第二十四話 はじまりの歌

 楽屋に戻り、着替えや化粧直しなどをしてから、楽器の確認や最後の打ち合わせをしているうちに、いよいよアリアたちの出番となった。上着を脱いで、スタイリストとともに、衣装や髪型の最終確認をする。

 アリアのドレスは、目の冴えるような群青のベルベット生地にサテンを合わせた、足首の見える程度の丈の上品なもので、その上に細かなラメの入った白いショールを纏っている。

「アリアの衣装、改めて見ると、まるで冬の妖精みたいで素敵だわ。二曲目にぴったりね」

「あら、ありがとう。ニーナの衣装も素敵よ、大人っぽいのも着こなせるのね」

 ニーナのドレスは、同じくベルベットの、深碧の膝下丈のドレスで、ニーナの髪色に近い細やかな金刺繍の施された黒いボレロジャケットを羽織っていた。

「ふふ、似合ってる? こういうのってあまり着たことがないから不安だったんだけど、私も大人の魅力が出てきたってことかしら」

「馬子にも衣装って感じだね。大人の魅力はないけど、悪くないんじゃない」

「出た、『悪くない』。ユウトはいつも褒めてくれないのね」

 頬を膨らますニーナに、ユウトは揶揄うようにニヤニヤと笑う。今回の彼の衣装は、濃紺の落ち着いたタキシードなので、コンテストの時のものよりも気に入ったらしく、堂々としていた。

「楽しそうなところだけれど、そろそろもう時間だよ」

 談笑していると、バールが声を掛けてきたので、慌てて三人は口を噤んだ。緊張感がなかったか、とこわごわとバールを見ると、彼は柔和な笑みを浮かべていた。

「君たちなら大丈夫だよ。行ってらっしゃい」

 バールがそっと背中を押すようにそう言って、アリアたちを送り出してくれる。三人は顔を見合わせて、それから力強く頷いた。

「聞く人みんなが笑顔になれる演奏をしましょう」

 アリアの言葉に、ニーナとユウトは笑顔で応え、三人は舞台へと踏み出して行った。


 ツァウベラーが舞台上に現れると、わあっと歓声が上がり、「ツァウベラー!」と呼ぶ声や、三人の名前を呼ぶ声があちこちから聞こえてきた。三人とも、予想外に大きな反響に驚きながらも、笑顔で手を振った。プロデビュー以来初めての公の舞台に出た彼らにとって、こんな風に熱烈に出迎えてもらえるなんて、予想もつかなかったのだ。

 自分たちの演奏を待っている人がいる、それだけのことが、重たくのしかかっていた不安をすっと流してくれる。今は皆と楽しもう。それが、私たちの音楽なのだから。


 それぞれの立ち位置につくと、早速ユウトの軽やかなピアノソロが始まり、さらにそこに、ニーナの音が重なる。二人とも、コンテストの時よりも少し成熟した、隅まで意匠の尽くされた演奏だ。そこには新たな強い決意が滲み出ていて、アリアは気の引き締まる思いがした。

 そうして、二人の魔法使いが会場に魔法を掛けたところに、アリアの歌が重なる。その柔らかな歌声は人々を惹き込み、会場中が三人の魔法に掛けられたようだった 

 よし、掴みは完璧だわ、とアリアは内心で拳を握った。この調子で、あと二曲も、盛り上げていける。私たちだって、皆を楽しませられる!


 『魔法』の演奏が終わると、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。その盛り上がりの中、アリアは声を上げた。

「こんにちは、ツァウベラーです。皆さん、今日は聴きにきてくれてありがとう! 先程の演奏は、私たちのデビュー曲『魔法』でした。

 次は、私たちが大好きな、事務所の先輩であるメリッサさんの曲をカバーさせていただきます。では、聴いてください。『白銀の街』」

 アリアがタイトルを口にした次の瞬間、ニーナとユウトが演奏を始めた。メリッサの原曲に細かなアレンジを加えた煌びやかな前奏は、年末の聖夜祭を前にした美しい街並みを思わせる。

 『魔法』よりもゆったりとしたテンポのこの曲は、アリアの伸びやかな歌声をよく引き出してくれた。ニーナのサックスとのハーモニーが、空高く響く。おおらかでありながら、どこか静粛で、清らかなメロディは、冬の澄んだ空気のように凛と流れていく。

『白銀の街に降る風花は

 精霊のようにひかりつづける

 聖なるこの日に祝福を

 どうかひとしく平和であれ』

 会場に来ている自分たちをまだ知らない人たちにも親しみを持ってもらえるように、と選んだこの曲は、世代の違う人たちにも深く響いた様子だった。改めてメリッサへの尊敬と感謝を込めて、歌詞に託された祈りをひとつひとつ丁寧に拾い上げて届けるように、アリアは精一杯歌った。

 歌唱パートが終わると、ユウトのピアノリフがしんしんと降る雪のように、穏やかに清冽に流れ、ゆるやかにテンポを落として、最後にはポロン、と深みのある和音で曲が締めくくられた。


 しばらく静寂が流れたのち、大波のような喝采がアリアたちを包んだ。美しい曲を歌い終えた清らかな心のままに、アリアは真っ直ぐに前を向いて、それからにっこりと笑顔を浮かべた。

