第5話 旅する少年(4)
「……仕方ないな」
アークは小さく呟き、一呼吸する。そして、逃げるべく足を動かすかわりに、ゆっくりと口を開いた。
『地上を照らす日の光よ、輝く盾となりて我が肉体を守れ!』
言い終わるのとほぼ同時に、不意に周囲が眩しい光に包まれる。
「な、なんだあっ!?」
眼帯男、その手下の男たちがあまりの眩しさに目を瞑った。光が弱まるのを見計らい、男たちは目を開ける。
「バ、バカな……!」
眼帯男の驚きを帯びた声が耳に入ってくる。それを不思議に思ったグレッグは、恐る恐る顔を覆う両手を外した。グレッグが、その場にいた全員が、一様に驚愕の表情を浮かべる。アークの頭上に振り下ろされたはずの長刀が、真っ二つに折れている。彼と眼帯男の間には、白く光る障壁のようなものが出現していた。
「は、鋼でできた俺の刀がっ……」
およそ半分の長さになってしまった長刀を、眼帯男が呆然とした顔で見つめている。
「……鋼だろうと何だろうと関係ない。これはあらゆるものを阻む障壁だからな」
右手を前にかざしたまま、アークが言う。彼の右手は眼前の障壁と同じく、白く光っている。生まれてこのかた、目にしたことのない不可思議な現象を目の当たりにし、グレッグはただただ驚くしかなかった。
「アーク、お前は一体……」
アークはゆっくりとグレッグを振り向く。
「オレは稀言使いだ」
「まれごと……つかい?」
まったく聞いたことのない単語を、グレッグはおうむ返しに呟いた。
「稀言使いとは、力のこもった言葉で超常的な現象を起こす者の総称だ」
「ま、魔法使い、みたいなもんか……?」
グレッグはありったけの知識の中から、ようやく一つの単語を搾り出す。
「まあ、似たようなものだな」
言い終えた後、アークがなぜか深く眉根を寄せる。そして、再び前方へと向き直った。
「……やれやれ、まだやるつもりか?」
いつのまにか、眼帯男、その手下たちにアークは取り囲まれていた。各々、武器を手にし、今にも飛びかかっていきそうな勢いだ。
「ナニゴトだか何だか知らねえが、五人相手に勝てるわけねえだろ」
折れた長刀を構えながら、眼帯男が歪な笑みを浮かべた。
「……ふん、果たしてそれはどうかな?」
アークはかざしていた右手を下ろす。同時に、彼の目の前にあった白く光る障壁がゆっくりと消えていく。丸腰の少年一人に、屈強そうな五人の男たち。常識的に考えれば、どちらに分があるかはわかりきっていた。
「いや……」
事態を固唾を呑んで見守っていたグレッグが、小さく首を横に振る。アークは約束した。自分の命を、荷物を守ってくれると。初めは頼りなげに見えた少年のことが、今はなぜか不思議と信じられる。グレッグはそう感じていた。
「……面倒だな」
小さくため息をついた後、アークは男たちを挑発するように人差し指をクイッと自分の方に曲げてみせる。
「構わないから、全員まとめてかかってこい」
そう言った後、彼は不敵に笑んだ。臆するどころか、この上なく傲岸不遜な態度をとる眼前の少年を前にし、男たちの怒りは頂点に達した。
「……言ったなクソガキ、後悔するんじゃねえぞ」
眼帯男が口元をひくつかせながら、部下たちとうなずきあう。
「死ねえええええええええっ!」
男たちが一斉にアークに飛びかかる。だが、アークは攻撃を避けようとはせず、その場に立ちすくんでいた。そして、ゆっくりと口を開く。
『……悠久をわたる風よ』
稀言を唱えながら右手を上方へと高くかざす。すると、まるで彼の元へ集うかのように風が吹き始めた。
『我が手のうちに集まり、吹き荒れる竜巻となれ!』
アークが言い終わるのと同時に、今までゆるやかに凪いでいた風が激しく吹き荒れる。
「な、なんだあ……?」
凄まじい風に衣服を煽られながら、男たちが前方の少年の様子を注視する。不思議なことに、吹き荒れる風はアークのかざした右手に集まるように吹いている。
右手に集まった風は渦を巻き始める。それに気づいた男たちの顔面が蒼白になった。
「ま、まさか……」
「そのまさか、だ」
みるみるうちに、アークの右手上に巨大な竜巻が形づくられていく。
「に、逃げるぞっ!」
眼帯男の号令を受け、男たちは一斉にその場から逃げ始める。だが、もはや遅かった。
「二度とこの辺りに近づけないよう、山の向こうに飛ばすぐらいで勘弁してやるか」
アークは右手を逃げ出す男たちに向けてかざした。アークの右手から放たれた竜巻は、たちまち男たちを捕らえる。そして、上空に向かって彼らの身体を巻き上げた。
「うわあああああああああああっ!」
男たちの身体は、まるで紙のように遥か向こうの山の方まで吹き飛ばされていく。飛ばされていく途中、彼らは口々に罵詈雑言、捨て台詞を叫んでいたが、アークの耳にはもはや届かなかった。
「す、すごい……」
五人の男たちを一切武器を振るうことなく一人で退けたアークを、グレッグは驚愕、そして尊敬の入り混じった目で見つめる。
「……やれやれ」
アークは一つ大きく息をつくと、再び牛車の荷台へと乗り込んだ。
「では、行くとするか」
「へ?」
グレッグはポカンと口を開ける。
「あんたの住む村まで乗せていってくれるのだろう? 急がないと日が暮れてしまうぞ」
まるで何事もなかったかのように、平然とした顔でアークは言う。一方、グレッグは普通だったら体験することのないだろう出来事を前にして、頭の中がパニック寸前になっていた。
「……アーク、お前は随分荒っぽいことに慣れてるみたいだな。だから、殺気を持った人間が追いかけてきてるってわかったのか?」
何とか気持ちを落ち着かせ、再び牛車を走らせ始めたグレッグは、ふと疑問に思ったことをアークに尋ねてみた。
「ああ」
未だ眠ったままのベルの頭を撫でながら、アークが答える。
「あのようなことは日常茶飯事だ。今日は相手が五人だったが、まだ少ない方だな。連中はオレをただの子供だと思って、すぐにカモにしたがるからかなわん」
グレッグは首を傾げる。いくら相手が子供だからといって、何の得になるのだろうか。もし自分がならず者なら、アークたちのような子供ではなく、金を持っていそうな大人を狙うだろう。
「何でも都では人買いが横行していて、オレたちのような者もある種の人間にとっては大事な資金源になるらしい」
グレッグの内心を知ってか知らずか、アークが淡々と言う。
「そんな危ない目に遭ってまで……どうして旅なんかしているんだ?」
幼いうちに病気で死に、もし生きていたらアークぐらいの年頃になっていた自分の息子を思い出しながら、グレッグが半ば独り言のように呟いた。
それから少しの間、沈黙の時間が流れる。いつのまにか日は沈み始め、辺りに茜色の影が落ち始めていた。
「……探しものをしているからだ」
グレッグの小さな呟きが耳に届いていたのか、アークがポツリと言う。
「それを見つけるまでは、オレは旅を続けなければならない。たとえ、この世界のすべてを回ることになったとしても、だ」
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