第6話 つかのまの休息

 昔々、この世界では文明が発達し、人々が皆、豊かに暮らしていた時代があったという。

 

 だが、人々は様々な思惑から争いを繰り返し、自ら世界を壊し続けていくことになっていった。今では文明はすっかり後退し、人々の生活はそれほど豊かではなくなってしまった。

 

 早い話が、世界は時代が逆戻りした状態になったのだ。主な生産手段は農耕になり、文明の利器は見る影もなくなった。そして、貧富の差は激しくなり、富める者は都に住み、貧しい者は都から遠く離れた農村地帯に住むという図式が出来上がっていく。

 

 アークたちが今いる小さな村も、その例外ではなかった。


「あー、やっと着いたなあ」

 

 村の入り口で牛車を停め、グレッグがゆっくりと荷台から降り立つ。


「ロジンって名前なんだ、この村。本当に小さな村でな、わしの家も含めて家は八軒しかない」

 

 その言葉どおり、すぐ村中の民家のすべてが数えられるほどロジンは小さな村だった。

 

 アークは未だ眠ったままのベルの身体を揺する。


「ベル、起きろ」

「う、うーん……もう朝あ?」

 

 寝ぼけまなこをこすりながら、ベルがゆっくりと起き上がった。


「残念だが、朝ではない。ちょうど日が落ちたところだ」

 

 アークはベルを抱え、牛車の荷台から降りた。そして、グレッグに向かって一礼する。


「礼を言う。ここまで乗せてもらえて助かった」

「そんなかしこまるなよ、村に帰るついでに乗せてっただけだし。それより今夜はどうするつもりなんだ?」

「今夜?」

「泊まる場所だよ。まさかこんな日が暮れてからも、外を歩き回るつもりじゃないよな?」

 

 グレッグはアークの手を固く握るベルに視線を向けた。


「なあベル、今日はわしの家に泊まっていくか?」

「えっ、おじさんの家?」

「そうだ。わしのかみさんは料理がうまいんだぞ」

 

 ベルの顔がパアッと輝いた。対照的に、アークは眉間に深くしわを寄せている。


「いや、さすがにそこまで世話になるわけには……」

 

 グレッグは難しい顔をしているアークの肩を軽く叩いた。


「なーに言ってんだ! アーク、お前はわしの命の恩人だぞ。その恩人を野宿させたりしたら、罰が当たる」

 

「恩人」という言葉にアークは首を捻る。そもそも襲いかかってきた男たちの相手をしたのは、自身に降りかかった火の粉を払っただけに過ぎない。決して、グレッグだけのためにしたことではないのだ。


「アーク、おじさんがとめてくれるって!」

 

 だが、目の前のベルのうれしそうな表情を見て、アークは苦笑する。


「……では、ありがたくご厚意に甘えさせてもらおう」

「よし、じゃあ行こう。わしの家はこっちだ」

 

 グレッグは満面の笑みを浮かべると、アークとベルを連れ立って歩き出した。


「ふかふかのおふとんで寝るの、ひさしぶりだね!」

 

 そう言うと、ベルはベッドの上でうれしそうに跳ねた。


「こら。うれしいのはわかるが、ここは人様の家だぞ。もう夜も更けたし、なるべく静かにな」

 

 アークにたしなめられ口を尖らせながらも、ベルは「はあい」と返事をして大人しくベッドの上に寝転んだ。


 アークとベルが今いるのは、グレッグの家の一室だ。この部屋には、子供用の小さなベッド一つしかなかった。それにベルを寝かせ、アークは布団を一式借りて床に寝ることにしたのだ。

 

 アークはすぐ傍の小さなベッドを見つめる。


 ――息子を幼くして亡くしたと言っていたな……。

 

 グレッグの話から、この部屋は彼の息子が使っていたであろうことが容易に想像できた。そのことを思うと、アークは複雑な気持ちになる。そんな彼の心中など知るよしもないベルは、無邪気にベッドの上をゴロゴロと転がっていた。


「……なあ、ベル」

「うん、なーに?」

 

 アークに声をかけられ、ベルがベッドにちょこんと座り直す。


「お前は、父や母に会いたいと思うことはあるか?」

 

 ベルは小首を傾げ、しばらくの間思案する素振りを見せた。アークは黙ったまま、小さな連れが答えを口にするのを待った。それから、ようやくベルは口を開く。


「ごめんね、よくわかんない。ベル、パパやママのことおぼえてないし」

「……そうか」

「でも、ベルぜんぜんさびしくないよ。アークがいるもん!」

 

 ベルはニコッと笑ってみせる。アークも笑みで返し、ベルの頭を優しく撫でた。


「さて、そろそろ寝るか。疲れただろう」

「うん。おやすみ、アーク」

「ああ、おやすみ」

 

 アークは脇に置かれたランプの火を消し、床につく。少しすると、すぐに小さな寝息が聞こえてきた。


 ――疲れていたのだろうな。

 

 ここのところ、幾つか山を越え、悪路を歩き通しだった。幼いベルのため細めに休憩をとったり、彼女が疲れたときにはおぶったりしていたとはいえ、やはり小さな子供にはきつい旅なのだろう。


「済まない……」

 

 アークは小さく謝罪の言葉を呟く。だが、幼いベルを連れながらでも、アークには旅をしなければならない理由があった。あるものを探し求めて、アークは旅をしている。そして、その手がかりを求めて、ここまで来たのだ。

 

 ――どんなに小さくてもいい、何か掴むことができれば……!


 アークは起き上がり、窓際に立つ。窓の外からは、淡い一条の月光が差し込んでくる。

 

 窓の外に目をやると、ロジン村の傍に険しい山がそびえ立っているのがわかった。

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