39.気まぐれの決着

 気づけば私は海の底にいた。

 ──いや、そこは海の底というか、私が住んでいる街なのだけれど。眼下には、住宅地があって往来を人や車が行き来している。私が漂っているのは、その街でいうところの空中で、街と海が重なっているのだ。


 周りには、数多くの魚が泳いでいる。それらの一群は、私の視線の先を泳ぐクジラと戯れるようにして、回遊していた。

 そういえば、クジラは何をたべるのだっけ? 肉食? プランクトン? あの大きな口が開いたら、そこいらの魚くらいあっというまに丸呑みしてしまうんじゃないだろうか。

 私は、そんな事を思いながらゆっくりとクジラに向かって泳いでいる。


 あれ、はまぐりって泳げるのだっけ?


 もともと、潜水は得意だから、息苦しくはない。実際は空だから水はないのかも知れないけど。とりあえず私は手足をばたつかせて前に進んだ。クジラとの距離は少しずつ縮まってきた。


「静子!」


 私は、静子の名を呼んだ。しかし、口から出た声は泡になってしまう。

 けれど、静子は私のことに気づいたらしく、優しさと好奇心のまじった目をむけ、後ろのヒレを大きくはためかせて近づいてきた。

 その巨体は、圧倒的な迫力があった。


 本当の海の中で出会ったらパニックになってしまっただろう。しかし今の私は、特異な状況もあってか、恐怖を感じることはなかった。それが静子とわかっているからなのかもしれない。

 一方の静子は、私のそばに来るとぐるりと私の周りを回遊する。

 その様は、じゃれる子供のようでもあった。

 私は叫ぶ。


「静子! 遊んでないで、帰ってきなよ!」


 すると静子はすこし私との間に距離をとる。今の要求は性急すぎただろうか?

 私はずっとここで泳いでいたいとでもいいたげに、プイと顔をそむけて、行ってしまう。


「待ってよ! どこいくの?」


 私は静子を追いかける。その気分屋で気まぐれな様は、静子そっくりだとおもった。

 やがて、私たちは市街地のショッピングモールまでやってくる。こないだ、静子と遊びに来たモールだ。静子が興味をもって、高度をさげる。モールの上空を回遊する。

 クジラの格好をしておいて、ファッションでもないだろう、なんて思っていると、静子はその図体でショッピングモールに突入しようとする。


「ちょっと、そんなの入れるわけ無いでしょ!」


 言ってるそばから、入り口の自動ドアに身体をうちつけてしまう。

 静子の姿がみえない人々には、突然の強風が吹き付けたようになっていた。静子は、すこし残念そうな目をしてその場を離れると、続いて、メインストリートに近づく。

 見れば流行りの路上スイーツショップがあって、静子はそれが気になっているらしい。


 その格好でも食い気ですか、などと心の中で思ったが、それよりも、そこには多くの人が行き来していて、静子が身体を打ち付けたなら、結構大変なことになるんじゃないかと思った。

 静子が近付こうとすると、私は手足をばたつかせて静子の前に出る。


「静子! 駄目だって!」


 すると、私と接触することを嫌がった静子は、ひょい私をかわして、再び上空へあがる。


「だからー、待ってってば!」


 その速度は早く、私を明らかに引き離しにかかっていた。

 私は絶望的な気分になる。潜水は出来ても泳ぎは下手なのだ。クジラの速度になんて合わせられるわけがない。


「静子、待って! どこいくの!」


 静子は止まらない。


「だめだよ、いったらだめ! 帰ってきてよ!」


 私は叫ぶ。

 しかし、静子はちらと私を見るだけで、速度をゆるめない。ぐんぐん距離が開く。


「そんなんじゃ、かわいい服だって着れないし、望海先輩だって他の誰かのとこ行っちゃうよ!」


 我ながら情けない引き止め方だと思う。けれどこっちだって必死なのだ。

 いつしか、私は涙を流していた。現実なのか夢なのかわからなくなっていたけれど、とにかく静子にむかって叫んでいた。



「一人で抱え込まないで、家のことくらい、あたしたちに話せばいいじゃない! ばか!」


 私は思い返す。小学校のころの、寡黙でお嬢様めいた物腰の静子。中学時代の疎遠になって近寄りがたい静子。高校の垢抜けたギャルに扮した静子。ゴーホームズのメンバーをからかう静子。バイト先でこっそりオマケをする静子。いろんな静子。

 私は他にも色々なことを叫んだ気がする。

 気づけば、静子は私の下に回り込んで、私を背中に載せて回遊していた。

 静子に、たぶん私の声がとどいて、気まずくなって私のところに戻ってきたのだと思った。


「……いつもそうやって好き勝手に動くんだから、振り回される身にもなってよ」


 静子がクジラの声を震わせて鳴いて答えた。「うるさいよもう」と笑って行っているような気がした。

 そして、私はビルの上で目覚めた。 

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