第二十一話 次のステップ

「ちょ、アリアまで何言ってんのさ! ああもう……」

 ユウトは苛立ちながらも、諦めたように二人に倣った。

「すみません、僕からもお願いしていいですか」

 頭を下げる三人を、バールは慌てて両手で制止した。

「待て待て、顔を上げて。雇わないとは言っていないだろう」

 その言葉に、顔を上げたアリアたちは、呆気に取られて目を丸くした。

「無条件で雇うことはできないとは言ったけれど、君たちは将来有望な若手だし、ぜひうちに来てほしいよ。だから、一つお願いしたいことがあるんだ」

 バールは微笑んだ。

「音大受験をするのは、サックスのニーナさんだけだよね? それなら、活動休止中、他の二人にはソロ活動をしていてもらいたいんだ。特にアリアさん、君にね」

「私、ですか?」

 アリアが自分を指差すと、バールはおもむろに頷いた。

「そう。ツァウベラーのようなバンドグループで、一番注目度が高いのは、やはり歌い手である君だからね。君が人気を獲得していれば、活動再開したとき、君のファンがツァウベラーをも応援してくれる。そうなれば、ツァウベラーの活動休止も、大した痛手にはならないだろう。むしろ、君が一流の歌手になれば、君たちにとって大きな利益になる」

「一流の、歌手……」

 それは、アリアがずっと目標にしてきたことだった。

「でも、私一人で、そこまで辿り着けるかしら」

「それは大丈夫。私たちが全力でサポートするからね」

 バールがそう言うものの、まだ不安げなアリアの背中を、ニーナが軽く叩いた。

「アリアなら絶対一流になれるわ! 置いていかれないように私も頑張らなくっちゃ」

「そうだよ、アリアはずっと一流の歌手を目指してきたんだからさ。僕らに出来ることはなんでもするし、一緒に頑張ろう」

 二人の激励に、アリアは少し頬を緩めた。

「……そうよね。わかりました、ソロ活動、頑張ります」

「ありがとう。それじゃあ、そういう方針で契約することにしよう」

「はい!」

 三人は声を揃えて返事して、契約書にサインをした。


 その後、カミラへの報告も終え、アリアたちはニーナの家の食卓に招かれていた。ぜひ夕食を一緒に、と以前からニーナの母が誘ってくれていたので、祝いを兼ねて実行することにしたのだ。

「それじゃあ、いくわよ……ツァウベラーのデビューを記念して、乾杯!」

 威勢よくニーナが紅茶の入ったカップを突き上げた。

「乾杯! まだデビューはしてないけどね……」

「いいじゃない、デビューも目前だもの。乾杯ー!」

 隣のユウトを宥めながら、アリアは目の前に座るニーナのカップに自分のカップをカツンと当てた。

 ニーナの家は、中流階級の一般家庭らしく、質素で生活感のある内装だった。棚には無秩序に雑誌や書物、新聞やチラシなどが置かれ、その上では小型のレコードプレイヤーが、ピアノジャズを鳴らしていた。花柄があしらわれたベージュの壁紙には、家族の写真がいくつも飾られている。

「それにしても、ニーナの新しいお友達が、こんなに丁寧で礼儀正しい女の子だなんて思わなかったわ。ニーナとは大違いね。いつも迷惑かけてないかしら」

 ニーナの母がおっとりとアリアに話しかけると、ユウトが不貞腐れたように応えた。

「そりゃ、迷惑ばっかりだよ、ニーナは。とんだ自由人だ」

「そ、そんなことないわよ、私たちいつもニーナに助けられています」

 慌ててアリアが訂正するも、ニーナの母はユウトの言葉など気にしていないらしく、上機嫌に紅茶を口にした。

「それで、今後の活動は、もう決まっているの?」

「ええ、レコードを出すんですって! 今から楽しみだわ」

 ニーナが目を輝かせた。

 事務所で対応してくれたバールがマネジメントも請け負ってくれるらしく、あの後彼からその話があった。なんでも、コンテストで演奏した『魔法』のレコードを、話題が高まっているうちに早めに出したい、とのことだった。

