37.不法侵入
コンビニを出ると、陽は完全におちてい、雨はあがっていた。
私は葵といっしょに、ふたたび花井邸の近くまでやってくる。正門の方へ向かおうとしたら、葵が腕をひっぱって私を止めた。
「……? 何?」
「こっち」
葵はいいながら、花井邸の建物の裏へまわる。
そこは、花井邸の塀がつづく人気がない路地になっている。葵が携帯を取り出すと、地図アプリを開いた。周辺地図を選んで、拡大して上空から花井邸の細部を見る。
「ここだよね?」
拡大した、花井邸の二階のある場所を葵は指を指した。そこは、静子の部屋のある場所で、ベランダになっている。
「うん」
「じゃちょっと変装しようか? 俺のパーカーを貸すからさ、羽織ってフードを顔にかけて」
葵は、自身の羽織る夏用のパーカーを私に手渡した。
「え、うん」
私は、パーカーを受取ると、言われるままに羽織ろうとする。
「あ、ちょっとまって念の為裏返そう」
別にリバーシブルではないのだけれど、葵はパーカーを裏返して私に着せる。
「ちょっと、なんでこんな」
「変装だよ、もし見つかっても身バレしないために」
裏返しにパーカーを着た私は、さらに裏返しのフードをかぶせられる。パーカーは私が着るとダボダボで、フードも絞るとたしかに顔がみえなくなる。
「それで、葵はどうするの?」
「俺は、変異しちゃえば、葵くんじゃなくて、蝶の怪人だから」
言いながら持ってきたボディバッグを腰巻きにしてウエストポーチのようにしたあとで、シャツを脱ぐ。
「……ちょっと」
私は、半裸になった葵から目をそらした。
葵は、シャツを私に手渡ししながら、すぐに変異をはじめる。みるみるうちに上半身の質感がかわり、肩甲骨のあたりから翅が生える。
顔は多少人間めいた造形をたもっていたが、質感は昆虫めいたものに変わってしまう。こういうの、人によってはグロテスクと思えてしまうんだろうな、と思った。
「さて、行ってみようか」
葵が両手を広げて私を誘う。
蝶の姿になった葵が私を抱きかかえて侵入する、というのは事前にすり合わせ済みだった。私は、葵に抱きかかえられることをちょっと気恥ずかしいとおもっていたのだけれど、それを隠して葵に近づく。
背中を向けると、葵は脇の下に腕を通して、私の重さを確かめるようにかるく持ち上げてみたりする。
体重は世代平均程度なのだけど、重いと思われたらどうしよう?
そんなことを気にしていたら、葵は躊躇なく私を抱きかかえたまま、翅を羽ばたかせて宙に舞う。
「……!」
あっという間に地面が離れていった。
一回、二回、三回と大きくはばたくと、そのたびにグイグイと空を移動する。飛ぶというのはこういうことなのかと、私は感動した。
葵への無根拠な信頼感があって、地に足がついていなくても一切不安にならなかった。そしてすぐに、目の前に花井邸の屋上がせまってくる。先程、インターネットの地図で上空から見た写真と全く同じだった。あたりまえだけれど。
ほどなくして私は静子の部屋の前のベランダに到着した。
葵はすぐに翅をたたみ、私の腕を引いて壁際に身を潜めるように促すと、中の様子を伺う。静子の部屋は薄暗く、誰もいない。カーテンでよく見えないが、ベッドの上には医療機器に繋がれた静子らしき塊が横たわっている。
遠見したときと同じ配置だ。
医療関係者らしき人の気配は二階からは感じられない。一階には誰かいるのかもしれない。私は、ベランダから室内に入るための引き戸に手をかける。開けようとする。
「……」
鍵がかかっていて開かない。そりゃそうだ。
すると、葵が私と入れ替わるように前に出てきた。どこからかマイナスドライバーを取り出して、ガラスと枠の隙間に差し込む。慣れた手付きで何箇所かこじると、小さな音とともに、窓のロックがある辺りに小さく三角形のヒビが入った。
「ちょ……なにしてんのよ!」
私は器物破損を目撃して驚いていると、割れたガラスをとりのぞいて、すき間から手を入れて内鍵を解除した。
「会いたいんでしょ?」
「だからって……」
葵は静かにドアをあける。
そのあまりにも手慣れた動作に、言葉を失った。葵はほんとうに普段なにをしているのだろう?
