煙草を吸い始めるちょっと前のお話
これは少し前の、7月の暑くなってきたある日の出来事
「ただいま、」
バイトが終わって8時になりそうなそんな時間に私は家に帰ってきた。
今日はやけに身体が重く、朝早くから夜に近い時間まで働いてだいぶ具合が悪かった。私はバイトである動物カフェで使いすぎた作り笑顔がやっと緩んできて、そんな死んだ顔で居間に声を掛ける。
「ヒナタ、今から選挙行くぞ」
帰ってきて早々、お父さんからそんな言葉が帰ってくる。
娘が帰ってきたんだから、普通は「おかえり」だと思うんだけどなぁ
「お父さん、ただいま。待っててくれたのにごめんなさい。今日は体調良くなくて、もう寝たいです」
「は?」
あ、これはやばいやつだ。
でも体調は変わらず酷い、頭痛、吐き気、めまい、だるさ。
これは絶対に風邪だ、熱もある。明日にでも病院行かなきゃ。
「本当にごめんなさい、お父さんも疲れて待っててくれたのに。でも結構具合悪くて、まだ熱測ってないんですが熱もあると思います。今日はもう動かないで寝てたいです」
「俺だって具合悪いよ、なんでお前の体調を大事にしなきゃならねえの?いいから準備しろ、行くぞ」
そうやって私の腕をお父さんは掴む。
お父さんはいつもそうだ。
「俺だって疲れてる」「お前だけずるい」
そう言って私の体調は完全に無視。
覚えてないのかな、私が体調すごく悪かった時にレストランに無理やり連れて行って吐いちゃってお店にすごい迷惑かけたのに、この人はまたやろうとしてるのかな。
そういったイライラを思い出しつい言ってしまった。
私もこんなこと言わなければよかった、凄く後悔した。
「お父さんが疲れてるのはすごいわかるよ、でも本当に疲れたし具合が悪いの、今日は寝かせ」
ここで私の言葉は途切れる。
風船が破裂したような音。左耳が凄い勢いで熱くなってくる。
キーーーーーーーーーーン
耳鳴りがした。頭が痛い分、血流がドクドク音を鳴らすから余計に煩く聞こえる。
左耳を思いっきり、お父さんは叩いてきたのだ。
私は少し叩かれた反動でその場に倒れた。
「…………………った」
「何、また姉ちゃんなんかしたの?」
そう言って階段から弟のユイが顔を出す。
その後ろには兄のユウスケ、二人とも「またか」って顔で私を見る。
助けてはくれない、二人は私が悪いと思ってるから。
「なんだ、また鼓膜破れたのか」
ユウスケはそう言いながら何もなかったのかのように台所の冷蔵庫からメロンソーダを出し飲み始める。
……………………それ、私が買ってきたんだけどなぁ。
「お父さん、耳狙うの辞めてもらえませんか?前回もそうやって病院に行ったら先生に怒られました。次は診察きたら家に電話して説明しましょうか?って言われてます」
「お前、俺がやったって先生に言ったのか?」
だって嘘ついても相手はプロだからわかるに決まってんじゃん。
正直にいうよ、お父さんにやられましたって。
「はい」
「ふざけんじゃねえ」
床に倒れたままの私にお父さんはさらに蹴りを入れる。
「お父さん、止めて、痛いです」
「お前がいい子にしてたらこんなことになってねえだろ、なんで俺が悪いんだよ」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
いくら謝ってもお父さんは止めてくれない。
周りはそれを見ても止めようとしない。
誰も、助けてくれる人なんて、この家にいない。
「ちょっと、何してるの!?」
二階から物音を聞いたお母さんが急いで降りてくる。
お母さんは状況を確認するために、部屋を見回す。
私はじっとお母さんを見た。
「助けて」「痛い」「耳が痛い」「お父さんを止めて」「助けて」
そんな言葉出せない、言えない、口が動かない。
お母さんなら、助けてくれるよね。
お母さん。
お母さんは困った顔をして、私から目を背けた。
「まぁ、またあんたが何かしたんでしょ。お父さんに謝りなさい」
あぁ、だめだ。この人も私を助けてくれないんだ。
