第二十二話 逆風のなかで
「ヘレナの、前ですか、私たち……」
アリアが呆然と呟くと、バールは重々しく頷いた。
「彼女の影に隠れてしまわないように、存在感を示さないといけないね。ますます、新曲が重要になった」
「こんなの、引き立て役として呼ばれてるも同然じゃない!」
ニーナが悲鳴に近い声を上げて地団駄を踏むと、ユウトも、
「よりによって連続なんて、信じられないよね。絶対比べられるよ!」
と立ち上がって身を乗り出す。まあまあ、とバールは困り顔で、憤怒の表情を浮かべる二人を宥めた。
「主催側も、話題の二組を競演させて集客したいんだろうね。決まってしまっては仕方ない、こちらも精一杯対抗しよう。
それで、曲の方はどうかな? いくつか持ってきてくれた?」
バールの呼びかけに、三人は鞄をがさごそと漁り、それぞれ紙の束を取り出した。
「まあ、アリア、こんなにたくさん案を出してきたの? すごいわね!」
アリアの取り出した分厚い紙の束を見て、目を丸くしたニーナに、そんなことないわ、と、アリアは手を左右に振った。
「私は、昔書いたものから、使えそうなものを掻き集めてきただけよ。それに、二人だってたくさん持ってきてくれているじゃない」
アリアはしみじみとテーブルの上を見た。それぞれの案を記した書類は、アリアの持ってきた案の半分以上の量はありそうだった。
一から作ったものでここまでの量にするのは、アリアの経験からしても大変なことだ。しかも、ニーナについては、全くの初心者であるにもかかわらずである。
「初めて作曲に挑戦したけれど、やっぱり難しいわ。アレンジをするのとは全然違うわね」
「正直、ニーナがここまでの量を出してこられるとは思わなかったよ。少しは経験がある僕でさえ、けっこう苦戦したし」
「えっ、そう?」
声を弾ませたニーナに、ユウトは頷いた。
「まあ、なかなか頑張ったんじゃない?」
「そうなの、頑張ったの! 音大に行くなら、そういうのも勉強しなきゃと思って」
いろいろ調べながら作ったのよ、などと得意げに話すニーナに、アリアは、ふふ、と笑みを漏らした。
「これは期待できそうだね。それじゃあ、検討していこう」
バールが背面にある黒板に向かい、チョークを手に取った。
「まず、作戦を立てていこうか。曲順は、『魔法』、カバー曲、新曲の順がいいと思うのだけれど、ヘレナ・ティールは十中八九、『進め』を最初に歌うだろうから、新曲は、『魔法』とも『進め』ともイメージが被らない、アップテンポで愉快な曲でどうかな」
話しながら、バールはその内容を簡潔に黒板に書いていく。
たしかに、ヘレナの『進め』もアリアたちの『魔法』も、ややゆったりとしたミドルテンポの曲だから、アップテンポの曲なら新しく存在感を示せるかもしれない。それに、何より盛り上がりやすいだろう。
「私もアップテンポがいいと思います」
アリアが頷くと、ニーナは目を輝かせた。
「オリジナルで楽しい曲、やってみたいわ!」
ニーナが目を輝かせる。ユウトも同じ考えらしく、うんうん、と何度も首を縦に振った。
「アップテンポの曲なら、たくさん書いてきたのよ。えっと、何処だったかしら……あ、ほら、これとか自信があるのだけど」
ニーナが取り出した楽譜を、全員で覗き込んだ。全体的にリズム感を重視した、楽しげで前向きなメロディに、かわいらしい詞が載せられている。
『嵐のようなリズムで
囁くようなメロディで
世界にひとつのハーモニーで
わたしたちの物語を描くの』
アリアはフレーズを口ずさんでみれば、おお、とバールが小さく拍手をした。アリアは頬を上気させた。
「このフレーズ、すごく好きだわ。歌詞が素敵ね」
「本当? 嬉しいわ! ユウトはどう思った?」
「うん、粗は目立つけど、みんなで整えていけば結構いい曲になりそう」
ユウトは神妙な顔で楽譜を覗きながら、そう評した。
「じゃあこれは候補としておこう。他の原案も見せてもらえるかな」
バールは楽譜を黒板に貼り、振り返ってそう問いかけた。
「じゃあ、僕のも見てもらっていいですか? といっても、上手くイメージが纏められなくて、歌詞もないフレーズだけなんですけど」
ユウトが取り出したのは、軽快なピアノリフに、宮廷音楽を思わせる華やかなメロディが乗せられた楽譜だった。
「おお、これは少しクラシック寄りなんだね。でもリフがジャズっぽいから新しさもあって面白いな」
ユウトはぱっと顔を輝かせた。
「そうなんです、どうせなら自分にしかできないものを作りたいと思って。
