国王の宥恕

箕園 のぞみ

第一夜 仮初

 吹きつける冷風に、絹のような金糸が乱雑に靡いた。但し、その姿は朔日の夜に呑まれ目視することはできない。普段はエメラルドのように美しい碧眼も、同様。それでも確かにそこに存在していた。


 同時に、この世のものとも思えないモノでも見ているかのような、怯えたもう一つの碧眼が存在していた。かの恐怖に、声をあげることすらできないのか——否、猿轡をされているのだが、その事実は闇に隠蔽される。逃げ出すことができないのも、腕も脚も縛られているからなのだが、本人とその状態を作り上げた人物以外、誰も知る由は無い。


 僅かにした金属が擦れる音は、強い風の中では耳に届いたりはしない。ゆっくりと鞘から引き抜かれていく刃は、月明かりの下ならば美しい銀色だろう。けれど今宵は、ただの鈍色。そして、闇はそれすらも呑み込む。当然、縛られたモノの碧眼にも映りはしない。息遣いすら分からない二人は、近過ぎず遠過ぎず、微妙な距離感。


 刃が、そっと空へ振り上がる。その勢いに、躊躇いなど皆無。鋭く細められた碧眼は、総てを捉えているかのごとく獲物を見定めている。重力に従った一振りは正確に首を傷つけ、降り注ぐ雨のような血飛沫が金糸を悉くけがしていった。


 風は、急にやむ。ふと、訪れる静寂。それなのに何故か、息つく暇もなく朱に染まった刃がもう一振り。但し、今度はやはり見えているかのように寸止め。いきなり刃を向けられてなお、動じることのない琥珀。微かに嗤いが漏れた。


「相変わらず、殿下は気配をお読みになるのがお上手ですね」

「……そう躾けたのは、先生だったとキオクしてるけど」


 どこか芝居がかった口調に、黒い大袖で拭った刀を鞘に納めながらぶっきらぼうに答えるのは、この国——凰都国の第四王女。その返事に心外とばかりにハテ、と首を傾げるはこの国の薬師。


それがしは、殺気すら身に纏わぬようお教えした、かと」

兄様アレは、刑が執行されること、それを僕が行うことを知らなかったから。まぁそもそも罪なんて無いんだから仕方のないことだけど、だからこそ少し分らせてあげたんだよ、僕は優しいからね」


 抑揚のない声が静寂の中に浮いては消える。薬師が持ってきた行燈が、冷えた碧眼に似つかわしくないあどけなさのある王女の顔を照らし出した。人ひとりの命をその手で絶ったというのに、全く悪びれた様子のない薄い唇は綺麗な三日月を描く。


「なるほど、わざと、ということでございましたか。やはり某が惚れ込んだだけはある……王子に成り代わるために罪をでっち上げて、自ら手をかけるとは。しかも何の躊躇いもなく。なかなかできる所業ではございません」

「別に、王位継承者の一人を消すなんて王宮では珍しい話じゃないでしょ。それに、結局のところ僕は僕でしかない。だから、僕は未来への一歩と確信していることなら迷ったりしない。これも先生が躾けたことだ」


 強い語調でピシャリと言い切ると、王女は何事も無かったかのようにその場を後にした。

 

「勿論、忘れてなどおりませんとも。殿下は殿下以外、何者にもなれはしない。そしてそれを選んだのは殿下自身だということもね」

「その上で選択は、これからもずっと行わなければなりません。絶対に間違うことのできない選択を。けれどそれは、すべて大きな野望を叶える為。この国は変わらなければならないのだから」

「国妃様」


 ふっと、ゆらゆらと燃える行燈の火を吹き消せば辺りはまた闇に包まれる。浮かべられていた怪しげな微笑もまた然り。そのタイミングで、ジャリっと地を踏みしめた音が態とらしく響いた。国王の妃で、現王太子および先程の王女の母君だった。


 凰都国は、一夫多妻制の国だ。最高権力者は国王であるが、この国では女性王族にも相応の権力の地位が与えられる。その最たるはもちろん王妃であるが、それとは別に第一王位継承者を国にもたらした者は王妃かどうかにかかわらず正妃とほぼ同等の権力が与えられた。まぁ事実上は、後継の母の力の方が強いのだが。因みにその後の王族の地位は王太子、王の臣下しての内親王と続く。他国では珍しいともいえる王の臣下としての内親王の地位は、国の継承者が五年以上一人の場合もしくは一人しかいなくなった場合に、成人したと示す初冠ういかんむりの儀を近く控えた者に与えられることになっている。


 現王は子を七人もうけているが、そのうち五人は女児だった。そして今、まもなく成人とされる齢十五になる王女の醜業によってこの国の継承者は王太子のみとなった。王女は王子殺しの大罪を背負ったが、その王子はそもそも罪を犯したことに王宮ではなっている為、刑を執行しただけの王女が罪に問われることはない。


 そう、すべては手の内。そして、これはまだ、野望を達成するための布石に過ぎないのだ。


「ところで、国妃様は如何なされたのですか? このような所にわざわざ参られて。まさか……情でもお移りになられた、とか」

「その心配には及びません。ただ、見届ける必要があると思ったまでです。彼らを育てた者として、終わりと、始まりを」

「なるほど。では、その瞬間を貴女様と迎えられたことに感謝し、この出雲、最後まで供するとここにお誓い致しましょう」


 告げて、薬師は着衣に構わず両膝をつくと深々と頭を下げて臣下の礼をとった。頼りにしています、と消え入りそうな声を薬師にかけて、国妃は来た道を戻っていく。


 また、強い風が吹き始めた。それに乗じるように音もなく二人の忍びが棺を持って現れ、王子の姿あっという間に消え失せる。


 凰都国はいつものようにそのまま夜が明け、明日を迎えた。

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