第十二話 紡ぐ音楽

『拝啓、ジルヴィア・ベルネット様

 そちらはお変わりありませんか。私は都での生活にも慣れてきて、カミラさんの指導の下、修行を重ねています。

ところで、私は友人と再来月の新人コンテストに出場することに決まりました。良い結果を報告できるように、精一杯取り組みますね』

 アリアは万年筆を机に置き、ふう、と息を吐いた。

 ベルネットとは、月一回程の頻度で手紙のやり取りをしている。手紙の上でも相変わらず多くを語らないベルネットではあったが、その几帳面な字を見ているとどこか安心できた。

「故郷を出てから、もう三か月も経つのね。ホームシックにはならなくなったけれど、それでもやっぱり、みんなに会いたいわ」

 ぽろりと出てきた本音に、慌ててアリアは首を横に振った。

「だめよ、アリア。立派に歌手になれるまで、帰らないって決めたんだから。コンテストの準備もあるのだし、気合を入れて頑張らなくっちゃ」

両頬を叩いて、よし、とアリアは手紙を掴んで部屋を出た。


 この日は、コンテストに出場することが決まってから最初のレッスンだった。

開口一番、カミラはこんな質問を投げかけた。

「じゃあ、アリア。優勝を狙うにあたって、一番大切なことは何だと思う?」

 少し考えて、アリアはこう答えた。

「聞き手にどれだけ興味を持ってもらい、演奏に引き込めるか、ではないでしょうか」

「なかなかいい答えね。最初のあなたなら、技術が云々だとか、頭の固いことを言いそうなものだけど、成長が見られて嬉しいわ」

 からかうような口調だったが、アリアにはカミラなりに褒めているのだと分かった。

「演奏にどれほど引き込めるかどうかというのは、特にあなたのように、依頼を受けて仕事をしようとしている歌手には一番重要と言っていいでしょうね。いかに自分の魅力を知ってもらうか、仕事を依頼したいと思わせられるか、これが成功のカギよ。

 さて、そのために、あなたは今、何をする必要がある?」

「ええと、パフォーマンスを磨く、でしょうか」

 このアリアの返答には、カミラは大袈裟に肩を落とした。

「この流れでそんな抽象的なことを聞くと思った? 違うわよ、パフォーマンスをより良くするために、何をするかって言ってるの」

 考えてみればそれもそうだ。だが、アリアは頭を捻っても、なかなかいいアイデアを出せなかった。

「わからないなら、教えてあげるわ。今あなたが最初にすべきこと、それはね、曲を作ることよ」

「曲、ですか?」

「ええ。このコンテストはオリジナルの楽曲での参加が条件にあるわ。演奏を磨くにしても何にしても、曲がなければ何も始められない。

 極端に言えば、演奏する曲は、演奏の質以上に重要よ。歌や演奏が上手いだけの人間なんて、この街にはたくさんいるし、質で勝負するとなれば、他を圧倒するほどのレベルを目指さなければならないでしょう? コンテストはそれ以外にもたくさん勝負できる部分がある。曲を磨くことも、その中であなたが出来ることの一つということよ」

 なるほど、とアリアは頷いた。確かに、自分には演奏の上手さで他を圧倒できるほどの才能はない。他の部分でそれを補うことが出来るなら、そうしない手はないだろう。

「例えば、どれだけ良い演技があっても、脚本がつまらない劇は面白くならないでしょう? 音楽でも同じよ。

 人は共感できる歌詞や耳に残るメロディー、心地よいリズムに惹かれるのよ。思い出してみて、自分があの三枚のレコードを選んだ時、何をもって選んだ? どんな演奏が心に残った? もちろん歌や演奏に感動もしたでしょうけど、きっと歌詞に共感したり、メロディーやリズムを好きだったりもしたでしょう?」

 アリアは前に選んだレコードのことを思い出した。エルヴィーラの歌に惹かれたのは、あの美しい歌声で紡がれる繊細で切ない歌詞に心を動かされたからだった。優れた表現力と素晴らしい曲が揃ってこそ、思わず涙するほどの感動的な作品が生まれたのだと、アリアはこの時初めて気が付いた。