夜風でカーテンが揺れた。ベッドの上に寝る静子の姿が、ここからでもはっきりと見える。
「……!」
それを見た私は、ガラスを割ったどころではないショックを受けた。
静子は、わずかに人の姿形こそしていたけれど、その様子は完全にイルカかクジラか、或いはジュゴンのようになっていた。髪の毛は完全に無くて、ただ顔のかたちは人のそれで、目や口や鼻はどことなく静子に似ていた。
ここまでの姿になりながら、何故親はこんなになってしまった娘を病院に入れないのか? という怒りが私の中を満たす。
すると、葵がポツリと呟く。
「世界はごく一部のお金や力を持った人たちの、都合の良い思惑で動かされているんだ」
「何の話?」
私は小声で尋ねる。
「花井製薬は自社開発の非合法な医薬品を官公庁に卸している。その中には
「え?」
突然の話題に私は驚いた。
「それが、何か関係あるの?」
「つまり、この花井家は常に外部の利権との関わりあいの中で、害されたり脅されたり、脅したり害したりしているの。そして、一つ間違えば娘をこんなふうにさせられてしまうような状況にもあるってこと」
葵は、それを見てきたことのように話した。
「……何でそんな話になるのよ……?」
陰謀論っていうんだっけ?葵は身を乗り出して、静子にふれる。医療機器や点滴を見て回る。
「この子、
葵は点滴を見ながら言った。
「……単なる変異症とかじゃないの?」
私は意味不明な解説を続ける葵に言葉を返す。ちなみに、変異症は、因子保持者がたまにおこす変異障害で極めて一般的な病気だ。つまり変異体の風邪みたいなもの。私は、静子の症状はその程度の物だと思っていた。
「違う。これは変異症じゃない。薬によるものだよ。そういうものがあるんだよ。やっぱり、お家の製薬メーカーがらみの事件にまきこまれたんじゃないかなぁ?」
「なんでそんな話を知ってるの?」
「僕のウチもいろいろあるから──ちょっと説明しずらいんだけどね」
葵は悲しげに笑って言った。
「……」
「深はさ、彼女の抱えている家庭の問題とかストレスとかさ、心当たりある?」
「ストレス?」
「親しい友達として、知っていることがあれば教えてほしいんだけど」
なんでそんな質問をするのだろうと想ったのだけれど、私は素直に応える。
「……両親と仲が悪い、かな。静子は両親の仕事のことを知っていて、それが嫌だって昔ちょっといってた」
「なるほどね、じゃあ次にさ、彼女が好きなものは何?」
「好きなもの?」
私は、ふと部屋を見渡す。古生物の図鑑。
「こういうの、こないだクジラもいいかもって、だからクジラみたいになったんだって」
私は、枕元から本棚に戻された図鑑の束を一つ手にとって開いてみせた。葵は興味深そうに図鑑を覗き込んで言った。
「……他には、ええと、なにか一生懸命やってることとか、楽しいって言ってたことある?」
「一生懸命っていわれると……学校とか帰宅部の集まりとか、バイトとか楽しそうにやってる……かな?」
私は、静子の日々の振る舞いを思い出す。ふと傍らに飾られたゴーホームズのおもしろ写真が目に入った。
「……あ、あと、最近、私たちいるのも楽しいって」
「……んー、じゃあ戻ってこれるかもしれないなぁ」
葵は、もってきたボディバッグを漁る。なにやら薬品の入ったアンプルと注射器を取り出した。
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