花井静子と変異する悩み

33.花井静子

 その日、私は再三、静子に体調を尋ねるメッセージを送った。しかし、既読している形跡はあるのだけれど、一切返信が送られてこなかった。


 芽衣や土浦くんに、静子のところへお見舞いに行ってくると伝えた手前、何もしないわけには行かなかった。少なからず安否確認くらいはしなければと思って、最終的には携帯への連絡も試みた。


 けれど電話も出ない。


 私は、ちょっと嫌な予感がしたので、静子の家を尋ねることにした。

 静子の家は、町内でも有数の敷地面積を誇る豪邸で──もともとは土地の豪農で地主だったらしいのだけれど、今は両親が、それこそTVCMで流れるような様々な医薬品で有名な薬品会社を経営していて、静子はそこの三人兄弟の末のお嬢様ということになっていた。


 本来であれば、いいとこの子供らが通うような私立の名門に進学するところを、一応進学校とはいえ、静子は地元の高校に進学したのだ。

 そして、ギャル化してバイトをするという日々を送っている。


 お金持ちエリートがどういう考え方をもっているかわからないけれど、そういう振る舞いをする静子を、花井家の人たちはどう思っているのだろう?

 そんな事を思いながら、バスに揺られていると、静子の家が見えてきた。


 それは塀に囲まれた大きな一軒家だ。

 入り口には車二台が出入りできるような格子状のシャッターがあって、その中には高級車が数台止まっている。

 そのすぐ脇に、高そうな扉のついた出入り口があって、花井の表札がついている。


 農家といえばウチもそうだけれど、規模がまるで違う。

 正門の前に立ち、再度携帯を見る。しかし、静子からの返事は相変わらず無い。私は、花井家の呼び鈴を鳴らした。


『はい』


 返事はすぐ帰ってきた。


「あのー、陽光学園の同級生の天ヶ瀬といいます。静……花井さんにプリントを届けに来たのと、お見舞いをしに来ました」


 ストレートに要件を伝える。


『はい、ちょっとお待ちください』


 その声は、どこかで聞いたことがあった。たぶん、赤松さんだろう。


『わざわざお越しいただきまして、ありがとうございます。部屋に通しますので、中にお入りください』


 ガチャリと音がして門の鍵が空いた。

 思った以上にあっさりと入ることが出来た。これは、静子と会える、ということだろう。家まで続く長い飛び石を踏み進んで、玄関にたどり着く。すると、向こうから勝手に引き戸があいて、赤松さんが顔を出す。


「やあ、天ヶ瀬さん、こないだはどうも」

「あ、赤松さん、すいません急におじゃまして」

「いえいえ、入って入って」


 私は、見知った赤松さんの顔を見て少し安堵した。


「おじゃまします」


 広い玄関から、家にあがる。

 広い廊下、広いリビング、広いキッチン、広いトイレに、広い風呂。全てに、広いの形容詞がつく。久々に上がり込んでみたが、印象は当時と変わらなかった。

 製薬会社というのは、やはり相当儲かる事業なのだろう。


「あの、静子……だいぶ具合わるいんですか」

「そうですね、症状自体は軽いんですけど、ちょっと問題がありましてね」

「? はあ」

「でも、静子さん喜ぶとおもいますよ」

「……はい」


 なぜ、メッセンジャーを返信しなかったのだろうか?

 二階に通され、静子の部屋の前に立つ。赤松さんが、ドアをノックする。


「静子さん、深さんが来ましたよ」

「……入って」


 中なら静子の声が聞こえた。私は促されて部屋の中に入る。

 久々に入った静子の部屋は、年頃相応の様式に変わっていた。ただ、昔からあった天蓋付きのベッドは、幾分かざりがシンプルになったけれど健在で、静子の元お嬢様ぶりを表していた。そして、そのベッドの上に、静子がパジャマ姿で体を起こして座っていた。


「お見舞いありがと、何か買ってきた?」

「えっ、あっ」


 お見舞いといいながら、私は差し入れの一つも買ってきていなかった。


「ごめん、何もない……」

「いいよいいよ」


 静子は笑う。

 枕元には、先程まで読んでいたらしい本があった。海洋動物図鑑。本当にそういうの好きなんだなって思った。


「プリントがあるの?」


 静子が尋ねる。私は、静子の部屋の扉がしまっていることを確認してから、静子に応える。


「ないよ、クラス違うもん。会うための方便」

「じゃ、プリントだけ預かります、って言われたらどうするつもりだったの?」

「これを伝言付きでわたそうかと」


 私が取り出したのは、静子に以前、葵を探すために渡された名簿リストだった。


「さすが、機転がきくね、深は」


 静子が、すこし気だるそうに笑った。


「具合は? どんな感じ?」

「うん、ちょっとしんどいかな」

「熱はあるの?」

「あるようなないような」

「どっちよ」

「朝方はあった」

「そう……でも身体を起こせる、って事はすこし楽になったのかな?」

「そうかも」


 定まらない答えを返す。私は気になっている質問をする。


「あとさ、携帯壊れた?返事なかったけど」


 すると、静子は返答に間があった。


「うーん、ちょっとね……深てさ変異因子保持者だよね?」

「え、うん」

「身体に変化とか出るタイプ?」

「私は、ごく軽微だから出ないよ」

「そっか」


 静子は、少し考えたあとで、タオルケットで隠していた両手を表に出した。


「……!」


 静子の手首から先が、人の手ではなくヒレのような形になっている。これでは携帯電話の画面もタップしようがない。


「今こんな手だから細かい作業ができなくて」


 静子は笑って言った。私は絶句した。

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