちるようにして、布団の中に転がり込みました。あぁ、なんということでしょうか。また大きな音を立ててしまいました。得体の知れない恐怖感が駆け巡ってきます。しかし。今日も運が良かったのか、誰かがわたしのところにやってくるということはありませんでした。良かったな、と、息を吐きます。集中力が切れたので、インターネットを見ることにします。幸いまだネットワークは止められていませんので。わたしがなんの趣味をしているかだなんて、わたしは思い出せません。読書でしたっけ。タバコ、あぁ。今はそれ以外で考えたいです。ただ動画を見て時間を溶かしたりとか、そういうのはわたしは好きではありませんでした。あくまでも、リアリティー溢れる世界で生きて行きたかった。まだ、いや、最後の十代ですし。積み重なってきた感覚はより一層大きな昂りを見せていました。かわりにSNSの巡回をします。ネットの世界をみて回ると色々な人がいるのですね。いろいなひとが良すぎて、わたしはどうしようかと迷います。うーん、とりあえず同じ世代くらいの人たちを囲って集めてみましょうかね、投稿を確認します。世の中には色々と浪人生がいるんですね。いろいろな種類の。お菓子の種類に例えることもできます。なんのお菓子? かっぱえびせんとかでいいんじゃないでしょうかね。こう、ひとつの方面にみんな偏っているのですが、ほんの少しずつ味が変わっていくという。味がいいものほど、きつい経験をしているという。きつい経験。生きるのがきついという。生きてていいことはまぁ、今はいいです。とりあえず、色々と巡回しましょう。すると、ここにあって目を止めたのは、猫と街を歩いている写真でした。猫はすごく可愛いのです。にゃーんってしてて。困ったらわたしもにゃーんと呟いて投稿してみることにしますかね。「にゃーん」と、一文だけ書いて寄越しました。すると、驚くべき速さでお気に入り投稿してくれる人がいるのです。なるほど、にゃーんって言うことはやっぱりそれなりに意味があったのかもしれませんね。にゃーん、にゃーん、にゃーん。連打、連打、連打。まるで、格ゲーです。必殺技コマンドはなんですか。まぁ、何度もやっていればそれなりに飽きもしますよね。はー、だるいとか。まぁ、理解します。わたしも飽きてきました。こうやって、承認欲をめぐる何かを考えていくのもいいのかもしれませんね。しかし、ハマったらおしまいだ。なんか、そんな気がしてならないのです。ふぅ、勉学に戻りましょうか。結局のところ、人間というものは学問に縋って生きていくものなのですね。まぁ、今のわたしは意味もわからず書き写す写経マシーンなのですが。トーキングマシーンよりはマシです。はぁ、意味わからない。しかし、いいのです。こうしてれば……。こうやっていれば……。
「…………」
そろそろ、わたしもわかってきたんじゃないですかね。このままでは受からないということに。この背中をひんやりと通り過ぎていった一筋の冷水はきっと、この残暑のせいではありません。残暑のせいではない。喉元にナイフを当てられているような感覚がありました。「お前は一体なにをやっているんだ?」という。えぇ、きっと、このままでは受かりません。でも、諦念して環境のせいにして終わるんですか? いや、それは悲観的で、ある程度のひとは許してくれるかもしれませんが、けれども、いつかは離れ離れになる自分の人生です。それは、わたし自身が一番よく知っていたじゃないですか。わたしが知っているんです。わたしが責任を持って、どうにかする。親は学費を払ってはくれない。妹にはつらい思いをさせたくない。そういうことを考えると、わたし自身がどうにかしないといけない。無事、大学生になることができれば、それは学生ですが、浪人生はそうとは限らないのです。流浪して人として生きる。そんな現代語訳はないですが。
「…………」
若い、というたったそれだけのアイデンティティー。それを金にすることができるんじゃないのかなと思いました。下にいる母親のようなものではないです。遊ぶための金ではない。わたしがわたしとして、成長するために、学費です。この世で、一番尊い金の使い方です。普通の親とは、これのために金を使わず貯蓄するのではないでしょうか。養育費の集大成。まぁ、息子娘が退学したらまた別の人生の進み方を考えなくてはいけませんが、ね。