「つまり、私がやるべきは、人を感動させるような曲を作ること、ですね」

「そう。今回は三人での出場だから、あなたが、というより、あなたたちが、だけれどね。

 三人の魅力を最大限引き出せる、人の心に響く曲を作るのよ」


「ということで、今日は曲について相談したいの」

カミラのレッスンの翌日、アリアは臨時の話し合いをしに、いつもの広場に来ていた。

 アリアがそう切り出せば、ニーナとユウトは真剣な顔で頷いた。

「オリジナルの曲を作るなんて、初めてだわ。ユウトはたまに、曲を作ったりしているわよね?」

「うん、ピアノの小曲ならいくつか作ったことがあるよ。でも、今回は歌があるからなあ……」

「その点は、私が歌詞とメロディーを作るから心配しないで。昔から、曲を作るのが好きなの。カミラさんのところでも、作曲を習っているし」

「ええ、そうなの? 知らなかった! 教えてくれれば良かったのに」

「話すタイミングがなかったのよ」

 アリアは困ったように微笑んだ。確かに、話したことはなかったかもしれない。三人でやるときは、決まって既存の曲をやっていたし、いつも限られた時間での練習で、歌を披露している暇もなかったのだ。

「じゃあ、歌詞とメロディーはアリアに任せるとして、私たちは何をすればいいの?」

「今回作るのは三人の曲だから、三人で話し合って方向性だとかテーマだとかを決めたいの。歌詞も一緒に考えてくれると嬉しいわ」

「なるほどね。そうすると、まず決めたいのはテーマかな。歌詞の付いた曲なら、特にメッセージ性が大事だと思う」

「私は明るくて楽しい曲がいいな! 聞く人みんなが笑顔になれるような」

「ニーナ、僕の話聞いてたの? メッセージ性って言ったでしょ、何を伝えたいかって話だってば」

「まあまあ、ユウト、落ち着いて。それに、ニーナの言った『聞く人みんなが笑顔になれる』曲、私も賛成よ」

 ユウトは? とアリアが尋ねると、ユウトは「まあ、確かにそうだね」と渋々頷いた。

「それじゃあ、『聞く人みんなが笑顔になれる』、これを軸に考えていきましょう」

 アリアは鞄からノートを取り出して、万年筆でその言葉を書きだして丸で囲った。


 そこからの話し合いは、白熱したものだった。三人とも、夢中になってアイデアを出し合った。

「やっぱりリズミカルで体を揺らしたくなる曲がいいわ!」

「僕は夢とか希望とか、そういうものを諦めなくていいって思える歌詞がいいな」

「勇気付けられるような、それでいて寄り添うような曲にしたいわ」

「みんなが口ずさめるような、親しみやすくて覚えやすい曲だといいかも」

 夕方になるころには、アリアのノートは一杯に埋まっていた。

「これだけの案があれば曲が作れそう! 概案が出来たらすぐに二人に声を掛けるわね」

 アリアはわくわくして仕方がなかった。そしてそれは他の二人も同じらしく、うんうん、と二人揃って大きく頷いてくれた。

「相談があったらすぐに呼んでよ! あ、私が力になれるかは、わからないけれど……」

 自信なさげに頭を掻いたニーナに、アリアは笑いかけた。

「もちろん、行き詰まったら相談させてもらうわ、ユウトにも」

 ユウトが頷き、曲の話し合いがひと段落着いたところで、ニーナが一枚の紙を取り出した。

「そうしたら、今度こそ申し込みね! えっと、メンバーの名前は書いたから、あとは代表者の連絡先と、グループ名……うーん、ニーナとその仲間たちでいい?」

「だめに決まってるでしょ、僕たちはニーナの引き立て役じゃないんだからね。もっとこう、音楽集団っぽい名前がいいよ、なんとか楽団とか」

 あれこれ言い合うニーナとユウトに、アリアは苦笑いした。

「楽団って規模でもないと思うけど……音楽隊?」

 なかなか思いつかずに三人で唸っていると、不意にアリアの頭にある言葉が浮かび上がった。

「魔法……」

 アリアが小さく呟くと、二人は「え?」と聞き返した。

「魔法、そう、音楽って魔法みたいに不思議な力があるって、この街に来て、二人と出会って思ったの。魔法、魔法……そうだ、魔法の音楽隊とかどう?」

 アリアの提案に二人は顔を見合わせた。

「いいんじゃない? すごく楽しげだし、やろうとしている音楽にもぴったりだ」

「うんうん! でも、ちょっと長くて覚えづらいかも。“魔法使いたち”ツァウベラーなんてどうかしら?」

 ツァウベラー! その響きにアリアの胸は躍った。

「素敵! 覚えやすいし親しみやすくて、私すごく好きだわ。どう思う、ユウト?」

「うん、僕もいいと思う、それにしようよ」

「じゃあ決まりね。私たちのグループ名は、ツァウベラー!」

ニーナが声高々に宣言して、アリアとユウトが拍手する。こうしてのちに街中を虜にするトリオがこの日、本格的に始動したのだった。


 それから、アリアは少しずつ曲作りに取り組んだ。

「まず、歌詞からね。ええと、夢と希望、勇気、寄り添うような、口ずさめる歌詞……。あまり難しい言葉を使わずに、伝わりやすく、だけど押しつけがましくはないような……」