お父さんは私が動かなくなるまで蹴ることを止めなかった。
しばらくして少し落ち着いてきたのかお父さんは「おい、行くぞ」と言って私以外の家族を連れて選挙に行く準備をする。
「お前、このままだと本当に何もないからな。好きな人と結婚することも、遊ぶことも、やりたいことも、全部ないからな、させないからな」
そう言い投げて、家を出発した。
静かになり、聞こえてくるのは私の心臓の音と荒い呼吸音。
痛い身体をゆっくりとあげ、自室に戻る。
部屋についた途端、私は床に膝から崩れ落ち、叩かれた左耳を押さえる。
聞こえない、曇った感じ、痛い、何かが耳の中で流れて濡れている感じ、耳鳴りが酷い。私は震える手で携帯を開いた。LINEを起動させ、トーク画面の一番上、彼氏のハルに電話をかけた。4コールなったところで、ハルは電話に出た。
『もしもし〜〜?ヒナ?どうしたの?ごめんね、今仕事中なんだ』
ハルの声を聞いた途端、目元が暖かく、泣きたくないのに、心配させたくないのに、涙が止まらなかった。
「…………………ハル、ごめんね、耳がね、聞こえないの、痛いの、左耳、何も聞こえないの」
喉がキュウッと締まるのがわかる。
『え!?大丈夫!?どうしたの!?ヒナ!?!?』
「仕事中だよね、ごめんね、もう怖くて、何も聞こえなくて」
頭の中が真っ白だった、とにかく誰かにこの気持ちを聞いてほしくてたまらなかった。
『大丈夫だよ!!それより耳は!?病院は!?』
「今家でたらハム達に何されるかわからないから、家から出られない」
自室で飼っているハムスターたち、お母さんはいつもかわいがりに来る。
兄弟も時々かわいがりにくるけど、お父さんはどこかねずみだ、気持ち悪い、とか言って少し突くくらいだった。
私がいなくなったらハム達に何されるかわからないし、帰ってきた時何をされるかわからなくて怖い。いまは家から出ないで、部屋にいることがいいと思った。
『あう、わかった。またなにかあったら電話して?俺も仕事終わったらすぐに電話する。ひどかったら仕事終わりにそっちいくから!』
「うん、ありがとう。じゃあね」
わたしはそれしか言えなかった。他に言葉が見つからない。
ハルとの電話を切り、布団に包まってベッドに入った。
今日はもう寝よう。
疲れた。
少し経って玄関が開く音が聞こえる。
どんどんと廊下を歩いて、階段を登って私の部屋にその足音が近づいてくる。
私の部屋の引き戸が勢いよく開く。
ノックしなさいっていつも怒るくせに、私の部屋に入るときはノックは不要ですか。
「あんた、風呂入ったの?」
「………………」
答えたくもない、聞きたくもないお母さんの声。
私は寝てるふりをした。
「………汚えの」
ボソッとそう言うとお母さんは部屋の戸を勢いよく締め、自分の部屋に戻っていった。
汚いのはどっちだよ、お父さんやおじいちゃんおばあちゃんには頭へこへこさせてるくせに、私には御構い無しでひどく汚い言葉を投げてくる。
自分がミスしたところ指摘されるとブチギレて、暴れるくせに。
大嫌いだ。
お父さんも、お母さんも、兄弟も、おじいちゃんやおばあちゃんも、
家で落ち着くのはもう私の部屋しかない。
私の帰りを唯一待っててくれるハムたちしかいない。
「……お腹すいたなぁ」
お腹が空だぞって私にいうために音を鳴らす。
どうでもいい、食べるとまた怒られるから。
疲れた、本当に。
死にたい。
今すぐ死にたい。
こんなところにいたって、誰も助けてくれない。
手元にある携帯の画面をつけLINEを開く
『仕事中だったのにごめんね、疲れたから寝るや。おやすみなさい』
ハルにLINEを送ってまた携帯の電源を落とす。
目をつむって暗闇の中、自分自身に声をかけた。
「おやすみなさい、早く死ねたらいいね」
数分後に、深い深い眠りについた。
これが、大事な人と出会う少し前の私のお話。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます