6.うたた寝から

「深、そんなところで寝ないで」


 私は、帰宅した母の声で目を覚ました。


「ん、早いじゃん」

「たまにはそういう日もあるわよ」


 買い物をしてきたらしい母は、少し疲れた表情で、テーブルの上に仕事用のカバンのなかから、いくすか食材を冷蔵庫に入れていた。


「おみやげは?」

「無いわよ。あと食べて寝てばかりだと太るわよ……てか、あんたアイスいくつ食べたの? 食べ過ぎよ」

「若いから太らないもの」

「どうだか、いつも着ていたお気に入りのワンピース最近着てないじゃない? 太ったんでしょ」

「とっておきだから着ていないだけ」

「ふぅん」


 母は、携帯をとりだして、慣れた手付きでメールチェックをしている。女子高生のそれとはちがう、仕事ができる女のテキパキとした手付きで。

 母は弁が立つ。仕事もできる。私が中学に上がったあたりから、昔勤めていた会社に復帰して、いまではそこそこ偉い管理職なのだという。


「お父さん、今日帰ってくるって?」

「知らない。連絡もらってないよ」

「そう……」


 母は微妙な表情を私に見せる。

 実は、ここ数ヶ月、父と母との間がギクシャクしている。不穏といってもいいぐらいに。


 私は、けっこうそれを深刻に受け止めていて、たぶん離婚の危機なんじゃないかと思っていた。しかし本人たちはそれを隠しているし、私はそれに気づいてないと思っている。


「そういえば、深」


 母は、私への問いかけを続ける。小学校の頃から、帰宅後の質問は母の楽しみだった。

 いっときはうっとおしいと思ったこともあったけれど、近頃は、努めて返事を返すことをしていた。もちろん父に対しても。──それは、私なりの母と父との関係の危機への対応なのかもしれない。


「あなた、今日は部活じゃないの?」


 しかし今日に限って母は、痛い質問をしてきた。


「辞めた」

「え、辞めたの?」

「うん」

「あんた、折角ずっと続けていたのに、なんで辞めるのよ?」


 水泳は小学校からやっていた。私が決めたのではなく、母の勧めで、だ。


「もう、いてもしんどいだけだから、いいかなって……」

「あんたねぇ、そういうの、本当にあとで悪影響でるからね。なんでも物事はやりきりなさいっていつも言ってるでしょ!」


 昔から散々言われてきた言葉。基本的に母は、中途半端な仕事を嫌う。

 そのせいで、多少は我慢強く物事に取り組むタイプにはなっているとは思うけれど、そろそろ私だって、臨機応変に好き勝手な選択をしたい。


「だってさ、記録も一年生にぬかれるし、もうやっても伸びなさそうで意味ないんだよ。……無駄なことに労力を割いてもしょうがないでしょ?」


 母は私の反論に不満顔だった。


「それで、部活はどうするの? あんたの学校、何処かに所属しなければならないでしょ?」


 私は立ち上がり、自室へ逃げる準備をする。


「帰宅部。もう決めたから」


 そう言い放つと、そそくさとリビングから出てゆく。


「えっ、ちょっとあんたね、そんなの部活じゃないでしょう?」


 母の声が聞こえる。部屋に逃げ込むと、鍵をかける。もっとも、その気になれば十円ひとつで外から開けられるドアだけれど。


 自室は蒸し暑かった。せっかくシャワーを浴びたのに汗が出る。幸いにして、母は追撃を諦めた様子だった。


 私は、その暑さでふと思いだす。蝶の翅、痣のある顔をもった葵の姿。また会えるだろうか?

 明日から、学生の日々だ。

 私は、エアコンをつけて、ベッドに寝転んだ。

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