43.ベランダに蝶の怪人
気まずい雰囲気で話を終えた私は静子は、あのあとすぐに互いに余計な事を言ってごめんね、と、お詫びのメッセージを送り合った。いずれにしても、復調したらちゃんと仲直りしなきゃいけない。
その後は──結局ずっと暇だった。特に何をするでもなく自室に籠もった。
やがて一日が終わり、深夜となる。私はどうにも寝付けなかった。いつもはだいたい、寝る前にシャワーでも入れば、とろんと微睡んでくる。しかし日中なんの活動もしていないからか、疲れもなく眠気がやってくる気配は一向に無かった。
仕方がないので、据え置きのパソコンをネットTVにつないで見ていた。ニュースでは、またどこかの研究所が襲われたとかいう事件が放送されていた。最近は本当に物騒だな、なんて思っていたら、葵からメッセージが着信した。
『体調はどう?』
私は、もう良くなっているから、明日には学校に行ける、と返事を返した。
『よかった。じゃあさ、今から行くけど会える?』
「は?」
私は目を丸くした。時計を見ると、零時も近い。
なんて常識の無いな男子なんだ、などと思ったのだけれど、同時になんだか嬉しい気持ちにもなって、落ち着かない。
来るの?
今から?
会うべきか、断るべきか?
たぶん、葵のことだから、飛んでくる。私はベランダを見た。両親は既に寝ているだろうか?──私は返事を返す。
『じゃあ来てもいいよ』
私は、急いで準備をした。
家に上げる訳にも行かないだろうから、こっそり抜け出して外で会うことになるだろう。まずは、親に部屋を覗かれてもいいようにベッドに寝ている私を細工しよう。衣類を盛って、布団をかぶっている私を作る。
ベタベタだけど、これで両親はごまかせるだろう。
それから何時に来るのか確認の連絡をしようと携帯を手にとったら、ベランダへと続く大窓をこぶしでコンコンと叩く音がする。
「え」
私は、それが葵だと一発で分かった。
ちょっとまって、まだ着替えていないんだけど。なんて思いつつも、来てくれたことに嬉しくなって、パジャマ姿のままカーテンをあける。
そこには、部屋の明かりに照らされた、美しい蝶がいた。私は、ベランダへと続く窓をあける。
「まったく、何時だとおもってるの」
「はは、ごめん……」
「いいけど」
私は病み上がりの自分を逆手に取って、葵に存分に気遣いをさせてやろう。私は、そんな態度だった。
「……もう大丈夫なんだよね?」
「ちょっとだるいけど平気だよ」
「じゃあさ、ちょっと出れるかな?」
ですよね。
「……どこへ?」
「空へ、少し散歩」
「……空」
葵はうなずく。
「着替える? 待ってるけど」
「けっこう遠くへ行くの?」
「ううん、そのへんの高い所」
「すぐ戻ってくるなら、別にこのままでもいいよ」
私は、言いながら学習机の椅子にかけられたカーディガンを手にとって羽織る。ベランダに出ると、紫外線でちょっとひび割れたゴムのスリッパを履く。
「じゃ、行こう」
こないだと同じように、葵は私に腕を回して抱え込むと、ふわりばさりと空へと舞い上がった。
誰かに見られるだろうか?
夜、空を見上げる人がどれくらいいるのだろうか?
深夜、蝶に抱えられた人がいるなんて思って、空を見上げる人はいない。見上げるのであれば、せいぜい月か星を見る時だろう。
幸いにして、少し曇っていたから星は見えない。三日月が雲の合間から顔を覗かせている程度だった。
満月に比べたら注目度は低いんじゃないかな?
そんな事を考えて、私はたったいま葵に抱き抱えられているという状況の気恥ずかしさを紛らわした。前回は静子のことで頭がいっぱいで、あまり気にとめていなかったけれど、今日は違う。ちょっと変な姿勢ではあるけれど、私葵に抱きしめられているのと変わらないんだ。
その腕は人ではなく、昆虫の外皮なのだけれど、葵であることに変わりはない。
「痛くない?」
葵が尋ねる。
「……平気」
私は、短く応えた。ちょっと顔が火照っていたから、夜風は涼しく気持ちいい。
「どこに行くの?」
私が尋ねると、葵は顎で方角を示す。
「あそこ」
その先には、近隣で一番大きな公園に併設された展望台があった。展望台は、格子状の鉄骨に外壁を貼って作られていて、中にはエレベーターが通っている。
そのエレベーターで展望室までくると、そこはぐるりと一周して周囲をみわたせるようなガラス張り施設となっていた。
私たちは、その展望台の、さらに屋根の上に降り立った。
展望台からは、近隣の平野部を一望できる。
晴れていれば日本一の山だって見ることが出来るのだ。もっとも、夜は開放時間外であるから、登ったことなどなかったのだけれど、改めて同じ高さの場所に立ってみて、見渡す夜景が素晴らしいことを知った。
傍らの葵は、蝶から人に戻ろうとしていた。
私は、慌てて半裸になった葵から目をそらして尋ねる。
「いつも、こういうところに登って、いい眺めを楽しんでいるの?」
「眺め?」
「ほら、夜景がきれいじゃない?」
「んー、いつも見ているから特に何とも思わないかな」
いいながら、葵はシャツを着た。なんだかぶっきらぼうな対応をされて、私は気分が下がる。この景色を見せるためにここへ連れて来たわけではないのか。
「……何でここに連れてきたの?」
「……そりゃ、こないだの話の続きだよ。僕が何をしているか、人のいないところで話したかったからね」
そうだった。
勝手に盛り上がっていた自分が、ちょっと情けなくなった。
「まぁ、聞きたいといったのは私だけどさ、あたし病み上がりだよ? そんな無遠慮だからお友達ができないんだよ」
私は、少し意地悪になって言う。
「あはは、そうだね、ごめんね、こんなところに連れてきて……高いし、怖いよね」
すると葵は素直に謝った。なんだか小言をいった私の方が、惨めな気分になってしまった。
「わりと高いのは平気だけど」
何が言いたいんだ私は。一方の葵はマイペースに話を続ける。
「前もいったかもしれないけど──昔はこれでも結構友達多かったんだよ。みんな死んじゃったけど」
「えっ?」
「知ってる? 変異因子保持者で……重度の変異適正がある、たとえば僕みたいに化物めいた
「……それは、聞いたことあるけど……でも、それってちゃんと変異抑制剤を投与されれば、問題ないんじゃないの?」
抑制剤を投与されて生きながらえた人は数多くいる。
「ステージ三までの因子保持者ならね。重度の変異因子保持者は違うよ」
「……重度って?」
「ステージ四以上」
私は「四」という、聞いたことのない変異ステージの数字に驚いた。
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