5.天ヶ瀬家の住人

「ただいま」


 私はいつものように、自宅の玄関をあけると中に向かって声をかけた。──誰もいないにもかかわらず。


 実家は、市街地から少し外れた農村部にある一軒家だ。周囲は田畑に囲まれているが、両親は農業を生業にしているのではなく、市街地に働きに出ている。


 二人とも、だ。


 この家は、もともと数年前に相次いで亡くなった私の祖父と祖母の持ち家で、母がそれを一時的に相続していた。

 祖父は、若い頃は農業に従事していたから、ここに居を構えたらしいのだけれど、晩年は小売業をするようになって、田畑は全部売り払ってしまっている。そして、無駄に広い一軒家だけが残ったという訳だ。


 小さい頃は、祖母がいて祖父がいて、近所の人たちの出入りもあって、そこそこ活気があったのだけれど、今は顔見知りも少なく出歩いても挨拶する人もいない。加えて、母と父は仕事で夜遅くなることもあったから、それがいっそう、この広い家を寂しくさせた。──ただ、私は幼少時からの癖で、帰宅時の「ただいま」が未だに抜けなかった。


 私は、薄暗い廊下をぬけてリビングに入ると、テーブルにカバンを置いてエアコンとテレビを付ける。昼下がりのワイドショーの音声が家に活気を与えた。

 それにしても、どうも気持ちがふわふわしている。先程出会った、葵という少年の、蝶の翅がちらちらと頭に浮かぶ。


 私はキッチンへ向かい、冷蔵庫から麦茶をだして、コップ一杯に注いで一気に飲んだ。それから、もう一杯注いでそれをもってリビングにもどると、カバンをあけて荷物の整理を始める。


『……厚田市の生体変異理化学研究所の襲撃事件の続報です。さきほど、厚田警察より犯人と思しき変異者ヴァリアントが市街地へ逃亡したとの情報があり、近隣の住人に不安が広がっています』


 私は、ニュース番組の内容を聞いて、手を止めた。たぶん、さっき検問をやっていたあたりの事件だ。


『犯人は、昆虫型の変異者ヴァリアントであるとの情報がありますが、具体的な情報はまだ警察から発表されておりません……』


 研究所? 襲撃? さっきの蜂だろうか? 昆虫型といわれると、やっぱり葵の美しい翅の模様を思い出さずにはいられない。


『また今回の襲撃事件について、匿名の怪人結社から犯行をほのめかす声明が出ており、現在警察が関連を調べています』


 怪人結社というのは、社会的な活動する大人の変異者たちヴァリアンツの集まりだ。活動は地域貢献から、経済活動、政治活動、はては非合法なものまで様々だという。

 もっとも、このニュースにあるような声明をだす類の怪人結社は、往々にして世に対して悪い事をする人たちの集まりだけれど――。


 今の世界が、だいたい大きく二つの勢力に分かれていると知ったのは、小学校に上がるくらいだったかと思う。怪人結社と特殊保安官ネイティブガーダーは怪人がらみのニュースで必ず名前が出てくる。特殊保安官ネイティブガーダーは、私たち市民の生活を守る、いわば正義の側で、怪人結社やそれに類する怪人たちは悪。なんていうのが、ぱっと見の分類になるのだろう。


 ただ、本質的にそこにあるのは、有史以来存在する、純人類ネイティブズ変異者たちヴァリアンツの対立だ。──変異の力をもたない人類と、変異因子を持つ人類。その関係は、表で、裏で、私達の生活に様々な影響を与えていた。

 もっとも、今の時代、世の中はそう綺麗に二つに分かれるものでもない。そもそも、私を含む変異者ヴァリアントは市民にも多数存在している。文明の発達した現在では、あらゆる関係のルールは、善悪ではなくて、利害の一致と不一致だけになっていた。

 ――なんていう考えのほとんどは、実は父の受け売りだけれど。


 私は片付けを終えると今度は冷凍庫をあさる。そして、母が隠したアイスをめざとく見つけて、笑みをこぼした。


「おかあさん、隠し方が甘いね」


 正直、一介の女子高生には、正義も悪もどうでもいい。私たちの目下の考え事といえば、食べ物と、体重と、友達と、男子と、勉強と、あとはファッションとカルチャーがちょいちょいちょいといったところ。


「……冷たっ!」


 アイスを食べると、後頭部がいたくなって、私は悶絶した。


『続いて、次のニュースです。政府はこの度の変異因子保持者の生活統計の結果を受けて、学業や就労の振興と不平等是正のための補正予算を組むことを決定いたしました』 


 ただ、純人類ネイティブズから変異者たちヴァリアンツに対しての差別は、今の時代であっても、少なからず存在した。

 変異因子保持者は、その程度に応じて生活上の不利益を被ることがある。より人間らしくあれば、人として扱われるし、そうでなければ、差別されることも珍しくない。


 私などは、人と全く変わらないから、何を言われる事もないのだけれど、たとえば変異因子のステージ二以上の人は、何らかの外見上の変化を伴っていることも多く、そういう人は、いまだにちょっとした偏見に見舞われることがあった。


 私は、葵の痣を思い出す。それから、一瞬のぞき見た、彼の過去らしきイメージ。蛹、芋虫、蝶。彼は、その外見で辛い思いをしたことはあるのだろうか?


「……」 


 そもそも、葵はあの時、何をしていたのだろうか? 結局、聞きそびれてしまった。


 私は、テレビのチャンネルをニュースからバラエティー番組に変えると、いったん自室へ向かい荷物を置く。それから、着替えをとってシャワーに向かった。  

 シャワーから出ると、部屋着姿で二つ目のアイスをとりだす。だらけてソファーに横になって再びテレビを見始めた。


 気づけばそこで眠ってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る