わたしが考えたお金の稼ぎ方は、自分の身体の写真を定額制にしてネットで売買するということでした。ほんとうに悪心が働いていると思います。心が暗くなります。どうすればいいのかと、考えます。いきなり身体を全部見せるのは見せ方としては三流な気がしました。わたしはもう一つだけ、アカウントを作ることにしました。それっぽい文章を書きます。あんまり書きたくはないですが、彼氏募集だとか、でも、なんだかみんな高校生ばかりで少しターゲット層がズレている気がしました。ターゲットがズレたところにいても。そして、なにが足りていないということを考えました。思案すること8秒、その答えはすぐに出てきました。“制服“です。そう、制服。紺のソックスにセーラー服。わたしにはそれが足りていませんでした。どこにあったかな、もうすでに捨てられていないかなということを考えながら、わたしは、箪笥の中を探ります。一段目はなにもない。汚いどぶの底のような香りがします。二段目、あ。ありました。あの日の記憶。すぅーっと、涙が出てきそうになります。いいえ、しかし、それは許されないのです。これをSNS上にあげて商売するということは、私にとっては、大切な青春の記憶すべてに泥を塗るということでした。恥ずかしい。恥です。苦しくなって。でも、やる方がいいんだって。わたしはそう思いました。服を脱ぎます。はえが飛んでいる。さて、着替え終わりました。立て掛けてある鏡を見ます。率直な感想は「あれ、これをこのまま着て外を出歩いても案外いけるんじゃないか?」ということでした。女というのは、年齢に敏感な生き物だと思っています。年齢に、です。たかだか一歳くらいだという風に罵るかもしれませんが、わたしにとってはすごく大切なことなんです。これがなかなか理解されない。若いだの、簡単に一括りにされてもわたしは困ってしまうんです。しかし、今のわたしは舞うようなテンションでした。遜色ないという理由です。そして、一枚ばかりの写真を撮ります。それは、すごくいいものでした。最近のカメラはすごく綺麗です。カメラ、はい。ほんとうはカメラマンにでもとってもらってもいいのですが、私にはそのような知り合いもいませんし、それでいいやと思いました。クオリティーを求めてはいなかったです。ただ、若いそれがそこにいるというだけです。被写体としてはまぁまぁまずまずです。顔や校章など、個人を特定できるものは極力避けることにしました。それが合っているとは思っていませんですから。特定とか、そんなことを求めるひとはいいんです。大切なのはわたしを買ってくれるかどうかということ、です。お金になってくれないと。わたしはそういう趣味があるというわけでもないですからね。ただのお金稼ぎの手段です。ドキドキしながら、投稿ボタンを押します。私という存在が電子媒体に投下されたのです。まるで、原子爆弾をそれの世界に投下したような、そんな感じ。まぁ、不謹慎なことを言うのは控えましょうかね。さて、結果のほうです。怖くなり、携帯の電源を消します。しばらくの沈黙の後、わたしの存在を認知する音がなって響き渡りました。じぃっと、その場に正座しては私はなにがあるのかということを聞きました。みんなが私を求めてくる音が聞こえました。わたしが一番満たされていった瞬間でありました。すくなくとも、ここ最近の話ですが。おそるおそる携帯を開きます。なんと、百人以上が私のことを見て知っては、書いてくれています。「可愛いです」とか「会いたいです」とか、ふむ。なるほど。こんなに田舎生まれの女でも、それなりに価値はあるんだなと、罪悪感を感じながらにして思ったのです。これは私にとって、画期的でした。私の胸中に隠していた承認欲というものが静かに、わたしのために、わたしのためだけに向いてくる行為というものが、とても綺麗に映ったのです。丁寧すぎるというのもどこか問題です。どこか雑にするのも正解だったのかもしれませんね。わたしは、静かにしてどういうものが受けるのかということを確認していました。胸が少しだけ見えそうなものがわたしの一枚のスナップをどこか大きくすることに一助したんじゃないのかと思いました。それはそれで良かったです。まぁ、完全にボタンを閉めたりだとか、そういうことが面倒くさかったからなのですが。ミスが功を奏すというのは度々あると思います。これで、わたしは少しだけ確信しました。これをこのまま利用することができれば、わたしは学費を稼げるのではないか、ということを。ふと、眠気が来ます。時間を見ると、もうすでに12時をすぎていました。なるほど、実験は明日からでもいいでしょう。わたしはその日はもう寝ることにしました。部屋の電気を切り、床につきました。その日は穏やかに寝ることができました。不思議でした。
