第十一話 仲間
「……ということで、再来月の新人コンテストに、友人と出場することになりそうです」
ユウトとの対話の翌日、アリアはカミラのレッスンに来ていた。
アリアの報告に、カミラは意外そうに目を見開いた。
「あら、あなた、音楽仲間がいたのね? まあ、丁度よかったわ、どちらにせよあなたをそのコンテストに出すつもりだったのよ」
なんでも、このコンテストは大物プロデューサーも注目するような大規模なもので、新人の登竜門と呼ばれているらしい。
「特別審査員のエルヴィーラも、このコンテストでデビューしたの。彼女を尊敬するあなたなら、このコンテストに食いつくだろうと思っていたわ。
ただ、アリア、あなたには優勝を狙わせるつもりでいたのだけど。あなたの音楽仲間、どうせそこらのストリートミュージシャンでしょう。レベルもたかが知れているし、あなた一人で出た方が良いんじゃないかしら?」
カミラの冷たい言葉に、アリアは激昂した。
「嫌です。あなたは二人のことを何も知らないからそんなことが言えるんだわ。二人とともに出られないなら、優勝なんて意味がない」
わなわなと震えるアリアに、カミラは更なる言葉を重ねた。
「アリア、あなた自分がどうしてここにいるのか、どうしてレッスンを受けられるのか忘れたの? あなたのパトロンは、あなたが成果を出すことを見込んで投資してくださっているのでしょう。流石に一年経たずで大きな成果を出せるとは思っていないでしょうけど、それでもあなたの軽率な行動一つで、最悪支援を打ち切られるかもしれない。万一あなたがお友達との思い出作りに夢中で、活動に真剣に取り組んでいないと判断されたとき、言い訳の一つでもできるのかしら?」
カミラの指摘に、アリアの震えは止まり、紅潮していた顔はみるみるうちに青ざめた。支援を打ち切られたら、もう都には居られない上、音楽活動を続けることすらも叶わなくなるだろう。カミラの言う通り、アリアがどう思っていようが、相手にそう取られてしまえば言い訳もできない。
絶望に満ちたアリアの顔を見て、カミラは呆れたように溜め息を吐いた。
「少しは冷静になったこと? あなたが優勝を目指すことは、義務よ。それでも尚お友達と出たいのなら、私を納得させる程度のパフォーマンスを持ってきなさい」
「はい……え?」
てっきり諦めなさいと言われるとばかり思っていたので、アリアは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「カミラさんを納得させれば、良いのですか?」
「ええ。この私を納得させるほどの実力の持ち主であれば、異論はないわよ。ただし、簡単に納得させられると思わないことね」
どうやらカミラは初めから、自分たちを試すつもりでいたらしい。挑発的に笑うカミラに、アリアは礼の言葉とともに、深く頭を下げた。
しかし音楽教室を後にしたアリアは、ユウトの言葉を思い出して悩んでいた。ユウトは、人の評価を気にした音楽をやりたくない、と言っていた。なのに、自分がこれから彼らに強いようとしているのは、評価を優先する音楽だ。
コンテストには三人で出たい。でも、三人で出ようとすれば、二人をこちらの事情に巻き込むことになる。
「全部、私の勝手な都合じゃないの。どうしたら、みんな納得いく形でコンテストに出られる?」
どれだけ考えても、アリアにはわからなかった。
そして土曜日になって、アリアはユウトとニーナとともに広場にいた。
「本当に? 本当に一緒に出てくれるの、ユウト」
ユウトの決断を聞いて、ニーナは目に見えて動揺していた。いつもの快活な彼女からは想像もつかないほどに、弱々しい声でニーナは問いかけた。
「うん。……理由も言わずに突っぱねてごめん、ニーナ」
「……いいの? ユウト、出たくないんじゃないの、無理しなくていいのよ」
泣きそうに顔を歪めたニーナに、ユウトは首を横に振った。
「出るって言ってるでしょ。一緒に新しい世界を見に行こう、ニーナ」
ユウトが手を差し出すと、ニーナはその手を無視してユウトの胸に飛び込んだ。
「うわああああん、ユウト、ありがとう、ありがとう……」
わんわんと泣きだしたニーナに驚きながらも、ユウトはぎこちなく抱きしめ返す。
そんな二人の様子を、広場の皆が穏やかに見守っていた。