「そうなのね。コンテストでやっていたあの曲かしら? 楽しみだわ、レコードがあればいつでもあの歌を聴けるんだもの。

 ほら、まだまだおかわりがあるわよ。リゾット、作りすぎちゃったからたくさん食べてね」

 確かに、ニーナの母が用意してくれたシーフードリゾットの量は、他の料理と比べてもかなり多く見える。

「僕、おかわりもらっていい? これ、なかなか美味しいね」

「あら、嬉しいこと言ってくれるのね、ユウト。たんとお食べ」

 うん、とはにかんでユウトがリゾットをよそう。アリアも便乗して、私ももう少し、とおかわりをもらった。


 その週末、アリアたちは早速、スタジオで『魔法』のレコーディングをした。

 レコーディングの後、事務所の応接室に戻り、バールは四人分の紅茶を出して、それからゆっくりと席に着いた。

「レコーディングお疲れ様。レコードは、できるだけ早く発売できるように準備するつもりだよ。同じコンテストの優勝者と競うなら、先手を打てるかどうかが大事だからね。

 それと、もう一つ、いいニュースがあるんだ。君たちの最初の依頼が舞い込んできたよ。イベント出演だ」

 その言葉に、アリアは目を見開いた。イベント出演、つまり自分たちにとって、プロとして初めてのステージだ。それが、こんなにも早く決まるだなんて!

「それで、どこのイベントなんですか?」

 アリアが問うと、バールは書類ケースから一枚のチラシを取り出した。

「十二月の中旬に開催する冬の音楽祭だよ。都の中でもかなり大きなイベントだから、ステージも大きいし、コンテストと同じかそれ以上の観客が入る。ちなみに、他にも何組かのアーティストが共演する予定だよ」

 受ける方向でいいかい? と尋ねたバールに、三人とも食い気味に頷いた。

「じゃあ、了承の連絡をしておくよ。

 それに差し当たって、君たちにはもう一曲、新曲を披露して欲しいんだ。三人のオリジナルの曲は、まだ『魔法』しかないんだよね? 今回の持ち時間は二十分だから、『魔法』とカバー曲を一曲、それから新曲の編成がいいと思うんだ」

「新曲、ですか」

 アリアは少し考え込んだ。イベントまではあと二か月弱あるし、今から用意すれば間に合うだろう。

「わかりました。新曲、作ります」

 アリアが言うと、ニーナが「ねえ」と彼女の肩をつついてきた。

「作曲、私もやってみてもいいかしら」

 驚いてニーナの顔を見れば、彼女は真剣な面持ちでアリアをじっと見つめている。

「もちろん! どうせなら、みんなで持ち寄って、よりいいものを作りましょう。ユウトも、もしよければ作ってきてくれる?」

「わかった。僕も頑張ってみるよ」

 ユウトが快く応えると、アリアはありがとう、と礼を言って、それからバールの方を見た。

「ありがとう。他の出演者との兼ね合いもあるけれど、新しい可能性を感じてもらうために、『魔法』とは少しイメージの違うもので、でも何か共通する『ツァウベラー』らしさを感じてもらえるような曲がいいね。

 来週には出演者と演目の順番がわかるだろうから、また細かいことを話し合おう。それまでに、ざっくりしたもので構わないから、概案をいくつか用意しておいてもらってもいいかな?」