「…………」
きっと、夏という季節が良かったんでしょうね。みんな何かしらに奔走するような気持ちになります。開放的な、西瓜が美味しい季節。皆開放的になります。わたしは勉強をしながらどこまで解放しようかということを考えていました。どこをどれくらい。アドバイスといったものは受け取れないなと思っていました。こういうのは勝手にやって、勝手に切り上げるというものなのです。深入りしようとしても、難しいものです。ぎぃっと、勉強をしているときに妹が入ってきて驚きました。「どうしたの?」と聞くと「クッキー」と、お菓子の名前を言っていました。クッキー? クッキーがどうかしたのでしょうか。わたしはよくわからないまま、聞き返します。そして、わたしの机のうえにあるものをぐっと掴んで行きました。あぁ、わかりました。それはわたしのものだから、勝手に取らないでよね、という意味ですね。その意味を把握するのは大変なことでした。なぜなら、上の空でしたから。夜が待ち遠しい。そんな煩悩を暴かれないか、わたしはすごく焦っていましたが、チラリと横目で見たときには、わたし自体にあんまり興味がない感じでした。はは、それもそうですよね。喉が乾いていたから、もしかして差し入れか何かかな、とか、そんなことを考えていたわたしもバカでした。差し入れを入れてくれる人間というのは限られているのです。スター選手とか。スーパースターとか。わたしとは無縁でした。
夜になり、わたしはどのようにするべきかということの計画をしました。無計画では死亡するし、自分の安売りをしたいとは思いません。安いものを高くします。写真とかそうじゃないでしょうか。あまり意味のないような荒唐無稽なものに、色彩を与えるかのようにして撮るのです。そうすると、撮れるのです。いい一枚の写真が、です。わたしはロシアの殺風景な写真を写したもので有名な写真家になった人を知っています。ウラジヴォストークとかサンクトペテルブルクとかカムチャツカ半島とか。ロシアはすごく魅力的に映りました。どうしたら、そこまでいい世界が観れるのでしょうか、移住ですかね? そのうち、地球外の、地球の外に暮らすことがメジャーになってくるのかもしれませんね。そうしたらきっと、人として囚われているということを忘れそうです。忘れることはいいことです。忘れるために生きるのも悪くはないです。つらい記憶を忘却することができればそれは生きやすくなります。生きにくくすることなんて、必要はないのです。生きやすくすることが前提の世界であってほしいですね。つらいことをさらけ出して、自分の周りから人が消えていってしまっては、それは胸が苦しいです。墓場まで持っていくべきなのでしょうか、いえ、そんなことしなくたって。いつかきっと、見つかりますように。自分を否定し続けるということは、自分から苦しみ、毒を飲むということです。分かってはいることなのですが、この沼から逃れることができなければ、きっと不幸の落とし穴にはまっていってしまう気がするのです。それで帰ってこれないって、苦しくはないですか。わたしは正常に生きたいです。考えていることは異常ですが。しかし、いいんです。わたしは、きっと成功しますから。
そして、わたしは布団の中に入りながらどのようにしてやっていくかという計画を立てることにしたのです。このようなSNSの場において、わたしが売りに出せそうだなと考えているのは、やはり女性的な部分です。胸とか、臀部とか、性器とか、きっとそれらを利用するということが儲けや利益を得るのに大切なことだろうと考えました。調子に乗って、悪心を持ったまま踊るような女は多いので、わたしは清純を気取ることにしました。いや、でも、清純ですからね。タバコは吸いますが。清純なんです。けっして、スクロールして出てくるような男性をゴミのような屑だと考えて自分の欲を満たしている悪女とは違うのです。わたしは違います。あの女たちは醜悪で結婚した旦那が可哀想になるような哀愁のこもった女なのです。となれば、私がすることといえば、お客様を大切にしてみる、ということでした。差別化です。崖っぷちの企業が生き残るための切り盛りではないですが、成長戦略でもないですが。すっと、胸を寄せて撮ります。なるほど、わたしはそれなりにタンパク質の塊はあるのだなという感覚になりました。タンパク質の塊でひとは興奮するのです。運動するときも邪魔で仕方がなかったのですが、わたしはそれをすることにしました。一人自室ではだけては写真に裸体を収めておきます。十枚くらいでしょうか。それくらい入れてから、あ、これはいいねという感じになります。とりあえず。宣伝をすることにしました。媚びるわけでもありませんが、でも、なんとなく相手の感覚を引くような感じで独特にです。不思議な感覚をしていました。とりあえず、一枚の写真を大胆にです。