だが、アリアは心がせわしなく、とてもそれどころではなかった。
二人がやっと和解できたのに、これから告げなければならないことは、どれだけ利己的で、二人の思いを踏みにじるのだろう。それに、自分の身勝手な都合を強いることで、二人が離れて行ってしまうことが、アリアは何より恐ろしかった。
初めは二人といると振り回されるばかりで、上手くやって行けるのかと不安さえ感じていたアリアだが、一緒に悩んだり協力して乗り越えたりしながら、活動を続けるうちに、いつしか二人はかけがえのない存在になっていた。ニーナとユウトは、アリアに初めて出来た、仲間だったのだ。
「あの、アリア、どうしよう。ニーナ、全然泣き止まないんだけど」
困った顔でニーナを抱えるユウトに、アリアは曖昧に微笑んだ。
「それだけ、ユウトのことを気にしていたんでしょう。好きなだけ泣かせてあげればいいんじゃない?」
「え、や、これ以上は、ちょっと……練習もしたいし……」
二人の会話を聞いたニーナが、腕に力を込めてさらにユウトをぎゅっと強く抱きしめた。
「ちょっ、ニーナ!」
顔を真っ赤にして声を荒らげ、ユウトはニーナを突き放した。
突き放されたニーナは、しゃくり上げながらも、満面の笑みを浮かべていた。
「ニーナ、泣き止んだなら離してよ!」
「えへへ、ごめんごめん。嬉しくてつい」
ユウトがニーナに説教を始めて、いつも通りの光景が戻ってきた。アリアも普段通り、二人の仲介に入る。ようやく二人が落ち着いた頃、そういえば、とニーナが一枚の紙を取り出した。
「一応、申し込み用紙をもらっておいたの。今から書かない?」
「うん、そうしよう。善は急げ、だよ」
しかし、アリアは何も言わずに俯いてしまった。ここで申し込みをしてしまえば、納得させる機会をくれたカミラに申し訳が立たない。言うなら今だ。言わなければ。……『でも、言わないでもいいかもね』悪魔の囁きが、アリアの頭に響いた。『二人に何も言わず、カミラに逆らって、自分は自分で優勝を目指せばいいじゃない。このチームならかなり良いところまで進めると思っているのでしょう?』
確かに、そうだ。アマチュアで活動しているとはいえ、ユウトはあれほどの実力の持ち主だし、ニーナも、そのユウトが認めるほどの光る才能を持っている。
でも、それではだめだ、とアリアは拳を握り締めた。これほど大規模なコンテストだ、三人の方向性を合わせなければ、予選を突破して本番のステージに立つことさえ難しいだろう。
それに、アリアはカミラの試練を無下にすることも、二人への隠し事を増やすこともしたくはなかった。髪のことはどうにもならないとしても、せめて他の部分では誠実でありたい。大切な相手ならば、なおさら。
アリアは顔を上げ、口を開いた。
「ニーナ、ユウト。大事な話があるの。申し込みの前に、聞いてくれないかしら」
二人は、アリアの真剣な表情を見て、頷いた。
「……だから、二人には私と一緒に優勝を目指してほしいの。我儘を言っているのは、わかっているわ。でもどうか、力を貸して」
アリアは緊張と不安で脚が震えて、立っているだけで精一杯だった。台詞を言いきった後、アリアは二人の顔が見られなくて俯いてしまった。
ニーナとユウトは、顔を見合わせた。数秒ののち、ニーナがそっと、アリアの肩を叩いた。
「コンテストに出るなら、目指すのは優勝以外にないと思っていたわ。その、先生の試験も、受けて立ちましょう」
ニーナの答えを聞いても、アリアの体は力んだまま、顔を上げることもできなかった。すると、ユウトもニーナと同様に、反対側の肩にゆっくりと手を乗せた。
「僕もニーナと同意見だよ。アリア、君が僕に寄り添ってくれたように、今度は僕が力になる番だ。それくらいの覚悟、もうとっくに出来ているよ」
アリアは恐る恐る顔を上げて、二人の顔を見た。想像していたよりずっと穏やかな顔で、二人はアリアを真っ直ぐに見ていた。
体の力が一気に抜けて膝を着きそうになるアリアを、二人は両脇から支える。
「大丈夫?」二人が同時に話しかけるのを聞いて、アリアの涙腺は崩れた。
「ありがとう、二人とも、本当に、ありがとう……」
ユウトとニーナは、今までで一番の眩しい笑顔で、にっこりと笑った。
