レビューについて思うこと
古新野 ま~ち
第1話 私はレビューが好きだ
皆さんはレビュー読みますか?
私は高校時代にアマゾンレビューを眺めることが好きで、時間ができれば買いもしない小説や漫画のレビューを見てました。
ほんとに無責任な内容が多くて読むのに飽きるまでは、辛口コメントなども楽しく読んでいたんですよ。よくこんな悪口思い付くなぁ、と感心してました。村上春樹の長編小説についたレビューなんて、まあひどいもんですよ。興味のあるかたはぜひ。
で、じゃあ私がレビューに興味なくなったかといえば、それはNoです。Twitterでは何人かの書評家をフォローしてますし。しかし、彼らの書評をがっつり読むことは、すみませんがあまり無いです。新聞や文芸誌を購読してないので。
あ、Allreviews はたまに閲覧してますよ。現役の書評家である豊崎由美氏や、故人の書評(澁澤龍彦など)とかが読めるので。
ただまぁ、空いた時間にテキトーにレビューに触れるなら、最近はYouTubeが多いかもしれません。「ゆっくりボイス」による「なろう系レビュー」など、切れ味のあるツッコミなどで笑わせてもらってます。ありがとうございます。また文学YouTuberなどもたまにみます。
そろそろ本題に。
そもそも、レビューって何がしたいんでしょうか。馬鹿にしてませんよ。色々あると思います。ライターなら原稿料、ブロガーやYouTuberなら閲覧数のため、など短絡的なものかもしれません。レビュー対象の本質を探る批評行為かもしれません。
ただ、罵倒すれば注目されるんでしょ? という偏見があります。というか、酷評系のレビューって閲覧数が良いと思うんですよ。ゆっくりボイスのYouTuberとか、あとウェブ媒体の記事とか、まぁこれは限られた場所にしか書評が載らなかった昔から同じなのかもしれませんね。罵倒芸はいつも大人気ですから。
ところで、罵倒にしろ賞賛にせよ、レビューには評者の限界が現れるってことに気づいてないような人が多いと思います。というか、そのことに無頓着であればあるほど「自由」なレビューができるので。
なぜ「」をつけたかというと、その自由は所詮は評者の振る舞える範囲での自由だからです。どうも、レビューしがちの人は、自身がなにかのメソッドにとらわれていることに気づいていないか、メソッドを押し付けているのか、とにかく狭すぎる価値観でレビューしている気がしますね。
人に注目してほしければ、たしかに、駄作を駄作といえばいいんだと思うんですよ。幸い、なろう系とかなんて、受け手も送り手も意識の低い(奴隷、ハーレム、この辺のワードをタイトルで見ると吐き気がしますね)作品群が世に溢れていて、もっと大きく日本文学なんていうくくりで見ても、ほとんど素人の使い潰しなんですから熟練とかあるはずなくビギナーズラックと自己模倣なんで読む価値が無いものばかり目につきますし。あ、自分の投稿作品も屑だと思ってますよ。
何が言いたいかといえば、まぁゴミをみてゴミだと罵るのは簡単なんですよ。そして、世の中に溢れるハリウッドの作劇方法などを基に改善案を提示したり、など有能レビュワーっぽく見せる手つきもあります。また、聞いたこともないエンターテイメントの肝みたいなものを語れば、その書評内では矛盾しないようにすることもできます。エンターテイメントは最後に伏線が回収されてこそとか、登場人物が絞りきれていないので散漫な印象とか、こんな風な知った口を見かけると馬鹿じゃねえのと腹を抱えて笑うことができます。
繰り返しますが、私はレビューが大好きです。皆さんもぜひ書評家やレビュワーを笑ってあげてください。本人に何も言わず、ただ、自分の能力以上のことをしようとする人達を嘲笑してあげるといいんじゃないでしょうか?
どうして、こんな文章を書いたかといえば、不定期かつかなり遅めの更新頻度になると思いますが、書評もどきをはじめたくなったからです。というわけで、皆さんよろしくお願いします。ぜひ、私が馬鹿なことを言ってたら馬鹿と言ってあげてください。
レビューについて思うこと 古新野 ま~ち @obakabanashi
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