すると、やはり反応がいいんです。病みつきになりそうなくらいに。ありがたかったです。承認欲が満たされる音が聞こえた気がして、わたしは少しだけ泣きました。夜中に何をやってるんでしょうね。わたしもよくわかりません。投稿内容は宣伝でした。買ってくださいと、媚び諂うのです。売れなければ地に頭を下げて懇願することも必要なのかもしれませんね。土下座は恥になるけれども役には立つんです。まぁ、わたしは商売をする上でそんな感じにはならないのですが。まだ、なっていないだけかもしれません。それは、わたしにもわかりません。やってみなくては。もう、わたしの体の一部はめちゃくちゃで、情報量の溢れている電子の海に投下したわけですから。あー、もうどうにでもなってほしい。五百円という価格設定にしました。お金の振り込みは電子マネーを要求しました。口座だけ開講しておいて、確認されたら自動で送られるというやつです。わかりやすくていいものです。投稿してから、すぐに五十くらい売れました。なるほど、経済というのはこういう風にして回るのですね。ほんとうにお金が回っている音が聞こえてきた感じがします。それは貧困のなかで溺れているときに射す光のようなものでした。わたしははは、と、笑いました。ここで、一部も売れなかったらどうしようか廃業だと考えましたが、ファーストステップは順調でした。自惚れるようで申し訳ないのですが、わたしには勝機というものがあったのでした。同じライバルになる、つまりは同業者です。相手の実力がどのくらいかというものを、わたしは見極める必要がありました。
貧乳、つるぺた、ぺちゃぱい。ふむふむ、まぁ、わたしの勝ちですね。ここは先天性というか母に感謝しました。ありがとうございます。遺伝的な何か。勝てると分かってて、勝負にでたのですが、汚いと罵られてもわたしは知りません。わたしはあなたたちとは違うのですから。わたしは正座して、月のほうに向かって土下座したのです。これを聞くと、何を舞い上がって馬鹿げたことをしているのか、ということを言われるのかもしれませんが、わたしはこれで充分嬉しかったのです。わたしの肉体がここの世界に存在してもいいという、下世話なことをする前に認められたのです。普通の人から見れば、それは下世話なことで済むのかもしれませんが、私にはそこに行き着く前のグレーで済んだと思っています。感覚は、おかしくないですよね?いやいや。わたしは誰に問うているんですか。わたしが価値基準なんだと言ったばかりではないですか。嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。さて、寝ましょう。明日は銀行のATMに行ってどれくらい振り込まれたかということを確認するのです。数えた額があっていれば……いえ、今は極際のことを考える必要はないのです。堕落していく感じがしますね。まぁ、いいです。羊を数えて眠りましょう。一匹、二匹、三匹…………。ネット開拓以前の遊びは、ネットがないことを想定しているのでわたしは好きです。一匹、二匹、三匹……四匹、五匹、六匹……。
翌日のわたしはまるで詐欺師の気分でした。銀行のおじさんたちがわたしのことを一斉に検挙するのではないのかということにふらふらと怯えながら、わたしはただ、口座確認に来ました。なにか警察沙汰になるということは控えたかったのですが。まぁ「なんでこんなところにいるんだいお嬢さん?」というふうに問われれば、「模試の振り込みです」という風に言えばいいでしょう。模試の振り込みです。えぇ。単純な計算にはなるのですが、数万円になるという予想でした。数万円。なるほど。ここは、わたしの体にはそれほどの価値しかないという風に嘆くのではなく、たった1日、それだけで膨大な金額を、こんな精神を持った肉体の女に振り込まれたということを理解すればいいのでした。思い立ったが吉日です。魔法の言葉。思い立てなければ、変わらないんです。負の側面を持った感じです。途中で脱兎のように脱却すればいいんです。誰も橋本環奈さんのように可愛くなりたいだなんて烏滸がましいことを言っているつもりはないのです。