こんな感じのフレーズならたくさんあるから、組み合わせて使えるんじゃないかな。
アリアは、どんなのを作ってきたの?」
「えっと、あんまりアップテンポは得意じゃないのだけど、昔作ったフレーズの中にこんなものがあって……」
ユウトのフレーズと一緒に、アリアの出したフレーズや詞も黒板に貼られる。一通り互いに持ってきた案を見た後、貼られたアイデアを眺め、アリアはぽつりと呟いた。
「やっぱり、私は最初のニーナの曲がいいと思う。弾むような気持ちが伝わってくるし、初めて聞く人でも楽しんでくれそう」
「本当? 持ってきた中で一番の自信作だから嬉しいわ! でも、完成度はやっぱり二人の曲の方が高い気がするけれど……」
「それを補うために僕らがいるんでしょ。今回はバールさんもいるし、ね」
ユウトはそう言ってバールの方を見た。
「バールさんは、どう思います?」
「そうだね、これならヘレナの『進め』とも、君たちの前に演奏するバンドのフリューゲルとも作風が被らないし、何より盛り上がりそうだよね。この方向で詰めていこう」
バールの言葉に、三人は顔を見合わせて笑みを交わした。
そうして、新曲の概案と、それからカバーする曲が決まり、息を吐く間もなく三人はイベントの準備に追われはじめた。
まず、ニーナが作ってきた曲を、バールを含めた四人で話し合いながら改善していき、『魔法』やカバー曲の演奏の練習も念入りに行った。時間を掛けて、細部までこだわって作った新曲が完成すると、イベントまで残り一か月ほどしか残されておらず、詰め込むように練習をしなければならなかった。
そんな忙しない日々の中、アリアが歌のレッスンから帰ってツヴェルクの家のドアを開けると、誰か焼き菓子でも焼いているのだろうか、バターの香りが鼻腔をくすぐった。
「ああ、おかえり、ツェルナーさん!」
匂いにつられて、アリアが共有スペースのキッチンに向かうと、オーブンの前に立っていたベルタが笑いかけた。
「ただいま、ベルタさん。今は何を作っているんですか?」
「おや、気付かれてしまっては仕方ないね。ほら、見ての通り、ケーキだよ。今日が何の日か、もちろんツェルナーさんは知っているだろう?」
ベルタの言葉に、アリアは首を捻った。今日は、何か特別な記念日だっただろうか。
「あっ、もしかして……」
アリアがはっと気づけば、ベルタは愉快そうに笑った。
「誕生日おめでとう、ツェルナーさん!」
「ああ、ありがとう! 忙しくてすっかり忘れていたわ」
慌ただしい日々の中、日付けの感覚も曖昧になってきていたアリアは、自分の誕生日のことも意識の外だったのだ。
「夕食を楽しみにしていておくれ。ご馳走とまではいかないけれど、腕を振るうからね」
「はい! とっても楽しみだわ」
顔を綻ばせたアリアに、ベルタも微笑んだ。
夕食の時間にアリアが共有スペースに行くと、壁はカラフルなガーランドで飾り付けられ、テーブルにはベルタ特製の、秋の味覚をたっぷり使ったリゾットやスープがたっぷり並べられていた。
「あれ、ニーナ、ユウト!」
いつの間に来ていたのか、ニーナとユウトも食事の準備をしている。
「実は、前から計画してたんだ。アリアの誕生日会、僕らも一枚噛ませてもらおうって」
「フリーゼおじさんから話を聞いてね。せっかくだもの、祝わせてほしいじゃない。それに、美味しいご飯もあるし!」
驚いて固まるアリアを見て、二人は悪戯が成功した子供のように、にやりと笑って、それから声を揃えてこう言った。
「誕生日おめでとう、アリア!」
アリアはおもむろに固まる表情を和らげ、にっこりと笑った。
「ありがとう、二人とも!」
準備が終わって、宿の皆も集まり、テーブルは賑わっていた。
「ツェルナーさん、十七歳おめでとう!」
「乾杯ー!」
大人たちはワインを手に、アリアたちは紅茶を手に乾杯をする。
「ありがとう、皆さん。こんな風に祝ってもらえて、私、幸せだわ」
「ツェルナーさん、最近頑張ってるみたいだからね。たくさんお食べなさいよ」
「特製のケーキもあるから、楽しみにね」
宿の皆の温かい言葉に、アリアは夢見心地で頷いた。
アリアの誕生日ケーキは、お手製のスポンジケーキに、生クリームと葡萄がたっぷり乗ったものだった。皆が誕生日の歌を歌い、アリアが蝋燭を吹き消すと、ベルタがケーキを取り分けた。
「はい、ツェルナーさんのは大きめのね」
「あっ、ありがとうございます」
アリアははにかみながらケーキを受け取る。上に乗った大粒の葡萄が、まるで宝石のようにきらきらと瞬いていた。
