第四夜 取引
美しくも冷えた碧眼に、西へと傾き始めた
外はいつの間にか丑の刻。王女は、漆黒の
さて、と王女は馬の胴を軽く蹴った。
王太子から王女へ渡った手紙には実のところ何も書かれていなかった。だからこそ早々に王都を発つはめになったのだ。そして、後立州に着くなり公使に紙を乱雑に投げつけ説明を求めた。
その答えはこうだ。最近、食物——特に果物の特に盗難が続いていると。調べによるとその盗品は隣国である同盟国、
窃盗は元より、盗品の販売も凰都の法典では禁じられている。それは他国であっても商人ならば周知の事実だ。公使の調べで既に罪人の目星はついており、その取締りなら本来治安を維持するために王都から地方にかけてまで整備した
先日、一人の子どもまで連れ去られてしまったのだ。
奴隷制度のない凰都国内で、凰都国民を売り捌くなんてことはまず、ない。けれど、他の国——それこそ豪羅やその北方にある北明国では行われるかもしれない。それはそれで国際問題であるし、そもそも連れ去った理由が犯行を目撃した、というのであればその命すら危うい。こうなってしまっては、奉公の手には負えない。
というのも、凰都国の法典には他にも様々な制約があるからだ。その上、少し変わった規律も多い。王族に対する不敬の処罰などはその最たるものだがこの場合は許諾のない国民の国外出は禁じるというルールの方で、その許諾を得られるのは王族以外では一部の貴族と商人であり地方公使や奉公には原則与えられないのだ。
勿論、地方公使としても手の打ちようは他にもあった。それでも王太子に文を出したのは、連れ去られたのが銀の髪に蒼と碧のオッドアイを持つ混血の子どもだったからだ。王族が自ら解決することでまだ蔓延る差別の思考を改めさせる——所謂、政治的な判断だった。
成程どうりで拒否権など無かったはずだ、と内心ごちる。零れるため息はそのままに、王女は馬から降りると何食わぬ顔で
放り投げた巾着袋が立てたドサっという鈍い音に、まだ開店前なんですがといかにも迷惑そうな罪人。けれど王女はお構いなしに無邪気に笑う。開けなくて大丈夫、と。だってここにあるもの全て貰うから、と。怪訝に思って振り返ろうとしたその首筋に、ピタリと銀刃を当てて。なんとか茶色の瞳だけを寄越して、町でそんな物騒なもんは罪に問われますぜ……と空笑いをしながら告げる軽口に、王女はするっと兜巾を外した。凰都では知らぬ者はほぼいないと言っても過言ではない朝日に輝く金糸に、罪人はビクッと肩を震わせる。
——そんなバカな。
どうにか絞り出そうとした声は結局音にはならなかったが、口は確かにそう動いた。無理もない。友好国とはいえ凰都を出る時イコール強羅に入る時は、身分証明書を提示する必要があるのはこれまた周知の事実なのだ。そこを夜中に通る者は何人でも朝まで留置されることも然り。
王族なら尚のこと、否、王族だからこそ。とかなんとか混乱して何やら呟いているところに、遠くの方から華月、お前また勝手にと怒鳴りながら早駆けしてくる人影が見えた。強羅の王太子である。いつものことでしょ、と静かに王女は微笑む。辿り着いた王太子に呆れた紅眼を向けられてもなんのその、といった様子で。その短いやりとりで、思考の両方ともが正解だと罪人が気付いたところで現状を変えられるわけでは勿論ない。
子どもは、と剣先を顎の下へ滑らせることで強制的に上を向かせて王女は冷えた声で問う。刃先が喰い込み一筋の血が垂れたが御多分に洩れず、硬く結んだ唇からは言の音が発されることは無い。ただその代わりに正直な茶色が、ちらりと店内の荷積の山へと向いた。そして、それを見逃すような生易しさはこの王女は生憎持ち合わせていない。おいちょっと待てっと慌てた王太子の制止も聞かずに腰に吊り下げた小刀を素早く引き抜き見事に脚に命中させると、血濡れの刃を荷積へと飛ばす。すると齢七、八歳程の少年が尻餅をついて、重力に負けた鋼の鈍音に痩せた身体を震わせた。
なんてことすんだテメェ、逆上して怒鳴り怪我などお構いなしに王女に立ち向かおうとした罪人を、罪状を増やしたくないなら大人しくしておけと王太子が捕らえる。その様子にチラリと碧眼を向けて、王女は声を発した。この者には自ら国を出たという嫌疑がかかっている、と。子どもに視線を戻すと続けて、正直に答えよ、と。
罪人は否定することなく王女から顔を背ける。沈黙は肯定と言わんばかりの雰囲気の中、子どもがポツリと告げた——その通りだよ、と。その瞬間、拘束用の投げ縄が子どもの身体を捕らえた。投げたのは勿論王女だ。せめて言い訳くらい聞いてやっても良いんじゃねえのか、と吠える罪人にどんな事情があっても罪は罪だ、とひょいっと子どもを俵担ぎして答える王女は正論を以て突き放す。
華月……と王太子も何か言いたげだが二の句が続かないことを確認した王女は、手筈通り賠償額はソレでと最初に放り投げた巾着袋を指差し、一つの酒瓶を手に取ってその場を後にしたのだった。
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