 三人で出し合った案から、さらにイメージを膨らませていく。そのうちにアリアの目の前には、燦燦と照らす太陽と美しい花畑、その中央に膝を抱える少年と手を差し伸べる少女が浮かび上がってきた。

 少年は夢やぶれて、全てを諦めようとしている。そんな彼に向けて、少女は懸命に歌を歌うのだ。

「軽快に、踊るように、光の方へ誘うように……」

 アリアはハミングをしながら、流れるように曲を描き始めた。


 そうして書き上げた原稿に、ユウトとニーナの案も加わり、カミラのアドバイスを受け修正を繰り返して、ようやく三人の歌は完成した。

 この日アリアは、カミラに最終確認をしてもらいに来ていた。

「まあまあの出来ね。私の教えたこともきちんと身についているし、それに……教えていないことまで、自分で取り込んで作ったのね」

 カミラは感嘆の息を吐いた。まさかこれほど成長していたとは、そばで教えていたカミラでさえ気付いていなかったのだ。

 三人の性格を上手く掴み、メロディーや歌詞に取り入れている。また、曲の構成はドラマティックで、メロディーと歌詞は調和し、心地よく耳に入るようだ。昔の曲を研究したのだろうか、どこか懐かしく、知らない曲にもかかわらず馴染みのあるような雰囲気があるが、それだけでなく流行りの音楽の特長までもしっかりと取り入れている。

「カミラさんの言う通り、幅広い音楽を聴くようにしていたら、少しずつですが、どういう音楽が人の心に響くのか、わかってきたような気がします。まだまだ未熟なのは、わかっていますが」

 頬を染めてはにかむアリアに、カミラは満足げに頷いた。まあまあとは言ったものの、これは明らかに期待以上の出来だ。カミラには、彼女を一流まで育て上げる道が、一層鮮明に見え始めた。

「さて、曲も仕上がったところだし、コンテストまでたっぷり仕込んであげるわ。覚悟なさいね」

「望むところです」

 迷いのない返答だった。アリアの真剣な顔を見て、カミラは不敵に笑った。


 完成した曲を見たニーナとユウトも、この曲を気に入ってくれたようだった。

「すごく素敵ね! 楽譜を見ているだけなのに、今すぐこの曲を演奏したくてうずうずしてきちゃった」

「僕もだよ。アリアらしさに溢れていて、優しくて温かい曲だと思う。これにみんなでアレンジを加えていくんだよね?」

「うん、ピアノもサックスも大まかな部分は考えてきたけど、二人らしくこれをアレンジして演奏してもらえたらと思って」

 アリアの言葉に、ふむふむ、と頷いてから、ニーナがこんな提案をしてきた。

「それなら、とりあえず初見で合わせてみない? やってみたら全体像がより掴めると思うの」

「ニーナにしてはなかなかいい意見だね。僕も賛成だよ」

「ふふ、そうでしょう? まあ、単に早く吹いてみたいだけだけどね!」

「なんだ、感心して損した」

 ニーナとユウトの掛け合いに、アリアはまあまあ、と間に割って入ってこう言った。

「じゃあ、早速合わせてみましょうか」

 二人はアリアの方を向いて、こくりと頷いた。


 前奏はユウトのピアノから。そこに、ニーナのサックスのメロディーが加わる。初めての演奏ではあるが、流石はこの二人、それを微塵も感じさせないほど軽やかで楽しげなので、アリアは思わず笑みを漏らした。アリアはハミングでニーナのメロディーに音を重ね、盛り上がったところで一度静かになり、アリアの囁くような歌声で物語が紡がれていく。

 ピアノと歌の、穏やかながら少し寂し気な情景に、おずおずと手を添えるように、控えめにサックスが入る。そこから少しずつ世界が色付いていくように、物語は大きく動いていくのだ。

 そこからはがらりと色彩が変わるように、音楽は展開していく。風が花の匂いを運ぶように、心をノックするように、歌声は優しく語り掛ける。ピアノの刻むリズムとサックスの旋律が絡み合い、やがて曲は最高潮の盛り上がりに達する。

 アリアの高音が伸びやかに美しく響き、心に直接届けるように、一つ一つの言葉が染み入るように紡がれる。

『君が前を向けるように 心に魔法をかけるよ

世界はほら いつだって君の歌を待っている』……


 演奏を一通り終えると、どこからともなく拍手の音が聞こえてきて、それは次第に喝采となってアリアたちを包んだ。

「最高!」

「素敵だったよ」

 演奏しているうちに、いつの間にか広場にはたくさんの人が集まっていたらしい。

 驚きながらも三人は礼をして、顔を見合わせて笑った。

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