可愛くなくてもいいのです。わたしがしたい学費を稼ぐことさえできればいいんです。ウキウキワクワクしながら、口座を見ると、なんと10万円を超えてました。希望の光が見えた気がしました。10万円。昔バイトしてた時と同じくらいじゃないですか? わたしはなにをしたんでしょうか? おっぱいを違う角度から十枚程度撮っただけでした。たったそれだけで、ここまでのものを知ることができたということに驚きを隠せずにはいられませんでした。スウェットのポケットの中で携帯が震えます。なにがあったのかということを考えます。購入か、それとも感想か。わたしはどちらでも良かったのですが、大変なんでしたものね、バイト。どこか学校まで遠いと思っている道も、少しだけ抜けていく方法を知れば、気が楽になるというものです。世の中には、知らないほうがいいということもありますが、知らないということで損をするということが多い気がしました。これは少なくとも今の意見です。知ってはいけないとそんな風にいうのは、わたしは大人が私たちを苦しめるためなのではないかと強く思いました。知って得すること、いやまぁ、これは別のことですが。わたしはこのような事を俗物といって、かぶいたふりをしては笑って、自分は特別な人間だっていって、インターネットで孤立しているよくな人が嫌いでした。悪辣な言葉を並べられるのは仕方がないとして、でも、一個だけ仕方がないとしていけば、なし崩し的に全部認めて頭を下げるのは何か違う気がしました。
若い女性が金を作りつつ学ぶことにわたしは賛成でした。わたしはわたしがやりたいようにやるのです。それだけを考えては、わたしは満足して自宅に帰りました。
帰ってくると、テレビがついていました。もー、誰だよつけっぱなしにしたひとはどうせ妹だろうと言う風にして、わたしは強くバッシングしようと思いましたが、そこにいたのは母でした。中年になるにはまだまだな若い印象。少しばかり太ったようにも思えます。胡乱な目でわたしを見つめては、娘に問いかけます。母の顔なんてろくにみたいとは思えませんが。しかし、そこにいるのです。わたしは気まずくなります。わたしは何者でもないんだぞというように視線が訴えかけてきます。何者でもない。確かにそれは間違ってはいません。つらくて苦しいです。逃げるように二階に上がります。足に痛みがずしんときます。ただ、わたしにもやれるということがあるのであれば、やりたい、と。捻くれてしまっても、よくないのだと。次はどこを売ればいいでしょうか。顔は売れないです。顔を売るということは、わたしはしないです。顔はわたしの体の一部ですし、特定する身体的パーツのひとつでした。
鏡をじいっと見つめます。一年前のわたしの姿。今もそれがつい先日のように思い出されます。次売るとしたら、臀部でしょう。お尻。邪魔なお手毬を軽く蹴って吹き飛ばし、わたしは自分に必要なスペースを開けます。ここは少しばかり苦戦しました。どのように撮ればいいのか、ということが理解できずに、わたしは時間を過ごしていきました。一枚の薄く汚れた座布団の上に座り、取ります。シャッターをたくと音が鳴ります。ちょっとばかり、煩くて参ってしまいます。しかし、誤魔化す機会はいくらでもあります。秘蔵のものになるのですから。わたしは十代最後の身体を被写体として残しておくことに精を出したのです。十代最後。体も大きく膨れ上がるようなことになれば、畳むことになることは間違いないと思いました。わたしがいなくても、だれも気にしない世界になる前に。秒針の針は刻々と無防備な背後を追いかけるようにして進んでいきます。お尻を撮ることはすごく苦労しました。まぁるい二つのお椀のような臀部を撮るのはいいのですが、どのような角度から撮ることがあっても、黒ずんだ肛門の穴というものが見えてしまい、わたしはひどく羞恥感を覚えました。これをネットの欲望にあふれた海のなかに流していくというのは、些か、私には耐えがたいものがありました。ほら話ではなく、わたしが排泄するために使っている穴というものを公共の場に落とすということが、嫌いな人間に懲罰でも受けるような感じがしてから、わたしはただただ、躊躇ったのです。しかし、ネットの情報というものは早いもので、ニーズに応えることができなければ、新しいターゲット層を取り組むためのライバルが現れる気がしました。それは家族が決めた決まり事や、村社会で地主に年貢を納めるというものではなく、わたしが勝手につくったせん妄でした。冬場に素足を突っ込んでしまったのではないかというような悪寒が背筋を駆け巡って行きました。わたしはフルフルと震慄し、投稿を躊躇います。何度見てもこれが運命ではないのか、という気持ちがしてしまい、気持ち悪さからトイレに駆け込みました。
