第二十七話 邂逅
バールと会った後、アリアはレッスンに向かっていた。頭を回るのは、先程知った映画主題歌の仕事について、そして再び会うことになるであろうヘレナについてだった。
ヘレナは、十中八九この依頼を受けるだろう。たとえデビューしたてでなくても、映画とのタイアップは歌手にとって大仕事だ。なんといっても、イベントとは違い、より多くの人、広い地域で、自分の歌を聞いてもらう機会なのだから。
今までよりずっと、たくさんの人に自分の歌声を届けることになる。それはアリアの目標である、一流の歌手になるための大きな一歩だ。絶対に成功させなければならない。
レッスン室に入ってきたアリアを見て、カミラは満足げに笑った。
「てっきりもっと落ち込んでいるかと思ったわ。何か転機でもあった?」
「そうですね。このままじゃ、いけないと思って。カミラさんにご相談したいことがたくさんあります。聞いてくださいますか」
「もちろん。能動的な生徒は好きだわ」
アリアは先日のイベントの話と、そこから得た反省をカミラと共有した。
「……私には、プロとしてやっていく覚悟が足りていなかったように思うんです。コンテストの時から、私は停滞していた」
アリアは一息ついてから、カミラの目を見据えた。
「もっと貪欲に成長していかなければ、ヘレナに置いていかれるどころか、プロとして胸を張ることすらできない。私は、これからどうしたら、どんな努力をしたらいいのでしょう? 今まで通りではいけない気がするんです」
カミラはアリアの話に黙って耳を傾けてから、ゆっくりと話し始めた。
「まず、第一に。あのコンテストから、まだ二ヶ月しか経っていない中で、あなたはよくやっているわ。プロとしての技術なんて、一朝一夕で身につくものではないでしょう。
それを踏まえてあなたの質問に答えると、今までやってきたことを着実にやっていくこと、としか言えないわね。あくまで私から教えられることに限るとだけれど」
「……と、いうと?」
「盗むのよ。前にも言ったでしょう、全てを自分の中から生み出すことは不可能だから、他人のものをよく研究して、自分のものにすると。
一流に触れて、それがどういうものなのかよく知らなければ、自分も一流にはなれないわ。あなたは幸い、これからあらゆるプロの世界と関わりを持っていく。その機会を無駄にしないことね」
本当に、基本の話だ。彼女のアドバイスに、アリアはエリックとした話を重ねた。焦ってはいけない。やるべきことを着実にやっていくことでしか、道は開けない。
「ありがとうございます。一流をもっと研究していきます」
「ええ。音楽だけではない、もっと広い分野に目を向けていくといいわ。成長のヒントは、普段から探そうとしなければ見つからないものよ」
もっと広い分野。アリアは映画とのタイアップの話を思い返した。きっと打ち合わせには、映画のプロデューサーや演出家が関わってくるだろう。もしかしたら、何か新しいものを得られるかもしれない。
「それと、もう一つお聞きしたいんです。ヘレナの変化は……ヘレナが短期間であれほど成長しているのは、どうしてなのでしょう?」
「さあ? 私のレッスンの中では、彼女は特に変わったことをしていないし、めざましく変わったこともなかったわ。心境の変化かしら」
心境の変化で、あそこまで変わるものなのだろうか。こればかりは、本人に直接確かめるしかないのかもしれない、とアリアは思った。
週末になって、アリアが先日のイベントの反省会に参加すると、ニーナとユウトはひと目見るなりこう言った。
「まあ、アリア! もう元気になったの?」
「僕たちずっと心配してたんだよ。顔色が良くて安心したけど、無理してない?」
イベントのあの日、泣き崩れてから、二人と会うのは初めてだった。そう思われるのも、当然のことだろう。
「ええ、無理はしていないわ。ありがとう」
アリアは二人に向かって微笑んだ。その明るい顔を見て、二人は顔を見合わせた。
「本当に立ち直ってるわね」
「何があったんだろう……」
訝しげにひそひそと話す二人に、アリアは思わず吹き出した。
「私なりにいろいろ考えて整理できたの。聞いてくれる?」
反省会は滞りなく進んだ。あの場では自分の歌だけが、と言ったアリアだったが、他の部分にも積極的に意見を出した。他の二人も、そしてバールも一緒にたくさん意見を出し合って、次の機会に試したいことや今後挑戦したいことを整理することができた。
そして最後に、二人にヘレナとのコラボについても打ち明けた。すると、二人は妙に納得したような表情をした。
「どうしたの、二人して腑に落ちたような顔をして」
アリアが問えば、二人はこう言った。
「次の目標があれば立ち直るのがアリアよね」「だね」