「はい」

 頷いたアリアに、バールは微笑んだ。

「楽しみにしているよ。私自身、君たちのファンだからね」


「それでね、この間レコーディングが終わって、そのうちレコードが出る予定なの」

 日曜日、アリアはエリスとともにミサに向かいながら、今週あった出来事を話していた。

「へえ、もうレコードの録音をしたの? すごいわ、なんだか本当にプロって感じね。遠くに行っちゃうようで、ちょっと寂しいけれど」

 しみじみとエリスがそう返せば、アリアはかぶりを振った。

「そんなことないわ、むしろ大事なのはここからだもの。先生にも、デビューしたあと実績を出せなければすぐ忘れられる、って、厳しく言い聞かされたわ。

 初めてのイベント出演も決まったことだし、これまで以上に頑張らなくっちゃ」

「まあ、大変なのね。無理はしないでね、アリア。

 イベントは観に行けるように、予定を調整しておくわ。今度こそ、側で応援したいもの」

 アリアはぱちりと瞬きをして、頬を緩めた。

 エリスは、この間アリアの部屋に訪れたときから、何かを吹っ切ったようだった。一切の曇りのないすっきりとした面持ちで、心なしか声もいつもより柔らかい。

「ええ、ありがとう。……イベントまでは気が抜けないけれど、ひと段落したら、何か自分にご褒美でも用意しようかしら」

「それがいいわ。私もいつも、大きな仕事やショーの後は、何か一つ自分にプレゼントすることにしているの」

 ほら、とエリスが片足を上げ、靴を指さした。見てみれば、その黒いパンプスはたしかにまだ新品同様で、傷ひとつない美品だった。靴先にあしらわれたゴールドのバックルが、お洒落に小慣れた雰囲気を醸し出している。

「この間のショーのご褒美に買ったの。自分でデザインしてオーダーメイドしたのよ」

「これ、エリスがデザインしたの! すごいわ、素敵ね。私も新しい靴を買おうかしら」

 アリアは自分の足元をじっと見た。普段履く靴はいつも、合わせやすいシンプルなものを選ぶばかりで、思えばこだわって靴を選んだことはなかった。

「ふふ、ありがとう。私も気に入っているから嬉しいわ。

 ねえ、それなら、私がアリアのためにデザインしてもいい?」

「えっ?」

 アリアは目線を上げて、彼女の顔を見た。

「アリア、もうすぐ誕生日でしょう? イベント後に作るなら当日には間に合わないけれど、どうせなら、私から贈らせてちょうだい」

 アリアはあまりの喜びに、思わずエリスを抱きしめた。エリスは突然のことに目を白黒させたが、すぐに抱きしめ返してくれた。

「ありがとう! すっごく嬉しいわ、ありがとう、エリス」

「そんなに喜んでもらえるとは思わなかったわ。絶対に、アリアに一番似合う靴をデザインしてみせるわね」

「ええ、期待しているわ。私に似合うものを一番わかっているのは、エリスだもの」

 二人は目を合わせて、笑みを交わし合った。


 ミサから帰ってきて自室に戻ると、アリアはよし、とノートを取り出し、意気揚々と曲作りを始めた。

「『魔法』とは少し違ったテイストで、でも私たちらしさを崩さずに……。うーん、難しいわ」

 初めの勢いこそ良かったものの、数分経った時には、彼女の手は止まってしまっていた。

「『聞く人みんなが笑顔になれる』ってテーマは崩さずにいきたいけれど、それだけじゃあちょっと、要素が少なすぎるわね。もっと私たちらしさとか、世界観を固めた方がいいかも。

 新しい可能性を感じてもらえるように、とも言っていたけれど……それってどうしたらいいのかしら」

 袋小路に入ってしまい、投げ出したくなってきたとき、アリアの脳裏に、ふといつか聞いたカミラの言葉が浮かんできた。

『考え続けるのよ、正解に辿り着けなくても、百考えれば凡才でも一くらいは良いものが出来るわけだから』

「……とにかく、出来るだけ案を出してみよう。どれがいいかは、それから考えればいいもの」

 アリアは両頬をぱちりと叩いて、書類ケースの中から紙の束を取り出した。過去に彼女が作ってきた歌詞やフレーズ、曲の断片を机に広げる。

「まずはここから、使えそうなものを探してみましょう」

 アリアは再び、手を動かし始めた。


 数日後、バールからの連絡を受け、アリアたちは事務所に来ていた。

「まず、レコードの発売日が来月の三十日に決定したよ。ちょうど一か月後くらいだね」

 三人はわあっと声を上げて立ち上がった。

「ついに出るのね!」「やっとデビューだね!」

 手を取り合ってはしゃぐ三人だったが、バールの次の一言に静まり返った。

「それから、イベントの出演者と出演順がわかった」

 三人の表情が固まった。バールはクリップで止められた書類の束に視線を落として、緊張した面持ちで口を開いた。

「うちの事務所のメリッサ・コーネイン、巷で流行りの五人組バンドのフリューゲル……、君たちツァウベラー、ヘレナ・ティール……」

「えっ」

 三人は思わず顔を見合わせる。バールは咳払いした。

「……そして最後に、ベテラン歌手のブルーノ・フィンガー。この順番になったそうだよ」

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