29.洋館
それから、私は、安請け合いしたことを後悔していた。
そもそも男子の家に一人で行くなんて、よく考えたら人生でもはじめてのことだった。しかも、そこでご家族に会うのだ。
どういうテンションで、どんな格好で会いに行けばいいのか?私はさんざん悶々とした挙げ句、バイトあがりの静子に泣きついた。
「どうしよう? どうすればいい? ねえ、静子あたしこういうのはじめてなんだけど! そりゃ小学校中学校のころデートめいたことしたことあるけどさ、そういうのと違うじゃん? ねえ、どうする? どうすればいい?」
「ちょっとまって、落ち着いて深」
「……はい」
私は、事情を説明する。
明らかに状況を楽しんでいる静子からアドバイスを受ける。さらに、私だけでは何だからと、芽衣と望海先輩と土浦くんが何故か呼び出されて、作戦会議となる。
つまり、その際に仲間たちにまんまと私の気になる男子のことがバラされた訳だ。
さて静子曰く、おばあさまは孫の女性を見る目が厳しいだろうから、清潔感のある服装で品のいい装いを心がけること、との指示。望海先輩曰く、女子力を見せつけるために、菓子折りくらいはもっていったほうがいいだろうとのこと。
ただし高校生の財力でそれをやるのもどうかと思うので、できれば手作りがいいと言われ、料理あまりしない私にそれはハードル高すぎじゃないかと、困惑する。すると、じゃあそれ俺が作るわ、となぜか望海先輩が宣言し、嬉々としてケーキを作る算段を始めた。
芽衣からは、何故か私だけ後で呼び出されて、葵と二人きりになった時のアドバイスをもらう。
私はこの、芽衣からの一連のアドバイスに戦慄する。──芽衣は私に言った。
「まず相手のどんな話も、興味深そうに聞くこと。わからないことは質問をし、それに応えてくれたら、知らなかったと関心してみせ驚いてみせること。ボディタッチはさり気なく、距離感に気をつけて。先輩の場合は、たぶんギクシャクするから、無理をしてしなくていい。ただし二人の距離はなるべく近く──イメージとしては、振り向いたら近くにいた、みたいな感じが望ましい。それから、先輩は基本仏頂面なので、いつもより二割増しでリアクションをすること。かわいいには種類があって、さりげないものと、わざとらしいものがある。先輩には、私のようなわざとらしく、あざといものは無理なので、さりげないかわいいを目指すこと。さりげないかわいいは、日々の振る舞いの丁寧さと一生懸命に宿るものであるから、何事もそのあたりを意識すること。くれぐれも、私や花井先輩と一緒にいるときのような雑さは出さないこと」
「……芽衣、あんたすごいね」
私は、芽衣の恐ろしさを垣間見た気がした。
ただし、あとで聞いた話によると、普段芽衣が意識している男子に向けた振る舞いの九割が、土浦くんには通用しないと嘆いていた。
そして、その日がやってくる。
前日までに、無駄に高校二年一学期分の数学の勉強をしてしまった。おかげで頭が冴えてしまってよく寝れなかった。
服は望海先輩と静子が選んでくれた、年相応でご年配受けしそうな品の良いワンピースに薄手のカーディガン。ワンピースは、肩紐なので露出が大きい。コレは祖母的には、ハシタナイんじゃないの? と尋ねたら、そのためにカーディガンを羽織り、おばあさまの前では品よく振る舞って、二人きりなったらその上着を脱げと言われた。──あんたたち、すごすぎる。
静子に、いつもそんな事考えてるの? と聞いたら、いや面白そうだから思いついたとの返答。人の事だとアイディアが出るタイプめ。そんな事前準備の悲喜こもごもを思い出していると、バスは予定通り、葵の家がある地域のバス停にたどり着く。
待ち合わせは昼下がり、あいにくの曇り空だけれど、夏の暑さが和らいで逆に都合がよかった。
バス停では葵が待ってくれていた。
「やぁ、いらっしゃい」
「よ、よろしくお願いします」
いきなり意味不明な挨拶をした私は、バスを降りると、葵について道を進む。葵が、ちらと私が手に持つ小さな紙袋を見る。
「あ、これ先に……うちのお母さんがたまにつくるお菓子なんだけど、よかったら今日どうかなって」
「へえ、ありがとう」
ちなみに、芽衣の意見の結果、望海先輩の手作り菓子は、女子力が高すぎて出来が良すぎるとのことで却下となった。かわりに、私はお母さんに久々にアップルパイが食べたいとおねだりして、頼み込んで作ってもらう。そして、それを切り分けてもって来ていた。
「……私が作ったわけではないけどね」
ちょっと、情けなさそうに笑うと、葵は紙袋を持つと言って私から受け取る。それから雑談をしながら葵の家に向かった。
自然だ、極めて自然だ。ここまでは、私的にはパーフェクトじゃないだろうか。出だしの意味不明な挨拶以外は。そもそも、葵は年頃の男子特有の空回りした感じが無いので、話していてとても楽だった。
そして、葵の家について、私はその外観に少し驚く。
その家は英国あたりの地方の小さな洋館みたいだった。建物は味わい深く、周囲はガーデニングというにはいささか野性味ある植物に囲まれていた。
玄関を開けると、そこは少し薄暗かった。建物の木の香りにまじって、どことなく白檀の香りもする。
「さ、あがって」
「……おじゃまします」
私は、靴を脱ぐとそろえて、出されたスリッパを履いて葵について行く。
「まずおばあちゃんに」
「うん」
玄関から廊下をぬけて、リビングに出る。リビングはひろく、キッチンにつながっていている。そしてリビングのその先には屋外のポーチにつながる奥の間が見える。
そこの椅子に白髪の女性が一人座っていた。
今しがたまで本を読んでいたようで、老眼鏡を取ると、私と葵に対して笑顔を向ける。
「こんにちは、おじゃましています」
「あら、あらあら……こんにちは」
おばあさんは、よろよろと立ち上がる。足が悪いらしい。葵が支えとなるために近寄る。
「彼女が、天ヶ瀬深さん。今日の僕の家庭教師だよ」
私と、葵のおばあちゃんは互いに会釈した。
「どんな子が来るのかと、とても楽しみにしていたの、会えてうれしいですよ、深ちゃんと呼べばいい?」
「はい……ええと」
私は、葵の祖母になんて声をかけるべきか考えた。おばあちゃん? おばあさん? 浅葉さん?
すると、察しのいい葵のおばあちゃんが、言った。
「私のことは、亜子さんと呼んで、おばあさんだなんて、呼びづらいでしょうから」
「え、あはい……亜子さん、よろしくおねがいします」
「あとこれ、深のお母さんの手作りだって」
「あら、ありがとう、あとでお茶をいれたら声をかけるから」
「うん、それじゃ……俺ら部屋行くから」
「お勉強がんばってね」
そうして、私と葵は、葵の部屋に向かった。拍子抜けするくらい何もなかった。
葵の部屋は二階にあった。その途上に、昆虫採集の標本がところどころ飾られている。そこにはもちろん蝶もあった。私が、ふと足を止めてそれを見ていると、葵が言った。
「おじいちゃんのの趣味だったんだよ」
「へえ、そうなんだ」
だった、ということは、亡くなっているのだろう。
そういえば、ご両親はどうしているのだろうか? おばあさんにあわせる、という話で来たけれど、それ以外の父や母の話は一切でてこない。
ただ、私からそれを聞くのも憚られたから、今は思うだけに留めた。
私は、葵の案内で二階の部屋に入った。
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