「ニーナ・アーベラインです。担当はアルトサックスです」
「ユウト・コンドウです。ピアノの担当です、今日はよろしくお願いします」
後日、アリアは二人を連れてカミラの元に来ていた。
礼をする二人を、カミラは探るように見る。そこに、いつもの余裕のある笑みはなく、視線は刺すように鋭く、冷たかった。
ニーナもユウトも気圧されているようだった。いつも表情豊かなニーナの顔は強張り、ユウトも動きがどこかぎこちない。アリアも不安でいっぱいだった。ここでカミラを認めさせなければ、三人でコンテストに出ることは叶わないのだから。
「じゃあ早速だけど、演奏を始めてもらおうかしら」
カミラの言葉に、三人は顔を見合わせ、頷いた。
曲目は、最初に三人がセッションに成功した、『至福の朝』。あれから何度も合わせて、原曲を生かしつつも、自分たちの個性を引き出せるように改善を重ねた、三人が一番自信のある曲だった。
ユウトの軽やかなピアノから入り、ニーナの活発なサックスが重なる。複雑に絡み合う二つの音色が曲を盛り上げていき、そこにアリアの歌が加わって、太陽が窓辺を照らす朝が始まるように、煌びやかに曲が進んでいく。
始めの頃とは見違えるほどに、三人の息はぴったり合うようになっていた。この二か月で、リズムを崩しがちだったニーナは他の楽器にも気を配るようになり、ユウトはニーナのサポートやアリアへのピアノの指導で、二人への理解をより深めていた。最初は二人に苦手意識を持っていたアリアも、ともに活動するうちに、二人と打ち解け、今では仲間と思えるまでになったのだった。
アリアの生き生きとして伸びやかなソプラノと、ニーナの楽しげに躍るようなサックスの掛け合い。ユウトのピアノは二人を支えるようにして、快いリズムを刻む。アリアはもう、始める前の不安なんて少しも感じていなかった。ただ音を重ね合うことが、こんなにも楽しいなんて! きっと二人に出会わなければ、知ることもなかっただろう。
終盤に入る直前に、曲は少し表情を変え、歌声は柔らかな風のように優美になる。ピアノのなだらかで感情的な伴奏とともに、朝の穏やかな風景を描いたあと、ピアノのグリッサンドを合図に転調し、サックスも参加して、愉快で奔放なメロディーを奏で始めた。そうしてクライマックスに入り、今までで一番に開放的で、希望に満ちた歌が紡がれる。
『ああ なんて美しい朝 太陽は街を祝福して
小鳥は歌い 木々は風に踊る 今日の始まりを歓ぶように!』
アリアの歌が完結すると、一瞬の静寂ののち、ニーナの見せ場であるソロパートから締めの部分に入る。ニーナが自由に音を鳴らしたのち、ピアノの情緒のある独奏で緩やかに曲が終わった。
カミラは膝に置いていた手を悠然と胸元まで運び、ぱちぱちと拍手を鳴らした。
「良い演奏だったわ。そうね、いろいろと粗はあるけれど、予想していたよりまとまりもあるし、何より演奏者が心から音楽を楽しんでいるのが伝わってきた。合格と言っていいでしょうね」
カミラの言葉に、三人は顔を見合わせた。今にも飛び上がりそうなほど、ニーナもユウトも、もちろんアリアも、喜びでいっぱいだった。
「今後の課題もたくさんあるけれど、あなたたちがあのステージで喝采を浴びる光景が、少しだけ見えたわ。今後の努力次第では、賞を獲ることも夢ではないでしょうね」
「ほ、本当ですか」ニーナが食い気味に尋ねると、カミラはいつものあの余裕のある笑みで、ゆっくりと頷いた。
「アリア、私、頑張るから。アリアの夢、私も一緒に叶えさせて」
そう言って振り返ったニーナを、感極まったアリアは思わず抱きしめた。ニーナは驚きながらも、ぎゅっと抱きしめ返してくれた。
「ありがとう、ニーナ。一緒に頑張りましょう。……ユウトも、協力してくれる?」
「もちろん。アリアの夢はもう、僕らの夢みたいなものだよ」
そんな三人の様子を、カミラは眩しそうに見つめていた。
帰り際、部屋を出る直前に、カミラが小さく手招きしてきた。アリアが近づけば、カミラは耳元に手を添えて、こう囁いた。
「良い仲間を見つけたのね、アリア」
アリアの頬は薔薇色に染まった。こくん、と小さく頷けば、カミラは満足げに目を細めた。
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