第19話 二人から三人に
「そうか、もう行ってしまうのか……」
グレッグが少し名残惜しそうな声音で言う。彼の前には、既に旅支度を終えたアークたちが立っていた。
「ああ、本当に世話になった。礼を言う」
「いやいや、こっちこそならず者たちから救ってもらったんだ。それに少しの間だったが、息子や娘ができたみたいで楽しかったよ。ベル、元気でな」
グレッグはベルの顔を見て相好を崩す。それにつられ、ベルも満面の笑みを見せた。グレッグ夫妻に別れを告げ、ロジン村を後にしたアークにベルが顔を向ける。
「ねえねえ、アーク」
「うん? どうした、ベル」
「あのね、『針の山』でさがしものはみつかったの?」
自身の先見が当たったのかどうか気になったのだろう。ベルは返答を急かすように、アークの外套の裾を引っ張った。
「さて、見つかったと言ってよいのか……それはこれからわかるのだろうな」
その答えが理解できたのかそうではないのか、ベルは「そっかあ……」と少し残念そうに言う。その後、再び彼女は問うてきた。
「アーク、それでこれからどこいくの?」
「そうだな、とりあえずまた都へ戻るとするか」
「そうなんだ!」
「都」という単語を聞いたベルの表情が明るくなる。アークは思わず小首を傾げ、彼女に尋ねた。
「ベル、うれしいのか?」
「うん。みやこはひとがいっぱいいて、たのしいもん」
「そうか……」
アークは正直言って都が苦手だった。情報を仕入れたり、活動拠点にしたりしてはいたが、その喧噪と人の多さにはいつも辟易としていたのだ。だが、そういうところをベルは好んでいるという。人の好みとは様々あるものだと、小さな同行人を見てアークは認識を新たにした。
さて、とアークはある方向に身体を向ける。日が昇る方向、そちらに目指す都があった。
「また歩くことになるが、平気か? 二人とも」
まずはベル、そしてスノウにアークは視線を向ける。
「うん!」
「はい」
二人はそれぞれ大きく首肯した。その様子を見たアークもうなずき返す。
「では、行こう」
こうして二人旅だったアークの旅が、今度は三人旅として再び始まった。
ロジン村から都までは、二日歩けば着く距離だ。幼いベル、そしてか弱げな少女スノウを連れている限り、強行軍は避けなければならない。アークは野宿に適した場所に夕刻に着くよう、慎重にペース配分をし歩くことにした。そして、計算はうまく運び、行きも利用した草原に立つ大木の下に夕刻辿り着く。
「今夜はここで野宿するぞ」
アークは背負っていた荷物を大木の根元に下ろした。
「わあい、のじゅく、のじゅく!」
野宿するのにも慣れたのか、ベルはうれしそうに大木の周りを歩き回る。
今まで黙っていたスノウが不意にアークに話しかけてきた。
「野宿……野外で寝泊まりするということで、いいのですか?」
「ああ、正解だ」
アークがそう返事をすると、スノウは周囲に目を向けた。彼女の視線の先には、オレンジ色の影が落ちてゆく草原が広がっていた。
「……この場所には、名がついていないのですね」
「そうなのか?」
不思議そうにスノウに言われ、アークはおもむろに世界地図を広げる。スノウの言うとおり、今いる草原には確かに名がついていなかった。
「この世界には、名のついていない場所もあるのですね」
「そうだな。この世界は広大だからな、名のついていない場所があってもおかしくはない」
目の前の少女は困ったような表情になる。
「それ、困ります。わたしの中に知識を刻むこと、できなくなります」
「それもそうだな……」
生霊の書の存在意義は、世界の知識を手に入れることなのだ。それができないというのは、確かに困ったことなのだろう。アークは思わず苦笑してしまう。
「済まんな、名のついていない場所は『名無し』とでも覚えてくれ」
「……わかりました」
スノウはわずかに納得いかなそうな素振りを見せたが、すぐに元の落ち着いた表情に戻った。
「では、オレは夕食の支度をするから、待っていろ」
アークは荷物の中から干し肉や缶詰を取り出す。
「さて、今日は何のスープにするか……」
二種類の缶詰入りスープのどちらにするか悩む。そんなアークの様子を見たスノウが呟く。
「右の缶詰は、賞味期限があさってまでですね。早く食べてしまった方がよいと思います」
アークはスノウに言われたとおり、右手に持った缶詰に目を向ける。すると、確かに賞味期限はあさってまでだった。
「わかった。今日はこちらのスープにするとしよう」
小さなことだったが、生霊の書というのはこんなことにも役立つのかと感心させられる。
アークは周囲に散らばった木の枝を広い集め、火をつけようとする。あいにく日は既に沈み、空には白い月がぽっかりと浮かんでいた。火を起こせそうな稀言は組み込めない。もう少し早くここに着いていれば、太陽の光で火が起こせたのに、とアークは少し後悔した。
だが、ないものは仕方がない。アークは使い古した火打ち石を取り出し、それで枝に火をつけた。そして、慣れた手つきで鍋に缶詰のスープを開け、夕食の支度を整える。
ほどよく温まったスープを三人分器に注ぎ、干し肉と乾パンを添えた。辺りにはスープのいい匂いが立ち上り、それに惹きつけられたのか、離れた場所で一人遊びをしていたベルがこの場に戻ってきた。
「ごはん、できたの?」
「ああ、できた。たくさん食べろ」
「うん!」
アークにスプーンを渡され、ベルはおいしそうにスープを口に運ぶ。気づけば、スノウが不思議そうにその光景を見つめていた。それに気づいたアークは、彼女に声をかける。
「……やはり食べないのか?」
スノウが首を縦に振った。
「はい。わたしは書物ですから、ものを食べたりしません」
その発言は、今日の昼時に聞いたものと同じだった。休憩時に携帯食をとろうとしたのだが、スノウは固辞した。確かに書物はものを食べない。スノウの言うとおりだ。だが……。
「ものは試しだ、食べてみたらどうだ?」
「食べる、ですか?」
スノウは少し戸惑った様子を見せる。
「缶詰とはいえ、なかなかいけるぞ」
アークはスープの入った器とスプーンを眼前の少女に手渡した。わずかの間、思案する素振りを見せたスノウは、思い切ったようにスープを一口。
「…………!」
そして、何かを確かめるようにもう一口。その様子を見て、アークは笑みを浮かべる。
「どうだ、うまいか?」
その言葉に、スノウは大きくうなずいた。
「生まれて初めてこの世界の食べ物を口にしましたが、きっと今おいしいと感じているのだと思います」
最初は無理に勧めてしまったのではないかと思ったが、満足してもらえたようでアークは一安心する。アークたちが食事をしている最中、スノウだけ除け者にするのはどうにも気が引ける。スノウが食事できることに、アークはひとまず安堵させられた。
そんな出来事を通して、都への旅の一日目は終わった。
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