第8話

「どうかしたの?」

 美紗希はその声で物思いから覚めた。

 夕飯時だった。目の前には食べかけのコロッケ。大好物だった。

 母親が心配そうにこちらを見ていた。美紗希の家は母子家庭だ。母親と妹、たまに会う父親。両親は離婚しているものの家族関係は良好で、祖父母も健在だ。

 幼稚園の妹は我感せずという感じでコロッケを口に運んでいたが、母親の言葉できょとんとこちらへ首を傾げた。

 美紗希は「え……と、……」と言葉を継ぐことができなかった。

 頭の中は、今日「捨ててきた」黒い子猫のことで頭がいっぱいだった。

 一時的にもとの場所に戻すだけだと、中野さんも、男の人、佐藤さんも言っていた。毎日様子を見に来よう、3人でそう約束もした。

 けれど、本当にあれでよかったんだろうか。自分は動物を好きではないという隠し事をしたまま、このままで……あの輪の中に入っていても良いのだろうか。

 さらには、あの子猫は大丈夫だろうか。寒さに震えてはいないだろうか。明日雨が降ったらどうしようか。心無い人間に捨てられてしまったり、他の動物に襲われてしまったりしたら……。

 悪い想像が次々に思い浮かび、不安は尽きなかった。飼えないことは分かっていたから、母親に相談もできなかった。良い子の自分が、アパートのルールを破って猫の世話がしたいだなんて……どうしても言えなかった。

「学校で、何かあった?」

 母親が心配そうに聞いてくる。

 違うの、と言いたいのに、言葉は出ずにこらえていた涙が溢れた。

「あらあら……」

 慌てて母親が立ち上がり、涙を拭ってくれようとする。ふんわりと、腕の中に抱きしめられた。

「……美紗希は責任感が強い子だもんね。なにか、お母さんに言えないことで悩んでるんだよね」

 母親は理由は聞かずにそう言ってくれた。

 良い子だから、とは言わなかった。ただ褒めてくれた。よしよし、と幼子のように撫でられて恥ずかしかったが嬉しかった。

 美紗希は母親の腕の中で涙を拭って何度もうなずいた。涙は後から後から湧いて出たが、母親はその間ずっと抱きしめてくれていた。

 その夜は、ベッドの中ではもう泣かなかった。

 明日、子猫を迎えに行く。

 私が、助けるんだ。良い子とか、良い子じゃないとかは関係ないと思った。猫は嫌いだけどと中野さんたちにはっきり言おう。私は、子猫を助けたい。触れなくても、可愛いと思えなくても、可哀想に思う。小さな命が消えてしまうのが嫌だ。

 美紗希は決意して、ベッドでじっと天井を見つめていた。

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