そんな日々の中で、アリアたちのレコードが発売した。街中にポスターを貼ってもらったり、新聞に広告を掲載してもらったりと、宣伝した効果もあり、売れ行きは好評のようだった。
「ここ数年の新人の中では群を抜いているよ。期待以上の売上だ」
バールが感心したように言ったが、三人は浮かばない表情だった。
「でも、ヘレナのレコードに比べたら……」
同時期に発売したヘレナのレコードの売れ行きは、ツァウベラーのそれを凌ぐほどの勢いだった。街中でもヘレナの曲を耳にすることが多く、コンテストに引き続いて差をつけられていることに、アリアたちは危機感を感じずにはいられなかったのだ。
「そんなに気にすることじゃないよ。そもそも、審査員特別賞のアーティストが、ここまでの売上を出せるのはすごいことなんだから」
むしろ勝負はここからだよ、と言うバールに、アリアは身体を強張らせた。隣にいる二人も、それは同じだった。
その後、三人はいつもの広場に練習しに来た。イベントまであと二週間ほどになり、最終調整のため、ここ最近は毎日合わせ練習をしているものの、新曲の演奏はなかなか纏まらずにいた。
「あーあ、またずれてるよ、ニーナ」
「ええっ、ちゃんと直したわよ! ユウトが神経質なんじゃないの?」
「はあ? 直ってないから言ってるんだよ」
二人のやり取りに、いつもよりもピリついた空気が漂う。アリアは顔を引き攣らせながらも、まあまあ、と仲裁したが、二人の言い合いは止まらない。
「ここはもっと、大胆に行ったほうがいいんじゃない?」
「いやいや、ここを抑えるから次のフレーズが映えるんだろ」
「いいえ、この曲はもっと自由に演奏するべきだと思うわ」
「自由と無秩序は違うよ」
ニーナとユウトが睨み合う。アリアは大きな溜め息を吐いた。
「ねえ、議論するのはいいけど、意見を一方的にぶつけ合うのは違うでしょう。これじゃ良くなるものも良くならないわよ」
アリアの言葉に、ニーナが肩を落とした。
「……そうよね。ごめんなさい。でもアリア、こんなの落ち着いていられないわよ。負けっぱなしなのよ、私たち」
「そうだよ、だから負けないようにより良いものを作ろうっていうのに、ニーナってば……」
また文句を言い出そうとするユウトを、アリアが軽く睨む。うっ、と怯んだユウトを尻目に、アリアはまた口を開いた。
「……私だって、焦りはあるわよ。でも、イベントは勝ち負けじゃないわ。ヘレナのことは気になるけれど、お客さんのことを楽しませるのが、一番の目的だから……」
アリアはそう話しながら、顔を曇らせた。そう思っているはずなのに、どうしてこんなにもやもやするのだろう。
「……そうだよね、僕たちの音楽は、皆を笑顔にするためのものだもんね。ヘレナのことは一旦忘れて、曲を仕上げるのに集中するよ。ごめん、アリア、ニーナも」
「うん、私こそごめん、ユウト……」
ニーナとユウトは和解したが、重苦しい空気は一向に晴れないままだった。
あの練習の後、なんとか演奏を納得のいくレベルまで仕上げられたものの、三人ともいつものような快活さはなく、アリアの心も曇ったままだった。
当日、バールに付き添われ、早朝から車に乗って、七時前にはイベント会場まで辿り着いた。今回のイベントは屋外だったので、アリアは路上での演奏と似たようなものだろう、と簡単に思っていたのだが、実際に設置されたステージは想像より大きく、コンテストとは違って解放感があり、観客もコンテストよりも多く入りそうに見える。真冬の寒さも相まって、アリアは手が無意識に震えていたことに気が付いた。
「……君たちなら大丈夫だよ。リラックスしてやろう」
バールが穏やかにそう語り掛けるのを、アリアはどこか遠くのことのように聞いていた。他の二人も、何処かうわの空のようだったが、ふいにニーナがぱちん、と両頬を手のひらで叩いた。
響いた音に驚いてニーナを見ると、彼女は少し強がるように微笑んだ。
「私たちが不安になってたら、聴いているお客さんも不安になってしまうわ。まずは楽しみましょう! だって、いろんな音楽を聴けるのよ。それも全部プロの! それってとっても素敵じゃない?」
ニーナの言葉に、アリアとユウトは顔を見合わせた。
「確かに、そうだよね。楽しんでもらいたいなら、まずは楽しまないとだ」
「そうね! 出番までまだ余裕があるし、楽しみましょう」
バールは呆気に取られたように目を見開いてから、やがて安心したようにゆっくりと口角を上げた。
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