「みなさん、ありがとうございます! 最後に、この日のために準備してきた、私たちの新曲を初披露します。一緒に盛り上がりましょう! それでは、聴いてください、『はじまりの歌』」

 そう言って、アリアが手拍子を始めると、ユウトのリズミカルなピアノリフが始まる。以前集まった時に彼が提案した中でも特別楽しげなリフを、この曲に合わせて改善したこだわりのものだ。

 思わず身体を揺らしたくなるようなそのリズムに合わせて、アリアが歌い始めた。

『スポットライトがなくたって

 わたしはここで歌い続けるわ

 さあ手を叩いて踊りましょう

 今から此処がわたしのステージ』

 先程とは打って変わって弾むような軽やかな歌声に、会場がわっと湧き上がった。アリアは会場の手拍子に合わせて身体でリズムを取りながら、続きを口ずさむ。

『勇気も自信もなくたって

 躓いたって構わないから

 でたらめステップで踊りましょう

 今から此処があなたのステージ』

 そこに、ニーナのサックスの音が、解き放たれるかのように高らかに響き渡る。そこにピアノの華やかな旋律と小気味良いリズムが重なり、会場はまた歓声に包まれた。

 アリアは会場との一体感に興奮を隠しきれないまま、間奏に合わせて大きく手拍子をした。ニーナ原案のこの曲は、まるでニーナそのもののような、周りを巻き込んで魅了する力がある。曲の持つ魅力を最大限に引き出そうと、アリアは声高に歌った。


『嵐のようなリズムで』

 アリアの歌声に合わせて激しくピアノとサックスの音が鳴る。

『囁くようなメロディで』

 アリアの内緒事を話すようなひそひそ声に、ピアノの高音の旋律が絡まる。

『世界にひとつのハーモニーで

 わたしたちの物語を描くの』

 クレッシェンドとともにだんだんと高音になっていく歌声は、どこまでも届きそうなほど伸びやかなロングトーンになって、会場中に響いた。

 そして、一瞬の静寂の後、アリアがすう、と息を深く吸って、最後のサビを歌い始めた。

『スポットライトがなくたって

 わたしが主役のストーリーなの

 さあ手を叩いて歌いましょう

 今いる此処が始まりの場所』

 段々と高鳴るサックスがリズムを刻み、ピアノの旋律が鮮やかに彩る。そして、クライマックスは音色が絡み合い、時にぶつかり、縦横無尽に駆け回るように個性を発揮し合う。

『自信も勇気もなくていい

 躓いたって笑い飛ばそう

 でたらめステップ響かせながら

 此処から紡ぐあなただけの歌』

 アリアの歌唱が終わると、前奏のリフに少し装飾を加えたピアノのリズムに、ニーナが自由奔放にサックスの音を重ねる。

『らららら、らららら』

 アリアがニーナと掛け合いをするように声を重ね、賑やかに曲を彩っていく。会場の手拍子も合わさって、盛り上がりは最高潮だった。

 フェードアウトするように少しずつ音量を抑えていき、曲が終わると、他の曲の時よりも大きな喝采が会場中から三人を包み込んだ。

 三人で声を合わせて、「ありがとうございました!」と大きく手を振る。止まない称賛の声の中、名残惜しく思いながらも三人はステージから立ち去った。


 舞台裏に戻ると、三人は顔を見合わせ、同時に歓声を上げた。

「ねえ、これって大成功じゃない!?」

「最高に盛り上がってたよね!」

「ええ、すごく良かったわ!」

 はしゃぎ合う三人に、バールが拍手をしながら近付いてきた。

「三人とも、良かったよ! 素晴らしい演奏だったし、盛り上がりも期待以上だった。これなら、ツァウベラーの魅力が存分に伝わったんじゃないかな」

 バールの言葉に、三人とも顔を輝かせた。

「ありがとうございます!」

 声を合わせてそう言った時、不意に何か、大きな気配が近づいているのを感じて、アリアは思わず身震いした。

 背後を振り返ると、そこにはヘレナが、見たこともないような真剣な顔をして、じっとステージを見つめながら出番を待っている。

 舞台に立っているわけでもなければ、無論歌っているわけでもない。それにもかかわらず、その立ち姿には、思わず鳥肌が立つほどの存在感があり、アリアは突然、恐怖感を覚えた。

 まるで、戦場に出る兵士のような、凛と伸びた背筋と、堂々とした立ち姿、そして、視線はステージに向いているのに、どこか遠くを見つめているかのような瞳……。

「アリア? ねえ、アリアってば」

 ニーナの呼びかける声で我に返ったアリアは、顔をこわばらせながらも、無理やり微笑んだ。

「ああ、ごめんなさい、ぼうっとしてしまっていたわ。どうしたの?」

「楽屋に戻って、暖かい格好に着替えてから、客席に戻りましょうって。……アリアこそ、どうしちゃったの?」

「いいえ、なんでもないわ。集中して歌った反動かしら、終わって安心して、気が抜けてしまったのかも」

「なんだ、そうなのね。ほら、早く行きましょう、身体が冷えちゃうわ!」

 ニーナに腕を引かれながら、アリアは、先程までの舞台での熱が急速に冷えていくのを感じていた。まるでこれから大きな事件が起こるかのような、妙な胸騒ぎが身体を支配していく。

 楽屋で休んでも、脳裏からヘレナの姿が離れず、アリアの身体は冷え切って暖まることはなかった。

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