二人にそう思われているのがなんだか気恥ずかしくも嬉しくて、アリアははにかんだ。
ヘレナの方からも依頼の承諾を得られたと連絡が入り、翌週、アリアはバールに連れられて、映画のスタジオへ来ていた。そこで打ち合わせと、今後の流れについて確認するらしい。
映画のスタッフが出迎えられ、そのままスタジオ内を案内される。過去映画の場面写真などが飾られた玄関や廊下をもの珍しく見ていると、今回の打ち合わせをする会議室に辿り着いた。
会議室の中には、すでにヘレナと、彼女のマネージャーが席に着いていた。
「どうも初めまして、アイファー・レコードのバールと申します」
バールがヘレナのマネージャーに手を差し出すと、彼はすぐに立ち上がってその手を握った。
「初めまして、バールさん。私はエーデルシュタインのグラーツです。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
ライバル会社が相まみえるとなれば、緊張が生まれてしまうのではと思っていたが、想像とは裏腹に和やかな雰囲気の二人に、アリアは内心胸を撫で下ろした。
すると、ヘレナがこちらを見ていることに気づき、アリアが小さく微笑み掛けると、彼女は口を開いた。
「アリア・ツェルナー。この間ぶりね」
「ええ、ヘレナ。この間のパフォーマンス、とても良かったわ」
ヘレナは、当然でしょうとでも言いたげに鼻を鳴らした。
「どうも。そちらは普通だったわね。良くも悪くも」
「ヘレナ! そんな失礼なことを言うものではないよ」
グラーツがヘレナを嗜める。彼も苦労していそうだ、とアリアは苦笑いしながら、彼を安心させようとこう言った。
「大丈夫ですよ。彼女が簡単に人を褒めたりはしないのは知っていますから」
「そ、そうですか……」
グラーツがほっと息を吐くのと同時に、会議室に人が入ってきた。
「大変お待たせいたしました。本日はご足労いただきありがとうございます」
会議室に入ってきたのは、中老のふくよかな男性と、彼と同年代らしき細身の男性の二人。彼らこそが、アリアたちへの依頼人である、映画監督と脚本家だった。
「お二方には、ご快諾いただき本当に嬉しく思います」と、脚本家がにっこりと笑って、アリアとバール、ヘレナとグラーツにそれぞれ資料を差し出した。
「こちらが今回担当していただきたい映画の脚本になります。そしてこちらが、撮影した映画のカットの一部です」
アリアは差し出されたその冊子に載っている写真をまじまじと見つめた。主演らしき若手の女性二人が並んでいるカットを見て、アリアは息を呑む。二人とも巷で人気の若手俳優で、アリアもその双方の出演作を見たことがあった。片方の女性は、たしか都に来てすぐの頃、街案内がてらエリスに連れられて観に行った音声映画でヒロインを務めていたはずだ。
脚本家は映画の内容を簡潔に説明し、監督の方も映画に込めたメッセージやこだわりを語ってくれた。
タイトルは、『夢みる蛹とスポットライト』。俳優を目指す女の子二人が、ぶつかり合い、共に高め合い、夢に向かって歩んでいくという物語だ。おどおどとした自分に自信のない主人公エマは、昔見た映画のスターに憧れていて、一人で演技の練習をしている。一方、パートの仕事で出会った、優秀で皆に一目置かれている女の子・イザベラも俳優を目指していることを偶然知り、二人は関わりを深めていく。
編集中の映画の一部も見せてもらうことができた。オーディションで二人が邂逅し、本気の演技でぶつかり合うシーン。その激しさや熱が伝わる演技や演出は、圧倒的で、鳥肌が立つほどだった。
アリアはヘルブスト新人音楽コンテストのオーディションで、ヘレナと初めて出会った時のこと、そしてステージで彼女の歌に感動したことを、重ねて思い返し、彼らが自分たち二人に依頼したがった理由が、なんとなく分かったような気がした。きっとそれはヘレナも同じだったのだろう、彼女は見たこともないような呆然とした顔で、映画に見入っていた。
打ち合わせは滞りなく進み、その結果、ヘレナと二人で歌詞を考え、ヘレナの曲の制作を担当している作曲家の一人にサポートしてもらいながら、アリアが中心に作曲することになった。
今の段階で決められる部分は決めることができたので、解散しよう、という流れになったとき、不意に背後から肩を掴まれた。驚いて振り向くと、ヘレナが少し迷っている風に目線を泳がせ口をもごもごとさせていたが、やがて何か意を決した風に目線を合わせて、こう言った。
「ねぇ、アリア。その、私の家に来て、一緒に脚本の読み合わせをしない?」
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