第二夜 陥穽

 足を一寸程開いて、半身で立っていた。重心はやや前、けれど前屈みにはならずに身体は真っ直ぐ保たれている。息が大きく吸い込こまれ、そして、余計な力をぬくようにその全てがゆっくりと吐き出されていく。三度繰り返して、漸く閉じていた目が開かれた。相変わらず幼さの残る顔に不釣り合いの冷えた碧眼が捉えているのは、約十五尺先の霞的。弓の胴を左手に、弦を右手に持って左右に目一杯引分ける。


 華奢な身体つきとその細腕の、どこにそんな力があるのだろう。矢は鋭く風を切り、ドンっと重い音を立てて的を射た。次の矢も、その次も。己はその位置から動くことなく正確に、並べられた五つの的の真ん中を射抜いていく。


「話には聞いていたが見事なものだ」

「お褒め頂き光栄にございます」


 パチパチパチとゆったりとした拍手の音に、純白の道衣どうぎの袂が翻った。称賛の言葉に、さっと膝をつくと恭しく頭が下がる。


 王家の弓道場に入れるのは、師範と整備係を除けば王の血をひく者だけである。また、宮廷に住う者で今、起立したまま声を発することができるのは一人しかいない。国王だ。


「其方には療養を言い渡したはずだが、じっとしていられるはずは無かったか」

「陛下のお心遣い、大変痛み入ります。しかし、身体が傷ついたわけではございませんし、心を落ち着けるのならばわたしにはこちらの方が性に合うだけのこと。どうかご容赦頂きたく……」


 国王が浮かべた苦笑いに、弁明の上で再度下げようとした頭は、了解していると軽く上げられた手で制された。少し罰の悪そうな顔が国王に向く。その碧眼に、王自ら己に会いにきた理由がてんで分からないと、雄弁に物語らせて。小首を傾げた拍子に、艶のある金糸がサラリと落ちる。


 王は言いにくそうに、口を開いた。


「もう其方の耳にも入っていることとは思うが、一昨日、咎人番号十一の刑が執行された」

「伺っております。処刑が随分早かったのは、刃を向けてしまった相手が王太子わたしだったから、と」


 本当に病床のような生気の欠けた白い顔でポツリ、と悲しげに発された声に王は大きな溜息をついた。


 凰都国では、罪を犯し獄所に入れられた者は番号で管理される。それはたとえ王族であっても、例外ではない。獄中の人数は十名程度、多くて十五名で常に抑えられるように執行されていく。そして、それをするには必ず国王の署名を必要とするが、執行順は罪の重軽問わず原則アットランダムのため、王は誰が執行されるのか知ることはできない。


 たとえ、一人の息子を守るためにもう一人の息子の命を早々に絶つことになったとしても、だ。


「父上は後悔されていらっしゃるのですか、その選択をしたこと」

「……いや、一つの選択に後悔をしてしまえば今までしてきた全ての選択が無駄になってしまう。変えなければならないと判明している今、正誤を問うている時にない。分かってはいる。だが、ただまだ信じられないのだ。照月しょうげつが其方に、刃を向けたなどと」

「故、お気持ちに整理がつけられない、と」


 事の発端は、王太子と第二王子が行うことにしていた剣術の実践練習だった。実践、といっても模造刀による戦闘であって真剣は間違っても持ち込むことは許されていない。そんな事は、王太子と王子も承知済みのはずだった。それなのに、王子が鞘から引き抜いた剣は相手を死に至らしめる本物だったのだ。その場は騒然となり、王子は王太子に刃を向けた反逆者として取り押さえられることになった。


 王子は勿論、否定した。兄上を殺すつもりなど毛頭ない、これは罠だと。

 確かに、刀を用意するのは侍中の仕事だ。けれど、罠だと主張するのならばどれだけ侍中を信用していようと、必ず自分で確認しなけばならなかったのだ。信じるのは良い事でも、王宮で信じ過ぎるのは命取りになるのだから。


