30.自習の時間
連れて行かれた部屋は葵の部屋ではなかった。
そこは、本棚がある書庫のようになっていて、壁一面に書籍がずらりと並んでいる。
「ここは、もともとおじいちゃんの書斎だったところなんだ。今は図書室で、調べ物とか勉強とか、読書とか、そういうのに使ってる」
部屋の周囲を本棚がぐるりと囲んでいて、その中央にしっかりとした作りのテーブルと座り心地の良さそうな椅子が四対あって、本当に図書室のようだった。
本棚には、医療系や、科学系の専門書が多く並べられている。おじいさんは医者か科学者だったのだろうか?
「さ、座って」
私は促されて、葵の向かいに座る。
机の上に、それぞれ勉強のための教科書や参考書を取り出して置いた。別に変な期待をしていたわけではないけれど、予想以上に普通に勉強をすることになりそうだと思った。
「あれで良かったの?」
「何が?」
「亜子さんとの挨拶一瞬でおわっちゃったけど……その親しい友達がいます、っていうのちゃんと伝わったのかなって」
私は、葵の友達に見えただろうか?
「たぶん大丈夫。笑ってたし、わかりづらいけど、おばあちゃん結構普段は仏頂面なんだ」
仏頂面と言われて、私は自分を思い返した──私は、教科書を取り出す。
「さて──葵は、どこからやってないの?」
「うーんとね、どこだったかな」
葵は教科書をめくって自身の知っている範囲を確認している。
「学校、ほんとに休みがちなの? クラス違うからわからないけど」
「んー、そんなに休んでいるつもりはないんだけどなぁ、こないだ担任から家に電話がきてさ、おばあちゃんに小言を言われた」
「……電話来るって相当だと思うけど」
「そう?」
葵はいいながら、ページに目星をつけた。
「その、さ……学校を休んで何をしているの?」
すると、葵の表情が固くなる。
「いろいろだよ、未来のために。学校よりも大事なこと」
その口ぶりは、それ以上聞かないで、と言われている気がして、ちょっと私はイラッとした。私は、持ち寄った参考書をめくりながら、それとなく質問を重ねる。
「ご両親は、二人共仕事でいないのかな?」
「……ん、まあ、そんな感じ」
これも、質問されたくない事であるらしい。更に眉間にシワが寄ったように感じたれた。
「だからさ、おばあちゃん子でおじいちゃん子なんだ、ずっと預けられてたから」
「ふぅん」
私は相槌で、説明を促す。葵は、話を続けた。
「まぁ、物心ついた頃にさ、父親も母親も俺を祖父とばあちゃんにあずけてさ、どっかいっちゃってたんだ」
「……え」
予想外の答えだった。
「ずっと、じいちゃんとばあちゃんが親代わり。別に親に会えないわけじゃないんだけどね、ずっとそんな感じ」
「そっか」
私は、葵の家庭環境を聞いて、そう応えるのが精一杯だった。余計なことを聞いたと思った。葵は数学の教科書をパラパラ止め来る。
「今って、深のクラスどこまで進んでる?」
私は、教科書をめくって今週末に終えた授業のページを見せる。すると葵は目を丸くした。
「ごめん、さっきさ、あんま休んでないって言ったけれど、訂正する……飛び飛びだけど、だいぶ進んでいるみたい」
「え、ほんとに?」
「こっからここまで、おしえて」
「えぇー!?」
それは、結構なページ数だった。ちゃんと復習をしてきてよかった、と思った。
* * *
お昼からはじまって、三時すぎまで、私と葵は黙々と勉強した。
葵は、理解力が高く、すぐに私の解説を自身の勉強に応用してみせて、それどころか私とは違う解の導き方までやってみせた。試験を見越して、私もついでに、いくつかの復習をした。
すると、葵の携帯がなる。
「祖母から……お茶いれたって」
屋内でも孫と祖母が携帯で連絡するのか、と一瞬思ったが、すぐに足が悪いから上まで来るのが大変なのか、と理解した。
「いこう、息抜き」