何かしらの修正をしようと思いました。高校生が自撮りをして、それをアップロードしているにこやかな写真を見つけました。しかし、顔はモザイクがかかっていて、ふむなるほどなと、わたしは首を上下に振りました。顔にモザイクをかけるようにして、わたしが見せたくはない秘部のところを映し出さなくていいのだと。それを理解したわたしは、すぐさま若い感性を持つ彼らにあわせて、ダウンロードします。私という生き物はろくにファッションなどということはしてきませんでしたから、無頓着なわたしは、学ぶことしかありません。最も、これは学ぶというよりも、隠すことでしたが。身バレを防止する、という事です。あられもない高校時代の制服で、特定されるということはあるのかも知れません。わたしは、わたしの母校が、マイナーであまり価値がないという事を理解していたからです。都会に溢れるキリスト教やカトリックの熱心なミッション系スクールや、偏差値が青天井のお嬢様学校では、それなりの価値が付くのをネット通販で見ました。私は、それほど価値がないということが分かっていたので、その点に関しては伸び伸びとやっていました。身がバレても、誰かが家の扉口をがらがらと開けて入ってくるということもないですし、その点に関しては私は安堵を覚えたのでした。時刻が回って、わたしはそろそろ「販売するよ」という告知をすることにしました。あまりいい反応ではない、それはそうです。求めているものが届いていませんから。それを静かに理解した上で、わたしはネットの海にて臀部の写真を投下します。お気に入りの嵐。暗い部屋で鳴り響く通知。承認欲が暖かい毛布に包まれるようにして満たされていく。自分で自分の身体を修正していくことにどこか強い違和感を感じてきました。しかし、いいのです。ふっと投下すればいい。アテンションを集めてから、やるんです。わたしがネットの海に流すと、口座の確認は明日。そんなにがめつい感じになってはダメです。感謝するためにじっとするんです。確認は明日でもいい気がしました。何となく、いい感じの結果は得られるような気がします。結果さえついてくればいいんです。でも、今回はあまりいい結果になるような気がしませんでした。こう、女の感と言うやつでしょうか。痴漢やなんやで、お尻を触ることになれていそうな殿方は、きっともうそんなの飽きたんだけれども、と言う風な素振りなのでしょうか。まぁ、加工するのに時間をかけた割には、そんなに自信がないと言う。考えても無駄ですね。ここでダメだったら絞殺でもしましょうかね。まぁ、わたしは男性ではないので革ベルトを持っていないのですが。自殺は他殺です。死ぬことにも理由はあります。その理由をつくっているのは、大体の場合は外部からの理由です。外部から、えぇ。外からやって来る電子情報が私のことをひどく苦しめるのです。発信しておいてなんなのですが、わたしは発信することも利益を存分に、大きく受け取ることによって、すべてのことを回避しようと考えていました。幸福な記憶の方が多ければ、不幸の記憶が少なければ、いずれは抹消されて行きますからね。愚痴はこぼすまいと、そう願っても吐露するのが女なんです。別に男でもいいですよ。でも、風当たりは男の方が強いですよね。男がそのようなことを言えばバッシングされます。わたしはそれが好きではありませんでした。わたしが女でなければ、女という性を利用したこのような商売はできませんし、感謝です。わたしがもしも、男だと思うとザァッと、地獄の底に落ちていくような絶望感を感じました。もう帰ってこれないような深い深い暗闇のなかに、ころころと滑りこちていくような。滑り台のようだなと思いました。
七草入りのお粥と茶碗蒸しを食べたい気分でした。それらをいただくことができれば多少の気は紛れるはず。わたしにそれは勿体無いとか、酷いことは言わないでもらいたいです。少なくともわたしは食って寝れば解決する単細胞生物ではないのですが、それらの方を羨ましいという風に感じることもよくあったのです。
生きるの限界 まったりん @Yagetti
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