 無論、刀を用意した第二王子の侍中も否定したが、その証拠はなくその者もそれ以外のお付きの者も全員排除となり、王子は管理責任不行届の責も負うことになった。


「其方が首を縦に振ったのだ、その事実は存在したのだろう」

「……陛下は、両方を信じられない現実に心を痛められていらっしゃるのですね」


 因みに、刀を用意したのが王子でも侍中でなかったとする証拠もでなかった。結局のところ誰が用意したのか——真相は、あの処刑の夜と同じく闇の中。


「一番キツい思いをした其方に聞くべきことではない、というのは分かってはいるのだ。だが、気付いたらここに来ていた。決して其方を咎める為ではないのだ」

「父上がそのようなことをおっしゃられるとは。我が生き残っていくこと自体が、未来へ進む為に必要なことなのだと我に教えてくださったのは父上だというのに……」


 悲痛な面持ちの国王に、王太子は先ほどと異なる怪訝な顔を向けた。腹違いとはいえ、弟が死んだというのにその碧眼は冷ややかかつ、イヤに冷静だ。まぁ、己が危ない目にあったのだから当たり前に受け止めただけかもしれないが。現に、王太子は王子を庇うことすら無かった。ただ、今と同じく冷えた碧眼で喚き、救いを求める王子を見ていただけ。


 中途半端に言葉切った王太子だったが、国王が口を開くより先にけれど、と更に言葉を続けた。父上や母上が突然いなくなってしまわれたら、我も平静でいられる自信は正直ありません。今回のことも我が当事者でなければ、陛下とてもう少し穏便に済ますこともできたでしょうから、と。


「……確かに、其方の言う通りだな。王子が死んだとはいえ、どうかしていたようだ。其方と話をすることができて良かった」

「父上のお役に立てたのであれば、幸いにございます。陛下、この際ですから少し休息を取られてはいかがでしょう? 我ならばこの通り健康にて、公務再開の許可を頂ければ」

「そうだな。暫くの間、其方に任せよう」

「御心のままに」


 言葉に偽りはないらしく、憂いのはれた顔で首を縦に振った国王に、王太子は今度こそ頭を下げた。


「ところで、其方にはもう一つ聞いておきたいことがあるのだ」

「初冠の儀について、でございましょうか?」

「我が子ながら、話が早くて助かる。当日、其方の武術の腕を見込んで武道会を祝いの催しとして行おうと思うのだがどうだろうか」

「我は構いませんが。ただ、我が相手となると、あまり盛り上がらないのでは?」


 国王の提案に、王太子は承諾しながらも眉間にシワを寄せた。王太子が弓術に限らず剣術、馬術、芸術と全ての能力に秀でているのは周知の事実である。けれど、だからこそ王太子を前にして本気で向かってくる者など、王宮にはいないのではと危惧したのだ。

 対して国王は、全く問題ないと首を左右に振った。


「帝国ではいま、仮面舞踏会が流行っていると聞いた。しかし、凰都こちらでは舞踏が浸透していない。それならば、仮面だけを取り入れ武道会を行えばと思いついたのだ」

「なるほど……それは妙案にこざいましょう。初冠といえば喜ばしいことですが、此度は国にとってはあまり良いこととはいえない内親王の襲名も兼ねている。それでもやはりせっかくの晴れ舞台ですし、また心置きなく力を発揮できる場にて王太子として精一杯努めると致しましょう」


 一寸前まで悩み、苦しんでいたとは思えないしたり顔で告げる国王に、王太子はゆるりと上品な笑みを浮かべると、すっと立ってもう一本、弓を射た。矢は変わらず的の真ん中に突き刺さる。期待しているぞ、と王は満足気に微笑んだ。まるで、第二王子の死より内親王襲名の方が大事だと言わんばかりに。


 邪魔をしたな、と王は立ち去る。父上は何もお分かりでないな、と声になったかならなかった程の呟きは誰の耳に届くことなく宙に消え失せた。

 

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