私と葵は、勉強を中断して二階からリビングに向かった。
一階に降りると、リビングの窓際の丸テーブルに椅子が三つならべられ、テーブルの上には紅茶と、うちの母のつくったアップルパイが用意されていた。
「さあ、どうぞすわって。深ちゃんのおかあさまのアップルパイをいただきましょう」
「……お口に合えばいいんですけど」
眼の前には真っ白なクロスのはられたテーブル、その上には高そうなティーカップ。イギリスの上流階級が嗜むアフタヌーンティーみたいな、品のいい光景に、母のアップルパイが負けてしまうのではないかと、ちょっと気後れする。
まぁ、そのアップルパイ、私はとっても好きな味なのだけれど。
「あ、美味しそう」
葵が言った。
亜子さんが、紅茶をティーポッドからカップに注いで、私の前に置く。
「ありがとうございます」
葵もティーカップを受け取ると、さっそく口につける。
私もそれを真似てティーカップを口元へ運ぶと、芳醇な茶葉の香りが鼻腔に広がった。
いいにおい。こんなの飲んだこと無い。
「それで葵は、学校ではどんな感じなのかしら?」
「ぶっ……ああっ、す、すいません」
亜子さんから繰り出された唐突な質問に、私は口につけた紅茶を吹きかけた。それは、大いに想定されるべき質問だ。だって、私は葵の友達なのだから。
「深とはクラスが違うんだ。だから深は普段の僕のことをあまり知らないと思うよ」
葵がつかさずフォローを入れる。
「そうなの? それじゃ、どこで知り合ったの?」
「通学路が同じなんです。それで、何度か一緒になって、話すようになったんです」
嘘ではない。けれど、よく考えたら、回数にして三回しか会っていない。
一回目の、休日の学校帰り。二回の通学路での会話。そしてここに誘われた時の三回目と、四回目の今日。
「この子、友達作るの下手だから、友達を連れてくるといわれて、すごく驚いたのよ」
葵は、笑いながらアップルパイをかじっている。
体育の授業や、クラス内でのやりとりを遠目にみた限りだと、同じクラスの男子生徒とはうまくやっているようではあったけれど。
「ちょっと唐突で面倒くさいところあるでしょう? 人のことを考える子じゃないから、深ちゃんの迷惑になっていなければいいのだけれど」
「えっ、ははは、大丈夫です、そんなことないですよー」
そんなことある。
いつも居ないし、現れたら唐突だし。私は、苦笑いを返すしか無かった。
「そうそう、大丈夫だよ。深は心が広いから」
どういうフォローですか、葵さん。──私は話題を変える。
「それにしてもすごい綺麗なお家ですね。なにか、イギリスの田舎のお家みたいで、大きな庭とかあって」
「あたしが足を悪くしてから、手入れも行き届かなくなって、ちょっと荒れしまったけれどね」
リビングから望む庭は、先述のとおりちょっと荒れている。
それでも、ところどころ、人の手が入った草花がある。昔は、もっと綺麗に手入れをされていたのだろうか。
私は、先程からしたい質問がいくつかあって、どうすべきかずっと悩んでいた。
亜子さんは、葵が蝶の怪人だと知っているのかとか、葵と亜子さんは、ここにたった二人で住んでいるのか、とか。キッチンとリビングを見るかぎり、ここで暮らしている家族の人数が少ない事は間違いなかった。
もともとは大家族のいたような雰囲気の屋内なのに、並べられているのは、二人分の椅子、二人分のランチョンマット、二人分の食器類。
結局、それを尋ねることが出来ず、私は別の質問をする。
なるべく明るく、楽しげに。
「……葵くんは、どんな子供だったんですか?」
「葵?」
「はい……葵くんは、そういうのあまり話してくれないのでー」
私は、葵に向けてすこし悪戯っぽく笑顔を向けて言った。
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